25、婚約者との関係に迷う
部屋を訪ねてきたアレックスは、午前中の遺品整理が早めに終わったからと、私を乗馬に誘いにきた。彼の申し出をうけ、時間の約束をし着替えて、廊下で合流し、一緒に馬小屋に行く。
いつも通り、彼は親切だ。困っていたら、丁寧に教えてくれる。わからないことを聞けば、喜んで説明してくれる。
お昼ご飯を前に、馬と戯れてにじんだ汗を湯殿で流す。着替えて、食堂で昼食をとる。馬を扱うには体力がいる。アレックスに、仕立て屋が来るまで休ませてほしいとお願いし部屋にこもった。
体が疲れていると、悪いことを考えないですむ。ぼうっとのんびりできた。
部屋のノック音が響けば、廊下に侍女が立っており、仕立て屋がきたと言う。私は、アレックスと仕立て屋が待つ接客用の応接室へと向かった。
そこには店主と針子とアレックスがいた。
挨拶を交わした店主の接客は丁寧だった。針子は妻であり、二人で独立開業したばかりだという。女性は地味で、口下手だった。田舎から出てきて、なまっていることを気にしているのだと夫の店主がフォローしていた。
店主がいくつかのデザイン画を持参していた。店主がデザインをし、妻が仕立てるそうだ。
デザインの中から候補をあげ、針子の女性に採寸してもらう。終わった後、女性が男性に何かを耳打ちする。男性は二度三度とうなずいた。
いくつか選んだデザイン画の中で、男性はこれがおすすめですと、話し出す。体つきから、肌や瞳、髪色も踏まえて、布地も見繕ってくれた。
店主は持ち込んだ布地から色あいや質感も含めて、アレックスとテンポよく会話がすすめられる。もちろん、私の意向も確認してくれた。
時折、店主は横を向き、針子の女性と話す。糸はこれ、生地はこれと、彼女が候補を示し、その根拠を店主がかいつまんで私に説明してくれた。
店主と針子が息がぴたりとあう仕事ぶりに目を見張った。
相互に助け合う姿。これこそが夫婦というものなのでしょうか?
夫婦とはこんなにもコミュニケーションが対等になされるものなの。
私が記憶する限り、母の母としての顔ばかりを見てきた。父と母には少し溝があり、喧嘩している様子を見せたかと思うと、なぜか再び談笑しており、心配するだけ損をするということは学んでいた。結局、それなりに二人は仲がいいと言えた。
私とアレックスはどうなるのだろう。
スケッチブックの秘密もある。私は互いの関係性や距離感をつかみきれない。それこそ、これから培っていくものと言われればその通りとも思う。
素材をえらび、デザイン画を元に私用にアレンジされたドレスの概要が決まった。店主の意見をたてつつ、私の希望も盛り込まれたドレスを注文でき、うれしかった。
母から何もかも与えられてきた今までと違い、自分で選び、自分で決める。そして、こちらの方がどんどんと馴染んでくる。母と私の培ってきた時間が、がらがらと壊れていく。
私は、アレックスとの関係も、自分で決めていかなくてはいけないのでしょうか?
針子と店主は深々と礼をして退出した。
二人を見送って、私たちはソファーに並んで座りなおす。
「有名店から独立したばかりの夫婦で、まだ駆け出しの小さな店なんだ。でもね、腕の良い針子の女性だよ。店主も元は有名店のデザイナーだ。きっと良いドレスができるよ」
「ありがとうございます。いつも色々、準備してくれて……」
アレックスはふふっと嬉しそうに笑った。
「どういたしまして」
彼は最近、以前のように、愛らしく照れることはなくなっていた。
アレックスと私の関係はもやもやする。
両親が何も言わず、アレックスも何も言わない。私は、このまま気づかないふりをしているのが一番いいのだろうか。
アレックスが幼い頃に本を読んでもらった男性と同一人物だとしても、それを彼が言い出さないなら、そのままにしているほうがいいの?
なにも訊かないで、アレックスを夫としてうけいれられる?
優しくて、良い人で、親切で、私を導いてくれる。知らない扉の前に立つ私に背後から、あけてごらんとささやく人だ。
今までは、私が幼くて何も知らないから、導いてくれているのだと思っていた。
でも、あのスケッチブックを見たら……、まるで私の兄のように、寛容で頼れる人ともとれる。
アレックスと結婚するの? 婚約はしたわ。婚約を破棄する以上に、結婚してしまったら、もう、引き返せない。
父は喜んでいた。過保護な母は泣いていた。二人の生活はアレックスがいて、安定する。
父はアレックスのことを知っていたの。知らないまま、本当に義理弟だと思っているのかしら。
わからない。考えても、何もわからない。
口に出して問うことはもっと怖い。
「どうしました」
アレックスが心配そうにのぞき込んできた。
「なにか不安なことでもありますか」
きれいな顔が近くて、私はどきっとして、目をそらした。スケッチブックの後ろめたさもある。
横で、執事がお茶の準備をしていた。
「えっ……と」
心配事、そう心配事。
「あの……、私は、エリックと親しくしていてもよいのでしょうか」
心配事はなにかないかと思い描いて、口からもれたのは、もう一つの不安の種だった。
「あなたが親しくされたい友達なら問題はないですよ」
「じゃあ。今度、学園近くの店を一緒に行こうと誘われています。遊びに行ってもかまわないのでしょうか。あの……、彼とはもちろん、友達です。
友達ではありますけど、元婚約者でもあります。
そして、あなたは婚約者です。私は、アレックスに誤解されたくはないです」
「誤解しませんよ。今は、あなたがしたいこと、楽しいことを優先してください。彼との時間があなたの学園生活で必要なら、私のことは気にしないで、楽しんでください」
やっぱり、私は、アレックスがよく分からない。
翌日、私は、シャーリーに突然帰ってしまったことを謝罪し、エリックには、昨日約束した学園周囲にある店に連れて行ってほしいとお願いした。
当然、三人は目を丸くする。
「アレックスが楽しんできてと言うの。だから、私は楽しんでくることにしたわ」
私の宣言に、ニコラスは眉を曲げて苦笑し、シャーリーはポカンとし、エリックに至っては無表情になった。
「……エリック。これは断れないわね」
シャーリーがにやにやと笑う。どうやら、面白くてならないようね。
「私が周辺のおすすめの店マップ作ってあげるわ」
「これは公爵が、自身でできないことをお願いしているともとれるね……」
ニコラスのつっこみの方がきついようだ。
「やめてくれ」
エリックはあからさまに嫌な顔をした。
それでも、私はなんとか彼と明後日の夕方という、約束を取り付けることができた。
約束を取り付けるって……、私、少し、アレックスに似てきたかしら?