13、元婚約者は怒ってなんていなかった
シャーリーの言葉に耳を疑った。
「ごめんなさい。……今、私とエリックの……その……」
彼女はもろ手を挙げる。
「白状するわ。私とニコラスは、エリックの味方。逃げ出しそうなあいつとあなたを引き合わせてどうにかできないかと思案していた悪人です」
「待って、エリックって……」
何を言っているの。家同士が決めた婚約で、彼とは数回しか会っていない。最後に会ったのも、十か月は前である。
もう忘れられていると思っていた。
お家騒動を起こしておいて、呆れて、嫌になっていてもおかしくない。元々好き合っていたわけではなかったはずだ。
「エリックは、あなたのことを……」
「シャーリー、やめろ。さすがに本気で怒るぞ」
言いかけたシャーリーの頭上から強い語気が飛んできた。
「それ以上はやめろ」
エリックが怒っている。眉を吊り上げて、両眼に怒りをたたえている。
怖い。まるで、私が怒られているようだ。
「もうやめようねシャーリー。時間も経っている。
エリックだって脅かすのは不本意だろう。シンシアが怯えている」
ニコラスがすっと割って入る。
「ほら、紅茶と珈琲どっちが好み。シンシアは、どちらが好きかな」
「えっと……、紅茶でお願いします」
「シャーリーは珈琲でいいね」
彼女は口をすぼめて頷く。
ニコラスが手にしていたカップをシャーリーの前に置いた。
「僕も珈琲がいいんだ。エリックは紅茶で頼むよ」
そう言うと、彼はすんなりと彼女の隣に座る。
立ち尽くすエリックが、手にしていたカップを私の前に置く。
「ありがとう」
つぶやき、彼の顔を見上げた。
無表情だけど、怒っているわけではない。
じっと見つめてしまう。
彼がふと視線を落とし、「どうも」と言った。
私の隣に座る。
屋敷のテラス席で顔を合わせた時より、近い。彼は前を向いたままだ。
視線をカップに落とす。
「……私やうちの騒動を怒っていたわけではないのね……」
「……違う」
「……良かった。本当に、良かった……」
涙がにじむ。
顔をあげるとエリックの横顔があった。私の視線に気づき、エリックがぎょっとする。
「誤解させて、悪かった」
首に手を乗せ、あらぬ方を向く。
「色々あっても、うまくいってるのか……」
「はい。私はうまくいってます」
「そうか……良かった」
「エリックも元気そうでよかった」
「俺は、まあ、友達もいたし」
ちらりと前に座る二人に視線をエリックが向ける。誘われるように私も前を見てしまう。シャーリーは複雑そうな表情を浮かべ頬杖をつき、ニコラスは飄々と珈琲を飲んでいた。
「……シンシアは、屋敷からあまり出ないから、……少し、心配だった」
「いえ、こちらこそ。突然のことで、色々と迷惑をかけてしまいました。まさか、祖父があんな遺言を残しているとは誰も思わなかったもの」
エリックが、ふいっとこちらを向いた。静かな表情で見つめられる。
「公爵との婚約も、無理やりとか、嫌々とか、そういうのではないんだな」
「はい、おかげさまで、婚約に不満はありません。父も母も、つつがなく暮らせていますし、私も不自由はありません。編入試験をすすめて、こんな学園に通わせてくれたりと、公爵様は私の世界を広げてくださいました」
エリックの口元がほころぶ。
「良かった」
私もつられてほほ笑む。
「元気そうで……」
気になっていた人が、つつがなく日常を過ごしていたであろうことがわかりほっとした。
その後は、四人でおしゃべりした。友達ができたと言ってもいい。
こういう他愛無い会話の楽しささえ知らない日常を過ごしていた。そんな過去が遠い昔のように感じられた。
時間が来て迎えの馬車に乗り込んだ。帰りはアレックスはいなかった。てっきり一緒だと思っていて、御者にきくと、仕事のため今後も迎えは彼は一緒にならないそうだ。しかも、今日は彼の帰りは遅いらしい。
今日の事をすぐにお話しできないのは少し寂しかった。
屋敷に戻ると、じわじわと楽しさが増してきた。寝る用意を済まして、アレックスの帰りを待つ。
友達ができたこと。
学園が広かったこと。
食堂の天井が高かったこと。
庭が広かったこと。
同い年の人がたくさんいたこと。
楽しい気持ちがむくむくとわいてくる。いくつもの場面が目を閉じると流れて行った。
闊達なシャーリーと、飄々と親切なニコラス。
隣に座るエリックがはにかむ。
エリックは、元婚約者だ。私は現実に引き戻される。
アレックスに、彼がいたことを伝える?
伝えた方がいいのかしら。友達だと言って、受け入れてもらえるだろうか。
黙っていた方がいい?
いらない誤解をうむかしら。
学園に行けば毎日会う。一緒に勉強するだけの友達だと明るく伝えれば、受け入れてくれる。
わからないわ。
黙っていても不自然になる。なにもなくても、ただ一緒にいるだけで、アレックスに誤解されるのは嫌だわ。
アレックスは、エリックと関わるなと言うかしら?
彼にとって、元婚約者とかかわることはどう受け止められるだろう。嫌な顔をされるだろうか。友達だと言って、それで通るものだろうか。
そうこうしているうちに私は疲れもあり、すとんと寝てしまった。
翌日、朝の準備を終えて、アレックスと共に馬車に乗り込んだ。
「昨日は遅くなり、会えなくて残念でした」
「いいえ、私こそ、先に寝てしまいもうしわけありません」
私はまだ、エリックの存在を伝えるか迷っていた。
「学園の初日です。気づかれもしたでしょう。困ったことはありませんでしたか」
アレックスが心配そうに笑む。
「大丈夫です。
馬車のお迎えが来るまで、一緒にお話ししてくれた方々もいて……、とても楽しかったです」
アレックスの表情がぱっと華やぐ。
「ああ、それは良かった。友達もできたのですか?」
「はい……」
エリックについてどうしよう。伝えるべきだろうか。
「三人の方とおしゃべりしました。ただ……、その」
「どうかされましたか」
私は怪訝な表情を向けるアレックスを窺い見る。
「三人のうち二人は男性なのです……」
アレックスが、ふっと笑う。
「そうですか。男の子ですか」
エリックという名まで告げることははばかられた。後ろめたい気持ちが少し残る。
「嫌ではないですか」
「いいえ、男女共学です。普通に、男友達もできて当然と思ってますよ」
「そんなものでしょうか」
「そんなものです」
「一人は、女の子です。その方が引っ張っているグループに入れてもらいました」
「良かったではないですか」
「喜んでくれますか」
「はい」
ほほ笑むアレックスにうしろめたく、エリックの名を告げられなかった私は胸が痛んだ。
最後までお読みいただきありがとうございます。
日々、ブクマ増えていくことがとても励みになります。
ブクマ心よりありがとうございます。