19、元婚約者の一口は大きすぎた
薄い生地とクリームが層のように丸く巻かれた縦長のケーキのようなお菓子を受け取ってしまった。
「一緒に食べましょう」
シャーリーが朗らかに笑う。ニコラスが彼女のために椅子を引く、当たり前のようにシャーリーが座った。
執事がやってきて、紅茶と珈琲を用意する。
「珈琲はそのままが好きだけど、一緒に食べるお菓子は甘いと嬉しいのよ」
シャーリーが満足そうに笑む。となりに座るニコラスが苦笑する。
彼は彼なりに、彼女のことが好きなんだな。お願いをきいて、快く女の子ばかりの店に入ってしまえるぐらいに……。
片や私は、両手でお菓子を抱えてまごまごと困ってしまう。
ニコラスに習ってか、エリックが椅子を引いてくれた。
「まずは座るといい」
「あっ……、ありがとう」
その椅子に座ると、少し押して、テーブルとの距離を調整してくれる。
「……これ、どうやって食べるの?」
両手でもったままでは、スプーンもフォークも扱えない。
「このまま食べるのよ」
シャーリーがお菓子を巻いている紙を少しつまんで開く。むき出しになった薄生地にかぶりついた。
手に持ってそのまま食べる姿に私は目が点になる。どうしましょう。そんな風に食べたことない。母が見たら卒倒しそうな食べ方ね。
すると横からすっとスプーンが差し出された。
「まず中のクリームと果物でもすくってたべてみたら」
エリックがくれたスプーンを受け取る。
「ありがとう」
じっと見つめてしまう。なにとばかりに目配せされ、答えようもなくて、
お菓子に視線を戻す。
受け取ったスプーンをさしてみると、クリームのなかに砂糖漬けの果物がゴロゴロと転がっていた。柔らかく持っていたから気づきにくいけど、中には多種類の果物がふんだんにちりばめられているようだった。
甘さと酸味が美味しい。口元がほころぶ。
シャーリーは商家の娘からきいたという。勉強もできて、学園内にも精通して、人脈もある。ほんの十数年でもこんな風に一人一人生き方は違うものなのね。
大きなケーキを片手で支えて、ちまちまとクリームと果物を食べる。意を決して、少し紙をむく。くしゃりとクリームでしっとりとした生地がたれてくる。
シャーリーと同じように食んだ。
食べあとがつく。食んだ生地も甘い。クリームにしみ込んだ果物の酸味がほど良いアクセントになる。
意外と、こうやって食べた方が楽かも。二口、三口と食んでいく。
「食べる?」
シャーリーが隣に座るニコラスにささやく。ニコラスは答えないうちに、彼女は手にしていたお菓子を差し出した。そのお菓子を、ニコラスが当たり前のように食べる。
うわあ。食べちゃうんだ。私の食べかけなんて、アレックスは食べるだろうか。
うーんと考えた結論は、食べてくれそう……ね。
ニコラスが食べているのに、一緒に買いに行っていたエリックが味見もできないのはどうなんだろう。
あまり、甘いものは好みではないかしら。
おずおずと見上げると、目があった。
「……一口食べる」
つい言ってしまう。
「いいの」
普通に返された。
これじゃあ、私から言い出しておいて、ダメなんて言いにくい。
「どうぞ」
ゆっくりとエリックにお菓子をむけると、彼の顔が近づいてきて、私の持っていたお菓子を食べた。
彼の口がお菓子から離れる。もぐもぐと咀嚼しながら、口についたクリームを親指でぬぐいとり、舐める。
食べながら、斜めに傾いたエリックの視線と合う。
「甘酸っぱいな」
咀嚼するエリックから目をはなせないまま、胸に引き寄せたお菓子を見下ろして、私はショックを受ける。
ぽっかりと食べられたあとがのこっていた。
「……おっきすぎぃ……」
噛み痕が半円を作っている。相当量食べられており、悲しくなってしまった。
「あらあら」
「エリックは、慣れてないね」
シャーリーとニコラスが並んで苦笑する。
「えっ……食べていいっていうからさ」
急に分が悪くなり、エリックが慌てる。
「女の子の一口の小ささを知らなすぎるのよ。あんぽんたん」
シャーリーの一言に、エリックがぶすっとする。
「……ったく。悪いな、シンシア」
「いいえ。私も、男の子の一口を甘く見ていました」
事前にそんなに食べないでと言わないといけないのかしら……。
「食べたかったら、今度連れて行ってやるよ」
「いいの?」
「学園終わってから、馬車の迎えが来る前に行けばいい。学園から近いんだ」
「じゃあ、行ってみたいわ」
「行ってらっしゃい」
「そうそう、学園の外も色んな店があって楽しいよ」
私は目を丸くする。てっきり、シャーリーとニコラスも一緒に来てくれるものだと思っていた。エリックと今さら二人で出かけるなどあっていいものだろうか。
エリックがふっとため息をつく。
「別に、口約束だ。嫌なら、やめてもいい」
嫌ではない。嫌ではないのだ。
「大丈夫。嫌じゃない。だって私とエリックは……友達でしょ」
そうだ、友達とちょっと街へ行くぐらい。物見遊山で案内してもらうぐらい、アレックスに後ろめたいことなんてない。
エリックが目を見開き、斜め下に視線を落とす。
「そうだな、友達だよ」
口元が少し笑っていた。
「ねえ、シンシア。友達なら、学園のダンスパーティーのエスコートはエリックに頼んだら」
「おい」
「えっ」
シャーリーの一言に、私とエリックが同時に反応してしまう。声が重なり、互いに顔を見合わせてしまった。
「公爵様がいいと言えばいいのよね。聞いてみたら、あの方が来るよりは、平穏だと思うわ」
「まてよ。俺とシンシアは……、元の関係が、あるだろ」
「そうだけど。他にいないなら、ケースバイケースで選択肢として確保して置いたら?」
「エリックも困るわよ。もしかしたら、これからすぐにでも婚約者が決まるかもしれないじゃない」
「いや、それは……」
「ないとも言い切れないはずよ、エリック」
シャーリーが片手をひらひらと仰ぐ。
「ただのアイディアよ。むきにならないでよ」
「からかい半分、本気半分。そんなところだね、シャーリー」
「そうよ、ニコラス。面白いじゃない」
「シャーリー、面白いだけじゃ困るわ。洒落にならないのよ。ねえ、エリック」
横をむくと、真顔の彼がいて、たじろいでしまう。
「……、誰もいなくて、公爵も了承するなら、俺は受けてもいい」
かたく低い声で、つぶやいた言葉に、私は耳を疑った。