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5、引っ越しすれば、まるで恋人のように

「お父様、お母様。今まで育てていただきありがとうございます」

 私は父と母へ、深々と頭を下げた。


「彼は安心できる男性だ。私はなにも心配していない。

 そして、これからも私たちはシンシアの父と母である。辺境の地でもなく、身近にいてくれることが、私にはなによりもうれしく、安心だよ」

 父はにこやかに笑う。


 もっと家について厳しい考えを持っていると思っていた私は、父の柔らかい表情をどう受け止めていいかわからない。公爵を継がないことになり、プレッシャーから解放され、私を一人の娘としてみる気持ちの方が大きくなったのだろうか。


「はい。私も、アレックス様なら安心です」

 これほど父が私の縁談を喜ぶとは思わなかった。エリックとの婚約時に見せた素っ気なさが嘘のようだ。


 私の返答に、父がうんうんとうなずく。

 母のこらえきれない感情を押し込めた表情が突如崩れる。そのまま、私の首へと抱きついてきた。


「いつ戻ってきてもいいのよ……」

「お母様……」


 過保護な母はおおげさだ。身を離せば、さめざめと泣き、ハンカチを目に押し当てる。今生の別れでもないのに、私の腕をつかんではなさない。


 困っている私を見かねてか、父が母の肩に手をおく。

「シンシアは近くにいる。会いたければ、いつでも会える」


「でも……」

 母は目じりをぬぐう。

「……まるで私たちのために、シンシアを犠牲にしている気がしてならないのです……」


 私と父は目を合わせ、悲しむ母の態度に、嘆息する。


「お母様。私はアレックスとの婚約を望んでいます。伯爵家との縁談が消えてしまい、私たちも先のわからない状況にありました。

 彼の申し出は私たちのとっては救いですよ、お母様。

 貴族ですので、このような婚姻はまれではないでしょう。平民のように好き合って添い遂げる方が珍しいのです」


「……だからと言って……」

 母が私の手を握る。


「アレックスは厳しくも優しいです。私たちのことをおもんばかってくれてます。彼と話をして、けっして悪い話ではないと判断しました」


「マーガレット」

 いつまでも手を離さない母を見かねて父が語気を荒げる。

「手を離しなさい」

 母がびくっと身を震わせ、私から手を離した。


「行きなさい。今後は、私ではなくアレックスを頼るといい」

「はい」


 父の言葉に、後ろ髪ひかれながらも、私は屋敷を後にした。


 小さい頃から遊んでいた庭も一時さようならする。きっとまた遊びに来れる。いつでも戻ってきていいとゆるされている。アレックスは私と一緒に色んなところへ行こうと誘ってくれている。学園にも行きなさいと、父と話し合い、提案してくれた。


 不安になる必要はどこにあろうか。ただ、新しい扉が開くことを待ちわび、気持ちが急いているだけ……。


 しいて言うなら、懐かしい思い出が遠のくことだけが、少し寂しいのだ。

 あのバラが咲き誇る美しい庭には、私の初恋が眠っている。


 面影も記憶に遠く、姿も声もうろ覚えだ。私は幼女で、彼は大人だった。彼の母が使用人で、彼もまた働いていた。手を引いてもらったぬくもりと、本を読んでもらった尊さがしんみりと残っている。


 恋にあこがれを持つのは、そんな夢を見たことがあったからだろう。

 エリックに抱きたかった感情の原型がそこにある。 

 雪のように解ける子どもの夢物語。


 もうそんな童女ではない。

 夢は振り切り、しっかりと現実と向き合おう。


 私は用意された馬車に乗り込んだ。またいつでも会えるのに、過剰に悲哀をにじませるのもおかしい。晴れやかな引っ越しだ。辺境の地へとのりこむわけでもない。馬車でほんの十数分揺られればつく屋敷に移動するだけだと思えば、やはり母の反応が過剰なのだと私は思うことにした。


 一人娘を大事にしすぎる母の親離れを思えば、振り向かないのが正解な気がする。


 公爵家の屋敷といえば、父母が住まう屋敷の方が歴史も古く、歴代の公爵が住んできた屋敷と名高い。

 昔は祖父もそこに住んでいたらしい。幼い頃は一緒に暮らし、いずれは父にすべてを譲るものとし、屋敷を別にしたと聞いた。アレックスはそんな頃から、祖父と暮らしているらしい。

 身内のことだが、その辺の詳細は私もよくしらない。


 貴族の家の過去を詮索し始めたらきりがない。現状、トラブル少なくまとまっていれば、むやみに過去をあきらかにするのは愚行である。


 馬車から見慣れた森と空を別角度に移り行く様をみつめる。風景も角度を変えると、なかなか趣が違って見え、面白い。

 

 ほどなく祖父が住んでいた屋敷が見えてくる。今は、公爵たるアレックスが住まう。質素な屋敷は、私たちが住んでいた屋敷よりひとまわり小さい。二人で住むにはちょうどいいかもしれない。


 馬車が止まり、扉が開かれるのを待った。

 静かな時を待つ。鳥のさえずりが耳朶を打つ。

 扉が開く音が鳴り、薄暗い馬車の内部に光の筋が差し込んできた。


 まぶしくて目を閉じる。


「シンシア」

 

 アレックスの声に目をひらく。

 目の前で、公爵自ら扉を開け、私に手を差し伸べていた。

 黒髪が風に吹かれ揺れる。琥珀色の瞳はあたたかい。

 

 どうしてそんなに嬉しそうなの。


 湧き上がる安心感に包まれて、花に誘われる蝶のように、私は彼の手を取っていた。


「ようこそ、シンシア。よくきてくださいました」

 馬車から降りると、彼の後ろに使用人が並んでいた。私が現われるなり、一斉に頭を垂れる。


 私は目を丸くする。まさか、こんなにも歓迎されるとは思っていなかった。

 もっと普通に、御者が扉を開き、自ら降りて、屋敷に入って、応接室に通されて、待たされて、アレックスと会うものだとばかり思っていた。


「シンシア。どうしましたか……」

 一声も発しない私を、アレックスは覗き込むように心配する。


 私ははっと顔をあげる。

 思わず、触れていた彼の手を握ってしまう。

「あの……、まさか、こんなに歓迎されるとは思わなくて……」

 小さな声で、本音が漏れる。


 アレックスは私の手を両手で包み込む。

「今日からここがあなたの家です」

 あまりに彼が嬉しそうで、私は目のやり場に困る。人慣れした子犬のような笑みがそこにある。


 握られていた手が解放されたと思うと、彼の左手が私の右手と一つになっている。大きな手に柔らかく包まれ、そのぬくもりを、恐る恐る握り返す。

 使用人の前で、あからさまに仲良くするのはどうなのだろう。


 そんな疑問は、見上げたアレックスの笑みが消してしまう。

 どうしてそんなに、嬉しそうなんでしょう。


 アレックスが歩みはじめ、私は彼の手に引かれて進む。


 使用人たちはにこにこしている。

 呆けたままついていく私が一番間抜けな顔をしていたことだろう。


 私はこれからここでどう暮らすのでしょう。


 見上げれば未来の旦那様がうれしそうにはにかんでいる。そんな彼の微笑を受け止めれば、まあいいかとすとんと胸におちる。

 私はアレックスと一緒に屋敷の扉をくぐった。


 私と一緒にいて、こんなにも喜んでくれる人がいることが不思議でならなかった。

 私はアレックスに、してもらうばかりで、まだ何もしていないのに……。


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