40、結び目
「エリック、ご婚約おめでとうございます」
「シンシアこそ、ご懐妊おめでとうございます」
ふたりでこっそり頭を下げ合ってから、顔をあげて、笑ってしまった。
「卒業間際に大変だな」
「でも、出産はまだ先よ」
「卒業と結婚式の準備もあるだろう」
並んで廊下を歩き、教室へ向かう。このような日常もあと少しで終わる。
「周りがしっかりしているから大丈夫よ」
「あの公爵だしな」
「そうそう、むしろ、先走らないか心配よ」
「言うなあ」
エリックはくくっと笑う。
エリックとはその後も、いい友人だ。
シャーリーとニコラスも、変わらず良くしてくれるし、二人とも仲がいい。
私は、卒業間際に妊娠が判明し、お腹が大きくなる前に、結婚も結婚式も済ませようと、ゆったりと始めていた準備を父とアレックスが早回しで進めていく。母も、浮足立ってしまい、私はこの三人が、変な人に見えて仕方なくなっていた。
自分のことなのに、手綱を引かないといけないってどういうことなのかしら。
私が公爵と婚約したことが周知され、婚約者がいなくなったと知れ渡ったエリックが、自覚がないままにモテ始めて、女の子が寄ってきても、鈍感なままスルーしている様を、私とシャーリーは面白く眺めていた時期が長かった。
その後、騎士団長の一人娘とすったもんだの末に婚約したが、これはまた別の話。
シャーリーは文官試験に合格しており、卒業後はまずは仕事優先を希望している。ニコラスとの関係は良好でも、結婚などは少し先だと言っていた。
ニコラスは、そんなシャーリーを認めている。
卒業し正式に結婚。その後、結婚式を華々しく執り行う。
流れるように、臨月に入り、赤子を産んだ。
祖父や父に似た男の子だった。
子どもが、一歳近くなるまで、私は屋敷で育児に追われた。
馬車に恐怖を抱いていた母も、孫が生まれたとなれば、会わずにはいられなかった。いつのまにか、頻繁に馬車に乗って来るようになっていた。
アーネストと名付けた息子も、一歳になれば、よちよちと歩くようになった。
今日は、父と母の住まう屋敷に、息子を連れて、遊びに来ている。
バラの香りが流れてくるテラス席に息子を膝に抱いた私とアレックスが座る。私とアレックスが遊んだ庭先で、これからは息子と私が遊ぶこともあるかもしれない。きっと、あるような気がする。彼が私にしてくれたことを、私が息子にしてあげる。なにかがめぐりつながっていく感覚は不思議。
父と母が廊下にあらわれると、アーネストが私の膝をおりて、両手を伸ばす。
たどたどしい足取りで、廊下を進めば、父と母が嬉しそうに、孫を受け止める。
父のポケットから取り出された品を見咎めて、私は声を荒げた。
「お父様、お母様。
なんでも与えすぎないでください」
目を離すと、孫が喜ぶからとこっそりお菓子をあげていることはばれているの。
この屋敷を出て、帰ってきた私は、少しだけ怒りっぽくなっていた。
父も母も孫には甘すぎて、どこかで歯止めをかけないと、留まることを知らないのだから、もうこればかりは、私だけがせめられることではない。
そんな姿を見て、アレックスは陰でこっそりと笑っているの。
二年程前に起こった祖父の遺言が発端をなすお家騒動は、ぐるんと回って丸く収まった。
エリックも婚約者とうまくいっている。彼女がまだ学園生なので、結婚などもろもろは卒業してからゆっくりでいいと二人は考えているのに、こちらは父の騎士団長が一人娘可愛さに、ものすごく面倒くさいことになっているとぼやいていた。
聞いていると、婚約者の娘よりその父に愛されているのではないかと思うほどだ。私との婚約破棄を知って、一番喜んだのは騎士団長だったのではないだろうか。
シャーリーとニコラスは不動の安定ぶりで、後一年くらいしたら結婚するわ、と彼女らしい計画的な人生を歩んでいる。
昼間父母の屋敷で遊んだアーネストはお疲れだ。子守唄を聞かせ、寝かしつけ、私は息子の部屋を出る。と言っても、息子が今寝ている部屋が元は私の寝室で、音を立てないようにそっと開ければ、そこはアレックスの寝室。
並んだ寝室の一つが子どもの寝室に、もう一つが夫婦の寝室と、収まるところに収まった。
アレックスは寝床に座って、本を読んでいた。私に気づき、本をぱたんと閉じた。
「アーネストは寝たかい。シンシア」
「ぐっすりよ。おじいさん、おばあさんに遊んでもらって、満足そうに寝たわ」
「そうだろうね。きっとアーネストは明日の朝も元気に起きて、遊びに行きたがるだろうね」
「そんなことになったら……」
「父さんと義母さんが大変だ」
アレックスと私は同時に笑った。
彼に近づく。手にしていた本をサイドテーブルに置き、寝具を持ち上げ、おいでという仕草を受け、彼の隣に座った。
隣にいる彼に寄り添えば、ひと肌で温められていたぬくもりがある。そんなささやかな時間に、まどろむことが好きだ。
「俺はシンシアとこうやって一緒になるとは思わなかった」
アレックスは私の肩を抱く。
「君はお嬢様で、俺は使用人の子だったしね」
「アレックスは、祖父の遺言がなければ、どうしていたの」
「そうだな。遺産や遺品の整理が終わったら、どこかの商家の娘と結婚するかして、事業を継続していたと思うよ。
今考えれば、シンシアがエリックと結婚していたら、公爵家の血統がつながらない。俺が誰かと結婚し、その子を公爵になるように計らうとなれば、よりややこしくなり混迷する。
渦中にいる時は、冷静なようで、どこか難しく考えすぎるものなんだろうね。
一歩引いて、床に伏していた祖父の方が、現状を良く見据えられたのかもしれない。これで良かったと今更ながら思うよ」
「事業は売却してしまったけど良かったの」
「いいのさ。並行すれば、なにかを犠牲にすることになる。できたとしたら、シンシアやアーネストと過ごす時間が無くなるだろう」
アレックスの手が私の頭を寄せて、撫でる。
「それは俺も寂しい」
この手の感触は、きっと私が彼の膝の上に座って得ていたぬくもりと同じものな気がする。
記憶には残らなくても、包まれる安心感は懐かしいゆりかごのようだわ。
「アーネストは特別なのね」
「特別?」
「私たちにとっても、父と母にとっても……」
「そうだね」
二人にとってアーネストはすべてを結びつなげたリボンの結び目。
失われ、離れて、またつながって、生まれた結晶。
私たちにとっても大事な息子。
たくさんの人の心の上に生まれ、愛される子だ。
泉のようにわきあがるぬくもりを感じる。それはとても静かで、穏やかで、あたたかい。
「アレックスといると静かね」
「静か?」
「穏やかになるわ」
「そう」
「世界中にどんなに喧騒が響いても、あなたと一緒に隣り合う時間だけは、時がとまったように、しんと静まり、心穏やかに、包まれる」
アレックスの頬に手のひらを添えた。その手に頬をすり寄せるアレックスが、手のひらに口づける。
「こんなひと時を与えてくれるあなたを、心から愛しているわ」
心より、10万字にもなる長い話を読んでいただきありがとうございます。
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明日からは『女性騎士と平民文官のささやかななれそめ』(10話)が投稿され、22日からはエリックサイドの後日譚『竜殺しの騎士団長の一人娘は、婚約破棄された伯爵令息へ好きと素直に言えないわけがある』(20話)が投稿されます。両方脱稿し最終話予約投稿済みになります。目を通してもらえたら嬉しいです。