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28、寝室の鍵を渡されて……

 アレックスと私の関係は変化ない。学園のあれやこれやを話せば、満足そうに聞いてくれる。ニコラスが評したように保護者という表現がしっくりくる。


 夜、寝室にこもれば、隠したスケッチブックを開く。最初に見つけた時のようなショックは薄れていた。


 父も母も何も言わずに私を送り出した。母は難色を示すも、父は喜んでいた。今後はアレックスを頼れとまで別れ際に言っていた。


 絵がなければ、幼い頃遊んでもらった男性とアレックスが同一人物だと気づかなかっただろう。気づかなければ、疑問に思うこともなかった。


 皆が過去を水に流しているのなら、あえて蒸し返す必要はない。私も同じように触れない方が無難ではないだろうか。学園での生活は良好。アレックスとの関係も安定しているし、いつでも両親とも会うことを許されている。現状を自分から壊す真似はしたくない。

 

 ベッドにごろんと転がって、日々の満足感を全身で受け止める。現状が最良と思うなら、知らないふりをすることが最善ではないかしら。


 貴族の家だ。過去を掘り返せば、何が出てきてもおかしくない。平穏に過ぎる日常を受け入れるなら、振り返らないこともまた、きっと正しい。


 私がかかわるとも思えない不確かな過去より、今が楽しくてならない。


 ダンスパーティーが間近に迫る。

 ドレスの仮縫いが終わり、店主と針子が再び来て合わせてくれた。


 ドレスのデッサン画を受け取り、学園でエリックに見せる。彼が選ぶ正装と私のドレスのバランスを考えて、以前に仕立てた数着から選ぶと言う。


 公爵に直々に頼まれたと言えば、断れないようであり、子どものイベントだからと目をつむってくれるという話だった。父親にそんな口約束を勝手にしてきて! と、怒られたと眉間にしわを寄せた難しい顔をして言われた。


 ごめんね、と口では言っても、エリックの困った顔を見るのは少し楽しい。無表情だと整い過ぎて怖さを感じさせる美丈夫も、崩れるととたんに愛嬌たっぷりのマスコットのような雰囲気に変わる。

 ニコラスがしっかりして、淡々飄々とこなす性格ゆえに、余計に目立ち、からかいたくなる。


 ドレスも仕上がった。後は今週末のダンスパーティーを待つばかりとなる。今週から準備が始まり、学園内が浮足立ち始めた。


 シャーリーとニコラスに、エリックを交えて、戯れる学園生活は楽しい。アレックスが望むように、私は十分に楽しんでいる。


 アレックスと私は、手をつなぎ、時折軽いキスをする程度の関係だ。それはまるで幼子が手を引かれ、おやすみのキスを受けるようなものだった。


 そんな楽しい日常に流されていた私は、あろうことか、アレックスと婚約していることを失念しかけていた。笑ってほしいの、婚約し結婚したら、当たり前の営みのことさえ思いつかないほど、子どもだったということを……。

 このまま、つつがなくダンスパーティーをむかえていたなら私はなんの疑問も持たなかったでしょうに……。

 

 週末のダンスパーティーを明後日に控えた夜。

 私の寝室に備えられたもう一つの扉が初めて開いた。


 この二か月開かなかった扉のことなど私は忘れかけており、記憶から消された扉が開くことは、けっしてないと根拠なく思い込んでいた。


 かちゃりと鍵音がどこからともなく響いた瞬間、私は目をかっと開いて、周囲を見渡した。


「シンシア」

 アレックスの声がする。

「扉を開きますよ」


 私は全身から汗が吹き出しそうになる。枕下に隠しているスケッチブックを抜き取り、ベッドの下へ滑り込ませた。


「アレックス……、どこから話されているんですか」

 わからないふりをして、震える声で答えていた。


 決して開くことがないと安心しきっていた扉が開く。


「シンシア、お邪魔しますね」

 いつもの柔らかい笑顔で、アレックスが寝所に入ってきた。

「驚かないで、シンシア。今日は、何もしませんよ」


 今日は……。

 今日は何もしない……。


 私はベッドの上に座り込んだまま、動けなくなる。逃げるのもおかしい。なぜなら、彼は婚約者だ。二か月もの間、一緒に暮らしていて、あの扉が使われる気配もなかったことが、本当はおかしかったのかもしれない。


「そばに寄っても許してくれますか」


 許すもなにもない。拒否する方がおかしいでしょうに……。


 婚約者であり、私が世間知らずでなければ、彼の年齢を考えれば、私は学園生というワンクッションを置かないで、公爵夫人になっていてもおかしくなかったのである。


 今まで彼の意向で、ただ学園生活を楽しんできた。普通ならそんな悠長に構えることなく、あの扉は私がここで暮らし始めた初日にでも開いておかしくはなかったはずなのだ。


 アレックスは扉の前に立ち、許しを待っている。

 私はベッドの上に座り込み、手のひらをかえして、どうぞと隣りを示した。


 彼はゆっくりと近づき、ベッドに座った。

「驚きましたか?」

 前を向いたまま、つぶやく。


「はい」

 身がすくむ。体が震えそうになり、片手で腕をつかんだ。


 アレックスが体をひねり、私の方へ正面を向けた。ベッドに片足をあげ、膝をおり、座りなおす。

「本当に、今日は何もしませんから……」

 申し訳なさそうに彼が笑む。


 そんな顔をさせている私の方が婚約者失格ではないの。私が婚約者なら、いずれは……。

「いえ」

 彼の視線を受け止めきれずに、下を向いてしまう。

 

「恐れないで、怖がらせたいわけじゃないんだ。予告なく、扉を開けてしまったことは謝るから……」

「いいえ。アレックスが謝ることなんて、なにもないわ」


 アレックスは十分に私を大事にしてくれている。応じられない私の問題は彼のせいじゃない。私の自覚が足りなかったのだ。


「今日は、これを渡しに来ただけです」

 

 落とした視線の先に彼の手の甲が現れ、すっと引かれた。

 残されていたのは、小さな鍵だった。


「この寝室と私の寝室をつなぐ扉の鍵です。あの扉は、シンシアの部屋から鍵をかけられます。そして、私の寝室からはこの鍵を使ってあけれる仕様となっています」


「この鍵を手放したら……」

「私から、この寝室には入れませんね」


 いいの。それで本当にいいの。

 私は婚約者で、いずれはこの人と結婚すると思っていた。

 

 言葉だけは理解していた。

 言葉しか分かっていなかった。

 その重みを考えたこともなかったのね。


「本当に何もしませんから、安心してください」

 そう言うなり、立ち上がる。

「私はこれで、自分の寝室に戻ります。私が戻ったら、鍵をかけてください。そうして、あなたがあの扉をあけていいと思ったら、この鍵を使って、私の寝室に来てください」


 私は見上げて、立ち上がったアレックスを見つめる。


「泣きそうな顔なんてしないでください。私はあなたが望まないことはしませんから……」

 そのまま振り向きもせずに、彼は元来た扉から自身の寝室へと戻っていった。


 残された私は自覚する。

 私が、彼の手の内で、転がって遊んで、楽しんでいるだけの子どもだったのだ……と……。


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