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21、元婚約者と婚約者が邂逅す

 エリックが馬具の取り付けを終え、私に乗るかと問うたので頷いた。


「近づいてもいいの」

「どうぞ」

 高鳴る気持ちと恐れと不安をぎゅっと混ぜ合わせて、馬具に手を伸ばす。触れてから、どうやって座ればいいかわからない私に気づく。


 背後にエリックが立つ気配を感じ、上を向く。彼の端正な顔があり、少ししゃがんだかと思うと、脇に腕が滑り込んできた。


「もちあげるぞ」

 髪に彼のささやきが降りかかる。ひゃあと心の中で叫ぶ。跳ねた心音に驚いた。


 抱え持ち上げられ、馬上にのせられる。慌てて馬具をつかんで、お尻を座面につけ、横座りする。

「そのまま馬具をつかんで、前を向き、背筋を伸ばせ」

 私はあわあわしながらも、彼の言われた通りにした。エリックの手が離れ、彼は手綱を握った。


 馬の前にエリックが立つ。馬が数歩進む。揺られる振動が思いのほか大きく、つかまっていないと跳ね飛ばされそうだった。

 目線が高く、視界が広い。遠くから駆け抜けてきた風が過ぎさっていく。髪がなびけば、うれしくなる。


 エリックの後頭部が見えた。

 気づいた彼がふと視線をあげて、笑む。私もはにかむ。新しい扉が開く。知らないことを知る。流れる風のように気持ちよく、心地良い。


 馬を上手に誘導するエリックが、くるりと大回りをし引き返す。名残惜しい時間が終わる。お尻も痛いので、丁度いいかもしれない。彼が馬をゆっくりと止める。


「今度は、乗馬用の衣装を用意したらいい」

 エリックの手を借りておろしてもらった。


「乗馬用の衣装?」

「スカートだと馬を操れないだろ。さっき、着替えてきたシャーリーのような服装だよ」

「ああ、なるほど」


 乗馬をしたくなったと屋敷に戻ったシャーリーは、急いでパンツ姿になって戻ってきた。今はニコラスと二人、馬で遠くをかけている。


 エリックが馬の手綱を持ち、歩き出す。引かれて歩く馬と、彼の横について歩く私がいる。


「ああいう恰好も準備しないといけないのね」

「編入も色々大変だな。みんなできるところや、当たり前だと思っていることも知らないんだから」

「そうね。昔の私は、知らないことも知らなかったのよ。今は、知らないことがいっぱいあるけど、気づいていなかった頃の自分よりはましな気がするわ」


 アレックスの計らいの意図をひしひしと痛感する。

 エリックの婚約者だったころの私と、アレックスの婚約者になった私は別人のように違う。 

 

「前向きだな」

「とても楽しいものよ。知らないことを知ることも、新しい扉を開くことも……」

 そう言って笑いかけた私に、エリックも笑顔をくれた。


 馬小屋までくると、せっせと仕事をしている厩番にエリックは馬を返した。

 シャーリーとニコラスは馬で駆けていき、まだ戻ってこない。

 必然的に、私とエリックは二人きりで待つことになる。


「日も高いし、木陰に入ろう」

 エリックの提案に、歩き始める


「なあ、シンシア」

「なあに」

「お前さあ……」

 エリックがなにかを言いかけた時だった。


「大変です。公爵様がいらっしゃいました」

 そう叫びながら、走ってくる侍女が現れた。


「えっ」

「なんだって」


 私とエリックは同時に息をのんだ。


 シャーリーもいない、ニコラスもいない。私とエリックは二人顔を合わせる。


「……ベッキンセイル公をお待たせするわけにはいかない」

「……そう、よね」


 エリックが冷静に答えている。表情にも一切の迷いが見受けられない。すごい。騎士団に所属し、もう大人の世界に片足をいれているからだろうか。


 それに比べ、私は逃げ出したくてならない。

 元婚約者と仲良くしているところなんて、見られたくない。そもそも、大事なことを黙ってきている私が悪いのだけど……。身から出た錆とはこういうことを言うのね。


「……私、一人で行くわ。エリックは、シャーリーとニコラスを待っていてくれれば、大丈夫よ」


「招いた友人が出向かないでいてはシャーリーの顔が立たない。彼女のためにも俺が事情を説明する」

「でも……」


「シンシア。俺もバカじゃない、ベッキンセイル公は尚更だ。俺にしてみたら、この機会に公爵と顔つなぎができ、喜ぶべきところだ。俺はまだ公と面と向かって挨拶したことがない」


 真顔になるとエリックが何を考えているかわからない。男性だからか、大人の世界を見据えてのことか、私にはうかがい知れない。


 アレックスが怒る想像もできない。エリックが目上の人と会うチャンスと踏んでいるのなら、むかえるアレックスはそれ以上に大人として対応するに違いない。


 この二人の邂逅に立ち会う私こそ、かやの外ではないか。


「シンシア。俺と会うことを隠してたんだろ」

 頭から叩きつけられたセリフが痛い。

「逃げるな、シンシア。ここで逃げた方が、よほど誤解される。俺は後ろめたいことなんて何もしていないから、堂々とベッキンセイル公と挨拶できるぞ」


 エリックは正しい。彼の方が、ずっと肚が据わっている。なんてすごい人だろう。私は情けなくも唇をかんで、震えている。


「……分かった……。アレックスは突然語気を荒げたり、怒ったりはしない人だから……、たぶん、大丈夫」

 苦しみながら、やっとの思いでつぶやく。


「シンシアは帰ってもいい。事情は俺が話しておく。公自ら婚約者を迎えに来たと言えば、二人はなにも言わない」

「はい……」


 迎えに来た侍女に案内され、私たちはアレックスが待っているというテラス席へと向かった。


 屋敷に入ると、エリックが手を差し出してきた。

 どうするのと見上げると、手をもう少し前に出す。


 これは手を乗せなさい。と、いう意味でしょうか。

 

 まごつく私がいる。


「ベッキンセイル公がお待ちです」

 エリックの表情がかたい。毅然とした姿は、騎士団に所属しているという彼らしい所作であり、しっかりとした教育を受けてきた一面を物語る。

 

 私は震える手を、エリックの手にのせた。

 奇しくも、元婚約者の手から、婚約者の元へとエスコートされるなんて!

 ああぁぁと、苦し紛れの嘆息を内心吐いていた。


 そして、気づく。触れたエリックの手も、震えていると……。


 恥ずかしいとか、ちゃんと事前に言っておけばよかったとか、そんな自分本位な思いばかり巡らせていたけど、この場面で、一番苦しいのは、エリックかもしれない。


 婚約とは家同士ものだと私は受け入れた。アレックスが優しくて紳士的で安心できる人だから良かったと思った。


 私と同じように、エリックもまた淡々と受け入れていたとは言えない。


 私の手を取って、元婚約者である自分が、今の婚約者の元へ運ぶ。

 そんな立ち位置にいる本心を、誰にも気づかれないように押し殺しているとしたら、私以上に逃げ出したいのは彼なのかもしれない。


 逃げずに立ち向かう。そこには、いい知れないエリックのプライドがあるのかもしれない。


 テラス席が見えた。私たちを見つけたアレックスが優雅に立ち上がった。


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