不思議な姉弟
嫌な予感はしている。しかし、ここまで来たからには、最低限の利益は出さなければならない。ここまで来るのに、鉄道と馬を乗り継いで、やってきたのだ。それなりに、旅費がかかってしまった。
街の駐在所に行商の許可を得るために立ち寄ると、驚くほどあっさり認められた。
ここは、レオル村とは違って、異国の商人が年中出たり入ったりしている。実際、歩いていると、異国の織物や食べ物、宝飾品、動物が売っている。よく言えばおおらかなのだが、やはり外部の者につけいる隙を与えてしまうという点で治安もあまりいいとは言えない。それさえも気にしない雰囲気が漂い、自由と引き換えに自分の身は自分で守るしかないという、あっけらかんとした中での諦念がこの街の人たちの中に内包している気がした。
一軒一軒訪ね歩く。街の人は私たちに好意的な反応をしてくれるものの、肝心の薬は間にあっているからいらない、と立て続けに断られてしまった。考えてみれば、わざわざ私たちから買わなくても、市場に行けば、異国の商人から薬草を買い付けたという立派な薬問屋が何軒かあったのだった。
つまりこの街の人たちは薬に何不自由していないというわけだ。
これじゃあ、ぽっと出の若造の私たちが着け入る隙なんてないじゃないか。
「もういいじゃん、腹減ったから、屋台で何か食おうよ」
まだ日も高いのに、フィロはそんなのらりくらりしたことを行っている。
十四軒目のお宅を訪問して、ようやくその家の女主人がリウマチの薬を買ってくれた。
姉弟で薬の行商をしていると話すと、労をねぎらうと言ってくれて、食事をご馳走になった。
焼き飯や水餃子、甘辛いたれで味付けした羊肉に、香ばしい揚げ饅頭など、豪勢な食事が疲れた体に染み渡った。
「美味しい、すごく美味しいです」
「よかったわ。こんなかわいい男の子が二人も診てくれるなんて、おばさん、嬉しい」
この家の女主人は、リネさんといった。そういえば、症状についてさんざん聞き取りはしたけれど、自分のことについては女だと明言していなかった。これは、このまま男子とみられているほうが、美味しいものくれそうだな。リネさんににっこりと笑いかけると、リネさんはぽっと顔を赤らめた。うん、こういうのも悪くはないな。私が気分よくしているその隙に、フィロは私の皿から餃子をひとつかすめとった。
リネさんはどんどん料理を運んで来てくれる。これじゃあ、欲望を抑えろという方が無理だ。
「おばちゃん、美味しいね」
フィロのなれなれしい口調に驚いた。美味しいものを食べさせてもらって、機嫌がいいとはいえ。
「あらあら、じゃあ、もっと食べていって」
まだ食うのか、と少しは遠慮しやがれ、と念を送った視線を無視し、フィロは手にもっていた饅頭にうれしそうにかぶりついた。
私たちの前には空になった大量の皿が置かれている。リネさんはおしゃべり好きで、食事中に行商先の出来ごとなどをあれこれ聞きたがり、会話が弾んで楽しかった。
「いいの? 本当に。薬のお代、ただにしてもらって」
「いや、こんなにご馳走していただいて、遠慮なく食べ過ぎちゃったんで」
勧められるままにおかわりを延々と続けてしまい、後ろめたさを感じつつ、頭をかいた。
どう考えても、薬代の倍は軽く食べてしまった。家事労働でもしたほうがいいかな。
「あなたたち、行商でずいぶん、もまれてるのねえ」
リネさんの目の奥がきらっと光を放った。まずったかな。二人して食べ過ぎてしまったことを弱冠後悔する。これは、厄介ごとを頼んでくる人特有の目の輝きだ。
「街外れの家にね、変な子供がいるのよ」
そら来た。こういうおばちゃんにがっちり捕まれちゃ逃げ道ないな。観念して、耳を傾けた。
リネさんの話はこうだった。村外れの家に子供二人が住んでいるらしい。元々あの付近は昔から、化け物が出るという言い伝えがあって、人が寄り付こうとしない場所に建てられた空き家のため、買い手がつかず持て余していたところ、流れ者の男が父と子供二人で住むと言って、その家を買い取った。しかし、父親のほうはいつの間にか姿を消してしまったようで、子供二人だけが残されたようだ。様子を見に行こうにと訪問した。しかし、応対した女の子に話しかけてみても無視され、そのまま扉を閉じられてしまった。そんなことを何度か繰り返すうちに、街の人にすっかり気味悪がられ、おまけに付近で変なかがり火を見たという噂も立ち、ますます敬遠されるようになってしまったと。
「あの子たちもし、病気だったら、保護してやりたいんだけど、かがり火のこともあって、村のみんなは余計なことをして、妙な呪いを広げでもしたらどうするって言うのよ」
子供たちを心配してるのは本心だろうな。だが、そんな不気味なよそ者を独断で保護し、万が一街の人を厄介ごとを巻き込みでもすれば、リネさんが村にいられなくなるかもしれない。
だから、こういう仕事は、流れ者の自分たちが行うのが後腐れなくていい。
「分かりました。興味があるので、様子を見てきます」
リネさんの家を出た時には、日が暮れかけていた。
「ルー、俺たちは何でも屋じゃないんだよ」
「あんた、私の倍以上、食べといてどの口がいってんの」
久しぶりのご馳走にご満悦顔のフィロに呆れつつも、確かにさっきのリネさんの空き家の子供の話は不気味ではあった。
「それに、厄介な病気で家から出られないかも。子供たちだけみたいだし。誰かが様子を見に行かないと」
「それはそうかもね」
先ほどのリネさんに馴れ馴れしく話しかけたのもそうだが、フィロがなんとなく、躁状態であることも気になっていた。この街に来てから、ずっとはしゃいでいる。やはり、異国の珍しい光景が広がっているだけではなさそうなのだ。
リネさんに場所を教えてもらい、街のはずれにあるその家を訪ねた。周囲から孤立した環境にあるのを除いては、見た目は普通の家でだ。扉を叩いても反応はない。
その時、一人の女の子が裏口と思われる場所から外に出て来た。
「こんにちは」
「こんにちは」
意外なことに挨拶を返してくれた。長い黒髪で黒い瞳の綺麗な女の子だ。歳は13、14といったところだろうか。
「少しお話しさせてもらっていいかな?」
女の子は私とフィロとロニを一気に下から上まで眺めた。
「あんたたち、誰さ?」
「ルチカ・ミラン。こっちは、弟のフィロと飼い犬のロニです。旅をしながら、薬売りをしています」
「薬……」
女の子は今度は下を向いた。思案している。
「何か困ったことはありますか?」
女の子は小さくため息をつき、下を向いたまま言った。
「入れば」
タクト・タタの馬を庭に案内し、つないでおいてから、女の子のあとを追った。
拒絶されるのを覚悟していたので、この展開は意外だった。玄関扉を開けて、家の中に入れてもらう。中には男の子がいた。赤い髪に緑色の目を持ち、歳はフィロと同じくらいに見える。
「こんにちは」
男の子は私たちをちらりと見て、ぷいと横を向いてしまった。
女の子は迷いながらも、私たちを招き入れてくれたということは、何か相談ごとがあるのかと思ったが、家の中に足を踏み入れたと思ったら、そのまま部屋の隅にいき、膝を抱え込み、座り込んで顔を伏せてしまった。少々面食らう。女の子がこのまま寝てしまったら困ると思い、慌てて声をかける。
「あなたの名前を聞いてもいい?」
「ルチカ」
「びっくりした。私と同じ名前なのね」
女の子は興味なさげに顔を背ける。
今度は男の子に聞いてみた。
「あなたの名前は?」
男の子は反応しない。
「その子はフィロだよ」
思わず、フィロを見た。私の弟の方のフィロを。
「あなたたち、同じ名前なの? 私たちと」
女の子はそれきり、反応してくれなかった。動揺を抑えきれない。こんな偶然、あり得るのだろうか。
ロニの鳴き声が家の中に鳴り響いた。ああ、ロニの存在をすっかり忘れていた。慌てて様子を見に行く。ロニは不安げに私とフィロにまとわりついた。角がとれる前の反応のは違う。その時はもっとご機嫌なはずだ。何とかなだめて家の中に戻ろうとすると、置いていくなとキャンキャンと抗議の声をあげた。外でひとりでいるのが不安なんだろうか。ロニがこんな状態になるのは珍しい。
私は部屋の隅で丸くなっている女の子に恐る恐る声をかけた。
「ごめん、飼い犬を家の中に入れてもいい?」
女の子は面倒臭そうに頷いた。男の子にもロニを会わせてみたが、特に反応することがなく、犬が嫌いというわけでもなさそうなので、ロニを家の中に入れることにした。
フィロはロニをなだめながら、女の子と男の子を横目で観察している
「ルー、あの子たち、どうする?」
「どうするも、偶然だと思う?」
フィロはぶんぶんと首を横に振った。
「何かの罠かな? 俺たちをはめるための」
「うーん」
「だからって、放ってもおけないよね」
「あの、おばさん、ぐるだと思う?」
リネさんか。そんな可能性は考えたくはないけれど。
そうだとしたら、あの食事の中に何かを盛られていた可能性が高くなるが、食事をご馳走されてしばらく経つのに、私もフィロも体調に変化はない。遅効性の薬の可能性もあるが、その場合でも、私とフィロは曲がりなりにも、薬を扱う者だ。小さい頃から、母からさまざまな薬草の味見をさせられている。薬草だけではなく、極少量ではあるが毒草の味見も。普通の人よりも舌の感覚は鋭いという自負がある。毒を盛られていた場合、何らかの変化は感じ取れるはずだ。
「まあ、今の時点で私たち、なんともないよね。ここに誘い込んで、殺すか、捕まえるかするつもりだったら、ずいぶんのろまだな」
「そうなんだよね」
「あの子たち、変な薬飲まされて、記憶をいじられてるのかもしれない」
売薬手帖を開いて、確認してみたが、二人のような症状をもたらす毒草は載っていない。
記憶障害を引き起こす毒草には、動作のふらつきや、焦点の定まらない目など、何らかの特徴のようなものが見られるが、この二人は、少なくとも身体上は何ら問題がないように思える。
フィロと二人の脈や舌など体の具合を見てみたが、私たちの見立てでは健康体そのものなのだ。無論、二人からは、体の不調を細かに聞いても、首を振るばかりだ。
「それに薬を飲まされたら、自分の名前も言えなくなるんじゃないかなあ」
そう言ってみたものの、フィロはうーんと腕組みするばかりだ。
どうやって、あの子たち自身の名前を忘れさせ、『ルチカ』と『フィロ』だと思い込ませたのだろう。薬ではなく、催眠術のようなものだろうか。見たところ、血色もよく、健康上の問題は、今のところはなさそうだ。
「とりあえず、このまま放ってはおけないな」
タクト・タタから預かった馬は、少しずつ元気を取り戻しつつあった。
馬をゆっくりと誘導し、家の周辺を散歩させた。これは、病気の馬に適切な運動をさせ、気分を落ち着かせる効果がある。