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薬売りの祖父

 昨夜、家で飼っているヤギの調子が悪いと聞いたため、薬をやぎに与えていいかとマヤさんに聞くと、いいと返事が返ってきたので、家畜薬を量を調整して飲ませて、様子を見た。

 朝が来た。食欲不振だったやぎは、もりもりと飼料を食べ、乳も出すようになっていた。

 マヤさんが泣きながらお礼を言ってくれた。やはりこういうのは、嬉しいけど、むずがゆい。朝ごはんに呼ばれると、居間に乳臭い甘い香りが漂っていた。

「今日の雑炊は、やぎのミルク入りだよ。ルチカとフィロのおかげだね」

 色取りどりの木の実の入った雑炊やが美味しく、体に染み渡った。

「やぎのミルクってこんなに濃くて美味しいんですね」

「その木の実、僕が拾ったんだ」

「へえ」

「こういうことなら、僕でもできるから」

 ロステムはにこにこ笑いながら、雑炊を美味しそうに食べている。

「あなたたちが来てくれたから、ロステムが明るくなったわ」

 マヤさんの笑顔は、ふんわりと優しく、少し泣きそうになった。母さんがつくってくれた雑炊も美味しかったな。鶏肉のだしを丁寧にとってくれて。きのこがいっぱい入ってて。もう一度、母さんと一緒にごはんが食べられたら。いつもつくってもらってばかりだったから、今度は私がつくってあげるんだ。


 朝食後、薬がほしいと依頼を受けた家を一軒一軒訪問する。今日は、フィロとロニとは別行動をとった。その家では、おばあさんとロステムと同じ年ごろの小さな女の子がいた。おばあさんはにこやかではあるものの、顔色が冴えないのが気になった。

「関節痛かしら、足腰が痛いのよ」

「見てもいいですか?」

 足に触れると、ひやっと冷たい。季節柄、春が近いとはいえ、夜は冷え込む。隙間風が家の中にも入ってくると、暖をとるのも難しいだろう。

「夜、眠れていますか?」

「あんまり……夜中に何度も目が覚めちゃって」

「しびれはどうですか?」

「ときどき」

 手と足を見せてもらうと、冷えとむくみがひどい。

「手足の冷えが気になりますね。冷えは万病のもとです」

「でも、もうそんなの慣れてるわ。これから暖かくなるし、大丈夫よ」

 きっと多少の痛みやしびれは我慢してしまっているのだろう。我慢できるからといって、放っておいていいわけがないのだ。

「足湯をしてもよろしいでしょうか?」

「足湯?」


 この家の女の子に手伝ってもらい、近くの川を何回か往復し、その水を沸かして、木の桶に流し込む。適温になったところで、乾燥させたアネミの花びらを桶の中に落とした。

 足湯は冷えをとるだけではなく、気分を穏やかにさせる効果もある。

 乾燥させたアネミの花びらが湯の中でゆっくりほどけていき、南国の果物のようにまろやかで甘酸っぱい香りが広がった。

「足は心臓に一番遠い部位ですから、そこを温めて、血流をよくして、体全体を温める目的があります。そうすることで、病気の予防にもなるんですよ。何より、気持ちいいですよ」

「いい香り」

「気分を落ち着かせたり、寝つきをよくする効果があるんですよ」

 水汲みを手伝ってくれた女の子、レノが部屋に入って来た。

「わあ、いい匂い」

 レノは嬉しそうにおばあさんにかけよった。私は彼女の手に触れた。さっき水汲みを手伝ってもらったためかひんやりと冷たい。

「あなたの手も冷たいね。一緒に入ろう」

 もうひとつ木桶を用意し、同じように湯を注いで、アネミの花を落とす。

 おばあさんはうっとりと目を閉じて、レノは楽しそうに足をぱしゃぱしゃさせている。どうやら、お世辞ではなさそうで、安心した。

「今、ロステムん家に泊まってるの? あいつ、お姉さんたちに失礼なこと、してない?」

「ううん、全然」

 多少、脅されたりはしたけれど、と心の中で付け加えた。

「なら、いいんだけど」

「友達なんだね」

「前はいっぱい遊んだのに、話かけても、気づかないふりして、腹立つ」

 あの子のことだから、いらない気を回しているのかもしれない。そうやった結果、傷ついている人間がいるってことは、自分では気づきにくいことなのだとも思う。

「足湯だったら、おばあちゃんのために、私でもできるよね」

「うん、もちろん」

 昨日の噂を聞いたレノにせがまれて、足湯につかりながら草笛を吹いた。

「ああ、何だか懐かしいわ。昔はお兄さんの薬売りが来てくれたっけねえ」

「若い男性の薬売りさんが来たんですか?」

「そうよ、とても優しい、素敵なお兄さん。あなたと同じ笛を吹いてくれたわねえ」

「……私の私の祖父もこの村に来たことがあるんです」

「まあ、そうなの? もしかしたら、その人かしら」

「だとしたら、素敵な縁ですね」

 私は売薬手帖を取り出した。

「会ったことがないんですけど、この手帖でつながれてるって思えます」

「お姉さんたち、面白いこといっぱい知ってるんだね。今日、お姉さんに教えてもらった面白いこと、これから、他の誰かの役に立つと思うんだ」

「うん、私が知らないこと、おばあちゃんや他の誰かにしてあげて」

 おばあさんは私たちのやりとりをにこにこしながら、見つめている。


「私があなたたちと同じ年頃の頃と比べて、大分変ったわ。いいことも悪いこともね」

「えー、おばあちゃんの頃って、どんなだったの?」

「今よりも少しばかり窮屈だったよ。この村は、外来商人の出入りを禁じてしまったからね」

「そうだったんですね」

「以前のこの村はね、その時の村長の方針で他国の品物を買うことを禁じていたんだよ。だから、数年後、あの薬売りのお兄さんも追い返してしまったんだよ」

「えー、そんなのひどいじゃない」

「そうだね、ひどい。せっかく遠路はるばる来てくれた人を追い返すなんて。そんな排他的なことをしてしまった上、村の大切な財産だった薬草園も火事でなくなってしまってね。若い人たちはどんどん出稼ぎに出ていくようになってね。だから今、この村にお医者さんが一人もいない現状を嘆いてるってわけさ」

 そういえば、この村には子供は多いけれど、若い男の人が少ないことに今さらながら気がついた。

「その政策を出した村長の息子が今の村長なんだよ」

「そうだったんですか」

「村長があんたたちに強く出ることをしなかったのも、自分の父親の政策を誰よりも申し訳なく思ってるからでもあるんだよ」


 私たちは祖父のことは、母の思い出話しか知らない。大変、有能な薬売りで、国のあらゆる都市から辺境の地まで、薬の行商に赴いた。行商先で博識な薬の知識と誠実な人柄の祖父は、老若男女ありとあらゆる人から、頼られ、慕われた。祖父の血縁だと名乗ることで、歓迎してくれた村が多々あったそうだ。

 なぜ、私たちが祖父に会ったことがないかと言えば、母は私の父と家出して結婚した。所謂、駆け落ちだ。母は祖父母の反対を押し切り、彼らだけではなく、一族全員と縁を切ってでも、父と一緒になりたがったそうだ。

 けれど、その父の記憶も、ほぼない。出稼ぎでほとんど家を空けていた人で、私が五歳の頃、賊に襲われて、亡くなったのだそうだ。


 父は何をしていた人なのか。それを聞くと、いつも母にはぐらかされた。ただ、母は父のことを素晴らしい人だったと、とのろけていたが、ただ素晴らしい人であったならば、祖父母の猛反対を受けなどしなかっただろう。父は結構なろくでなしであったのではないかというのが私とフィロが出した結論だ。でも、祖父もいくら結婚を反対していたとはいえ、縁を切るまではしなくてもいいのに。

 結果的に母さんは父を早くに亡くして、私たちを抱えて苦労することになったんだから、ちょっと薄情だよな。

「いつか、同じ薬売りとして、旅をしていたら、会えるんじゃないかと思ってます」

「お孫さんがこんなに立派な薬売りになってるなんて、嬉しいわねえ」

 どうかな。同じ薬売りには違いないが、道を外れまくっている。「いつか、会えるんじゃないかと信じてる」さっき言った言葉は、おばあさんにいい子でいい孫だと思われたくて言った言葉だと気がついた。

 道に外れた孫なんて、きっと知らないままのほうが幸せだよ。たぶん、フィロもそう言うと思う。繋がっているのは、この手帖だけで十分だ。


 おばあさんの背中と腰に湿布薬と痛みどめ、それに体を温める作用のあるお茶の葉を置いて家をあとにした。その後にも、薬がほしいと言ってくれる家を一軒一軒回った。今日回ったお宅は昨日来てくれた人たちと比べたら緊急性が低かったためか、ゆったりした雰囲気で話ができた。

 行商人である私の話を面白がって聞いてくれた。こういう時、人見知りのフィロがいると、場が滞るので、別行動で都合がよかった。ようやくこの村で一通り回るべき訪問先を終えたところで日は傾き始めた。

 夜になる前に、どうしても訪れたい場所があった。ロステムから教えてもらったその場所は見晴らしのよい小高い丘の上にあった。

 そこは、原因不明の火事で焼失してしまったという薬草園だった。祖父の記した売薬手帖の情報によると、レオル村で採れる『未武草』という薬草は、非常に薬効の高い皮膚薬の薬種となり、薬市場では高値で取引されていた薬草だった。

 『未武草』は白い可憐な花で、薬草園はまるで、純白の雪が降り積もったような光景だったという。目の前の光景はさみしかった。焼野原。そこには、かつて、白い美しい花を咲かせていたという名残はまったくうかがえなかった。


 ロステムの家に戻ると、日はとっぷり暮れていた。ロステムは家で一人で勉強していたそうで、声

もはきはきとして、顔色もいい。昼間のレノとのやり取りを伝えると、ロステムは頭をぽりぽりかいた。

「困ったな」

「より困ってるのは、その子」

「そうだけどさ。女の前で倒れるなんて、恰好悪いじゃんか」

 ロステムはバツが悪そうにつぶやいた。

「そんなことはない」

「だってさ、僕が好きな人も嫌いな人もみんな僕のこと、体が弱い奴って思ってるのが、何か、窮屈」

「そう」

「それだけ? 何か言ってよ」

「何か言ってほしいのは、その子でしょ」

 ロステムはバツの悪そうな表情を浮かべて、目を逸らした。

「まあ、私は伝えただけ。口出す権利、ないんだけど」

「やっぱり、僕、嫌な奴だよね」

「そんなこと、ないんだって」

 マヤさんは、今お風呂に行っている。やはり、これは今のうちに言わなければならない。

「ちょっといいか?」

「どうしたの?」

「君の喘息が悪化した原因だけど、君は、栄養が足りてないんだと思う」

 ロステムの表情がみるみるうちに硬くなっていく。

「しっかりとした食事をとって」

「母さんはもっと、食べてないよ」

 ロステムは、首を振った。

「僕の家だけじゃない。薬草園がなくなって、村全体の生活が厳しくなったんだ。それに、借金があるんだよ。僕の父さんも体が弱くてさ、都会で病気を治すんだって家のお金を持って出て行ったから・・・・・・家畜の病気は治してもらったけど、それでも、元の生活には戻れない」

 喘息には、さまざまな要因がある。この子の場合は、さまざまな事象が重なって、喘息の症状を悪化させていると言っていい。心労も立派な悪化の原因なのだ。


「私、長い間、人の目を気にして、家から出られなかった時期があったから、何で自分ばっかりって思うのも、元気な人に会いたくないって気持ちも、知ってるよ」

「その痣のせいなの?」

「うん、私、薬の行商してて、色んな場所行って、体のどこかに辛いところを抱えてる人の話を聞いて、そういう気持ちは普通なんだって知ったよ」

「普通?」

「そう、だから、きっとロステムも私も『嫌な人』じゃなくて、『普通の人』だよ」

「……そっか、そう思っていいのかな。でもさ、旅ができるってことは、心も体も強くないとできないでしょ、羨ましいな」

「体は丈夫だけど、心はたいして強くないね。私もフィロも」

「そうなの? じゃあ、行商人になる秘訣って何?」

「『懲りない、めげない、失敗に留まらない』。これがうちの家訓」

 ロステムは可笑しそうに笑った。

「本当、失敗ばっかりだし、分からないことだらけだよ。私たちは外れもんだから、この家業してるの。他の薬売りは違うと思うけど」

「でも、お母さんの仕事を継いだんでしょ?」

「母さんは私には行商の仕事をしてほしくなかったんだよ。私も本当は生まれた村で暮らしながら、薬の仕事をしたかった」

 そう、母さんは私とフィロに小さい頃から薬売りの勉強をしこんできた。薬の勉強はもちろん、物の読み書きやお金の計算。各国の地理や植生の読み方に目上の人との口の利き方。薬売りが扱う高価な薬を賊に狙われた時の護身術。

 そんなことをさんざん教育しておきながら、母は言った。

「女の子は行商に向いてないから、フィロに任せて、あなたは生まれた場所でフィロが売る薬をつくる仕事をしなさいね」

 そういわれた時は、フィロばっかり面白い仕事をさせてずるい、と猛烈に抗議した。だけど、今なら母の言ったことが少しは分かる。女の行商人は賊に狙われやすい。武力では男には勝てないから。悔しいけど、真実だ。

 でも、私は今、なんだかんだで故郷を出て、薬の行商をしている。フィロと一緒だから。フィロとでなければ、私は薬売りはできない。

「じゃあ、本当は旅をしたくなかったの?」

 私は無意識のうちに口元に手をあてていた。らしくないことを言ってしまった。

「ふうん、ルチカにもいろいろ事情があるんだね」

「そうだよ、いろいろ情けないことしてきたの。そういう経験から言わせてもらうとね、病気は『弱った心』が大好物だよ」

「何、それ?」

「そのままの意味。気持ちを強く持てばどんな病気でも治せる、とは言えない。だけど、どんな病気でも、その人のもうだめだと思った心につけこむんだ」

「ルチカもそう思ってた時があったの?」

「うん……あの頃は治るはずないって思いこんでた。薬売りの勉強してたのにだよ。いざという時、信じられなかったんだ。そういう弱った心が、生きる力を削るってことも身をもって知ったよ。弟が命がけで、治そうとしてくれた。だから、今度こそ諦めない」

「分かった、僕も諦めない。自分のことだもの」

 ロステムは力強く、私の手を握ってくれた。


 別行動をとっていたフィロとロニは夕方、戻って来た。

「食べよ」

 フィロは、ロステムとマヤさんの前に大きな塊をどさりと置いた。それは鹿の前足だった。

「どこでこれを?」

 ロステムは目を丸くしている。

「ちょっと……狩りした」

 フィロは丸一日かけて、村の人に馬を借りて、隣の山まで狩りに行ったのだ。フィロは狩りが得意だ。故郷の村に居た頃は、ふたりでよく狩りに出かけた。馬の扱いは私のほうが上手だが。弓矢はフィロのほうがほんの少し上手い。

「すごいな。もう、この村で狩りをしてる人なんて、いないよ」

 ロステムは感嘆と声を上げた。

「一緒に美味しいもの食べよう」

 フィロは、昨日の約束をさっそく果たしに行ってくれた。

「他のは干し肉にできるよ。『まる』の部分は?」

 私とフィロのいう『まる』とは、鹿の他の体、つまり、殺したての死体のことだ。さすがに血抜きはしてあるだろうが、慣れていない人が見るのは、刺激が強すぎる。

「外、川の近く」

 さすがに『まる』の状態を家の中に入れるのは遠慮したか。人に気を遣えるようになったのは喜ばしい。あとでよしよししてあげよう。

「ありがとう。今夜は鹿鍋にしましょう」

 マヤさんさんの目には、涙が光っていた。鹿鍋は素晴らしく美味しかった。私たちとロステムに、より多くの具をよそってくれようとするマヤさん。彼女を見ていると、母のことを思い出さずにはいられない。

「俺にも弓を教えてくれる?」

「うん」

 ロステムはどうやら自分よりもフィロに懐いてるようだ。少々複雑ながらも、喜ばしいことだ。


 その夜、フィロと二人で残りの薬を確認し合った。大分売れたから、やはり残り少ない。初日からたくさんの家畜に薬を飲ませた。皮膚炎の子供も多かったから、膏薬も切れそうだ。

「急病人がでなきゃいいけど」

 忘れずに、フィロの体調も確認する。そして、明日こそはこの村に訪れた本来の目的を果たさなければいけなかった。

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