病気のやぎを治療する
そんなことを考えていると、村長を名乗る老年の男性がやってきた。
「よろしく。私の名は、モズル・オルト。このレオル村の村長をしています」
「はじめまして、薬売りのルチカ・ミランと申します。こっちは、弟のフィロです」
慌てて自己紹介をして、これまでの顛末を説明した。私の赤黒い痣のことやフィロが男性に働いてしまったこと暴力についても包み隠さずに。
村長は終始、穏やかな表情のままで、私の話を聞いてくれた。
村長曰く、レオル村の人たちの意見をまとめると、「無医村のこの村に薬の行商なんて、今後、いつ来てくれるか分からない。ぜひとも薬を売ってほしい」と訴える意見と「こんな年端もいかない子供の薬を買って、家族の命を預けるような真似をするのが怖い」という意見に分かれているそうだ。
私たちを信用できない人の意見もよく理解できる。もし、自分が逆の立場で、見ず知らずの子供が売っている薬を疑いもせずに飲めるか、と言われたら、返答に詰まってしまう。
私がフィロの出す薬を安心して飲めるのは、フィロとの間に確かな人間関係を築いているからなのだ。
そんな私の顔色を読んだのか、村長はにっこり笑い、ひとつの案を出してくれた。
村に体調不良のやぎがいて、乳を出さず、家計を圧迫しているため、このまま乳を出さなければ、処分せざるを得ない。もし、私たちがその病気のやぎを治してくれたら、薬の行商を認めてもいい、と。
私たちにとって、この展開は願ったり叶ったりだ。前のめり気味で、是非やらせてほしいと言うと、村長は私たちを病気のやぎがいるというお宅に案内いてくれた。
体調が悪いというやぎはかなりの高齢だそうだ。
腹にそっと触れると、膨張しているようだった。だが、熱もなく、便に血も混じっておらず、立ち上がれないというほどでもない。
薬を飲ませれば、治る可能性が高い。フィロも心配そうにやぎに寄り添っている。フィロは人間への人見知りがひどい分、動物には積極的にかかわろうとする。何より、物言えず、痛みに耐える生き物に対しての慈悲が深いのだ。私はフィロの肩に手を置いた。
「家畜薬で治せると思うんだけど」
「うん、一緒に頑張ろうね」
フィロは、目に力のないやぎの背の上に触れるか触れないかの距離で、そっと手を添えた。相変わらず、無表情ではあるが、その分、フィロには手に表情のようなものがあると思う。
家畜薬とは、家畜用の丸薬である。
他にも同様の症状のやぎにも同じように、フィロと手分けして家畜薬を飲ませる。すべてのやぎに薬を飲ませ終わった。これで、しばらく様子を見る。労働が一区切りついて、お腹がすいたので、干し肉を取り出した。
「あら、あんたたち、お昼それだけ?」
「はい、いつもこれぐらいです」
「お客さんにこんなもの食べさせちゃだめじゃない。あんたたち、ちょっと待ってな」
おばちゃんたちが干し肉をしまえと制すると、何人かの女性たちがおばちゃんの声掛けで集まり、しばらくすると、彼女たちがパンや焼きうどんを差し入れしてくれた。
「ありがとうございます」
ほんのり温かな丸くてこぶりなかわいいパンと湯気を立てているうどんに感激しながら、礼を言った。
「いいのよ。坊やがあのおっさんに言い返した時、すっとしたわ」
フィロは明るいおばちゃんたちの勢いが恐ろしい様子で縮こまり、俺には関係ないと言わんばかりに気配を消していたが、おばちゃんたちはそんなことはおかまいなしにフィロにぐんぐんと近づいていく。
「よく見たら、女の子みたいな顔してるのね。前髪で隠すのはもったいないわ」
「華奢ねえ。ちゃんと食べてるの? いっぱい食べて、栄養つけなさいね」
陰気だとか不気味だとかいう印象をもたれがちな弟がこんなにもてている状況は、姉として嬉しい。
おばちゃんたちに囲まれて、当のフィロは、居心地悪そうに縮こまっていたが、肉うどんをすすめられると、目を輝かせ、一気に口の中にかきこんだ。フィロは、幸せそうに咀嚼しながらも、やぎからは決して目を離さない。やぎはまだ、変化は見られない。私もうどんを口に入れた。
ぴりっとした香辛料につけ込まれたお肉は柔らかく、口の中でとろけた。ナッツが絡まったうどんももちもちとして、コシがあり、噛むほどに熱さと旨みが胃に染みた。ずっと、保存食の干し肉と干した果物しか食べていなかったから、できたての食べ物の熱気と香気が気持ちを高揚させた。
フィロは、リスのように口の中にうどんを詰め込み、もぐもぐさせている。
「まい、んま・・・・・・」
肉うどんに興奮するのは分かるが、落ち着いて、ゆっくり食べろと肩をなでる。
「この子、美味しいって、感激してます」
確かにすごく美味しい。旅の合間は、乾燥した保存食ばかり食べていたので、食欲をそそる香ばしい香りが立ち上るうどんの旨味が口の中に広がり、幸福感でいっぱいになった。
「ああ、よかった。そんなに口に詰め込んだら、喉に詰まるよ。お茶もお飲みよ」
お茶は、紅茶の中にやぎの乳と砂糖と甘い香りの香辛料が入っていて、それぞれがとろりと濃厚で塩味のきいたパンとよく合った。
私たちはさんざん、遠慮なく食べ尽くした後で、はたと気づいた。
「私たち、まだ何もしてないのに、こんなにご馳走してもらっていいんでしょうか」
「あら、もうロステムを助けてくれたでしょ」
「こんな若いお客さんが遠路はるばる来てくれたんだから。おばちゃん、感激しちゃって」
若い女性がお茶のおかわりを注いでくれて、湯気に刺激されて泣きそうになってしまい、慌ててやぎに視線を戻した。
こんなに美味しいご飯は何日ぶりだろう。生きててよかった。お茶を飲み干し、顔をあげると、目の前に行列が出来ていた。
「あんたたち、子供も治せるかい?」
「私たちの持っている薬で対応できれば、ですが」
たくさんの女性たちの圧に面喰いながらも、カバンの中身を頭の中で確認して答えたが、行商の許可の試験にも合格していないのに、こんなに多くの人に求められるなんて想定外だ。どうしようか。
「ふざけるなよ、お前ら」
その一言が騒がしい空気を一変させた。その声の主は先ほど、フィロに胸倉を掴まれていた中年男性だ。
「こんなガキどもの売ってる薬なんて、お前ら信用できるのかよ」
威圧感たっぷりな物言いに何人かの女性がおびえるのを感じた。私たちのせいで彼女たちの立場が悪くはならないか、そんな考えがよぎった時、私とフィロをかばうように、若い女性が前に出た。
「できるわ、私が一番先に飲む。それで、私の症状が悪化するなり、死ぬなりしたりしたら、そういうことは、それから、考えればいい」
若い女性は中年男性をまっすぐ見据えて、言った。
「私は薬が欲しいのよ」
女性の傍らにいた小さい女の子を連れた母親らしい女性が呟いた。
「私も欲しい」
「私もよ」
複数の女性たちの声が重なった。それよりもさらに大きな声で、大柄の中年女性が宣言した。
「それに、薬の行商なんて、次はいつ来るか分からないよ。このやぎを死なせちまったら、この子ら追い出されちまうじゃないさ。その前に私らに薬を売ってくれよ」
中年男性は何も言わずにその場を去った。女性たちの圧に流されてしまいそうになるが、村長との約束が頭をよぎり、私は慌てて手を振った。
「待ってください。私が村長に出された条件は、やぎを治すことですので、結果を出す前に薬を売ったら、約束を破ることになってしまいます」
「でも、村長は薬を買ってもいいと言っていたよ」
どういうことだ? 他の女性たちも「私たちもいいって言われたわよねえ」と同調している。
「そんな約束は反対派を黙らせる方便だろ」
いいのか、そんなので。けれど、目の前の女性たちの薬を売ってくれという圧がすごい。結局、私たちは流されるまま、「はい」と答えてしまい、女性たちはよかった、よかったと手を合わせた。
もし、私たちがやぎを死なせたら、そんな者から薬を買うのは怖くはないのだろうか。この女性たちの言うとおり、それだけ、無医村のこの村には、薬の行商人という存在は相当貴重なのだろう。それならば、私たちは全力で応えるのみだ。
「お求めいただけるならば」
そう言った私に、女性たちは女神のような笑顔を返してくれた。