12、再会した元婚約者は機嫌が悪い
「今日はオリエンテーションだけよ。午前で終わるの。ねえ、シンシア。あなたは午後に予定はあるのかしら」
シャーリーは身を乗り出し、不敵に笑む。
母からはご令嬢とはこうあるべきと教えられてきた。そんな理想像と大きく違う彼女に、私はのまれてしまう。
「とくにはないです。約束の時間になれば、アレッ……、屋敷の者が迎えにきてくれるので、それまでどこかで暇をつぶしています」
「そうなのね。では、お昼を一緒に食べて、お迎えがくるまで、一緒に過ごしましょうね」
「それは、私とシャーリーと二人ででしょうか」
「いいえ。私たちとよ」
ニコラスとエリックも一緒なの。私は、どんな顔をして元婚約者と同席したらいいの。ああ、後ろを窺い見たい。私が一緒にいていいものか、確かめたいのに、怖いわ。
返事に窮していると、背後でニコラスが話し出した。
「エリックも一緒に来るんだよ」
「なっ……」
「エリック! 逃げて、機嫌悪くなっても僕は相手にしないからね」
恐る恐る背後に視線を送る。
憮然として、面白くない顔をしたエリックがいた。目が合うと、ふんと横にそらされる。
やっぱり、これは、うちのお家騒動に巻き込まれて、怒っているのでしょうね……。
「あの、私が、お邪魔なら……」
「邪魔じゃない」
断ろうとした私を制したのはエリックだった。
肘をつき、後頭部に手をのせて、目線は下を向けている。依然として、機嫌悪そうに私からは目をそらす。
「……邪魔じゃ、ないから……」
「シンシア」
シャーリーが私の名を呼んだ。
「いいから、いらっしゃい」
そして、晴れやかに笑う。
ニコラスは苦笑し、エリックは不機嫌に、私はただ戸惑っている。押しの強いシャーリーには誰もかなわない。力関係だけ、私は理解した。
連れられてきた食堂は広かった。
二階まで吹き抜けになっており、大きなガラス窓がある。陽光がさんさんと室内を照らし、数人掛けの四角いテーブル席がたくさん並んでいる。人気はまばらであり、いくつかのグループが食事をしながら談笑している。
「今日は少ないわね」
「初日だしね」
「こんなに席がたくさん……」
数えきれない座席数に私はたまげる。
「混む時間帯は、満席になるのよ」
「こんなに広くて、たくさんある席が全部埋まるの」
周囲を見回しながら私はぽかんと答える。
「本当に、どこの深窓のご令嬢かしら」
シャーリーは呆れ顔である。
「貴族だけでも、子弟はたくさんいるわ。ここは特に、人脈を作る目的で地方からも寮住まいで通う者もいるぐらいよ。商家の平民もいるわ。人脈作りも兼ねて通わせる親だとているのよ。
シンシアは本当に、今時珍しいぐらい、世間知らずだこと」
これには私も深く嘆息してしまう。
「……母の意向で、ずっと家にいたものですから……。アレックスにも、そのままでは公爵夫人にすぐにはなれないと言われた意味をつくづくと痛感しますわ」
「アレックス?」
シャーリーが怪訝な顔をする。
「いけない」
私ははっとする、人前でベッキンセイル公爵の名を口にしてしまうなんて! しかも屋敷ではなく外で!
「……公爵様のことです。ごめんなさい、聞かなかったことにしてください……」
「ベッキンセイル公爵を名前で呼んでいるの」
驚きを隠さないシャーリーがニコラスと顔を見合わせる。
「……婚約を破棄されてから、日も経っていないのに、ずいぶんと親し気なのね」
「親しいと言いますか……、すでに一緒に暮らしてますし……」
「すでに暮らしているというの」
シャーリーが身を乗り出す。
「あっ、はい、婚約の話が出てからずっと一緒に暮らしています」
シャーリーだけでなく、ニコラスも驚いている。エリックだけ無表情なまま、目をつむった。
「卒業と同時に結婚することになってまして、本当はもっと早くすすめたいらしいのですけど、私があまりに世間知らずで……」
情けないことに、アレックスが一年先送りした意味を日々痛感する。今日も嫌と言うほど思い知らされた。
「……そう、なのね。
ごめんなさい、もう、そこまで進んでいるなんて知らなくて……」
頭をふるシャーリーにニコラスが引き継いで話す。
「婚約をするらしいとまでは噂には耳にしていたんだが……。僕らはまだ子どもだ。大事なことは早々に教えてはもらえない……」
「ニコラス。立ち話する内容ではないわ。食事は後、まずは座るわよ」
シャーリーがむんずと私の腕をつかみ、引っ張っていく。
戸惑いながら、引かれる。振り向けば、エリックの左右の表情が歪んでおり、ニコラスが彼の肩に手をのせ頭を振っていた。
「ニコラス、飲み物を四人分まずお願いね」
シャーリーの掛け声が響く。彼女に連れられ、私は窓辺の席に座らされた。
「ごめんなさい。私達、あなたとエリックの事を知っているのよ」
驚くことはない。幼馴染とその婚約者なら、エリックの背景から私のことを知っていて当然と納得する。
「あなたが婚約破棄となり、渦中の公爵と婚約するらしいとまでは聞いていたのよ。
正直、もうそんなところまで関係をすすめているとは思わなかったわ」
「はい。婚約破棄の書状が届いた即日に、公爵様がいらして、父と話し合い決まったのです」
「待って、ちょっと待ってもらえる」
しっかりしたシャーリーが両手で頭を抱えて、うずくまる。ばっと顔をあげると言った。
「破棄の連絡が届いた当日に、婚約したの!」
「いいえ、そんな早々にはいきませんわ。その日はあくまでも申し出がのみ受け入れただけです。数日で身内ですので、婚約を内々に決め、公爵様がお住いの屋敷に移り住みました。正式に婚約したのは数日前のことです。それまでは、編入試験合格が目下最大の目標だったのですから」
「すごいわね。そんな、即日で決めれるものなの」
「書状が届いた当日に話し合って……、父も喜んでいましたし、私たち家族には、現状の暮らしを続けるためには、最善の選択だったのです」
「じゃあ……、個人間の気持ちがあっての婚約ではなくて、あくまでお家の事情での婚約と言うことね」
「そうとも言えますけど……。貴族の娘ですから、それぐらいは当たり前でないでしょうか」
私が小首をかしぐと、シャーリーは苛立つように親指の爪を噛んだ。指をおろすと、ふっと息つく。
「まあ、そうね。そういう考え方もあるわよね」
彼女がまっすぐに私を見つめる。
「ごめんなさい。私たちは、エリックの味方だったのよ。あなたが来ると分かって、まだ正式に婚約をすすめられてないなら、彼にもどこかに道はないかと思ったの。
教師から私があなたの案内役に指名されて、エリックとの関係を取り持とうと考えていたのだけど……。
もう、学園生である私達には、手の届かない領域まで話が進んでいたのね……」
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