27、元婚約者と学園周囲をぶらりと散策②
雑貨店を出て、近くの喫茶店へと入店する。シンプルな店内に、学生服を着た数グループが点在するのものの、ほとんどは一般客だった。私が紅茶で、エリックが珈琲を頼む。運ばれた飲み物で喉を潤しながら、シャーリーがくれた地図を広げる。
「こんなに店を記されても、全部行けないわね。彼女の情報網に脱帽するわ」
「シャーリーだからな」
「名前だけですべて納得される存在感ってすごいわね」
「まったくだ」
どうしよう。私はエリックと一緒にいることがとても楽しいわ。この人と、一年間、一緒に学園生活を過ごせる。シャーリーのような博識で情報通の女の子とも一緒に過ごせる。バランス感覚の優れたニコラス。
この三人のなかにするっと入ることができた。エリックとの因縁と、アレックスの課題がもたらした恩恵でしょうか。
『楽しんでください』
急に、アレックスの言葉が蘇ってくる。
珈琲のカップに口をつけるエリックをじっと見つめた。
なにとばかりに視線が合う。恐れることなく、私も見つめ返し、少し身を乗り出した。
「ねえ、ダンスパーティーのエスコートを頼んだら、絶対に受けてくれる?」
エリックが目を見開くと同時に咽た。
「なっ……」
「言ったわよね。シャーリーの屋敷で、アレックスが良いと言ったら、受けてもいいと……」
「……言った……」
「言質はとったわ。アレックスは私のお願いに絶対にダメとは言わないの。だから、エリック。あなたも逃げないでね」
すごむように言った。
エリックが身を反り、口をへの字に曲げる。
「……わかった。シャーリーもニコラスも、聞いている。俺も、逃げない……」
「アレックスに正式にお願いするわね」
笑顔でこたえると、エリックがため息をついた。
「お前、どこで、そんな駆け引き覚えたんだ」
どこだろ? と首をかしぐ。
「アレックスと一緒にいたら自然と身についたのかしら」
そうとしか、考えられない。
変わったのは私だ。違和感を感じる。今までの自分と違う。
今までの私なら、そんな主張はしなかった。流されるまま、与えられるまま、受け取ることが最善で当たり前だと思っていた。
エリックを見つめて、私は得意げに笑顔を向ける。
困ったなとそっぽを向く彼が面白い。堅物なんだ、エリックは。シャーリーが彼をからかいたくなる気持ちが少しわかる。
そう言えば、シャーリーみたいに、今、私のこと、おまえと言ったわね。
いつの間にか、エリックと私の距離が近くなっていた。
親近感がわく。
親近感ね……。
ソーサーを手にして、姿勢よく紅茶がそそがれたティーカップに口をつけ、斜め上に視線を流す。
とらえ方がわからないわ。
エリックといると、楽しい。親しみがわく。笑いあえば、共感が生まれ、ホッとする。
ドキドキする?
どうかしら……。
わからないわ。アレックスは?
幼い頃、たぶん、私は彼が好きだった。
その気持ちを重ねるように、エリックに想いをはせた。
今は、当時アレックスに抱いた気持ちと、エリックに抱いた気持ちは少し違う気がする。
私は、私の気持ちが、よくわからない。
私はだれを好きなんだろう……。
誰が好きであろうと、婚約と結婚は別物だ。私がアレックスへと嫁ぐことにはきっと変化はない。父母のこともある。
じゃあもし、私が、エリックを好きだとしたら……。
そしたら、この一年、かけがえのない時間になるのかしら。ダンスパーティーのエスコートを頼むのはどうして?
アレックスが示す。『楽しんで』というメッセージの体現になるの。
ただ、私が、エリックを好きだという、現れなの。
飲み終えた私たちは店を出た。日が暮れかけており、学園の時計はいい時間を示していた。
「戻るか」
エリックの言葉に頷き、談笑しながら学園の門をくぐった。
門をくぐると、横に馬車を待たせる場所があり、何台か馬車が待っている。
ふとエリックの顔が強張った。
見上げていた私がキョトンとして、彼の視線の先を見つめる。
馬車のそばに、本を片手にアレックスが立っていた。
私はすでに彼の了解は得ている。緊張することなんてない。ただ、この場で名前を叫ぶことははばかられる。
「大丈夫よ。挨拶しましょ、エリック」
彼の腕をつかんで、私は走り出した。
駆け寄ってくる私たちに気づき、アレックスも手にしていた本をとじる。
名を呼んでも周囲に聞こえない距離まできて、立ち止まる。エリックが転びそうになりながら、踏みとどまった。
「アレックス。今日、とても楽しかったの」
アレックスがにっこりと笑う。良かったねという表情だ。
「お願いがあるの。今度のダンスパーティーのエスコートは、エリックに頼みたいの。許可してもらえないかしら」
単刀直入に申し出る私に、アレックスが目を丸くし、横に立つエリックがぎょっとする。
「はい、あなたが望むままに」
表情を整えた婚約者は予想通り肯定する。
私の心がぱっと華やぐ。
「ありがとう、アレックス」
横を向くと、ぎょっとしたままのエリックが硬直していた。
「よろしくお願いします。エリック」
「私からも、どうぞよろしくお願いしますね」
アレックスが柔らかい笑顔をエリックに向けた。
エリック一人、神妙な顔をして、しっかりとした立ち姿をアレックスに向け、最敬礼を示した。
「謹んで、お役目承ります」
エリックに見送られ、私はアレックスとともに馬車へと乗り込んだ。
アレックスと隣りあって座る。
「楽しかったですか」
「はい」
アレックスの問いに、私は全力で肯定する。
「楽しいです。シャーリーも、ニコラスも、もちろんエリックも良い友達です。シャーリーは今日のために、エリックに学園周辺地図を渡してくれて、いろんな店があることを教えてくれました。
今日は時間がなくて、すべてをまわることができませんでした。また時間ある時に、お友達と一緒にまわってみたいと思います」
まくし立てる私相手でも、アレックスの笑顔は崩れない。
私はそんな彼にずいっと迫る。
「ねえ、アレックス。
公爵家所縁のご令嬢なら、編入試験も減免されているそうですね」
婚約者が珍しく、斜め上を見上げた。やはり知っててやっていたのね。
「私にあれほど、勉強を強いる必要はなかったのではなくて。ねえ、アレックス」
迫る私に、アレックスが手のひらを向けて、どうどうと諫める。優し気な笑顔が崩れ、困った顔になっている。これは誤魔化し笑いかしら。
「私のこと騙したんですね」