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35、元婚約者の告白

 シンシアの手を引き、ダンスホールに入場した。注目と喝さいを浴びる。


 女性の歩調にあわせて、歩む。ホール中央まで来て立ち止まった。俺はちらりとシンシアを見る。彼女は背筋を伸ばし、前方を直視する。女神のような慈悲深い微笑をたたえていた。


 前方に向かい礼をする。シンシアはスカートをつまみ、深く腰を落とす。広げたスカートが優雅に揺れた。

 横を向き、後ろを向き、同様に礼を尽くす。


 中央に立った俺たちが向き合い、腕を組む。


「緊張しないか」

「わくわくするわ」

 にやりと笑う彼女。最後に会った儚い少女の面影は消え、凛とした芯の強い女性がいた。


『私を変えたのはアレックスなのよ』


 その言葉に婚約破棄から今日までの彼女の成長が込められていた。俺もバカじゃない。君を変えたのが、俺ではないことぐらい、とうに理解している。


 しんと場が水を打ったように静まり返った。


 弦楽器や管楽器を得意とする学園生から抜擢された一団が演奏する、ゆったりとした音楽が流れ始める。合わせて俺たちはステップを踏んだ。


 あっという間だった。所詮、オープニングの余興だ。音楽が終わり、動きを止め、一歩離れ、互いに礼をする。顔をあげる。

 跪いたシンシアも顔をあげた。白地のドレスに真珠のアクセサリー。清楚な装いが彼女を淡い光で包む幻を見せた。額にうっすらと汗をにじませ、満面の笑みを向けてくれた。


 公爵が彼女にもたらしたことを、俺はできなかった。時間はあった。婚約破棄を初めて聞いたのは、前公爵の葬儀が終了してすぐだったのだから……、納得できないと、言えばよかったのかもしれない。


 シンシアが少女であったように、俺もまた自分が傷つくことを恐れるだけの子どもだった。


 もう二度と手を差し伸べるチャンスはこないだろう。今後、彼女をエスコートする男は俺ではない。


 最後だ。これが、きっと最後なんだ。

 惜しい気持ちを押し殺し、踊り切った彼女に笑みを返す。

 差し伸べた手に、シンシアの手がのった。二人で顔をあげ、周囲を見渡せば、会場から喝さいが巻き起こった。


 前方と後方、左右、礼をした。


 シンシアと手をつなぎ、会場の片隅で手を叩くシャーリーとニコラスの元に歩みを進めた。

 

 あと数歩というところで、シンシアが俺の手を離し、シャーリーに駆け寄り、二人は抱き合った。


 ニコラスと目を合わせる。

「お疲れ様」

 すべてを悟っていながら、なにも気づかないふりをする曲者が、俺の肩を叩いた。


 会場全体が盛り上がれば、壁際で談笑する者、中央で踊る者、立食用に並べられた料理に手を付ける者など様々だ。ドリンクの給仕をする腕章をつけた学園生が忙しく歩き回る。


 音楽も、学園生らしくアップテンポな曲調に変わった。ホールに集まり、思い思いに踊っている。歓声があがり、手拍子を打つ、声楽を得意とする学園生が歌を披露する一幕もあった。


 給仕をする学園生からグラス二つ頂戴し、壁際に立つシンシアに近づいた。

「どうだ、シンシア」

 シンシアの横に立ち、手にしたドリンクを渡した。

「楽しいわ」

 受け取りながらほほ笑む素直なシンシアが可愛らしい。


「可愛いな」

 口に出ていた。もう二度と告げることないから、まあいい。

「今日は、特にきれいだ」


「アレックスと選んだのよ」

「そうか。その真珠の髪飾りも良く似合っているよ」

 シンシアが、照れて、はにかんだ。


「園庭に出ないか」

「出られるの」

「ああ、会場の熱気に酔えば、たいてい夜風にあたりにいくもんだ」


「そうなの」

「一人では出るなよ」

「どうして?」

「警備が歩いているとはいえ、女の子一人は危ないこともある」

 シンシアは意味がわからないらしくきょとんとする。

「基本的に、灯りが置いてある内側にいる分には問題はないよ」


 給仕係の学園生にグラスを返し、俺はシンシアを園庭に連れ出した。

 そこここにカップルがいる。夜の庭は、ホールの喧騒を離れ、静かな時を過ごしたい者たちであふれ、彼らは適当な距離を取りながら、共に過ごしたい相手と楽し気にくつろいでいた。


 落ち着けそうな場所を歩きながら探す。ベンチはどこも人で占拠されていた。


 公爵がシャーリーの屋敷に迎えに来た時、俺は、公爵とシンシアが異母兄弟ではないかと触れようとしていた。言いかけて、タイミング悪く、公爵が現れた。


 シンシアは、異母兄弟であっても、アレックスを選ぶきがする。


「なあ、シンシア」

 休む適当な場が見つからず、振り向き、立ったまま声をかけた。

「婚約破棄を告げられた時、どうだった」

 これは俺のけじめだ。


 シンシアが立ち止まる。まっすぐに俺を見つめる。

「悲しかったわ」

「俺もだ。ニコラスの屋敷で酒をあおって嘆いた。記憶飛ばすほど飲んだのなんて初めてだった」

「あらあら」

 苦笑すると、昔のことなのにシンシアが心配そうな表情を見せる。


「一輪の花をあげた。その花をもったいないと押し花にして大事にしているのをみて、もっとちゃんとした花束を贈ればよかったと後悔した。

 あの時、シンシアを大事にしたいと思った。

 その後だ。身内の不幸で会いに行くのははばかられ、葬儀まで終わったと思えば、婚約破棄だという……」


 シンシアはじっと耳を傾ける。まっすぐに見つめてくる瞳に彼女の意志が垣間見える。十か月前に見た柔らかいふわりとした瞳の面影はない。

 俺は、過去の君も好きだけど、今の君はもっと好きだ。


 でもそれは、俺ではない男が、君にそそいだ愛の恩恵だ。それぐらい、分かっている。


 十分だ。異母兄弟かもしれない男と結婚することになってもいいのかなんて、今さら言っても仕方がない。俺は負けた。公爵にじゃない。傷つくことを恐れた弱い俺のせいで、負けたんだ。


「私ね。今日、すべてを教えてもらうの」

「……すべて?」


 迷いのないまなざしが俺を射貫く。


「公爵家の内情をすべて教えてもらって、私もまた、そのすべてを受け入れるのよ」


「……そうか」

 俺の出る幕はもうない。


「私ね。あなたと婚約者でいられた時、あなたを愛そうと努めていたの」

「俺も……たぶん、似たようなものだ……」

「あなたを愛そうと努めて、本当に良かったわ」


 俺には意味がわからなかった。

「あなたと私が、同じように想い、悲しみ、決別しようとしたことが尊いと思うのよ」


「俺たちは似ていたのかな」

「同じぐらい、子どもだったのね」


 そうかもしれない。俺も父には結局逆らえなかった。愚痴って、泣いて、背けていただけだったのだから……。


「ひと時でも、シンシアの婚約者であれて、光栄だったよ」


 やせ我慢かもしれない。ただのプライドかもしれない。俺にはそれしか言えなかった。


 ダンスパーティーが終わりかける。シンシアは早めに帰りたいと言うので、馬車まで送った。出立し、馬車が見えなくなるまで見送った。


 嘆息し、振り向くと、友人二人が立っていた。

「シャーリー……、ニコラス……」

 俺はゆっくりと歩み寄る。

「どうしたんだよ。余韻に浸らず、もう帰るのか」


「一緒に過ごそうよ」 

 シャーリーが笑う。

「パートナーは帰ったんだろ」

 ニコラスが手を差し伸べる。


「俺がいたら邪魔だろう」


「そんなことないわよ」

「そんなことはないさ」


 俺が駆け寄ると、二人が同時に俺の背を叩いた。


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