ルチカとフィロの過去
その夜、昔の夢を見た。私とフィロがまだ、故郷のソーヤ村で楽しく暮らしていた頃の。
その頃のフィロの性格はまるで違っていた。明るく、社交的でみんなに好かれていたフィロ。
あの頃のフィロはまだ、死んでなんか、ない。そう信じて、もう二年が経った。
あの日、私とフィロは薬草を探しに山に入っていた。もうすぐ春で、芽吹きの季節だった。
フィロは、いつもの道とは違う道を行こうと提案した。
雪解けの下から、花が咲くという関節痛の効く薬草を探したかったからだ。
フィロは活発で物怖じしない性格で、私と張り合い、どんどん先に行きたがる子供だった。
私たちはやがて互いに興味がある方向に分かれて、山を散策した。
そのうちに私の頭の中は、新たに見つけ出した薬草のことでいっぱいになって、フィロよりも成果をあげることに夢中になっていった。
そんな中、地滑りの音が聞こえた。
かすかに、フィロの悲鳴のような声も聞こえたような気がした。全身に殴られたような衝撃が走った。ああ、別行動なんてとるべきじゃなかったんだ。
必死にフィロの名を呼んで、無事であるようにと祈りながら、探し回った。
地滑りの跡があり、フィロは、崖下にいた。
そして、フィロはひたすら叫んでいた。こっちに来るな、と。
私はフィロの訴えなど、耳を貸さず、フィロに向かって、必死に手を伸ばして、引き上げようとした。
結果的にそれは失敗した。私も足を滑らせて、フィロと同じ場所に落ちた。
その時、腕に刺すような、痺れるような痛みを感じた。
おそるおそる、自分が落ちた場所の地面を見ると、棘の茂みがあった。隣のフィロを見た。
泣きながら、「ごめん」「俺のせいで」とかいいながら、呻いていた。
「そんなに気にするな、私もうかつだった」そう言おうとしたところで、私は気を失った。
目覚めた時の私は高熱でうなされていた。帰りの遅い私たちを心配した母が駆けつけてくれて、村の人たちの協力を得て、崖から引き上げてくれたらしい。
体の節々が痛んで、起き上がることすらもできなかった。私は棘の毒にやられていたのだ。フィロは体に身に着けていたマントのおかげで、毒棘が体に届かなかったため、無事だった。
フィロは私を必死に看病してくれた。すぐに汗だくになってしまう私の服をひんぱんに替えてくれたり、食べ物も運んでくれたが、私は全く受け付けることができず、水と蜂蜜のみを口に入れて、ひたすら熱にうめきながら、眠り続けた。
私はうなされている間、ひたすら母を呼んでいたのだそうだ。フィロは私の手を握りながら、何度も繰り返した。
「母さんは姉さんの薬を探しに出ていった、だから信じて頑張って」
7日間後、熱は何とか下がり、徐々に食欲もわいてきた。
食事がとれるようになると、いつもの生活に戻れると思った。
だけど、フィロはまだ体が弱っているのだから、じっとしていろと普段の仕事にとりかかろうとする私を布団に押し戻した。
そんなことをされると、余計に動きたくなる。
そう繰り返し抗議する私にフィロはついに根負けしたように言った。いいよ、ただし、うつすかもしれないから、しばらくは誰にも会わないって約束して。
それはそうだと私は納得し、家で薬草を煎じたり、薬研ですりつぶしたりして、自分が寝込んでいる間、姿を見せなかった母に思いを馳せた。
きっと、今も私を心配して、薬草を必死で探しているに違いない。毎晩、「もう、大丈夫。だから、早く帰ってきて」と念じて、眠りについた。
そんな日々の中、私はほどなくして気がついた。私たちの家から鏡がなくなっているということに。
私は自分の行李の中から、鏡を取りだした。
お気に入りの鏡を割ってしまったもので、捨てるのに惜しく、細かい破片を取り除き、とっておいたものだ。嫌な予感なんて、とっくにしていた。
フィロの態度を見ればとっくにわかりきっていたことなのに、現実に向き合う恐怖を先送りしてしまっていた。
でも、このままではいられない。外に出られないなんて、私が私でなくなってしまうから。
鏡を見た。そこには、別の生き物になってしまったような「私」が映っていた。赤黒い、痣のようなものが、顔の大部分に浸食していた。
鏡を落とした。
村のみんなはどう思うかな。もう、ずっと家に引きこもって、薬をつくるしかないかもしれない。 あとの仕事は、フィロにやってもらおう。ああ、フィロにはこの顔、もう見られてるのか。母さんには、こんな娘の姿、見せたくない。苦しい。辛い。何も見たくないし、知りたくない。私はその場で気を失った。
私は痣を見られたくなくて、そのままひきこもった。お見舞いも居留守を使って、ひたすら寝るか、笛を吹くかしかしなかった。薬を探してくれているという母もとうていあてにはできず、むしろ、私の顔の痣を見られることが怖かった。その頃、フィロとどんな会話を交わしていたのか。私はよく、思い出せない。きっと、おざなりな受け答えしかできなかったのだろうと思う。
そうした態度がきっと、知らず知らずのうちにフィロを傷つけていたのだ。フィロは自分を助けようとしたせいで、姉が痣に侵され、苦しんでいるとずっと自分を責め続けていた。
フィロは私の痣の薬草を探すのに、家を出た。なぜ、私はフィロをとめられなかったというと私は十日の間、睡眠薬を盛られ、眠り続けていたからだ。フィロは薬の量を絶妙に調整して飲ませ、しかも、信頼する幼馴染に私の世話を頼み、私が目覚めると再度、薬をかがせて、再び眠らせる、ということを繰り返していたそうだ。そして、二十日かけても戻らなかったら、自分はもう死んだと思ってほしい、と自分が戻らなかった時の後の私の世話まで頼んで。おそろしいほどの決意と執念。そして、私の卑屈なふるまいがそこまで、弟を追い詰めてしまったのだと、痛感した。
フィロが万能の皮膚薬の薬種となる薬草『白玖根草』を求めて、馬と鉄道を乗り継いで丸十日かけて向かった先は、人間を喰らう恐ろしい植物が生息するという沼地だった。 たった一人で、誰の助けも借りず。だけど、そんな薬は私はお伽話の空想の話だとその伝説が記してある書物を読んで、そう思い込んでいた。
だけど、フィロは執念が違った。私が熱で寝込んでいる間、家にあるあるありとあらゆる書物を調べまくった。そして、床下の鍵を壊して入った隠し書庫で禁書を見つけた。その書を読み解いて、万能の皮膚薬となる『白玖根草』が実在することを調べ上げた。
その書にはこう記してあった『白玖根草』は万能の皮膚薬となりうるが、手を出してはいけない。なぜなら、白玖根草が自生する沼地には、人を喰らう魔物の植物『水晶血丹』が棲まうのだから』
その地にたどり着いたフィロは白玖根草を手に入れるために沼地に入った。その結果、フィロは『白玖根草』を手に入れた。そして、地上に戻る途中で、水晶血丹の棘に刺され、水晶血丹に寄生され、宿主にされた。
水晶血丹に寄生されながらも、フィロは『白玖根草』を離そうとせず、地上に這い上がった。そして、その途中で、角犬の赤ん坊であるフィロを拾った。握り拳大ほどの大きさだったロニは『白玖根草』の群生する根本にたった一匹でうずくまっていたそうだ。
フィロはロニを助けようと連れて帰ることに決めた。そして、満身創痍の身で、鉄道に飛び乗り、帰途についた。そして、その鉄道の中でいよいよ意識が薄れかけ、もう死ぬかもしれない、という時に、旅人に応急処置をしてもらい、その適切な処置のおかげでソーヤ村まで帰ることができたのだ。
フィロがたった一人で沼地に向かっている時、ずっと留守にしていた母が帰ってきた。幼馴染はさすがに母が帰ってたため、私に睡眠薬を嗅がせることを中断してくれたため、私はようやく意識を取り戻した。
母は私が毒の棘に刺されたと知ると、私が高熱が出て、下がった後、後遺症で赤黒い痣が出現することがすべて分かっていた。そして、自分たちの持つ薬では治療が不可能であることも知っていた。
そして、母は私の世話を弟に任せて、私を治療する薬を探しに家を飛び出た。母はほうぼう探し回り、やっとの思いで薬草を見つけ出してくれた。
結果として、その薬草は効くことは効いた。しかし、私の赤黒い痣を薄くはしてくれたが、黒は濃い灰色程度にしかならなかった。私は十分だ、といったが、母は泣きながら否定した。
私は睡眠薬を嗅がされ続けた影響で、意識がはっきりせず、目の前の出来事に靄がかかったような日々を過ごしていた。
だから、私は痣のことなど本気でどうでもいい気分であり、私はそんなことよりも、母がまた薬草を探すためにいなくなってしまうことのほうが、嫌だったため、必死で説得した。痣なんかどうでもいい、そんなことよりももう、いなくならないで、そばにいて。
フィロが帰ってきた日の夜、あの日も、調子が悪く、日がな頭痛がして、鎮痛剤を飲んで、頭から布団をかぶっていた。
玄関扉で物音がして、ぼんやりする体をひきずりながらそこに向かうと、フィロが倒れていた。その手に『白玖根草』をもって、その身に水晶血丹を宿して。母にはすべてがわかっていた。『白玖根草』を知るためにはフィロは禁書に手を出すしかないこと。そして、『白玖根草』の自生する沼地には、人を喰らう魔の植物、水晶血丹が棲んでいることを。
水晶血丹の毒は即効性はない。じわじわとゆっくり時間をかけて、寄生した生き物の栄養分、血を吸い、最終的には自分と同じ姿に同化させる。
私はひたすらフィロの名を呼びながら、瀕死のフィロを寝床に運んだ。そして、その時、フィロがずっと抱いていた角犬の赤ん坊―ロニの存在にようやく気付いた。私は事情も分からないまま、今度は私がひたすらフィロを、そして得体の知れない犬の赤ん坊の看病をした。そして、そこにいるはずの母がいないことにも気づいていたが、その時の私はフィロの身のほうが圧倒的に心配だった。
数日後、母から家に手紙が届いた。『母さんはもう一度、薬を探しにいきます。それまで、戻るつもりはありません』きわめて短い文面のこの手紙をどう解釈していいのかも分からないまま、私はフィロの看病を続けた。
その頃には、自体が呑み込めなかった私もようやく理解し始めた。家の書庫を調べて、『角犬』という生き物の存在も知った。どうやら、角犬の角は植物の毒を不活性化する強力な作用がある。
そして、角犬はその強力な毒を殺す作用を持つ額の角のおかげで、水晶血丹が忌み嫌う唯一の動物であるということを。逆を言えば、水晶血丹が棲む沼地では他の動物は、寄生されて宿主にされてしまうため、生息できないため、沼地から離れていってしまうのだ。『白玖根草』もその強力な薬効のおかげで、水晶血丹にとっては『不味い』植物であるため、寄生されることがないのだという。
あの沼地の水晶血丹は沼地の小さな魚と飛来する鳥と微生物を『食料』にして、生き延びているという。
『白玖根草』と角犬のみがこの沼地で繁殖ができ、独自に進化を遂げていたのだ。
弟は私の痣を治す薬草とロニを手に入れてくれた。自分が寄生植物の宿主となることを引き換えに。
そして、フィロが命がけで持ち帰ってくれた『白玖根草』。この薬草からつくった皮膚薬は私の痣にべらぼうに効いた。初めて、その薬を塗った時は、半信半疑、いや、むしろ悪化する可能性のほうが高いんじゃないかと、怖くてたまらなかった。
効き目は、数時間後に現れた。明らかに薬を塗った箇所の痣が薄くなっているのが分かった。一ヶ月間、その薬を塗り続けると、顔の痣はほとんどなくなっていて、元通りの皮膚の色に戻った。
『白玖根草』を塗り続けたおかげで、顔の痣はほとんど消失したといってもよくなった。しかし、顔の痣が消えた時点で『白玖根草』は尽きてしまったため、体に残った痣は消えなかった。私には十分すぎる結果だった。むしろ、そのせいでフィロも母もどれだけのものを失ったんだろう。
だけど、人間関係は元通りというわけにはいかない。私が高熱を出して家に引きこもったことで、ソーヤ村の人たちは、伝染病の恐怖にさらされた。
何より、フィロは体を恐ろしい寄生植物に寄生されてしまった。誰にも知られてはいけない。
今は、ロニの角のおかげで、抑制できているけれど、今後もそうだという保証なんてない。症状を抑制するだけじゃだめだ。もっと、効く薬を。
フィロの体からこの化け物を剥がす、その方法を探さなければ。そして、私も旅をしながら、痣を治そう。
別れは、直接言えず、幼なじみ宛に、村の人たちへの手紙を託した。
病気の時にも私たちを怖がらずに、ずっと心配してくれていた、フィロの企みの片棒を担いでくれたその幼なじみの顔でさえ、まともに見ることすら出来なかった。
それでも、彼女は、私の手を握ってくれた。醜い痣を見られたくなくて、卑屈になって、一方的に避けていたのに。ごめんね。恩はどんな形になっても必ず返す。そんな念をこめて、彼女の手を放し、もう、戻れないかもしれない。そんな心の声は聞こえないふりをして、故郷のソーヤ村を旅立った。
目が冴えて眠れない。隣を見るとフィロも起きていた。私が怖い夢をみたのを察知していたかのようで、バツが悪い。
「明日こそは『あれ』を探しに行こうと思う」
「そろそろルーがぬけがけして、一人で行こうとしてるかと思った」
「そんなことしないよ。でも、状況によってはあんたは待機してもらう」
「嫌だよ、ル―一人じゃ無理だ」
「たまには大人しく姉の言う事を聞きなさい」
もう、眠らなきゃ。明日は怖いことをするんだから。