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15、元婚約者の憂鬱①

『公爵家所縁のシンシア・ベッキンセイルとの婚約は白紙に戻す』

『俺と彼女にまで爵位譲渡の影響が及ぶというのですか! 父上』

『正式に譲渡が終え次第、その方向で話がすすむ。今後、シンシア嬢に会うことは一切ならん。立場をわきまえろ、エリック!!』


 口答えは許されなかった。

 公爵家のお家事情により婚約破棄を父に告げられた俺は意気消沈した。幼馴染のニコラスに泣きつき、家では吐露することを許されない感情を、彼の屋敷で酒にまかせて吐いた。最後は記憶もない。


 酒を飲めたって問題は解決しない。翌日、無様にはきながら、苦い経験として刻み込まれた。


 シンシアと初めて会った時、母親似の可愛らしい女性だと思った。公爵家所縁のご令嬢にもかかわらず、お茶会だけでなく社交の場に出たこともないという。


 彼女と婚約が決まり、何度か会うようになったある時、家同士の顔合わせもあり、とある会食の席で、シンシアと俺は交流を深めなさいと追い出される。

 園庭があるので散歩をしながら、他愛無いことを話したと思う。きっと学園や騎士団の事だったろう。

 会食場を備えた建物は広く、園庭や宿泊施設などを備えている。その一角に小さな花屋があった。


 ただの戯れだった。女は花が好きだとどこかで聞いたことがあり、大きな花束をあげる度量もなく、一輪の花を買い与えた。


 目を見開くとともに、頬を赤らめ、花弁を口元に寄せ、微笑する。そんなに喜ぶものかと瞠目した。


 屋敷のテラス席で忍び訪ねた時、彼女は分厚い本にそっと差しはさんだ押し花を見せてくれた。


 恥ずかしそうに、『枯らしてはもったいなくて……』と呟き、細い指先が、花弁を愛おしそうに触れる様を見て、なんとも言えない胸苦しさを覚えた。


 気恥ずかしく適当に選んだ、何気ない贈り物もこうして大事にしてもらえるなら、もっとちゃんとした花を贈ればよかった。


 次は花束でも持ってきたら、喜んでくれるだろうか。

 そんな柄にもない、人にばれたら呆れられそうな、思惑をもって帰路についた矢先の婚約破棄だった。


 婚約期間は短かった。短いから、すぐに忘れられる。そんなことがあるか。

 わきあがり鮮明に自覚した気持ちは宙ぶらりんとなっている。早々に、機械人形のごとく納得するなど不可能だ。


 シャーリーがシンシアの存在を知り、真っ先に俺に引き合わせようとした意図に悪気はない。遠回しにされても俺は荒れただろう。


                ☆


「ニコラス」

 シャーリーの声が響き、話し込んでいたニコラスが視線を後方へ流した。俺も誘われるように振り向く。

 シャーリーの姿を見止めたすぐ後ろに立つ制服を着た女生徒に目を奪われた。


「シンシア」

「エリック」

 同時に名を呼べば、互いに目をそらすことができなかった。


「シンシア、なんで!」

 立ち上がるなり、呆然とする彼女に向かって、俺は叫ぶ。両眼が見開き、体がわなわなと震え、怒りともとれる感情の荒波に飲まれた。


 シンシアが怯えた表情を見せ、一歩後退する。しまったと思っても遅い。怯えさせ、悔いる。

 

 周囲からざわめきが起こり、引くこともできなくなった。


「エリック、今日から同級生よ」

 シャーリーの一言が脳天を打つ。

「みんなも聞いて、今日から一緒に勉強する編入生のシンシアよ。シンシア・ベッキンセイル、よろしくね」


 シャーリーが教室にシンシアを紹介し、彼女は皆に向かって一礼する。

 諸手を二度叩くシャーリーの「今日から一緒に勉強するのよ。よろしくね!」という声がこだますると、ほどなく静かになった。


 シャーリーはシンシアに俺達を紹介する。

「侯爵家のニコラス・セイヤーズ。私の婚約者でもあるのよ」

「よろしく、シンシア。朝は職員室へ行けたんだね。良かったよ」

「あの時は助かりました。ありがとうございます」


 ニコラスはいい。問題は俺だ。

 いたたまれなくなり腕を組んだ。首を片方に掲げれば、眉間にしわが寄る。シンシアにどんな顔をむければいいか、どんな言葉をかければいいかわからない。


「エリック……お元気でしたか……」

 シンシアが先にささやいた。


 俺はかしいだ首に手を添える。どんな顔で彼女を受け止めていいかわからない。

「……ご無沙汰しております……」

 朴訥と告げていた。しょうもない返答しかできない自身に、ため息が漏れる。


「シャーリー、なんで最初に俺のとこに来るんだよ」

 空気感に堪えられなくて、悲鳴を上げた。


 わざわざ俺のそばに来る必要なんてない。そう思うと腹立たしくなってきた。


「隠しても仕方ないでしょ」

「だからって、なんで俺の近くにくるんだよ」

「あら、私はニコラスを呼んだのよ。あなたはついで。お分かり」

 くすくすとシャーリーは笑う。


「俺が一緒にいるの知っててやってるだろ」

「最後に回されても文句言うわよね、あなたは、きっと。本当に面倒ね」

 にやにやと見上げてくるシャーリーは食えない。本当に、嫌な女だ。


「私……」

 つぶやいたシンシアが、眉を歪め、泣きそうな顔をする。

 心音が跳ねたが顔に出す間もなく、シャーリーが声をあげた。

「いいのよ、シンシア。面倒な男だと言ったでしょ」

「怒っているようで……」


 シャーリーが目を丸くして笑いだす。

「ほら見なさいな、エリック。そんな態度とるからよ」

「どうしろと言うんだ」

 いきなりシンシアを目の前にして、俺がどんな態度を選べばいいかわからなくなることぐらい分かっていてやっているはずだ。にくったらしいったらありゃしない。


「バカね。他人行儀に仏頂面であいさつするのが悪いのよ」

「だから、お前はいつも、どうしてそう回りくどいんだ」

 俺とシンシアの関係を知っていて、なお先に紹介する。意図はわかる。まだ俺が彼女に未練を残しており、シンシアとの再会を後回しにしても仕方ないと踏む、さっぱりした性格のシャーリーらしいからこそ、憎々しい。


 シャーリーとにらみ合っているとニコラスがシンシアに話しかけた。

「いつものことだから気にしないでね」

「はあ……」

「僕とシャーリーは婚約者で、僕とエリックが幼馴染なんだよ」

「そうでしたの」

「シャーリーとエリックは、あの調子でいっつもじゃれあってるんだ」


 聞き捨てならないセリフが飛んでくる。

「じゃれてない」

 思わずむきになって言い返していた。


 シンシアが俺の反応に目をむく。視線が交差した。

 俺はバツ悪く、下を向いてしまう。

 

「……まさか、こんなとこで会うとはね」

 それしか呟けなかった。


「ごめんなさい。こちらの事情でご迷惑をかけて……」

「迷惑とか、そういうんじゃないんだ」

 迷惑じゃない。シンシアの存在が迷惑なんてないんだ。でも、これ以上は何も言えない。俺は気持ちを押し込め、黙るしかない。


「シンシア、座ろ」

 シャーリーがシンシアの腕を引く。

「席は決まってないのよ、どこでも自由なの」

 彼女はニコラスが座っていた席の前に座る。シンシアを隣に座るように促した。そこはちょうど、俺が座っている目の前である。


 気まずい。ものすごく、気まずい。初日のオリエンテーションがなければ、逃げ出したい。


「いいから、座って、シンシア。怖いことはなにも起きないわ。エリックだって怒っていないのよ」

「怒っていない?」

「そう、だから、座って」


 シャーリーの言う通りだ。俺は彼女に怒っているわけではない。黙ってシンシアの後ろに座り直せば、ため息をつかずにはいられなかった。


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