7,編入試験勉強を導く奥手な人
アレックスが、こほんと咳払いをする。
「……それで、ですね……」
もじもじとする彼。こういう雰囲気の時はきっとプライベートな話題をふられる。ぴんと背が立ち、彼の言葉に耳をそばだてる。
アレックスの視線が、床から天井にうつる。もう一度、床に戻り、口元の拳をよせて、恥じらうようにささやいた。
「寝所をともにするのは、学業優先とし、もう少し……、先にしましょうね」
「あっ、……はい」
それで寝所に足をふみいれないようにしていたのね。
アレックスが、さらにもじもじする。両目をつぶって、拳を膝に乗せた。
きちんとしたお話をする時は、しっかりしているのに、この手の話になると、どこぞの乙女より恥じらう。愛らしいなんて、男性に伝える言葉ではないわ、どうしましょう。
見目麗しく、しっかりとした男性が醸し出す奥手な様に射貫かれる。呼応するように私まで火照ってきた。
「……学業に支障あっても、困りますから……ねっ……」
一生懸命言い訳をするアレックスから私は目をそらせなかった。
こうして私とアレックスとの暮らしが始まったのだった。
☆
「いってらっしゃいませ。アレックス」
「いってきますね、シンシア。今日は早く帰れそうなので、夜は一緒に過ごしましょうね」
「はい、お待ちしております」
朝のお見送りは日々の恒例となった。彼を見送る朝のひと時のみ、婚約者または夫人として迎え入れらた本来のあり方に近い気がする。
馬車に乗り込んだアレックスを手を振って見送った。
残された私は、嘆息する。さあ、今日も一日、試験勉強だ。
午前と午後に教師がつく。試験対策は教えてもらえるものの、努力するのは私だ。本を読んだことがある。聞いたことがある。その程度では通らないのが試験だと話す教師は厳しい。今日はここまで、明日はここまで頑張りましょうと、常にはっぱをかけてくる。
試験対策と、要点を教えてくれる教師がみっちりついていては息がつまる。アレックスは、午前二時間、昼ご飯を挟んで、午後二時間というスケジュールを組んでくれた。
楽かと言えば、楽ではない。要は、翌日に備えて、きちんと予習復習をする時間をつくられているだけなのだ。教師を見送った後は、三時のティータイムに一息ついて、ホッとしても、また勉強が待っている。
根をつめても、頭に入りにくい。集中力が切れてくる様子がみられると、タイミングよく侍女や執事が、「お茶にしますか」「場所を変えられますか」「テラス席に、本をお持ちになってはいかがでしょう」などと声をかけてくる。
おそらく、アレックスがそうするように侍女や執事に指示していると思われる。
彼が仕事をする間中、それこそ仕事をこなすように、私は勉強する。手を変え品を変え、勉強が継続できるようにはかられている。その徹底ぶりに、私は息つく暇もない。こういうスケジュールを組んで、教師に侍女に執事にと、外堀まで埋められたら、逃げようもない。
すごいわ、アレックス。
日が暮れ始めると、休息時間が訪れる。アレックスは多忙なため、夕食は一人で食べることも多い。食べることと、お風呂に入ることのみ、私に許された心休まる時間だった。お風呂だけは、好きなだけつかることを許されている。あめとむちが両立され、まるで私は彼の手の上で転がされているようだ。
「侮れないわ……」
風呂場で、独り言ちる。
向き合えばこちらが照れてしまうほど恥じらうアレックス。そんな一面が嘘のように、逃れられないスケジュールを立ててくる。勉強をこなさざるを得ない状況つくり、もっていくのもまた彼なのだ。
両方がアレックスだ。どちらかが本性ではなく、両方とも彼……。葬儀や相続、父との話し合いの最中に垣間見た一面も、間違いなくアレックスだ。
「優しくて思いやりもある人だと分かってないと、受け入れがたかったかもしれない」
湯船につかりながら、私はため息をつく。
睡眠時間を減らしてもいけないと言うので、彼を待つことなく、私は寝るようにしている。初日、帰りが遅い彼を待っていて、たしなめられた。
ただ、今日は彼は出かけに言った。
『夜は一緒に過ごしましょうね』
そう口にするときは、遅くても私が寝る一時間前には必ず帰ってくる。約束はたがえない。すごい人だと思う。
寝る用意は済ませておく。婚約から、いずれは結婚すると思えば、素顔も寝間着姿も見られていいと思うことにした。
後は寝るだけという準備を整え、自室のソファーでくつろぎながら本を開く。今日勉強した個所の復習と、明日の予習をかねている。
ぺらり、ぺらりとページをめくる。字面を追いながら、ふわっとあくびが出た。今日は長湯をしてしまい、体がぽかぽかして眠たい。
本を閉じて膝に置いた。
その時、トントンと扉を叩く音がした。
「はい」
あっいけないと、目を開く。アレックスが来たのに、寝ていてはいけないわ。
扉が開くと、まさに帰ってきたばかりという彼があらわれる。屋敷に戻って真っ先に私の部屋に来たのだ。
「シンシア。ただいま戻りました」
「おかえりなさい、アレックス」
ソファーに本を置き、立ち上がるとふらっときた。アレックスが駆け寄ってくる。
「座ってください」
ささやく彼に従い、私はソファーにしりもちをつくようにポンと座った。
すかさずアレックスが私の前にしゃがみこむ。
「いつも朝しか一緒に過ごせる時間をとれなくてもうしわけありません」
私の手をとり、彼は真っ先に謝罪する。
そんなことであやまらなくていいのに……と、私は面食らう。
「いつもあなたが頑張っていると聞き及んでいます。私の立てたスケジュールは、きついかと思っていました。もう一段下げたプランも用意していましたが、あなたがこれほど頑張って、かつ、ついてきてくれるとは……、本当に、よく頑張ってますね」
臆面もなく、真顔で褒められ、私はものすごく照れくさくなる。
「いえ……、アレックスの計画が無理なく仕組まれているのです」
「行動に移してくれているのはあなたです。私の提案をまっすぐに受け止めてくれているからこそです。
今日も疲れたでしょう。なにせ、うたたねをしてて、立てばよろめいている。
私はこれで退室します。
どうぞよく、休んでくださいね」
先日言われた通り、彼は毎夜しっかりと部屋に戻っていく。
手を繋いで、笑いあう。彼と私は、今のところそんな距離感を保っている。