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タクト・タタ

 馬車に乗せてもらい、茶色と黄土色の岩山の間を抜け、地平線に向かって流れていく暗い褐色の川を横目で見た。

 幾重にも重なった山脈が見守るような場所にその集落はあった。待ち合わせの場所は、街の喧噪から少し離れた民家の密集する場所にあるのだ。

 白壁の平屋が立ち並んでいる。街での華やかな喧噪からは少し離れた立地のためか、人々が歩く速度もゆっくりめであったり、犬や猫が往来で寝そべっていたりとどこかのんびりとした雰囲気が漂っている。


 市場を歩いている時もそうだが、歩いている人々はいかにも旅人風情の私たちを見ても、全く目を留めてもいない風で、レオル村のいざこざが記憶に新しい私たちにとっては、余計な気を遣わずにすむ分、気が楽だ。

 レーガは異国の商人が多く立ち寄り、隊商宿も多い。よそ者に対して、おおらかというか、警戒しない気質が漂っている。


 待ちあわせの相手は、フィロの命の恩人だ。私は会ったことがない。フィロが水晶血丹に寄生された帰り道、走る鉄道の中で死にかけているところを助けてくれた人だ。

 フィロは『白玖根草』を手に入れるため、沼に長く浸かっていたため、疲労困憊が激しい上に低体温症になり、また、突出した鋭い草木にぶつかり体中に無数のすり傷や切り傷を負っていた。

 その人はフィロに応急処置をほどこしてくれ、次に止まる駅の救護隊に引き渡すまでずっと看病してくれていたらしい。フィロはその後、救護隊の助言通り、比較的大きな都市の駅で、降車した。大きな病院が駅の近くにあり、フィロはその病院に一晩入院し、治療を受けた。フィロはすでに水晶血丹に寄生されていたものの、水晶血丹の毒は遅効性のため、その時点で症状が現れることがなく、単なる行き倒れの旅人として治療を受け、子供一人であることの事情はあれこれ聞かれたものの、それ以外は特に怪しまれることはなく、退院できたらしい。途中で出会った人たちの適切な治療のおかげで、フィロは私たちの家まで帰ってこられたのだ。


 この時の体験は、フィロの頭と心にしっかりと刻み込まれたらしい。フィロは列車の中で途方に暮れていた自分を見捨てず声をかけてくれた、その人の連絡先を別れ際にしつこく聞き出した。そして、別れたあと、行商の旅に出たあとも、その人に電報局で伝言を送り続けた。

 

 フィロとその人は、電報局でずっとやりとりをしていたらしい。フィロもその人も旅人の身の上で普通の手紙のやりとりができる住所らしい住所は存在しない。そのような境遇の人々が電報局だ。

 旅人がその場所を訪れた際、その場所の電報局に宿を登録しておくと、電報が入った時、宿の者に連絡が入る。そうして電報局に行けば、伝言や手紙が受け取れるというわけだ。遠く離れた相手にでも、電報局を通じて、やりとりが交わせる。


 電報局は、比較的人口が多い都市や鉄道の駅に存在する。つまり、人口の少ない場所では電報局は存在しないことが多い。ちなみにレオル村のような高山地帯の辺境の地では電報局はほぼ存在しないといっていい。だから、都市部を訪れた旅人が最初に立ち寄るのは、その土地の電報局であるのだ。

 フィロも実際、レーガに到着して一番最初に駆け込んだのは電報局だった。もっとも、待ち合わせの約束自体は、レオル村を訪れるずっと前に交わしていたらしい。

 その人の要求はこうだった。

「角犬の角がほしい。そして、見返りに水晶血丹で血を吸われるフィロへとびきり高品質の造血剤を渡す」

 今回、電報局で受け取った伝言は、レーガに到着してからの具体的な場所と時間の指示だった。

 

「その人、どうしてロニの角を欲しがるの?」

「聞いてないから、知らない」

「本当に造血剤、くれるの?」

「くれるって言ってた。別にくれなくてもいいけど」

「何でよ! その人って危なくないの?」

「どうして? 俺を助けてくれた人だよ」

 このやりとりは、この街に来るまでに散々繰り返したが、フィロはその人との約束を果たすと言って譲らず、私が押し切られる形でここまで来てしまった。

「それに、面白い人だからルーとも仲良くなれるよ」

「フィロ、覚えておきな。世の中には面白くて、悪い人はたくさんいるんだよ」 

 はいはい。フィロは適当にする時に決まってよこす返事を返した。


 その人がロニの角を欲しがる理由。どう考えても、きな臭い想像しか出てこない。欲しがっているのは、その人本人ではなくて、悪徳商人と高値で売買するつもりであるとか。他の怪しげな薬とロニの角を調合して、怪しげな秘薬をつくるつもりであるとか。

 いったいどんな人なんだろう。こんな沙漠のど真ん中の街まで子供相手に取引をしに来るとはよほどの事情があるように思える。その人が指定した場所は、街の入り口近くにある茶屋の前の大きな樹の下だった。


 でかいな。それが第一印象だった。私はこの人の肩あたりくらいの背丈しかないため、自然と見上げる形になった。口元は布で隠れてて、年齢が分かりづらいが黒髪に黒い瞳の端正な顔立ちであるのは分かった。すりきれた黒い旅衣はいかにも年季が入っていて、日に焼けた顔にはよく見ると、細かいすり傷や古い傷跡があり、いかにも旅慣れをしている風情だ。


「はじめまして、フィロの姉のルチカ・ミランです」

「俺はタクト・タタ。隊商の護衛をしてる」

 フィロはタクト・タタに飛びつかんばかりに彼の手を握った。

「よう、ちび。元気そうだな」

「おっちゃん、久しぶり」

「おっさんじゃねえよ」

 大人が苦手なはずのフィロが目の前のでかい男の人にこんなになれなれしく挨拶してることに軽く衝撃を受けた。いくら命の恩人だからといっても、知らない大人にはハリネズミのように自衛するフィロがこんなにも打ち解けられるものなのだろうか。

「あれ、あの時は分からなかったけど、よく見たら、若いね」

「まだ22だよ」

 なんだ、若造じゃん。ということは、私と大して歳も違わないのに、瀕死のフィロに対して適切な処置をしてくれたのはありがたかった。これだけはどうしても、フィロの姉として伝えなければならない。

「あの、弟を助けていただいてありがとうございました」

「ああ、俺はこのちびの言うとおりに動いただけだから、大したことはしてないけど」

 その時、食事を終えたロニが私たちのところまで駆け寄ってきた。フィロに抱きつくかと思っていたロニがそうしたのは、タクト・タタだった。ロニはタクト・タタの胸に前脚を乗せて、嬉しそうしっぽを振っている。


 タクト・タタは、「離れろよ」と迷惑そうにあしらおうとしているが、ロニはいっこうにおかまいなしで、タクト・タタにまとわりついている。ロニは基本的に愛想はいいが、ここまでしつこくフィロ以外の誰かをおいかけまわすのは、今まで見たことがなかった。

 赤ん坊の頃に助けてもらったことを記憶の片隅で憶えているのだろうか。

 タクト・タタは顔をべろべろとなめられて、明らかに私とフィロに助けを求める視線を寄越したが、私は見ないふりをしたし、フィロはふたりを温かく見守っている。ロニの唾液まみれになった顔をぬぐいながら、タクト・タタは呟いた。

「これ、あの時の角犬か?」

「うん、ずっと一緒に旅してる」

「でかくなったなあ」

 タクト・タタははあ、と嘆息して、改めてロニを見つめた。その感慨深げな表情を見ると、動物は嫌いではないらしい。タクト・タタにまとわりつくロニを何とか引きはがし、私たちは改めて向き直った。

「約束の奴、持って来たよ」

 フィロは袋を取り出した。この中にはロニの角が入ってる。タクト・タタは袋を受け取ると、中身を確認し、感激した様子で袋の中身とロニを見比べた。

「すげえな。こんなに角犬の角が獲れるなんてありえねえよ」

 タクト・タタはそう言って、今度はフィロに黒い革袋を差し出した。

「造血剤だ」

「すごい、こんなに」

「その造血剤は何から造られたんですか?」

「虫だよ。この砂漠地帯にある洞窟で獲れる虫から造るんだ」

「その洞窟はどこにあるんですか?」

「それは企業秘密」

「それにしても、どうして待ち合わせ場所が市場じゃなくてどうして住宅地なんですか?」

「ここなら、市場と違って、人目が少ないから監視されてても気づきやすい。ここらの人の出入りも把握しやすいしな」

 思わず、ぎょっとした。

「監視されてるんですか?」

「いや、もしもの話」

 私は思わず、後ずさりしたくなったが、フィロは相変わらず、にこにこしている。

「俺はこの街でいろいろやることあるから、じゃあな」

「え、もうちょっと一緒にいてよ、さみしいよ」

 本当にいつのまにこんなに仲良くなったんだ、こいつら。タクト・タタにこっそり探るような視線を送ったが、知らん顔で頭をかいている。

「お前には姉ちゃんがいるだろ。俺みたいなのに構ってるんじゃねえよ」

 みたいなの、ということは、そういうことなのだろうか。自分と関わると、危険なことに巻き込まれる、そういう含みだろうな。

 やっぱり、この人には感謝はしてるけど、必要以上に関わることはよくないような気がした。

 それはそうと、タクト・タタの連れている馬の弱弱しい表情が気になった。

「あの、その馬、体調が悪いのでは?」

「ああ、メシも食わねえし、ちょっとどこかで休ませねえとな」

 タクト・タタの馬は、前脚で前かきを繰り返している。苦しみに耐えている症状だ。

「あの、この子、薬、飲ませないとだめだと思います。あなたとずっと旅してきたんですか?」

「いや、この街に着いてから買ったんだよ。えらい値下がりしてるから得だと思って、買ったけどよ。これじゃ大損だな。やっぱ安物は買うもんじゃねえわ」

「そんな言い方しなくてもいいじゃないですか」

 私がむっとして言い返すと、フィロがぼそっと呟いた。

「タクトは、病気だって分かってて買ったんじゃないの?」

「何で、俺がそんなことすんだよ」

「助けてあげるために」

「ちげえよ」

「俺たちがこの馬、預かるよ」

「はあ?」

「俺たちは薬売りだもん。病気の馬の治療は俺たちの仕事だよ」

「薬売り? お前、薬売りだったのか?」

 それまで、一定のひょうひょうとした口調でしゃべっていたタクト・タタの様子が明らかに変わった。

「あれ、言ってなかったっけ?」

「……薬売りは信用しねえ」

 どうしたのだろう。動揺を隠しきれていない。言葉自体は腹の立つ内容ではあるのだが、タクト・タタの変化の方が気になった。

「でも、この馬はこのままタクト・タタと一緒に居てもつらいだけだよね?」

 タクト・タタはむっつりと黙ってしまった。

「俺達がついてる。もう、辛いのを我慢しなくていい」

 フィロは馬のたてがみを撫でた。飼い主の返事も聞いていないのに、預かる気まんまんだ。

「病気の馬が俺たちのところに来てくれたのは、タクトのおかげだよ、ありがとう」

「何でお前が礼、言ってんだよ」

「まあ、いいじゃん」

「お前といると調子狂うなあ」

 フィロは嬉しそうだ。無表情でも分かる。とても嬉しそうだ。この人に甘えているようにも見える。

「この子、預かってもいい?」

「……いいのか?」

「タクトの馬だもん」

「悪いな、世話になる」

「あとは俺たちに任せて」

「……頼んだ」

 タクト・タタは背中を見せて、去っていった。その後ろ姿は、先ほどの動揺はもはや感じられなかった。彼の歩き方、体の重心の置き方で私たちの想像が及びもつかない修羅場をくぐってきたであろうことが見て取れたからだ。

 確かに、頼りにはなるだろう。味方でいてくれる時は。

 名残惜しそうに、タクト・タタに手をふるフィロの袖を引っ張った。

「ね、何であの人とあんなに仲いいのさ」

「仲良くなりたいなって思ってるうちに別れちゃったから。嬉しいじゃん。そういう人とまた会えるなんて」

「まあ、そうだけど」

 とにもかくにも、この病気の馬を治さなくてはならない。そうしたら、早くこの街を去るべきだ。いい予感はたいていは当たらないのに、悪い予感というものは外れてくれないものだ、という母の教えを思い出していた。

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