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31、母の秘密

 母は執事と侍女によって、自室へと運ばれた。

 ベッドに寝かされて、苦悶の表情を浮かべつつも、深い呼吸を繰り返す。


 私はどうして母が倒れたのかわからないまま、寝入る母の規則的な呼吸音を確認し、廊下へ出た。執事が、「問題ありません。明日には元気になられていますよ」と言うものの、母の急な卒倒に驚いた私は未だ心の一部が呆然としたままだった。


 お気に入りのテラス席に行けば、執事が紅茶を出してくれる。母が倒れるところを私は初めて見た。


「シンシア、帰ってたのか」

 闇夜をぼんやりと眺めていたら、遅くに帰宅した父の声がし、意識が戻る。


「おかえりなさいませ、お父様」

「シンシアこそ、お帰り。アレックスと何かあったか」


 心配そうな父の顔を見て、笑ってしまう。これは息子を心配しているのでしょうか、それとも娘?

「なにもありませんわ」


「そうか」

 父は立ったまま、話し続ける。

「マーガレットが倒れて、驚いたか」


「はい」

「シンシアのせいではない。あれは馬や馬車を恐れている」

「恐れる?」

「会話だけで倒れることは普段はないが、シンシアが毎日のように馬車に乗り、乗馬もこなしたと知り、過去の記憶がよみがえったのだろう」


 母が馬車に乗れないなんて聞いたことがない。過去の記憶とは……いったい。


「お母様が馬車に乗れないなど初めて聞きました」

「隠していたからな」


「どうして……」

 子どもだから、心配をかけたくなかったの。


「シンシア、お前がこの屋敷から、年に何回か出る機会があっただろう」

「はい、例えば、祖父の葬儀や、エリックと婚約していた際の会食などですね」

 父がうなずく。


「そういう時、母だけ残るか、やむにやまれぬ場合のみ、別行動をさせた。母は眠りについてもらい介護者と共に別の馬車に乗せ、お前や他の人には見られないように配慮し移動させたのだ。

 あれは馬や馬車に極度の拒否反応を示す事情がある。

 馬車を遠目で見るだけなら可能だが、近づくとだめなのだ。乗るともなれば足がすくみ、震え、動悸や息切れで苦しむことになる」


「どうして……」

「……すまない。マーガレットの、母の意向を無視して、事情までは話せない……」


 神妙な表情で父が左右に頭をふる。今は踏み込めないのね。


「シンシア、お前を屋敷から出させなかったのではない。母がこの屋敷から出られなかったのだよ。そして、それはシンシアにもかかわることだが、シンシアが悪いことは一つもないのだ」


 アレックスは言っていた。私はもっと早く、外に出れたはずだと……。彼は、そんな背景をも理解していたの?

 母の秘密。アレックスの出生。わからないことばかり増えるわ。


「シンシア、お前はなぜ戻ってきた。もう一度きくぞ。アレックスと何かあったか」

 真剣な父の顔に、軽い焦りがにじむ。


「なにもありませんわ、お父様。私はお父様とお母様に、伺いたいことがあって、アレックスの許しを得てこちらに帰してもらいました」


「アレックスはなにか、お前に言ったか」

 

「なにも。

 ただ、私たちの婚約はまだ正式に表立って発表はしていないとは聞きました」


「そうか……、母のことも含めて、知りたいか」

「はい、知りたいと存じます。お父様」


「わかった。お前も十八になる。すべてを話してもいい頃かもしれない。しかし、マーガレットと先にきちんと話し合わせてくれ。あれも、お前に話すなら、覚悟がいるだろう。急には無理だ」


「ありがとうございます。お父様」


 父は、ふっと下をむき、「お父様か……」と呟いた。

 えっと思う間もなく父は翻る。

「今日は遅い、明日もあるだろう。早く寝なさい」

 そのまま、スタスタと薄暗い廊下へ消えていった。


 父の背を見送って、私は屋敷に残された自室へと戻り、寝床についた。


 翌朝、私は朝食を終え、湯殿で身を清めた。お昼時に軽食を済ませてから、ドレスが運ばれた部屋へ侍女と共に向かった。


 白いドレスだった。純白ではない。淡く黄みがかり、厚みがある生地には詳細な刺繍が施されている。レースなど過度な装飾は控えられ、首まわりから背中まで少し露出はあるものの、高価な生地が体にフィットし、腰くびれを強調すれば、流れるスカートはおしみなく広がる清楚なロングドレスだ。


 サイドテーブルには真珠が主体の髪飾りとイヤリングとネックレスが並ぶ。


 侍女と一緒にドレスに着替え、髪を結い、アクセサリーを身につけた。


 姿見に全身を映せば、自分ではないようなお姫様がいて、違和感とともに気恥ずかしさを感じる。


 鏡の前でくるりと回ってみた。スカートがふわりと風を絡めて浮く。立ち姿はスカートの広がりはさほど感じさせない大人しいドレスなのに、スカートを指でつまみ広げれば、思った以上に広がり、ゆれる。生地をふんだんに使っているのに、重くもない。立ち姿は清楚に、ダンスをすれば華やかになりそうね。


 扉をノックする音が響いた。向こうから声が届く。

「シンシア、入ってもいいかしら」

 母の声。


「はい。着替え終えましたから、どうぞ」

 答えると扉がゆっくりと開き、母が入ってきた。


「シンシア」

 私の姿を見て、息をのみ、そしてまた、両目を潤ませる。

「……きれいね」


「今日はダンスパーティーだから……、変じゃない?」

「すごく似合っているわ」


「ありがとう。

 今日、私、ダンス会場に最後に入場するのよ。そして、最初にダンスを披露するの。生まれて初めての晴れ舞台なのよ」


「まあ……」

 眉をひそめ、驚く母。


「心配そうにしないで、きっと大丈夫よ。初めてでも、うまくいくわ。友達がついていてくれるもの」

「友達?」

「エスコートしてくれるのはね……、エリックなの」


「エリック……」

 母が息をのむ。


「アレックスが許可してくれたのよ、変な意味はないわ。一緒にアレックスに了解を得て、合意の上での学生のイベントよ。間違いはないのよ。変な誤解はしないでね」


 母が口元に手を添えて、小さく身をかがめた。


「お母様?」

 どうしたのかしら。私は変なことを言った?

 

「なんでもないのよ」

 顔をあげた母は晴れやかな笑顔を一生懸命作ってみせる。

「昨日は驚かせてごめんなさい。午前中も休ませてもらって、心配かけたでしょう」


「……もう大丈夫なの」


「ええ、一過性のものなの。今後も似たようなことがあっても、驚かないでほしいわ。今朝方、お父様が部屋にきて話したのよ。シンシアにすべてを話してもいいかと聞かれたの。潮時だとも言われたわ」


「……聞かせてもらってもかまわないの」


「ええ。すべてはダンスパーティーが終わってから、楽しんできてね。シンシア」



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