6、婚約前は編入試験勉強から
アレックスに手を繋がれて屋敷に入る。
小ぶりな屋敷の内装はシンプルで、ところどころに絵がかざられているだけである。飾り気はなかった。
今まで男性の二人暮らしだったため、質素な趣なのかもしれない。きょろきょろと見回す私にアレックスはにこやかに言う。
「部屋を案内しますね」
手をつないだまま、廊下を歩き始めた。手を引く彼は、鼻歌でも歌い出しそうなぐらい楽しげだ。私といて、なにがそんなに楽しいのだろう?
食堂、テラス、小さな図書室。アレックスの自室にも案内された。寝室は奥にあるというが、今は通されなかった。
「あなたの部屋は隣に用意しました」
廊下に出て、隣の部屋の扉を開ける。アレックスの自室より一回り小さい。寝室は奥にあり、基本的な間取りは一緒だった。そこでも、アレックスは寝室を差し示すだけでなかには入らなかった。
部屋は応接室を兼ねているものの、家具はそれほど多くなかった。窓辺近くの二人掛けのソファー。勉強机と書棚があった。家具が少ないと、部屋は広く見える。
「意外とシンプルですね」
「家具は趣味もあるでしょう。私は最小限だけ用意しました。先んじて届いた衣類や私物は寝室に運んであります」
「ありがとうございます。後ほど、侍女と片づけますね」
私はふらふらと机に近づく。まっさらな机にはなにも置かれていない。隣の書棚に並べられた本を見て、ぎょっとした。
「ここに並べられているのは、試験用の勉強本ですか!」
「はい、編入試験用の教科書と問題集を並べた書棚と机です。これから一か月は編入試験勉強、その後の一年は学業を優先していただきます」
アレックスはにこにこしている。
私は小さな違和感を感じる。
「お勉強するのね……」
子どもの頃、母に、勉強しなさいと言われたことを思い出す。にこやかなアレックスに母の面影が重なり、頭を振った。
「あなたの人生において最初で最後、一度きりの編入試験です。この一か月だけは頑張っていただきたいのです」
なんでしょう。笑顔なのに、威圧感を感じるわ。
「まるで、今までと違う生活になりそう……です」
私は、冷や汗を流しそうになりながら、訥々と答えた。
それなりにお稽古や勉強はしてきたものの、道具から鬼気迫る迫力を感じたのは初めてだ。そもそも、勉強しなさいと言わんばかりに、あからさまに教科書や参考書を並べられているとは予想もしていなかった。
「公爵夫人として、社交界などに顔を出していただくには、あまりにあなたは世間知らずです」
私はぐっと喉がつまった。言い切られても、返す言葉もない。正直、その通りだと思う。母の意向で、屋敷で過ごす時間が長すぎた。
「学園生活は、楽しむと同時に、あなたには人前に出る練習になります。ぜひ一年間を有意義に楽しんでもらいたい。そのために、この一か月は頑張ってくださいね」
「はあ……」
「頑張った分だけ、楽しい一年が待っていますよ」
笑顔が厳しい。
頑張る方向が示されたものの、それは想像していた夫人生活とまったく違う。笑顔のアレックスとは裏腹に、私は置かれている状況を飲み込むだけで精一杯。がけっぷちに立たされている気分になる。
「座りましょう」
アレックスに、導かれて自室に用意された窓辺近くの二人掛けのソファーに並んで座った。
アレックスが私と向き合う。
「驚かれましたか」
私は素直に頷いた。驚きは態度にも顔にも出ており、隠しようもない。
「だと思います。
今までのあなたの生活は、母親の庇護下に置かれた籠の鳥です。異母兄もそれはよくよくわかっていました。母の力は強く、異母兄には意見する余地がなかったそうです。
このままでは自律できない。
私は、あなたの父である異母兄の心配がよく分かります。
シンシア。あなたにとっては予想もしない一年になるかと思いますが、どうぞ現状を受け入れてもらいたい」
彼の真剣な表情から、父とアレックスが私のあり様を憂いていたことをしみじみと理解する。
「わかりました。私は、なにがあっても受け入れるときめてこちらにきております。アレックスの提案を受け入れます」
「ありがとう」
アレックスは、ふわっとほほ笑む。素直で柔らかい笑みに、私の心音が跳ねる。よくわからないけど、これはこれで一種の花嫁修業だと思えばいいのだ。
「この一年間は特別です。あなたが正式に婚姻し、公爵夫人となるのは、来年。学園を卒業したときです」
アレックスは、こういうセリフをまっすぐに言う。照れるということもなく、事務的な物言いなのに、私にはそこに彼の色気を感じてしまう。
「編入学前には、婚約も正式に公表されます。学園に慣れたら、舞踏会などへも私と一緒に行きましょう。観劇や、街歩き、長期休暇は海へ行ってもいいですね」
「はい」
とても楽しい提案に心が躍る。
「でもね、それは、試験が受かればの話ですよ」
優し気な笑顔で、くぎを刺された。
「明日から、昼間は家庭教師が来ます。私が仕事に行っている間は、あなたは試験勉強にいそしんでください。夜も勉強が必要なら、私が見て差し上げてもいいです。頑張ってくださいね」
「……、はあ……」
なんか変なことになっていませんでしょうか。釈然としないまま、私はアレックスの要求をのむしかない。
「……予想と違いすぎます」
「違いますか」
「はい……、私は婚約者または夫人として、あなたの隣に立つものと思っていました」
「立っていただきますよ。これから、ずっと」
「そのために、必要なこと、なのですよね」
「はい。納得しかねますか」
「……少し……」
アレックスはふっと笑う。
「あなたはね。楽しいことを知らないんですよ」
「えっ?」
私ははっと彼を見つめた。
「あなたの世界は狭いのです」
アレックスは微笑する。
「ぽんと私の隣に立って、大人の世界に入るより先に、あなたには経験した方がいいことがあるのですよ」
なんとなく、すとんと腑に落ちた。
「私は……、まだ、子どもなんですね」
「……心外ですか」
アレックスが申し訳なさそうな表情を見せる。
「いいえ。
そうおっしゃられることももっともかと思います。
私には、夫人として共に出歩くには、まだ足りないところがたくさんあるのでしょう」
「そうとも言えますが……、異母兄と私は、あなたがもっと、そう、やはり、もっと、人並みな楽しみを経験してほしいだけです」
照れながらはにかむ。
「予想していた生活とは違いますが、色々考えてくださってのことだと思います……。父とも話がまとまっての事ならなおさら、私は頑張るしかないですね」
「そう受け止めてくれるとほっとします」
優し気に笑んで、アレックスは真顔になる。
「試験結果と婚約は同時進行にすすめます。
新学期の入学とともに婚約は成立し、一年間は学業を中心に楽しんで暮らしましょう。
学園を卒業と共に、結婚。あなたははれて公爵夫人です」
明日から毎日1話づつ11時投稿になります。