11、再会した元婚約者の仏頂面が恐ろしい
「シンシア、なんで!」
エリックががばっと立ち上がった。同じ制服を着た元婚約者が、懐かしい金髪をなびかせ、麗しい青い瞳を見開く。大きな体躯を震わせて、力強く立ちはだかる。
その姿におののき、私は片足を一歩後退させる。
どうしていいか分からない。本当は知らんぷりを決め込んだ方が良かったのかもしれない。いきなり目が合ったため、名を叫んでしまった。誤魔化す選択肢が消えてしまう。
追い打ちをかけるように、ざわめきがさざ波のようにわき起こる。
注目を浴びていると思うと、身がかたくなる。生まれて初めて、人前にさらされてしまう。ああ、私はどうしたらいいの。
「エリック、今日から同級生よ」
シャーリーが毅然と言い放つ。彼女は周囲を見回して、手のひらを上にし私を差ししめす。教室中に視線を流した。
「みんなも聞いて、今日から一緒に勉強する編入生のシンシアよ。シンシア・ベッキンセイル、よろしくね」
シャーリーの紹介に、私は慌てて、一礼する。
さらに、彼女は諸手を二度叩く。
「今日から一緒に勉強するのよ。よろしくね!」
人のささやき声がたちのぼり、ほどなく静かになった。
続いて、彼女は二人の男性を私に紹介する。
一人目は、私に職員室を教えてくれた、モスグリーンの髪色と瞳の高長身が特徴の男性。シャーリーと並ぶと彼女の小柄さがより際立つ。
「侯爵家のニコラス・セイヤーズ。私の婚約者でもあるのよ」
私はまじまじと彼と彼女の身長差に驚いて、交互に見つめてしまう。
「よろしく、シンシア。朝は職員室へ行けたんだね。良かったよ」
「あの時は助かりました。ありがとうございます」
問題は次である。
ニコラスとシャーリーもどことなく察しているようで、視線をエリックに向ける。
エリックは腕を組んだ。首を片方に掲げ、眉間にしわを寄せる。気まずいと感じているのかもしれない。
「エリック……」
いたたまれなくて、私から名を呼んでしまう。
「……お元気でしたか……」
屋敷のテラス席で会ったのが最後である。祖父が危篤となり、相続のあれやこれやと続き、彼とはかれこれ十か月ぶりぐらいであろう。
首を斜めにしたままたたずむエリックの表情はかたい。感情が乏しい碧眼に睨まれる。屋敷で会った時のような笑顔がない。美しく整った真顔が恐ろしい。
好意的に受け取ってもらえない可能性が高いのだ。軽々しく挨拶などしてしまう自身の愚かさが呪わしい。
彼の手が首に添えられる。かしいだまま、私に告げた。
「……ご無沙汰しております……」
声音に抑揚がなく、怒っているように感じられた。
エリックが、大きくため息をつく。
「シャーリー、なんで最初に俺のとこに来るんだよ」
恨めしそうにシャーリーに目をやるエリックのぞんざいな雰囲気に目を見張る。
「隠しても仕方ないでしょ」
「だからって、なんで俺の近くにくるんだよ」
「あら、私はニコラスを呼んだのよ。あなたはついで。お分かり」
くすくすとシャーリーは笑う。
「俺が一緒にいるの知っててやってるだろ」
「最後に回されても文句言うわよね、あなたは、きっと。本当に面倒ね」
にやにやと斜め上を見上げるシャーリーの方が強い。エリックは嫌そうな表情で顔をそむけた。
「私……」
彼が嫌なら立ち去りたいと思った。
「いいのよ、シンシア。面倒な男だと言ったでしょ」
「怒っているようで……」
シャーリーが目を丸くして、ふっと笑いだした。隣に立つニコラスも困った顔をする。
「ほら見なさいな、エリック。そんな態度とるからよ」
「どうしろと言うんだ」
「バカね。他人行儀に仏頂面であいさつするのが悪いのよ」
「だから、お前はいつも、どうしてそう回りくどいんだ」
お前? 私はきょとんと二人のやり取りを見つめてしまう。
ニコラスが私の隣に立った。
「いつものことだから気にしないでね」
「はあ……」
「僕とシャーリーは婚約者で、僕とエリックが幼馴染なんだよ」
「そうでしたの」
「シャーリーとエリックは、あの調子でいっつもじゃれあってるんだ」
「じゃれてない」
エリックがすかさず否定する。
むきになる表情なんて初めて見た。屋敷で会った時はもっと大人びて見えたのに……。
目を丸くする私とエリックの視線が交差して、彼はまたバツが悪そうに下を向いてしまう。
「……まさか、こんなとこで会うとはね」
「ごめんなさい。こちらの事情でご迷惑をかけて……」
「迷惑とか、そういうんじゃないんだ」
それきり、エリックは黙ってしまった。
気まずい。ものすごく、気まずい。
どうしていいのかわからない。
逃げたい。
「シンシア、座ろ」
シャーリーが腕を引く。
「席は決まってないのよ、どこでも自由なの」
彼女はニコラスが座っていた席の前に座り、私をその隣に座るように促した。そこはちょうど、エリックの前である。
気まずい。ものすごく、気まずい。
震えて、逃げ出したいのに、シャーリーは力強く、私の腕をつかんでいる。
「いいから、座って、シンシア。怖いことはなにも起きないわ。エリックだって怒っていないのよ」
「怒っていない?」
「そう、だから、座って」
シャーリーの笑顔に押し切られる。私は彼女の隣に座ってしまった。
逃げられない。
背後に人の気配を感じる。席に座りなおす音がした。
エリックは今どんな顔をしているの?
私は恐ろしくて、振り向けない。膝に手を置いて、肩をすくめ小さくなる。
背後から、ため息が聞こえ、ますます私はどうしていいかわからなくなってしまう。