悪意の正体
帰途についた子供たちを見送り、ほっとしたのも束の間、タクト・タタはすぐに厳しい表情に戻った。
「それにしても、犯人はなんで、こそこそ隠れてたんだ?」
「この街の大人たちに自分の正体がばれるのを恐れていたんでしょう」
「どういうことだ?」
「この人は人前には出られない体をしているから、幻覚剤で誘導させた。人を使ってね」
私は草笛を取り出し、吹いた。高い音が洞窟内に鳴り響く。
フィロは拳で岩壁を殴った。石の粉がぱらぱらと落ちる。
「そこに居るだろ」
フィロの声が辺りに不穏に反響した。
「俺には隠せない。空気の震えで分かる」
フィロは微動だにしない。フィロは感じ取っている。目の前の相手は、自分と同じ境遇の者だ。
「出てこい、クソ野郎」
地面に響くようなフィロの声に戦慄した。
「口のきき方に気をつけろ、ガキが」
ぞっとする声。悪意に満ちた声だ。そして、声の主がゆっくりと現れた。
「水晶血丹」
ただし、フィロの水晶血丹よりも急成長している。影からもうすでに、おぞましさが匂っていた。 その影が一歩一歩私たちに近づいてくる。姿を現した。先端に向かって渦を巻くような形の幹が天を突き、その渦巻く幹には、赤い実がついていた。その赤い実は、まるで充血した目玉のように私たちをとらえた。
その男は現れた。水晶血丹は、この男の両肩から生えて、その身を繁らせていた。
男の年齢は四十代くらいに見える。顔だけ見れば、寄生植物に乗っ取られているとは思えないくらい、どこにでもいる、取り立てて特徴のない顔立ちの中年男だった。
「薬で成長を促進させたのか?」
そう問いかけたフィロを見て、男はにたりと笑った。優越感。その笑いで分かった。この男は気づいている。フィロが自分と同じものに取りつかれた者であると。そして、見下している。自分の方がより強い力を享受していると。
「さすが、同業者。話が早いな」
『水晶血丹』その名前は、その実が赤みがかった水晶のようで、美しいと同時におぞましく、触れてはいけない生き物であるという畏怖も込めて、その名がつけられたという。
この男の水晶血丹は、赤い半透明の実を実らせていた。目玉のような実を一目見たら、闇の世界に引きずり込まれてしまう。だから、決して近づいてはいけない―伝承の一説が脳裏をよぎる。
この実を実らせたということは、水晶血丹が寄生した宿主への征服を完了した証でもある。
だけど、このような状態になったら、宿主の体はもう、本人の体ではなくなってしまう。
それなのに、この男は自我を保っている。この男の持っている薬の作用だろうか。
「お前の水晶血丹はえらく中途半端だな。力を意図的に操縦しているだろう。どんな薬を手に入れた?」
「てめえには死んでも教えねえ」
タクト・タタは目の前の男の姿に驚きを隠せない様子だ。無理もない。同じ植物がフィロに寄生していて、ある程度の覚悟ができていたつもりの私でさえも、一瞬、恐怖と嫌悪で全身が硬直してしまったくらいなのだから。
けれど、タクト・タタは目の前の男の姿から、目を逸らすのではなく、特徴を冷静に観察しようとしている努めているように見えた。やっぱり、この人は肝の据わり方が違う。タクト・タタがゆっくりと口を開いた。
「そもそもこいつは何で、こんな面倒くさいことをして、子供らをこんな場所まで連れ出したんだ」
「誘導した子供たちの中から、水晶血丹の宿主になりえる子を選別するために」
私の言葉にタクト・タタの醸し出す気が驚きから、怒りへと変わっていくのを感じた。当の目の前の男は私たちを馬鹿にするような笑みを顔面に張り付かせている。
「大人よりも子供のほうが体が小さいから、幻覚剤も効きやすいし、寄生させて操ることがたやすい。私らが薬で対処できる程度の幻覚剤で誘いだしたのも、あまり強い幻覚剤で意識混濁させると水晶血丹が嫌うのを知っていたから」
男は声をあげて笑った。
「そう、あんまり強いクスリだと、エサが『不味く』なるからな」
今度こそ、頭のてっぺんに血が上った。それは、フィロもタクト・タタも同じだと、空気で分かった。
「ちょうどいい。特上のエサが来てくれた。あのがきどもには用はないさ」
男はフィロを指さした。
「お前らにまとめて償いをしてもらう」
怒りで興奮しているフィロをこれ以上、この男に近寄らせたくない。私は一歩前に出た。
「『それ』が暴走して、身動きがとれなくなっていったから、子供たちを『それ』の生贄にしようとした。自業自得だろ。勝手にそいつを起こして、取り込んだんだ。お望み通り、そいつと心中すりゃいい」
「つくづくむかつくガキだな」
私の言葉に明らかに男がいらついているのが分かった。ただでさえ、恐ろしい生き物に寄生されている状態だ。多少いくばくかの苦痛も伴っているに違いない。この男は、肉体的、精神的にも極めて不安定な状態にある。このまま挑発を繰り返して、相手の平静を失わせるべきだろうか。
「目的は金か? 地位か?」
「両方だ。私は王宮付きの薬師になれる」
「その姿で?」
「黙れ、えさを喰らえば、元の姿に戻れる。力を増しまま。タギル王子のおひざ元でな」
タクト・タタが聞いた。
「タギル王子って、王宮の火災で顔に火傷を負って、表に出てこなくなった第二王子のことか?」
そういうことか。タギル王子は火災で顔に大やけどを負い、それが原因で人前に出ることを恐れ、政務にもつけなくなり、後継ぎ候補から外れた。だが、王子にはいまだに支持者が多く、絶大な権力は保持していると聞く。
だんだんと理解が追いついた。
「タギル王子に火傷を治す薬があると持ち掛ける。それがレオル村で栽培されていた皮膚薬になる薬草、『未武草』を。それが動機か……あんたは、レオル村の薬草園の火事の犯人だ」
フィロは私と男を交互に見つめ、尋ねた。
「薬草を盗んだことを隠すために火をつけたってこと?」
「いや、正確にはこの男が欲しかったのは、『未武草』の根の部分……おそらく最初は花の部分も丸ごと盗もうとした。だけど、未武草は棘があって触れることすら難しかった。だから、用のない根以外の部分を焼き払って、鎮火した後に土を掘り起こして、根を盗みだした。レオル村の人たちは花のほうに効能があると思っていたから気づかなかった。そして、この『未武草』の皮膚薬を独占して、タギル王子に売りつけて、火傷を治せば王子に恩を売って、王宮づきの薬師になれる。これが、レオル村の薬草園の真相だ、違うか」
「ご名答」
「それだけの労力を払えるのなら、正規の試験を受けて入ったほうが楽だったんじゃないですか?」
「黙れ」
男の口調からは、それまでのこちらを小ばかにした調子が消えた。
「俺は本来ならば、王族の側近になれた人間だ」
「信じられませんね」
「黙れ! 王族の医術師だった父はたった一度の誤診で一族共々追われた。汚名はどこまでもついてくる。薬を商いにしてる奴らは俺たち一族をどこまでも村八分にしやがった。このみじめさがお前らに分かるか!」
そういわれて初めて、男の顔と体に、水晶血丹とは無関係であろう古い傷跡がいたるところについているのに気付いた。他者の悪意につけられた傷跡であることは分かる。そして、その傷以上の苦痛の無関係の人間に与えようとしている。
「奪われたものは取り返す」
「関係ない。誰がそんなもんに付き合う義理などあるか。クソ野郎」
「まあ、いい。実験の結果ももうすぐ得られるしな」
「どういうことだ?」
「身に覚えがあるだろう」
肌が泡立った。もう、ミロルとカロンが起き出す時間帯だ。
「あのふたりのことか」
「お前らが余計なことをしたせいで、こんなに時間がかかってしまった。だが、もうすぐだ。あいつらにも水晶血丹の種を飲ませた」
「何だって……」
今度こそ、場が凍り付いた。この男と、フィロと同じ、あの恐ろしい生き物をあの子たちに?私はこの男につかみかかりそうになるのをかろうじて抑えた。
「ふざけんな! これ以上、あの二人に触れるな、ゲス野郎」
「それはこっちのセリフだ。俺の子供をかすめ取りやがって」
「子供?」
聞き間違いだろう。そうであってほしい。
「俺の子供だ。血がつながったな」
血がさっと引いた。自分の子供。あんなおぞましいものを自分の子供に?
私の震えを察知したのか、男はにやっと笑った。歪んだ顔だ。そばにいる人間も歪ませてしまいそうな。
「俺の子供は俺のために生まれてきたんだ。俺が豊かになるために」
体のわななきを抑えられなかった。吐き気がこみあげる。
「あなたたちの家族が必死に探してるかもしれない」
自分の言葉が頭の中でこだまする。私はあの子たちになんて非道なことを言ったのだろう。
「ルー、下がれ」
フィロがわななきを抑えきれない私の肩をつかんで、ずいと私の前に出た。
「手遅れだよ。俺にだけはごまかせない。あんたと俺は同じ毒だ。それを忘れるな」
ぞくっとする冷気が流れた。これをフィロが纏っているものだとは信じたくない。
「フィロ、だめだ、今日だけは!」
「どうしてだよ!」
「いつものように、あんたの水晶血丹の能力が発動したら、この男のと呼応して、何が起きるか分からない」
「そういえば、いつもみたいにできない……もしかして、ルー?」
「そう、こっちの笛を使って、あんたの水晶血丹を抑制した」
私は草笛を取り出し、見せた。この笛は、植物の暴走を抑える能力がある。当然、フィロの水晶血丹にも可能だ。
「ルー、ふざけんな!」
これでいい。私にとって、目の前の男が弟を害する毒だ。排除する。そう、決めた。
「フィロ、私がやる」
前に出ようとする私をフィロが再び押しのけて、前に出る。
「何、横取りしてんだよ」
「お前ら、いい加減にしろよ」
いきなり、タクト・タタが私とフィロの首根っこを同時につかみ、後ろにぐいっと引っ張られて、はずみで私もフィロも地面に転がってしまった。
「こんないかれた奴、まともに相手にしてたらこいつの思うつぼだろ」
タクト・タタは指をぽきぽきと鳴らした。
「いかれた奴は専門部署に任せろや」
タクト・タタはそう言うがいなや、剣を抜き、男を地面に組み敷いた。
「追加で何か、聞かなきゃいけないことある?」
私もフィロも地面に尻もちをついたまま固まってしまっていた。勝手にとるな、もう少し、待ってくれ、と言葉を絞り出そうとしたが、喉までも硬直してしまったようで何も言えなかった。
「ないな」
「待って、タクト。他にも犯人がいる! その人にも聞かなきゃ!」
はっとした。そうだ、タクトタタに気おされてる場合じゃない。
「そうです、犯人はこの野郎だけじゃない」
タクト・タタは男の首元に剣を平行に突き付け、身動きがとれないようにした。
「他の犯人って?」
「そうです、ミロルとカロンを監視しながら世話をしたり、レオル村の薬草園の火事もあの男一人によるものじゃないでしょう。薬草の根を盗むのも、薬草園に火を放つのも、薬草園の場所を知るレオル村の内部の者が必要だった。そして今回も子供たちを誘い出すために、身動きのとれないあんたの代わりに幻覚剤をふりまいたのもその人ですよね? ロステムのお父さん?」
「お前がどうして、ロステムを知っている?」
岩陰から影がにゅっと伸びて、ようやく姿を現したロステムの父は男よりも少し若いくらいに見えた。そして、彼の体にも水晶血丹が『生えて』いた。
ロステムの父の水晶血丹は、普通の小さな木のようにも見えた。人体から生育しているという点を除けば。
そしてそれは、異形のものとして、十分に負の気を放っていた。
開き直り、べたついた笑みを張り付かせている主犯の男に対して、ロステムの父の顔は怖いくらい真白で、すでに水晶血丹にほとんどの生気を吸いつくされているようにも思えた。
「水晶血丹を回収しに行った時に、食事をごちそうになって、家に泊めてもらってました」
ロステムの父は気まずそうに下を向いた。
「どうして、私だと気づいた」
「村長さんの協力を経て、ここ数年間で出稼ぎに出た人を教えてもらいました。出稼ぎに出た人は、何らかの仕送りや文を家族に向かって送っていた。何年も音沙汰がなかったのはあなただけでした。でも、そんなものは証拠にはならないので、カマをかけました」
ロステムの父はあっけにとられたかと思うと、自嘲するような笑みをもらした。
「参ったな」
「笑いごとじゃないでしょう」
ロステムの父は私のいらだった声にひるんだ様子を見せたが、それを打ち消すように低く笑った。
「笑うしかないだろう。こんな化け物に寄生されて。私を責めないでくれ。私は被害者なんだ」
「あなたがしたんでしょう。この男の実験台にするって分かっていて、子供たちを誘い出したでしょう」
「他にどうしようもなかった! 断ったら私はこの化け物に食われてしまう!」
「そんなことあの子らに関係あるか! てめえは加害者なんだよ!」
タクト・タタの怒鳴り声にロステムの父はびくっと身を震わせた。
「私は……ただ、自分の体を治したくて、家族に捨てられた私は何も……」
「ロステムは自分たちが父親に捨てられたと言っていましたよ」
「違う……私は……家族に迷惑をかけたくなくて」
「ロステムが水晶血丹の花粉で倒れたんですよ」
「何だって、どういうことだ? どうして、レオル村に水晶血丹が?」
男が声をあげて笑った。心底おかしい、とでもいうような満面の笑みで。
「お前が薬草園に火を点けている間に、俺が種を蒔いた。そんなことも気づかなかったのか」
ロステムの父は驚愕の表情で私を見た。そして、次第に明らかに動揺に変わっていった。悪い冗談だと言ってくれ、とでもいうように。私は彼から目を逸らして言った。
「レオル村は湿潤な寒冷地で、山脈からの澄んだ雪解け水もある。薬草の生育条件が整った土地です」
「いい実験結果が得られたよ。目論見通り、無事に花を咲かせた。お前らに邪魔をされたがな。レオル村の薬草を王族に売り込めば、王宮の医術師が体を治してくれるっていう俺の口車に、この男はほいほい乗ってきたぜ」
「この男は疑いようもないクソだけど、話が本当なら、おっさんにもだいぶ責任はあるな」
タクト・タタはロステムの父を見据えた。ロステムの父はわなわなと震え始めた。
「私は……体の弱い私は、農作業に耐えられず、あの村では居場所がなかった……だから、都会に出れば、私の体を治せる医者や薬が見つかると」
「で、この男にだまされて、まんまとこんな化け物を体にくっつけられたわけだ。それに脅されていたとはいえ、あんたがこの事件の実行犯なことにかわりはない。まあ、でも先にやるのはすべての元凶のこのクソ野郎か」
タクト・タタは組み敷いてる男を見た。その時、男の水晶血丹が赤い光を放った。
「タクト・危ない!」
フィロがタクト・タタに体当たりして、突き飛ばした。男の水晶血丹は今、まさに自分を攻撃しようとしていたタクト・タタの剣をつかみ、どろどろに溶かして、その身にとりこもうとしていた。
男自身の目も赤い光を放っている。そうか、いよいよ生命の危機を感じて、タクト・タタに組み敷かれている間に、自身の生命力を水晶血丹に注ぎ込んでいたんだ。