9、婚約者と婚約指輪選び
合格通知を受け取ってから、アレックスの休日が増えた。
「あなたと一緒に過ごす時間を確保するため、ひっそりと私も頑張っていたのです」
学業を優先にしていた時は、アレックスは休日返上で仕事をしていた。それもこれも、私が空いた時に一緒に過ごす時間を確保するためだったのだ。合格通知を手にした翌日から、休日はしっかり休み、平日でも時折書類仕事を自宅に持ち込むようになった。
婚約破棄からプロポーズ、試験勉強を経て合格したら婚約を成立させ、私が時間を持て余す時に共に過ごす時間を増やす。彼の計画性に舌をまく。驚くより、こういう人なんだともう納得するしかしない。
朝ご飯をゆっくりと一緒に食べ、帰宅時間も早くなり夕食を共にする。それだけでなく、お昼ご飯を一緒に食べることさえある。
今日もお昼を屋敷で食べ終え、アレックスが言った。
「午後はお休みにしました。シンシア、一緒に街へ行きましょう」
食後の紅茶をテーブルへ置く。どういう風の吹き回しかなと不思議に思うものの、彼の申し出を断る理由もない。むしろ試験勉強からの解放感から、今まで抑えていた好奇心がむくむくと湧いてくる。
「はい、行きたいです」
目を輝かせて、私は笑顔でこたえてしまった。
はしたないかしらと、はっとして、口元へ指先を添え、アレックスを見つめる。
彼は晴れやかな笑顔で私を見つめるばかり。そのまぶしい笑みに私は、別の意味で恥ずかしくなり、視線を紅茶がそそがれたティーカップの底に落としてしまった。
街へ二人出かけるのは初めてだ。そもそも街へ出かける機会など今まで少なく、どんな服を着ていけばいいのかもわからない。
侍女とともに部屋へ行き、街へ行くならと見立ててもらった服を着る。学生服ほどではないが、動きやすそうなロングスカートだった。街へ行くなら、やはり動きやすく簡素な衣服になるのねと学ぶばかりだ。
用意を終え、廊下へ出ると、アレックスが待っていた。
「似合いますね」
彼もまた街へ行くための簡素な服装になっていた。
いつものように手を繋いで歩く。
「街へ行くこと、とても楽しみです」
アレックスは私が楽しそうに話すと、いつも満足そうに笑む。
「どちらへ行くか、決められているのですか。アレックス」
「はい、決めてますよ。シンシア」
「どちらへ」
「秘密です」
アレックスの笑顔は鉄壁で、こういう時はけっして教えてくれないなと私は直感する。
「楽しみにしていてねというメッセージとして、好意的に受け取っておきますね」
「そうしていただけるとうれしいです」
私は彼と一緒に馬車に乗り込んだ。
ついた先は、大通りの一角を占める宝石店だった。
店主が丁寧な対応で迎えてくれると、奥の部屋へと通される。
少々お待ちくださいと、店主が退出する。私は小ぶりな応接室をきょろきょろと見回す。
「珍しいですか」
「はい。公爵家なら、街へ出ずとも、屋敷に呼ぶこともできますよね」
わざわざ街中の店まで来る意図がよめなかった。アレックスの笑顔は崩れない。
「その通りです。しかし、せっかくの機会です。たまには外へ出るのもいいではないかと思いました」
「こちらで、なにかを買う予定ですか」
「はい。すでにいくつか見繕っています。最後は、シンシアに選んでほしいと思いました」
「……私が何を選ぶんですか」
「婚約指輪です」
目を見開く私を、アレックスが笑顔で受け止める。
「気に入った宝石とデザインを選んでくださいね」
私は、ぽっと赤くなる。そのためにわざわざ平日に時間を作ってくれたのだ。
「……ありがとうございます」
ありふれたお礼しか言えなかった。
店主が白い手袋をつけ、品をうやうやしく運んできた。
デザイン数種に宝石も何種類か用意されている。それらを組み合わせ、好みのデザインを選べるという。希望があれば、デザインも変更できるそうだ。私自身にデザインセンスはなく、提示されたデザインから選ぶことにした。デザインに金属、宝石も選べれば、それだけで十分好みの指輪になる。
アレックスとともに、プラチナ、十八金、ピンクゴールドなどの本体とデザインの組み合わせを選んだ。
はめ込む宝石はダイアモンドや、ルビー、サファイアなどあるものの、私はエメラルドを選ぶ。私の目は深緑色なのだ。その色味に合わせて、選ばせてもらった。
提示された仕様から選んだ、プラチナの指輪にはめ込むのはエメラルド。アレックスに導かれたとはいえ、自分の好みを反映した指輪になり私はとても満足した。
店主がサンプルを片づけて、契約書を持ってくると再び退出した。
私はアレックスに目をやる。
「私の自由に選ばせてくださってありがとうございます」
アレックスもまっすぐに私を見つめ、はにかむ。少し照れて、少年のような初々しさをみせる。
「喜んでもらえてうれしいです。出来上がりは数日かかります。その時は私から贈らせてくださいね」
「はい、よろこんで!」
私はぱっと明るく返事をしてしまう。あっとまた止まり、おずおずと引き下がる。
「ごめんなさい。こんなあからさまに喜んで……」
アレックスは頭を左右に振る。
「いいえ、はっきりと気持ちを示してくださる方が、私は嬉しいです」
「そう、ですか……」
「はい」
「喜んでも、おかしくはありませんか……」
「まったく」
そのままの気持ちをぶつけても喜んでくれる。ありのままの私を出して、受け止めてくれる人がいる。
アレックスに包まれていると、私はその心地よさに、彼から離れがたくなる。そして気づく。心からアレックスと婚約して良かったと、思うようになっていたと……。
店を出ると、馬車は待っていなかった。きょろきょろする私の手をアレックスが引く。
「あなたとこうやって手を繋いで歩ける日がくるなど夢のようです」
「馬車は……」
「夕方に迎えにくるように伝えています。待ち合わせ場所も決まっていますので、安心してください」
私は二度三度と瞬きする。
「二人で散歩しましょう。一緒に行きたいところはたくさんあります。今だけは、二人きりですよ」
臆面もなくさらっと、そんなことを言えてしまうアレックスは本当にあなどれない。