3、婚約破棄から政略婚約への即日乗換え
「いい話だろう」
父が公爵様の肩に手を置く。彼の方が背が高く、父は私を見てから、彼を見上げる。
また、私を見つめる。
「我々も、この屋敷から出ずに住まうことができる。父が所有していた儀礼称号もそのまま継続使用し、アレックスの補佐をする。祖父を助け執務に当たっていたこれまでと同等の立場でいられるのだよ。
しかも急な婚約破棄だ。新たに婚約者を見つけるとなると、シンシアには不憫な思いをさせるやもしれない。
それを考えれば、この暮らしを約束しえる将来ある若者だ。これほど良い縁談はない」
なるほどと納得する。私が彼と一緒になることで、父母もまた安泰なのだ。むしろ、いままでどうしてこんな良いアイディアが思いつかなかったのだろうと心躍っているぐらいなのかもしれない。
「では、私が公爵様と一緒になれば、みな幸せになると、そういうことですか」
父は大きくうなずく。満面の笑みを崩さない。社交辞令や打算も介さない、本気の笑顔に見えた。
「私達の状況も変わらない。アレックスも一人で公爵の執務を行うのは不安だという。彼の補佐には、今まで父の補佐をしてきた私が適任だ。
彼の将来、私たちの安泰、どこぞの馬の骨にお前を嫁がせなくてすむ安心。
どこをどう切っても、アレックス以外の縁談は考えられないだろう」
父の鼻息荒いセリフに私の方が引いてしまう。
一つ気になることがあり口を開いた。
「あの……、私と公爵様は、一応血縁者ではないのでしょうか」
「その点も問題ないぞ、シンシア。彼は異母弟だ。血のつながりは、通常のおじとめいの関係ではない」
「では……、私が公爵様との婚約を受け入れればいいのですね」
「受け入れてくれるか」
「はい」
迷うべくもない。私も貴族の娘だ。婚約は家のためにある。
父の表情が明るくなる。
公爵様も、嬉しそうにはにかんだ。
こんな表情を見せつけられたら、これでいいのだと納得させられてしまう。
二人が向かい合い喜び合う。父は公爵様を見上げて、彼の両腕を二度三度と叩く。
「シンシアを妻に迎えるとなれば、君から見れば義理の父になる。これからは義理父さんと呼んでもらってもかまわないぞ」
「はい、義理父さん」
冗談なのか、本気なのかよく分からないポイントで二人は高らかと笑いあう。
なぜかしら。爵位問題で対立していたはずの、この二人が……すごく意気投合していません?
怒涛の展開に状況が読み切れない。
本来ならば、おめでとうなどと祝辞を受けてもおかしくないところ、男子二人にかやの外に置かれている。戸惑ってしまうわ。
ふと父が私の方に顔を向ける。その視線は私の後方へと向けられていた。
「マーガレット」
父が母の名を呼ぶ。
「この半年、色々心配をかけた」
身を正面に向け、真摯な表情をむける。
「これで、みな安泰だ。すべて飲み込み、受け入れてほしい」
私は振り向けなかった。後方から漂う気配が怖い。
公爵様も神妙な真顔になっている。
母一人憤然として、飲まざるを得ない事態に言い出せない不満を抱えているようであった。
父が、私と公爵様を部屋から出るように促した。母と話し合うのかもしれない。また、私たちのために一時間後にお茶の支度を執事に指示した。場所はテラス席だ。
追い出された私たちは、執事を見送り、廊下で向かい合う。
公爵様が頭に手をのせる。
「あの……」
言いにくそうに、言葉を選ぶ。
「……驚かれましたか……」
端正な顔立ちの男性が、眉をへの字に曲げて、気弱そうな顔を見せる。不似合いでありながら、見目良いと、不思議と愛らしく見える。
返答を待つように、少しもじもじして、頭にのせていた手で拳を握ると口元へ寄せた。
「はい。まさかこんなことになるとは思いもよりません」
なんとも言えず、私は素直に返事をしていた。目の前の男性の可愛らしさに目が離せなかった。
「色々考えていたのです。
あなたのこと、義理兄のこと。公爵家の事、事業と執務の兼業。
私自身も公爵として夫人を迎えねばなりません。
どのような相手が理想かと思案していくなかで、出した結論です」
「私たちのことまでも気にかけていただけていたのですね」
「もちろんです。父から譲り受けた爵位をもって、義理兄をないがしろにしては、それこそ非難されます。むしろ身近で父の補佐をされていた義理兄の執務力は素晴らしく……」
あっと公爵様が口をとざす。
「これを言いますと、まるで、今回の婚約を、利用したかのように聞こえますね……」
はあとため息をつき、申し訳なさそうに頭を振る。
「そういうことを言いたいわけではないのです」
困惑し、自信なさげに、憂える。
「あなたに、どう伝えればいいものか……」
その様を、私がじっと見つめていることに公爵様は気づく。
「どうかしましたか」
「いえ……、私はもっと立派な方と思っておりましたので……」
「立派とは……」
「毅然と、立ち回る姿しか見ておりませんもので……」
素顔がこんなに可愛らしいとは思いませんでしたとまでは、男性相手に、失礼かと思い、控えた。
こほんと公爵様は咳ばらいをする。
「素では、わりと、気弱なんですよ」
苦笑した顔がまた愛らしい。
黙っていればすらっとした端正な男性で、遠目から見れば毅然とした立派さを備えながら、素に還れば愛らしいとは、なんと不思議な人だろう。
エリックのような男性的なタイプとは一味違う。
「公爵様が、父を尊敬し頼られたいというご意志は理解できましてよ」
公爵様はほっと胸をなでおろす。
「うまく言えず申し訳ない」
私は頭を振る。
「いいえ。私たちのことまで気にかけてくださっていたこと、うれしく思います」
彼を見つめて、心から笑む。
思っていたより、ずっと優しい人だ。
再び、公爵様は咳ばらいをする。
「改めまして、アレックス・ベッキンセイルと申します」
「存じております。私はシンシア。シンシア・ベッキンセイルです」
本当はとても近しい関係のはずなのに、こんな廊下で改めて挨拶から始めている間抜けさに口元がほころぶ。つられるように公爵様も笑う。
もっと堅苦しい方だとばかり思っていた。祖父の世話、事業、相続、父との交渉など、公の姿しか見ていなかった。
こんな気安い一面を持っていることが意外であり、これから添い遂げることを思うと、高圧的な方でなくて良かったと安堵した。
自然と笑みがこぼれる。
「公爵様、お茶の用意には小一時間ほどございます。天気も良く、庭のバラもきれいです。もしよろしければご覧になりませんか」
「いいですね。
あと、私のことは、アレックスとお呼びください」
「よろしいのですか」
「私もまだ、爵位を譲り受けたばかりで、公爵と呼ばれるのは慣れておりませんし、将来を考えますと、私もあなたのことをシンシアと呼びたいのです」