別れと約束
ロステムの家に戻った時には日はもうとっぷり暮れていた。。花粉まみれの服を洗濯してくれるというマヤさんの申し出を丁重にお断りし、服を洗って乾かす間、私はマヤさんの、フィロはロステムの服を借りた。
これで、私たちの仕事は山を越えた。
「明日、出発しようと思ってる」
ロステムは悲し気に顔をくしゃっとさせた。
「もう少し、ゆっくりすればいいのに」
「ごめんね、もう、次の目的地に出発しないと」
「そっか、大変だったね、こんなことに巻き込まれて。さんざんだったね」
「ううん、私たち、あの花を回収するためにこの村に来たから」
私は鞄の中から、先ほど採取した赤い花を取り出した。私たちが駆除したばかりの、有毒な花粉をまき散らして、レオル村の人達を苦しめた花。
「これは確かなことではないんだけど、この赤い花は弟に寄生してる植物と同じものになる」
ロステムが息をのむのが分かった。
「でも、フィロのとは全然違うよ」
「この花はね、普通に成長したら、これみたいに赤い花になるんだけど、ある場所で生育すると特殊な変化を遂げる。全く違う花になる。土と水の関係で変異するみたい。その変異した花が他の生き物に寄生すると、表皮に黒い花みたいなのが咲く。入れ墨みたいなね。それで、フィロみたいになる」
「そんなのがこの村に」
「大丈夫、この村ではどんなに成長したって、他の生き物に寄生するような花に変異することはないから。私たちはね、この花を調査したい。フィロを宿主のままになんてされたくないんだ」
「怖い花なんだね。僕が思ってる以上に」
「だから、旅をして、突き止めたい」
「じゃあ、秘密をばらすって僕の脅しに乗ったのも想定内だったの?」
「いや、フィロのことがばれたのはさすがに私たちのうっかりだよ。それに、私たちがいる間に、花を駆除すれば問題ないと思ってた。でも、正直、こんなに花が大量に咲いてて、花粉が村の中心部まで届くことを想定できなかった。ごめん」
「みんなの住んでる家にまで、季節風が届くなんて僕も思わなかったよ。これまでだってなかったんだから。薬草園の火事が燃え移って、防砂林がなくなったせいでもあるんだ。毎年、防砂林のおかげで、季節風がさえぎられていたんだから」
ロステムの説明では、季節風のせいで作物がなぎたおされることを防ぐために、防砂林は植えられたそうだ。しかし、薬草園の火事で同時に防砂林も焼けてしまった。
「私たち、ロステムとマヤさんにお世話になってすごく助けられた」
「いや、そんなことないよ。僕のほうこそ……」
ロステムは涙ぐんで、私は胸がいっぱいになってしまった。
「それでね、言いにくいけど、相談がある」
「何?」
「花は駆除した。だけど、処置に完璧はない。手作業での駆除は土の中に残ってる根や種を取り切れない。この花のあった場所は、ぎもろも草を植えて、地面が寒天状になってる。寒天状になったことで、その場所の日光をさえぎって、地面の水分を吸い取る。そうしたら、駆除しきれなかった花は成長が抑制されて、花を咲かせることはなくなるはず」
「うん」
「だけど、花粉のことがなくても、防砂林がなくなったことで、山の砂塵が家に届いてしまって、それが喘息を悪化させる原因にもなってしまってる。だから、ロステム、この裏山近くに住むのはやめたほうがいいんじゃないかな」
「引っ越しをしろってこと」
「ロステムは気管支が敏感だから、外部から刺激を受けやすい。もう少し、風が届かない穏やかな場所に住んだほうがいいと私は思う。だけど、強制はできない。あんな立派な家を出ることになるんだから」
「……母さんと話してみる。僕らをを捨てたひどい人だけど、あの家は父さんが残してくれた家だから」
「もし、困ったことがあったら、手紙を書いて。私の故郷のソーヤ村に出せば、幼馴染が電報を送ってくれるから、すぐに駆け付けられる」
旅立ちの朝が来た。穏やかな快晴。昨日の春の嵐が嘘のように。村の人たちが見送りに来てくれた。ロステムにマヤさん、レノにレノのおばあさん、村長さんに初日に私たちをかばってくれお母さんたち。
私とフィロの泥まみれの服を見て、ロステムは不思議そうに訊ねた。
「それにしても、どうして、そんなに泥だらけなの?」
「手、出して」
フィロはそう言うと、両手に余るほどの大きさの袋をロステムに渡した。
「何これ?」
もじもじしているフィロに代わって、私が説明した。
「火事のあった薬草園のね、焼けた土の中を調べたら、発芽しかけた種を見つけた。それに、焼け残った根もある。これを成長させることができたら、きっと薬草園は再生する」
ロステムは私とフィロの顔を見比べて、感慨深げにぼそっと呟いた。
「僕たち、薬草園が焼けたことに悲しむばっかりで、根が残ってるなんて、気づきもしなかった」
今度は私がレノの手に、口を紐で縛った小さな袋を乗せた。ロステムに渡した袋よりも一回り小さな袋だ。レノが袋の中身をのぞく。
「何これ?」
袋の中身はいっぱいに詰められた薄茶色の種だ。
「これはれんげの花の種。このれんげの花と一緒に植えたら、薬草が育ちやすくなる。前みたいな薬草園がきっと復活する」
「大事なものなんじゃないの?」
「大事だから、いっぱい増えるのは、嬉しい」
私がそう言うと、レノはくしゃっとした笑顔を浮かべた。
実は、出発前に少しだけ笛を吹いて、発芽を促した。発芽さえしてしまえば、この薬草は数週間で収穫できるほどに成長する。能力発動の際の肉体へのダメージもほぼなかった。
ロステムは掌の上の袋をいとおし気に抱きしめた。
「僕、自分の生まれた場所なのに、ルチカとフィロから聞かされて、初めて知ることばっかりだった。これじゃあ、ちょっとね。だめだね」
「それだけ、自然は手ごわいのよ」
「うん、本当にそう思う。だからさ……今度、来てくれた時は、この村のこと僕がルチカとフィロに教えてあげるから。だから、また、来てよ。その時はもうちょっと強くなってるはずだから」
「来てもいいんだ」
「嫌なの?」
私が頭をぶんぶんと振ると、ロステムは歯を見せて笑った。
ロステムの隣のマヤさんは目に涙をいっぱいため、私とフィロの手を握ってくれた。
母の手のぬくもりを思い出し、強く握り返した。
「うん、また、ここに来る。約束だ」
レノ、レノのおばあさん、治療した子供たちやご飯を御馳走してくれた女性たちとかわるがわる握手した。
「また来て」
その言葉と笑顔に見送られて、私たちはレオル村を後にした。
彼と彼女たちの、私たちが見えなくなるまで、振ってくれた手の温かさと力強さを背中に目いっぱい感じながら、次の目的地への一歩を踏み出した。