32、ダンスパーティーの始まり
空が赤く彩られる。学園全体から人のさざめきが流れてくる。いつもなら日が暮れかければ人気薄れる校舎も、今日ばかりはそこここに灯りがともる。光源が重なりあい、滲めば、幻想的な揺らめきを伴い、学園全体に魔法をかける。
色鮮やかな衣装をまとった学園生が行きかう校舎や園庭が、紳士淑女が集う立派なお屋敷へと変貌する。
馬車から降りた私は、談笑したり、歩く人々を眺めながら、最終学年が集う待合場に指定された教室へむかった。
生暖かい風が吹き、髪飾りをつけた髪がなびく。
教室に入ると、先んじて到着していたシャーリーとニコラスと合流する。
ニコラスはグレーを基調とした正装。シャーリーは、オレンジを基調に、レース生地でふんわりと丸みをおびた愛らしいドレスを着ていた。いつもは流している髪も今日はアップにしてまとめている。快活な彼女には、オレンジのグラデーションがきいたドレスが良く似合う。
「今日のシャーリーはひときわ可愛らしいね」
「ありがとう。シンシアは、どこの社交場に出ても人目を惹きそうなほど輝いているわよ」
互いに褒め合って、喜んでいると、エリックも会場に到着する。白っぽく装飾の少ない正装で入ってきた。私のデザイン画を参考に、色やデザインを配慮してくれていた。
私とエリックが並び立つ。シャーリーに目配せした。
「変じゃない」
珍しくぼんやりしていた彼女が、はっとして、首を横に振る。
「まさか、すごい。今年の最終学年による最初のダンス披露は話題になるわよ。二人とも、本の挿絵から飛び出してきたみたいよ」
「褒められても、裏がありそうだな」
エリックが、嫌そうな顔で身震いする。
「なによ、褒めているんだから、その辺は素直に受けてよ。エリックはいいわ。シンシアを褒めたのよ」
シャーリーがふんと毒づく。
結局、いつもの二人に戻り、ニコラスがやり取りを納めてまとまるのだ。
しばらくすると、運営に携わっている腕章をつけた制服姿の学園生が、最終学年の私たちを呼びに来た。新入生の会場入りが終わり、他の在学生の入場も始まったらしい。
最終学年のうち、平民、地方貴族と順に制服姿の運営に勤しむ学生が誘導する。
王都に屋敷を構える貴族のみ待たされる。
窓の外はすっかり暗くなってた。月も出て、星もまたたいている。
程なく案内の学園生がやってきた。
「お待たせいたしました。これから会場に案内いたします」
私たちを含めて、最後の十数人が、案内係の学園生に導かれて、教室を出た。
先を歩くシャーリーとニコラス。その後ろを、私とエリックが並んで歩く。
婚約者同士のシャーリーとニコラスが、自然と腕を組んだ。
背後から見ていれば、彼らがとても仲がいいとよくわかる。
私はエリックをふと見上げた。エリックも私を見る。
なんとない距離がある。私たちはやはり元婚約者同士であり、互いにアレックスに対する後ろめたさを抱いているのだろう。
エリックはふいと斜め上を見上げた。
私は斜め下に視線を落とし、伸ばした手を握り合わせた。
いつもは開け放たれている食堂の扉が閉じられている。
運営担当の学園生に、私とエリックだけ、下がっているように言われた。
シャーリーが振り向く。
「最後に入場する二人以外は、順々に入るの。あなたたちの前に一度扉が閉まるだけよ」
にっこり笑って、また前を向いた。
私とエリックは少し離れた壁際に二人並ぶ。
目の前を早足で、運営の在学生が行きかっている。シャーリーとニコラスが楽しそうに談笑する後姿が見える。
会場からは音楽が漏れ、時に笑い声も聞こえた。
「会場は楽しそうだけど、裏方は大変そうね」
「色々役回りがあるからな。新入生と最終学年以外はそれなりの人数が駆り出されているんだ。俺も去年は、警備で外回りをしていた」
あらとエリックを見上げると、前を向き腕を組んでいた。
「婚約者がいて連れてこれない場合も運営にまわることがある」
ちらりと私を見る。
私がいたから、遠慮してくれたんだ。
「……そっか、ありがとう。ごめんね……、こんなことになって……」
「シンシアのせいじゃない」
「そうかしら。そう言ってくれると嬉しいけど……」
「なあ」
「なあに」
私を見つめる彼を見つめ返す。
「なぜ、爵位の譲渡が、父ではなく異母弟だったか、考えたことあるか」
ふいに聞かれたことに目を見張る。
「どうしてそんなことを聞くの」
「疑問は、持たなかったのか」
エリックの問いは何を示しているの? 私が抱いている疑いを察しているのかしら。
「……どういう意味」
「どういう意味って……」
エリックが口元を抑える。
「公爵との婚約を……ちゃんと、納得しているのか」
それは、父とアレックスの関係を意味して言っているのかしら。だとしたらエリックはどこで悟ったの?
納得しているかと問う真意は……私とアレックスの関係を理解しているか。理解した上で、婚約を受け入れたか、聞きたがっているのかしら……。
「納得とは……」
ねえ、エリック。あなたは公爵家の事情を察しているの?
「……シンシアが納得しているなら、俺はいいんだ……」
納得している?
納得していると言えば、納得しているわ。
正直、例え彼と私が異母兄弟でも、拒否する思いは薄い。
納得できないとしたら、父が私たちの関係を知ってなお、もろ手を挙げて喜んでいたことだわ。あとは、ふってわいてきた母の秘密かしら。
父の口から、お前たちは異母兄弟だと宣告されたら納得し、秘密を隠してなお、家のために、私たちの婚約を推し進めたと理解しうる。
知らないまま、人形のように飾られているのが、嫌なのよ。
嫌になってしまったのよ。
昔の私なら、そんなことを嫌なんて思わなかったでしょうに……。
どうして、今の私は、嫌なことを嫌と思えるようになったと思う。ねえ、エリック。
かけてきた腕章をつけた学園生が「こちらへ来てください」と私たちを導く。ぴたりと閉じた食堂の扉前に並んで立った。
間もなく扉が開くと学園生から声がかかった。
少し前に出たエリックが肘を曲げる。その隙間に私は手を差し入れた。
「俺と婚約破棄された時、どう思った」
「悲しかったわ」
「俺もだ」
「エリックは今の私をどう思う」
「元気で、明るくて……一緒にいると楽しいよ」
「ありがとう。私はあなたの婚約者だったころと変わったわ」
「そうだな……」
「私を変えたのはアレックスなのよ」
扉が開く。
先んじて入場している学園生全員の視線を浴びる。
輝かしい会場に私たちは一歩を踏み入れた。
そう、私を変えてくれたのは、アレックスだ。
彼こそが、今日、私をこの会場へと導いてくれたのだ。