幻惑の香り
タクト・タタはすぐに駆けつけてくれた。その行動の早さに驚いくと同時に、リネさんに感謝した。
「何だ、これ?」
「たぶん、愁袋洞の中毒症状じゃね?」
「うん、私もそう思うよ」
「何だ、その愁なんとかって?」
「そういう毒草があるんですよ。この幻覚剤は、故郷の村で標本を見たことがある。他者から、刺激を受けると、その刺激を排除するために、ひたすら、攻撃的になる」
この草を液状に抽出したものを鼻から吸引すると、意識障害に陥いる。おそらく、意識を混濁させて、何らかの刺激に反応させてそこに向かって何らかの幻覚を見せる。
やしの木の群れが道に濃い影をつくっている。日が高くなりはじめた。
どうしたら、いい? この人数だ。しかも、おそらく接触を図ろうとすれば、襲いかかってくるだろう。薬をどうやって飲ませればいい。しかも、襲いかかってくる相手に一人ひとり対処していたら、時間がかかりすぎる。
子供たちの歩く速度が心なしか速くなる。もうすぐ、村を突き抜け、沙漠に出てしまう。
「このままオアシス抜けて、沙漠なんかに出たら、あっという間に干からびちまう」
「おそらく、沙漠の入り口で待ち伏せされて―」
干からびる。空を見上げた。ぎらついた太陽が輝いている。眼前には、沙漠が広がっていた。
「フィロ、太陽!」
フィロも空を見上げる。得心がいったと指で丸をつくった。
「大丈夫、助けられるよ!」
「うん」
フィロは力づよく頷いた。やはり、いざという時は、頼りになる弟だ。
「さっき、リネさんに聞いたけど、あの子たち、朝はなんともなかったみたい。だから、幸い、この子たちは、毒物を接種して、時間もあまり経っていない。この方法で、なんとかできれば・・・・・・そうだ、フィロ、香倫草を使おう。洞窟まで誘導させて」
「分かった」
「お願い。それから、タクトさん」
「何だ」
「フィロについていってもらえますか」
「了解」
フィロとタクト・タタは、洞窟に向かって、駆けだしていった。
私は鞄から瓶を取り出した。子供たちの列をぐるりと一周しながら、この瓶は中身の液体が霧状に噴射する仕様になる。そうして、子供たちに瓶の中身を霧状に振りかけた。子供たちは一瞬、はっとした表情になり、歩みが遅くなった。
「このまま、ゆっくり、付いてきて」
残りの瓶の中身を自分に振りかける。子供たちの先頭をきって、洞窟の中に入っていった。
子供たちは、吸い込まれるように、沙漠の入り口の洞窟に入っていった。
タクト・タタが呆気にとられた様子で、子供たちを見つめている。
「どうやって、誘導したんだよ」
「この幻覚剤の中毒症状は、光に過敏になるんです」
「光……太陽光か」
「そう、特に沙漠の強い太陽光に耐えられるはずがない。オアシスを抜け、木陰から出ることで、急激に強い太陽光にさらされ、目を開けられないほどの苦痛を感じる。肉体の苦痛は暗示の効果を弱らせる。オアシスの日陰を抜けたところで、立ち止まるか、歩みが鈍くなるだろうと踏みました。おそらく、何者かが幻覚剤をかがせ、子供たちに、村を出て、沙漠に向かえという命令を下した。簡素な命令です。通り慣れている道をたどらせる。子供たちは、暗示にかかった」
先ほど、自分と子供たちにふりかけた瓶を取り出して、タクト・タタに見せた。
「この毒草で幻覚剤の毒性を弱めました。この香倫草というのは、しびれや筋弛緩などを引き起こす毒草で、食用には適しません。だけど、液状に煎じた香倫草を鼻孔から吸い込むことで中毒症状を緩和させる作用があるんです。効果は一時的ですが」
「毒草? 大丈夫なのか?」
「この香倫草も経口摂取すると確かに毒です。だけど、この状況では毒草で毒草を相殺させることができる。これで元の愁袋洞の毒素の効果が薄れだす。先回りして、洞窟までの道に鎮静作用のある香りを蒔いた」
フィロが得意げに小瓶を指差した。
「この香りを嗅がせて、洞窟内まで誘導させたんだ。この香りを鼻から吸い込むと、すごくいい気分になるんだよ。太陽の光で参ってる時に、この香りを嗅がされちゃ逆らえないね」
「こええ、それ、俺には嗅がせんなよ。悪用すんじゃねえぞ」
タクト・タタは感心したり、おびえたりと忙しい。
洞窟内に噴射された霧状の香りを吸い込んだ子供たちの目から、狂気的な光が消え、まるで、湯に浸かっている時のようなとろんとした、穏やかな目へと変わっていった。この香りは次第に気分を落ち着かせ、体を緊張状態からほぐしてくれる効能へと変化していく。
鞄の中から中身が真っ黒の瓶を取りだした。
「それは何だ?」
「薬用の炭を飲んでもらいます」
私は鞄から、薬袋をとりだした。薬袋の中には、粉末の炭が入っている。溶岩の火口のそばでしか育たないというノゼという木の実からつくられた薬用の活性炭だ。
「このノゼの実からつくられた炭は、体内の毒物を排出させる効能があります。手分けして、この子たちに飲ませましょう」
「炭が毒物に付着して、吸収を抑えてくれる。これを飲ませるの手伝ってくれますか?」
薬草の噴射を終えたフィロが戻ってきた。
フィロとタクト・タタと手分けして、器の中で真っ黒な薬用炭を水に溶かし、三人で子供たちに次々に飲ませていった。
ノゼの実からつくられた薬用炭はその効能もさることながら、口当たりがよく滑らかで飲用しやすいのが特徴だ。薬用炭は中毒症状に非常に高い効能を得ることができるが、経口摂取の際に口当たりがざらざらして吐き戻してしまうことが多く、特に子供に飲ませにくい薬であることが難点であった。
しかし、このノゼの実の薬用炭はクセがなく、さらりとした飲み心地で飲み下す際も余計な苦痛を与えなくてすむ。
子供たちはむせることなく、薬用炭を飲んでくれた。
「水を差すようで悪いけどな。この洞窟『犯人』がいるかもしれねえ」
「手は打ってあります」
遠くから声が聞こえて来た。大人たちの声だ。誰かの名前を必死で呼んでいる。
「この子たちの親ごさんだと思います」
私はすっと腹に息を吸い込んで、怒鳴った。こっちです。ここにいます、と。
叫び続けたかいあって、声の主の大人たちがすぐに駆けつけてくれた。やはり、この子たちの親だ。まだ、意識が十分に戻っていない子供たちを抱きしめている。
朝起きたら、忽然と消えていた子供たちを探しに来てくれたのだ。そして、いちはやくこの場所を特定できたのは、リネさんのおかげだった。
私はリネさんにタクト・タタを連れてきてもらうよう頼んだあと、こう耳打ちした。
「子供たちは『いい匂い』を辿った先にいます、と」
そして、リネさんはタクト・タタを呼んでくれたその足で、子供たちの親を起こしに行ってくれたのだった。
子供たちは迎えに来た親に連れられて、帰って行った。