地続きの悪夢
その夜、夢を見た。夢の中で、私は熱にうなされていて、手から腕にかけて、赤黒い痣に覆われていた。確かめようがないが、きっと顔もそうだろう。嫌だ。助かって、元気に旅に出ている私は偽物で、本当の私は、寝たきりで家の外に出られなくて、私はずっと卑屈なままで、自分の運命を呪ってる。
目の前にフィロがいる。私がこんなに苦しんでいるのに、楽しそうに笑っていた。
何だ、あれから、ちっとも笑わなかったくせに。息がどんどん苦しくなっていくのに比例して、フィロの無邪気な笑顔が恐ろしくなってきた。私の痣をあざ笑っているように思えた。
気がついたら、言っていた。「あんたのせいで」フィロの笑顔が消えて、その次にフィロ自身も消えた。私はそれよりも、早く自分を何とかしてくれ、と思った。
久しぶりに嫌な夢を見た。あれが、自分の深層心理なのだろうか。吐き気がこみあげてきたが、激しく咳き込むばかりで吐けもしなかった。フィロは眠っていた。そっと蝋燭の灯りを灯して、水を一気に喉に流しこんだ。こんな私を見られなくてよかったと思ったら、涙がぼろっと落ちた。
「私、あんたを責めるようなことを言ったことある?」
今にも零れ出してしまいそうなこの言葉を何度、喉の奥で押し殺してきただろう。
あの頃。私が痣のせいで引きこもっていた頃、本当はフィロは私と一緒にいるのが辛くて、家を出て行ったのではないだろうか。
「あんたのせいで」この言葉を、熱でうなされていた時、夢の中だけじゃなく、現実でフィロに投げつけてはいなかっただろうか。今まで、怖くて聞けていない。
ふいにフィロが苦しげに呻いた。びっくりして顔を覗き込むと、眠ったままだ。私みたいに嫌な夢でも見ているのだろうか。フィロの掛け布団が体からずり落ちているのに気付き、かけ直そうとした時、信じがたい光景が目に入った。フィロの腕の蔦模様の入れ墨が蛇のような動きでもぞもぞと動いていた。
朝が来た。結局、あの後眠れなかった。フィロの様子はぱっと見たところいつもと変わらない。
「ねえ、具合悪くない?」
「元気だよ」
「本当に? 姉ちゃんに隠したりしてないよね?」
「何、いきなり。何でそんなこと聞くの?」
「……この街に来てから、いつもと違うから」
「ル―だってそうだったじゃん。ミロルとカロンを見て、びびってたじゃん」
「そりゃそうだけど、あんたのは……」
確かに、あの家に入って、あの光景を目の当たりにして、動揺した。しかし、私のは精神的な衝動あるのに対して、フィロはそれに加えて、肉体に何らかの負荷がかかっているように感じられてならない。やっぱり、寄生植物の宿主なんかになっているせいだ。
あれから、ずっとフィロの腕の蔦の入れ墨を注視していたけど、蛇のような動きは一瞬で止まり、それ以降はぴくりとも動かなかった。今まで、見逃していただけで、ずっとあんな風に動いていたとしたら。きっと、フィロの体調にも少しずつ影響を与えていたに違いない。
お昼の前だった。井戸の水くみに行ったフィロがなかなか戻らないため、様子を見に行くと、フィロは井戸のそばでうずくまっていた。
「大丈夫?」
私はフィロを木陰に移動させ、服をゆるめ、水を飲ませた。水をゆっくり飲むと、フィロの意識は次第にはっきりとしてきた。思わず、涙ぐむ私の肩をフィロはぽんぽんと叩いた。
「俺は何でもないから」
「……それが原因じゃないの?」
「昨夜、あんたには内緒にしてたんだけど。入れ墨が動いてたんだよ」
「え?」
フィロは、慌てて袖をまくり上げて、自分の腕を見た。入れ墨は沈黙したままであるが、フィロの額には脂汗が浮かんでいる。
「どうしたの?」
「……言われてみれば、さっきから妙にちりちり焼かれてるみてえ」
フィロの入れ墨を凝視した。触れてもいいものか迷ったが、そっと墨色の線を指先でなぞった。何も感じることはできなかった。
視線をフィロの顔に移す。額の脂汗が頬を伝い、ゆっくりと落ちていく。
「あの人にもらった造血剤は?」
「飲んでる」
動揺がフィロに伝わっていないどろうか?
何しろ、植物の宿主にされた人間なんて、見たのも聞いたのも弟が初めてなのだ。
誰か、もっと詳しい、こういう生き物に精通している医者か学者と知り合いならば。
私じゃなくて、もっと知識や経験を積んだ薬売りがいたら、フィロはもっと、安心できるのに。
ふいに母と会ったことのない祖父だったら、こういう尋常ならざる植物を知っていただろうか。
しかし、残された売薬手帖にはそのような異形の植物に関する情報の記述は一切ない。
まあ、フィロに寄生しているのは、『やばい植物』だから、もし知っていても、載せないだろうな。読んだ人間が興味を持って探しに行く、なんてことにもなりかねないし。
そう、それこそ、昔のフィロだったら、興味津々になりそうな植物だ。フィロは薬草だけではなく、毒のある植物や食虫植物といった他者の害になりうる植物も研究したがっていた。
「おじいちゃんはこういう植物、知らなかったのかな?」
「わかんね。でも、知ってたら、記録はするよね、俺たち薬売りだからさ」
「うん、だよね。で、本当に知らないか。知ってて、この売薬手帖とは別に記録したか。それか・・・・・・」
言葉に詰まった。私の様子を見て、フィロが少しいらついた声を出す。
「何だよ」
「・・・・・・あえて、記録に残さなかったか」
それ以上は話ができなかった。
フィロを木陰で休ませ、売薬手帖を開いた。毎日の習慣のように、これを開き、道を見失いそうになる時、私たちの道しるべになってくれていた。
しかし、弟の体の異変の原因である未知の植物に、今の私では太刀打ちできない。
腹が立ってしかたがなかった。その対象は、自分であって、フィロであって、自分たちをこんな状況に追い込んだ目に見えない何かに対して。
フィロの呼吸が大分穏やかになってきた。
「一人でも大丈夫?」
「うん」
私は立ち上がった。情報は足で稼がなければ手に入らない。それは、短いながらも薬の行商をして得た実感だった。