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17、元婚約者の憂鬱③

「もうやめようねシャーリー。時間も経っている。

 エリックだって脅かすのは不本意だろう。シンシアが怯えている」


 ニコラスがシャーリーと俺をたしなめる。

 彼女たちに、飲み物を選ばせると、彼はシャーリーの隣に座った。


 俺は、必然的に手にしていたカップをシンシアの前に置き、彼女の隣に座らなくてはいけない状況になってしまった。


 あきらめよう。これ以上、彼女を怯えさたくはない。元婚約者なんて、今の彼女からすれば疫病神かもしれない。嫌がるようなら、これから関わらなければいい。

 ただの同じ学園に通う同級生。そんな立ち位置なら、隣にいても不自然ではないかもしれない。彼女も許してくれるかもしれない。


 俺はシンシアの前にカップをおく。

「ありがとう」

 シンシアは呟き、顔をあげた。俺の表情をじっと見つめる。


 怒っているわけではないものの、笑いかけることもできない。悲しい、苦しい、悩ましい。そんなぐしゃぐしゃとした泥のような感情が心底に巣くっていて、彼女を安心させる笑みなど浮かべようもなかった。


 無視するわけにもいかない。見上げる彼女をチラ見して、「どうも」と言った。

 隣に並べるように、自分の分のカップも置いた。椅子を引き、座る。


 最後に会った彼女が住まう屋敷のテラス席より近い距離にいる。

 隣にいるのに、気持ちはあの時よりずっと遠い……。


 俺は前を向いたまま、くすぶる胸の内を抑え込む。あのテラス席で見た、押し花を慈しむように触れた彼女の指先は、もう俺のものにはならないのだ。


「……私やうちの騒動を怒っていたわけではないのね……」


 震える彼女の声音。俺も苦しいが、彼女も苦しんでいるのか……。


「……違う」

「……良かった。本当に、良かった……」


 やっと俺は横に座る彼女を見ることができた。見上げているシンシアの目に涙がにじむ。目を見開いてしまった。


 彼女もまた互いの境遇を憂いていたのだろうか。


「誤解させて、悪かった」

 首に手を乗せた。泣かせてしまったと後悔し、視線を外す。

「色々あっても、うまくいってるのか……」


「はい。私はうまくいってます」

「そうか……良かった」


 やっと、本心からそう思えた。俺の気持ちがどうあれ、彼女が幸せなら……それもまたいい……。


「エリックも元気そうでよかった」

「俺は、まあ、友達もいたし」


 そうだ。俺には愚痴ることができた友人がいる。ちらりと前に座る二人に視線を向ける。シャーリーは複雑そうな表情を浮かべ頬杖をつき、ニコラスは飄々と珈琲を飲んでいた。


 俺には二人がついていてくれた。なら、彼女は……。シンシアはあの屋敷で一人過ごし、どんな思いだったのだろうか。


「……シンシアは、屋敷からあまり出ないから、……少し、心配だった」

「いえ、こちらこそ。突然のことで、色々と迷惑をかけてしまいました。まさか、祖父があんな遺言を残しているとは誰も思わなかったもの」


 気持ちが落ち着いてくる。やっと静かな心で彼女を見つめられる。


「公爵との婚約も、無理やりとか、嫌々とか、そういうのではないんだな」


「はい、おかげさまで、婚約に不満はありません」

 嬉しそうに笑む。公爵を好いているのか、俺が自分を嫌ってないという安心なのか、区別はつかなかった。

「父も母も、つつがなく暮らせていますし、私も不自由はありません。編入試験をすすめて、こんな学園に通わせてくれたりと、公爵様は私の世界を広げてくださいました」


 それでも、シンシアが笑ってくれるのはうれしい。自然と俺の口元がほころぶ。


「良かった」

 シンシアもつられてほほ笑む。

「元気そうで……」


 気になっていた人が、つつがなく日常を過ごしていたであろうことがわかりほっとした。


                  ☆


 横に立ち、他愛無い会話を交わせる今。あけすけなシャーリーらしい計らいにも感謝できる。


 シンシアが俺を覚えており、けっして嫌ってはいないということが救いだった。俺だけが、急な疎遠を嘆いていたわけではなかった。


 現状、彼女にはすでに婚約者がいる。相手は件の公爵自身。

 よくもまあ、ずけずけと、臆面もなくシンシアを……。と、苦虫を噛みつぶす思いも残るが、それが力の差というものなのだ。


 伯爵家の次男坊と公爵。相手にもならない。


 彼女は公爵を名で呼び、親し気にしている。

 時折無性にかきむしりたくなる。吐しゃ物が喉奥に詰まって出てこないようなやるせなさがある。


 学園にいる時だけは、公爵はいない。父の威光も届かない。一学園生として、ただ横に立ち、会話をする。それが俺に唯一ゆるされていることだ。


 憎らしい公爵。力のない俺。彼女自身、婚約は家が決めるものだと納得している。相手が悪い人ではないとし、受け入れている。


 彼女にとって、俺がその程度の存在だったという解釈もできる。腹立たしく、情けなく、憎々しいほど狂おしい。


 学園で隣に立ち、話せば、楽になるかと言えば違った。手を伸ばせば届く距離にいながら、想いを告げることは許されない。


 彼女が幸せならいいじゃないかと思う昼間の俺と、夜に思い描く感情は黒々しく、悩ましい。


 愚かすぎて、自嘲が止められない。昼間のように、格好つけきれない、情けない俺がいる。


 夜風にあたりたくて、自室を出た。

 庭を散策し、ふらっと戻ろう。頭を冷やして、寝てしまおう。


 そうすれば、また日にあたり、清々しく彼女の前に立てる。


 丸い月が出ていた。まるでバンパイアのようだ。本当に、気持ち悪いほど、魔物のような俺がいる。


 頭が冷えてきて、自室へ帰る途中、とある部屋から明かりが漏れていた。俺は蛾が誘われるように近づく。

 扉近くに立つと声が聞こえた。


「なにも、エリックとベッキンセイルのお嬢様の婚約まで取り下げる必要はなかったのではないですか、父上」

「……そうもいかんのだ」


 父と兄の会話が聞こえた。


「あの家にも事情がある」

「エリックが可哀そうでしたよ」


「元々、最終的に、現公爵に爵位は譲渡する予定だったのだ。それを先んじて実行したに過ぎない。

 エリックも優秀だ。あのまま、公爵家で飼い殺しにされるのもいたたまれない」


「まったく、エリックをかっているのは私だけではないじゃないですか」

「ここだけの話だ。口外はするな」

「なにをです?」


「現公爵は、前公爵の息子ではない。前公爵から見れば、孫だ。わかるな。あれは実の息子に爵位を譲渡したのだよ」


「あの公爵夫人の息子ですか」

「まさか、年齢を考えろ。母は違う」


「では、公爵とベッキンセイルのお嬢様は、異母兄妹……」


 恐ろしくなり、俺はすり足で後退し逃げ出していた。


お読みいただきありがとうございます。

次回は15日投稿です。

以降しばらくは隔日投稿になります。

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