表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

愛する人に会いに行く

美しい妹はおもしれぇ男に会うために修練場に通う

作者: 今紺 軌常

異国では「痛くなかった? 天国から落ちてきて」という口説き文句があるらしいが、カメリアお姉様は天国からこんな畜生に囲まれる人間界に落ちてきて痛むところはありませんか?と聞きたくなる天使のような女性だ。

雄大な樹木を思わせる真っ直ぐな褐色の髪、光を浴びると緑色が混ざるヘーゼルの瞳は優し気に目尻が下がっていて、触れれば折れてしまいそうな繊細な外見をしている。おっとりとしたその顔は良く言えば人を安堵させる柔和なもので、悪く言えば地味であまり印象に残らないものだった。

だが、彼女の本質は見た目ではなく中身だった。初対面の相手であっても困っていればそっと手を差し伸べる、それを恩に着せることなどせず見返りは求めない。お姉様は「それは当たり前のことでしょう」と笑うかもしれないが、無償で誰かを助けることは難しい。助けた相手が、優しさに胡坐をかく恥知らずであっても、恩を仇で返す不届き者であっても、お姉様は恨むことはない。

それからお姉様は外見や立場に惑わされない。美しい人間を優遇することも、醜い人間を差別することも、自分より高貴な人に取り入ろうとすることも、自分より身分が下の者に威張ることもしない。誰に対しても平等に接する。

そんなお姉様の優しさは損をすることが多い。世界はお姉様のような優れた人よりも愚かな人の方が多いから、控えめな見た目で天使のように優しいお姉様よりも、狡猾でひねくれていても美しい見た目をした私の方が愛されるのだ。


エリスロー公爵家の次女イベリス・エリスローとして生まれた私は生まれた頃から優遇されていた。

見た目は平凡だが公爵家の当主である父、伯爵家の生まれで絶世の美女である母、その間に生まれた私は母にそっくりで、母を溺愛する父からも、自分の美しさを愛する母からも可愛がられた。それに対して一歳年上の姉は父に似ていて、両親からは疎まれていた。

中身まで母に似てしまい、物心がつく頃には自分の愛らしさで周りを上手に動かすことを覚えた私は、私に向けられる両親の愛がオモチャを可愛がるような幼稚な物だと気付いてしまった。早々にぐれた私は可愛らしく笑いながら、周りを困らせるような悪戯を繰り返した。わざとアクセサリーを壊したり、花壇をめちゃくちゃにしたり、お父様の大切な書類を汚したり。けれど、両親も使用人も困った顔をするだけで、怒ったりしないのだ。

この人たちは本当に私に興味がないんだとむしゃくしゃして、屋敷を抜け出してたった一人で街へ遊びに行ったのは9歳の時だ。その時には既に母の生家であるプラーシノ伯爵家が得意とする氷魔法をある程度使えるようになっており、何かあっても自分の身は守れると思っていたのだ。その通り、特に危険に巻き込まれることもなく、街でもちやほやとされた後、平然と屋敷に戻るとお姉様に思いっきり怒られた。父も母も無事でよかった、と言うだけで私から目を離した使用人を叱責していたのに、お姉様だけはちゃんと私を叱ってくれたのだ。


「一人で街に行って、悪い大人に捕まったらどうするつもりだったの!?」


そう言って涙ながらに怒ってから、無事でよかったと抱き締めてくれたお姉様は、唯一私のことを人間として見てくれている人だった。それ以来、お姉様だけが私の大切な人になった。


父はお姉様に興味がないし、母は父に似てしまったお姉様を憎んでさえいた。だから、公爵家として十分な財がありながらもお姉様に何も買い与えようとしなかった。私はそのことが気に食わなかったが、両親は私のこともオモチャとしか思っていないので上手に頼まなければお姉様に物を買ってもらうことはできなかった。

例えば私がお姉様にもドレスを買ってあげて、と普通に頼めば、何を曲解したのか母は「妹にドレスを強請ったの、なんて卑しい娘!」と姉を叱り飛ばしてしまう。だから、両親に必要以上に多くのドレスを買ってもらい、その中からお姉様が好みそうなデザインのものを「こんな地味なのは趣味じゃない」と言って押し付けたり、「みすぼらしい恰好のお姉様と一緒にパーティーになんて行けない」と言ってお姉様の趣味ではないだろうけど私が思うお姉様に似合うデザインのドレスを押し付けたりした。ドレスだけに留まらずあらゆるものは大体、同じような経緯でお姉様の元に辿り着いている。




彼と出会ったのは私がアントス王国立魔法学園に入学してから半年した頃のことだった。

学園での生活はさほど面白いものではない。クラスの中心は私だし、座学の授業も実技魔法の授業も好成績を収めていたし、求婚してくる令息をあしらうのも簡単だ。なんでも私の思い通りに毎日が過ぎていく。


「イベリスちゃん、これから時間ある?」


そう言って話しかけてきたのは同じクラスの子爵家の次男である。いくら魔法学園は身分に関わらず平等という理念が掲げられているとしても、子爵家の次男ごときが公爵令嬢の私のことを『イベリスちゃん』と呼ぶだなんて許されることではない。しかし、外面は抜群に良い私が「せっかく同じ学園に通っているんだもの、親しくしましょう」と言って軽々しい態度を推奨しているのでこんな無礼が罷り通っている。普通はそんなことをしていれば公爵令嬢にあるまじき振る舞いと非難されても仕方ないが、私であれば下々の者にも優しい公爵令嬢と評価される。みんな外見に左右されすぎだ。


「特に用事はないわ。どうかしたの?」

「実はこれから魔法騎士の訓練があるんだけど、良かったら見に来ない?」


貴族の長男や令嬢は卒業後の進路はほとんど決まっているようなものだが、次男以下や平民は自分で仕事を見つけなければいけない。そのための職業訓練も学園は面倒を見てくれている。ある程度、魔法と剣の腕に覚えのある男子の多くが進むのが魔法騎士の道である。魔法騎士を目指す生徒向けに放課後は学園内の野外修練場で訓練が行われている。この子爵令息も魔法騎士を目指しているらしく、私に良い所を見せたいのだろう。


「まぁ、良いの? ぜひ見学させていただきたいわ」


そう言って私が笑えば、同じく訓練に行く所だった男子たちが寄ってきて「イベリスちゃんが応援に来てくれるの!?」「俺頑張るよ!」と嬉しそうな顔をする。小首を傾げながら、「かっこいい所を見せてね」と言えば顔を真っ赤にした。チョロい奴らばっかりだ。


修練場に着いて数分で来たことを後悔し始めていた。

仮にも王国立魔法学園で魔法騎士を志す者たちが訓練しているのだから、さぞ見ごたえがあるだろうと思っていたのだけれど、なんてことはない。所詮は学生のお遊びレベルだった。

剣の腕は我が家の護衛兵たちの足元にも及ばないし、魔法だって私の方がよっぽど強い。しかも、私がいることで気が散っている様子が見受けられる。「頑張ってー」と笑顔を浮かべているが、何かしら理由をつけて立ち去りたくて仕方ない。


「こんな所で部外者が何をしてんだ」


後ろから聞こえた低く険しい声に振り返れば、私よりも頭二つ分くらい大きな男性が立っていた。背が高いだけじゃなくてがっしりとしていて体格が良く、見るからに騎士を目指しているという風貌だ。赤毛は短く刈られ、元からあまり温和ではなさそうな顔を不機嫌そうに歪ませており随分と迫力がある。


「聞こえなかったか? 部外者が何をしてんだよ」

「あー、ノースポール、悪い。イベリスちゃんは俺が呼んだんだよ、訓練を見てもらおうと思って」

「なんだって?」


もう一度、威圧的に繰り返してきた男性に対して、私を訓練に誘ってきた子爵令息が慌てて間に入ってくる。


「いつも一番乗りのノースポールがこんな時間に来るなんて珍しいな」

「先生に呼び出されて……いや、そんなことどうでも良い。なんでこの女を呼んだんだ。まさか魔法騎士志望ってわけじゃねぇだろ」


この女。見目麗しい姫だの、春を告げる妖精だの、そんな呼ばれ方はしたことはあるが、この女、と言われるのは初めてで、ポカン、とノースポールと呼ばれた男性を見上げる。


「イベリスちゃんに応援されたらやる気が出るだろ? だから、わざわざ来てもらったんだよ」

「お初にお目にかかります、イベリス・エリスローと申します。ふふ、ぜひ気軽にイベリスとお呼びください」

「お前ら馬鹿か」


子爵令息が説明をしたから慌てていつも通り美しい笑みを浮かべて自己紹介をすれば、返されたのは男性自身の名前でも、私に見惚れた視線でもなく暴言。再度、ポカンとしてしまう。


「応援だァ? んなもんにやる気左右されんじゃねぇよ。大体、攻撃魔法を使ってんだぞ、呑気に見学なんかして怪我してぇのか。部外者はとっとと帰れ」

「なっ!? そんな言い方をする必要はないだろ!!」

「待って、私が悪いの」


腹立たし気にそう吐き捨てるノースポールに子爵令息が掴みかかろうとするのを止める。


「私が考えなしだったわ。訓練される皆さんのお邪魔をしては駄目ね、お暇させていただくわ」

「そんな、俺が誘ったから……イベリスちゃんは悪くないよ。こんな思いをさせてしまってすまなかった」


子爵令息は涙ながらに私に謝罪をしているが、興味がないのかノースポールはこちらに背を向けて訓練に向かってしまっている。それを子爵令息は憎々し気に睨みつける。


「クソ……所詮はレフコー子爵家の庶子の分際で……ちょっと剣が強いからって調子に乗りやがって」

「まぁ、そんな言い方は駄目よ、お邪魔をしてしまった私が悪いのだもの。それじゃあ、また明日」

「あ、あぁ、うん。また明日、イベリスちゃん」


私のことを名残惜しそうに見つめる人々に対しても手を振ってから、ノースポール・レフコーね、と口の中で呟く。

私に暴言を吐いた上に、興味がなさそうな態度、初めて出会ったタイプの人間である。

訓練を見学に行って思いがけず面白い出会いを果たしてしまった。




「お昼もここにいるっていうのは本当だったのね」

「お前、昨日の……」

「イベリス・エリスローよ。公爵令嬢だから、それを頭に入れておいてね、レフコー子爵令息さん」


修練場のベンチに座るノースポールを見つけて声をかける。膝の上にはサンドイッチだけが詰められたお弁当が乗っている。子爵令息にしてはだいぶ質素だ。

私は魔法騎士の訓練を受けている男子生徒たちからノースポール・レフコーについてそれとなく聞き込みを行った。

曰く、ノースポールはレフコー子爵がメイドに手を出して生まれた子だとか。母はノースポールを身籠ってから子爵家を辞め市井で暮らしていたらしいが、数年前に他界。本妻との間に男児をもうけられなかった子爵がノースポールを引き取り跡取りとして育てているとか。将来は子爵家を継ぐはずなのに魔法騎士の訓練を受けており、しかも1年生でありながら既に他の追随を許さぬほどの剣の腕を見せているのだとか。放課後だけでなく昼休みも修練場で1人訓練をしているとも聞き、こうして会いに来たのだ。

にっこりと笑う私に対して、ノースポールは舌打ちをする。


「子爵令息って言うのはやめろ」

「じゃあ、ちゃんと自己紹介してよ。昨日だって私は名乗ったのに貴方は何もなしで、失礼じゃない?」

「そんな失礼な奴の所になんの用だよ」

「貴方、昨日から私をとても邪険にするのね。こんな扱い初めてだわ、みんな私と仲良くしたがるのに」

「そりゃ良かったな。俺はアンタみたいなお嬢様と慣れ合うつもりはねぇから、お優しい坊ちゃんたちの所へ帰りな」


そう言って昼ごはんを食べ始めるので、私もノースポールの隣に座ってお弁当を広げる。


「おい、何してんだよ」

「なぁに? 今は訓練中じゃないんだから邪魔にはならないでしょ。私、貴方に興味があるの、仲良くしましょう」

「しない」

「今、私が貴方に襲われたって悲鳴を上げたらどうなるかしら」


ギョッとした顔で私を見下ろすノースポールに優しく微笑んであげる。すると、みるみる顔を歪めていく。


「脅してんのか」

「嫌だわ、脅すなんて。どうなるかしらって疑問がついうっかり口から出ただけよ」

「アンタ、昨日とはえらい変わりようだな」

「取り繕った私のことが貴方は嫌いみたいだから。だったら無理に素を隠す必要もないでしょ。それからアンタじゃなくて私の名前はイベリスよ、イベリスちゃんって呼んでいいわ」


ハー、という大きな溜め息の後に、誰が呼ぶか、と吐き捨てられる。他の令息なら大喜びでイベリスちゃんと呼ぶ所なのに、新鮮な反応を見せてくれる。やっぱり思っていた通り面白い男である。


「貴方の訓練を邪魔しようってつもりはないから安心してね。お昼ご飯を食べる間だけお話がしたいだけなの」

「別に、俺はアンタが」

「イベリス」

「……イベリスが楽しめるような話は用意できねぇぞ」

「それを決めるのは貴方じゃなくて私よ」

「ノース」

「え?」

「ノースで、いい。貴方なんてお上品な呼ばれ方、寒気がする」


愛称で呼んでいい、なんて言う割に眉間にはくっきりと皺が寄っている。親しくなりたくない割には、距離を詰めるのを許す。彼のちぐはぐな行動が面白くて、もっと興味がわいてくる。


「……そう、ノース。これから、よろしくね。気が済むまで毎日ここに来るから」

「早く気が済むことを願うよ」




私は宣言通り、毎日修練場に通った。逃げられるかも、とも思ったのだが、昼休みに訓練をしたいノースはちゃんと毎日修練場に来てくれた。


「あの男のことは許してねぇけど、この学園に通わせてもらったことだけは感謝してんだ」

「私に出会えたから?」

「馬鹿か」


ノースはふんっと鼻を鳴らしてサンドイッチを頬張る。

子爵家にしては質素なお弁当は自分で作っていると前に言っていた。できる限り子爵からの施しを受けたくないんだと。


「平民でこの学園に入るのは難しい。裕福な商人か、学費が免除される特待生じゃないと無理だ。俺は特待生になれるほど優秀じゃねぇからな。平民のままだったら魔法を学ぶ機会なんてなかった。それじゃあ、魔法を使うような職業にはつけなかっただろうな」

「ノース、剣は強いけど魔法は下手だもんね」

「下手ってほどじゃねぇ。氷魔法はそこそこできる、ようになった」

「私の特訓のおかげでね」


ぐっと言葉につまったノースをニヤニヤと見上げてやれば、こっち見んな、と頭をはたかれる。最初から私に遠慮はなかったけれど、どんどん扱いが雑になっている気がする。それが面白くて仕方ないので私としては構わないのだけど。

子爵家を継ぐために引き取られた彼は、しかし子爵家を継ぐつもりはないらしい。自分の母親を捨てておいて、死んだら都合よく自分を引き取った子爵を恨んでおり、将来は魔法騎士団に入るつもりなのだとか。そのために、誰よりも一生懸命に訓練に励んでいる。

剣の腕前は文句の付け所はなかったが、魔法に関してはお粗末なものだった。見ていられなかった私が昼食を食べた後に毎日手ほどきをしてあげれば、彼はめきめきと腕を上げていった。素質はあっても今まで学ぶ機会がなかったのだろう。


「でも、本当に成長したわ。半年足らずでこの伸びなら卒業する頃には魔法騎士団に入るには十分なレベルになる。ううん、これなら幹部候補として迎え入れられるわ」

「……イベリスが褒めるなんて、槍でも降るのか」

「なぁにその言いよう、貴方は貶される方が好きなの? 建前なしでも褒められるくらいノースが頑張ってるって言って……あら? あらあら? もしかして、照れてるの?」

「照れてねぇ!!」


そっぽ向いているノースの耳は髪の毛と同じくらい真っ赤になっている。そのことに気が付いてくすくすと笑ってしまう。ノースはきつい物言いの割に、存外可愛らしい所があった。私は彼のこういった意外性も気に入っていた。


「もう!! 食い終わったから!! 訓練する!!」


まだお弁当を食べ終わっていない私を置いて修練場の真ん中に行って剣の素振りを始めてしまう。私も食べ終わったら、今日も魔法の特訓を付けてあげようと思う。




2年生に上がっても私たちの毎日は変わりないものだった。

殆どの時間を私は人に囲まれて過ごし、ノースは気を許す数人の友人とだけ一緒にいる。そして昼休みだけ修練場に集まってお昼ご飯を共にして訓練をする。


「そういや、イベリスは毎日ここに来てて大丈夫なのか? いっつも誰かと一緒にいんだろ」

「今更なことを気にするわね」

「こんなにずっと来るとは思ってなかったからな」

「私もこんなに通うとは思わなかったわ」


ノースから貰ったサンドイッチを頬張って笑う。彼が意外にも料理上手だと知るとも思っていなかった。

サンドイッチと交換したハンバーグをノースは美味しそうに食べている。当たり前に料理人が作ったものだ、料理なんて両親が私にさせるわけがない。


「私はみんなと仲がいいけど、平等に距離を取っているから大丈夫よ」

「でも、婚約者がいないんだろ。こんなとこで油売ってていいのか?」

「私が行き遅れるとでも? 求婚されて求婚されて仕方ないくらいよ」

「そりゃあの外面ならそうだろうな。ほら、3年に第三王子が編入してきただろ。あれは向こうからは来ねぇだろ、狙いに行かなくていいのか?」

「ローダンセ殿下ねぇ」


隣国の留学から戻られて3年生に編入された我が国の第三王子、ローダンセ・エマーティノス殿下。艶やかな黒髪が麗しい知的な美青年の殿下は未だ婚約者がいない。王位継承権はほぼないと言ってもいいが、代わりに前王妃様のご実家の公爵家を継がれることが決まっている。そのため、婚約者のいない令嬢が沸き立っているのである。

ローダンセ殿下のことを思うとちょっとだけ自嘲するような笑みが浮かんでしまう。私の常にない反応にノースも興味を惹かれたようだ。


「なんだ? もう振られたのか?」

「貴方デリカシーってもんがないの? でも、似たようなものかもしれないわね」

「はっ!? 本当に!?」

「はっきり迫って、はっきり断られたわけじゃないわよ」


そう言ってノースに7年前のことを語る。


それは第二王子の13歳の誕生パーティーでのことだった。誕生パーティーとは名ばかりで、第二王子の婚約者探しが本題だったのは誰の目から見ても明らかだった。私の両親もそれはそれは気合いを入れていた。私なら第二王子を誑し込むこともできると思っていたのだろう。いつも以上に飾り立てられた私は両親に連れまわされて色んな人に愛嬌を振りまいた。

対してお姉様は既に婚約者が決まっていたし、第二王子に見初められることはないだろうと両親も決めつけていたから、パーティーが始まって早々に別行動をとっていた。ちょうど一息ついた所でお姉様の姿を探せば、お姉様は見覚えのない少年と一緒にいた。その頃から優しさ故に変な輩に絡まれることが多かったお姉様だったので、またかと思って両親には気分が優れないと嘘をついてお姉様の元へ急いだ。


「お姉様、どうされたの?」


そう声をかけた瞬間、お姉様が少し悲しそうな顔をしたから、自分の早とちりに気付いた。お姉様は少年と楽しく談笑していたのだ。でも、私がここにきてしまった。みんな私を見るとあっという間にお姉様を忘れてしまう。私はまたお姉様の幸せを邪魔してしまった。


「あら、お話中だったの? お邪魔をしてしまったかしら」

「いえ、そんなこと、ないわよ」

「妹君ですか? 貴女の姉上に助けてもらったんだ」

「まぁ! さすがはお姉様だわ」


けれど、少年はお姉様のことを忘れなかった。

その場に私がいても少年の目に映っているのはお姉様だった。彼は私の外見に惑わされずにお姉様の心の美しさに惹かれている。なんて素敵な人なんだろう、と思った。一瞬で恋に落ちて、そして同時に失恋した。内面を愛する人が私を好きになるわけがない。その証拠に少年はお姉様に恋をしていた。

パーティーの帰り道、お姉様は馬車の中でぼんやりとしていた。


「素敵な方だったわね、お姉様」

「えぇ」

「落ち着きがあって大人っぽかったわ」

「そうね、ご自身より周りに気を遣われる方だったわ」

「お話も面白かったわ」

「とても博識だったわね、きっと勤勉なのね」

「お姉様、好きになられた?」

「す!? ちょっと話しただけよ、そんなわけないじゃない!」


真っ赤になるお姉様に両想いであることを確信した。

私はその時に一番欲しいものは一生手に入らないんだって気付いてしまって、泣きそうになるのを誤魔化すように、ふーん、と興味がなさそうな返事をして窓の外を眺めた。




「とまぁ、そんな感じで失恋したのよ。あの少年がローダンセ殿下だったって知ったのは、ずっと後のことだったけどね」

「へぇ、この国の偉い奴らはみんなアンタに骨抜きになるような節穴ばっかかと思ったが、趣味がいい奴もいるんだな。気が合いそうだ」

「お姉様を見初める方だもの、確かな審美眼があるわ。でも、殿下は貴方と違って博識で振る舞いだって優雅よ、気が合うだなんて自惚れもいい所ね」

「悪かったな、お上品なことは性に合わねぇんだよ」


そう言って食事を終えたノースは訓練を始めてしまう。その真剣な横顔に、やっぱり私には手に入らないわね、と心の中で呟く。外見に惑わされず、内面に惹かれる人はどうしたって私のことを愛さないのだ。




あの人は嫌、この人は嫌と駄々をこねているため私には婚約者はいないが、我儘を言えないお姉様には婚約者がいる。それも心底最悪な婚約者が。

お姉様の婚約者はアンスリウム・プラーシノ、お母様の実弟ナルシサス・プラーシノ伯爵の次男である。

定期的に婚約者の仲を深めるという名目で行われる食事会。今回はアンスリウムだけじゃなくてナルシサスまでやってきた。


「久しぶりだね、イベリス。姉上に似てより一層美しくなった」


そう微笑むナルシサスはプラチナブロンドにアイスブルーの瞳をした母と私にそっくりの美男である。一緒に出迎えたお姉様なんて存在しないかのように、私にだけ世辞を言う。昔からそうなのだ、この男も私だけを可愛がる。まるで愛娘のように。鼻で笑ってしまいそうになる。


「父上、僕より先にイベリスに挨拶しないでくださいよ。イベリス、相も変わらず可憐な君と夕食を共にできることが嬉しいよ。……ああ、カメリアも今日は招いてくれて感謝する」

「ふふふ、ナルシサス様もアン様もお上手ですわ」

「……アンスリウム様とナルシサス様も、息災なようで何よりでございます」


婚約者のアンスリウムも父親に似て美しい男である。美しいが、顔だけの無能な男だ。婚約者は私ではなくてお姉様であるのに、私に対してでれでれと頬を緩める。

こいつらも、そして両親も終始この調子なのだ。ディナーだって酷いものだった。


「ナルシサスも来るなんて珍しいわね」


そう言う母はナルシサスを見て、満足気に微笑む。平凡な自分の夫よりも美しい弟の顔を見る方が幸せなのだろう。この女は美に対して異常なまでに執着している。贅沢な暮らしを続けるために夫のことは辛うじて我慢しているが、夫に似た姉のことは憎しみさえ抱いているようだった。


「えぇ、姉上とイベリスに会いたくて少々無理をしてきました。義兄上も羨ましい、こんな美しい華たちに囲まれながら日々を過ごしているなんて」

「ははは、まったく私にはもったいない程の贅沢だと自分でも思っているよ」

「伯父上は恵まれていらっしゃる。僕も美しい妻を娶りたかったものです」


アンスリウムは侮蔑するような視線をお姉様に向けた。釣られるように両親とナルシサスも笑う。いつものことながらあんまりな言葉に腸が煮えくり返る。本当ならお前のような馬鹿には手が出ないくらいお姉様は崇高な存在なんだ。

お姉様は何も言い返さず、なんともないフリをして震える手で料理を切り分けている。


「お姉様はエリスロー公爵家が代々得意としていた回復魔法がとてもお上手だもの、公爵家を継ぐべきはお姉様だわ。私はアン様の婚約者にはなれないわ」

「そうだな、確かにイベリスは回復魔法だけはどうにも不得手だ。だから公爵家はカメリアに継がせようと思っている、だが、なぁ」

「カメリアができるのは回復魔法だけでしょう? 他にカメリアがイベリスを上回っている所はあって?」

「その通りですね、姉上。イベリスは回復魔法こそ使えないが、他の魔法はなんだって熟す。とりわけプラーシノ伯爵家が得意とする氷魔法は目を見張るものがある。姉上の素晴らしい血をしっかりと受け継いでいるようだ」


私のフォローに、父は辛うじて同意を示すが、母はお姉様を馬鹿にしたような物言いをする。それに便乗して私を褒め称えるナルシサスに寒気がした。私がエリスロー公爵家の得意とする回復魔法が使えないのに、氷魔法は他の追随を許さないくらい得意な理由をここで言ってやりましょうか。


「それにこんな姉の顔を立てる気立ての良さを持ち合わせている。全く、イベリスの百分の一でもカメリアにも魅力があれば、こんなに憂鬱な気持ちにもならない」

「こんな娘ですまないね」


やれやれ、とでも言うように首を振るアンスリウムに父が謝った所で、とうとう耐え切れなくなってしまったお姉様が席を立った。

食事の途中で離席したお姉様に対して、「マナーの一つもなっていない」と非難する奴らを見て、お姉様が本当に結婚する前にこいつらをどうにかしなければ、と決意を新たにした。




「なぁ、なんかあったのか?」


妙にそわそわしていたノースがそう切り出してきた。


「何かあったって?」

「今日、ずっと機嫌悪いだろ。何度か見かけたけど、ずっと笑顔が硬かった。今もだ、いつもは俺の前ではしない作り笑いをしてる」

「……そんなに分かりやすかったかしら。誰にも指摘されなかったのに」

「アンタの周りにいるのは節穴ばっかだからな」


ノースに言われるまで気付かなかったが、私は昨日のことをだいぶ引きずっているらしい。昼休み以外は会話どころかすれ違うことがあるかないか、という関わりしかないのに、それでもノースは私がおかしいことに気付いたようだ。私は目立つからよく目に入ったのかもしれない。


「昨日はお姉様の婚約者との食事会だったの。婚約者の父親まで来て大変だったのよ」

「へぇ、それは堅苦しくて大変そうだ」

「婚約者はいとこで婚約者の父親は母の弟だから割と砕けたものよ。それよりも、婚約者も叔父も私のことが大好きでお姉様のことを蔑ろにしているから嫌なの」

「アンタの姉さんは苦労が多いな」

「えぇ、本当に。……ねぇ、少し秘密を話してもいい?」


ノースを見上げながら、ぽつりと零れた言葉は思っていたよりも弱々しく頼りなかった。そんな私の様子にノースは口を引き結び真面目な表情をして頷く。


「私の本当の父って、その叔父なの」


心底驚いたように目を見開くがノースは何も言わない。それをいいことに話を続けていく。


「母はね、美しさに囚われているの。幼い頃から私にだけ母は自分の気持ちを溢していたわ。きっとそっくりな私に自分を重ねているのね、自分の分身とでも思っているのよ。

母は平凡な顔をした父とは結婚したくなかったの。でも、借金も抱えていた伯爵家の令嬢だった母が裕福な公爵家から求婚されては断りようがなかった。どうか自分に似てくれと願った子どもも、お姉様は父にそっくりで絶望したって」


そう語る母の顔は美しい顔が嘘のように歪んでいた。母はカメリアを生んだことは自分の人生の一番の過ちだと語っていた。私にはお姉様を生んだことが醜悪な母の行った唯一の善行だと思った。


「だから、次の子どもは絶対にそうならないようにしたって、笑ったの。最初は意味が分からなかった、どうやって母が自分にそっくりな私を生んだのか。

でもね、大きくなっていく内に分かったわ。私は確かに誰からも愛される、それでも不自然なくらい私を溺愛する叔父。あぁ、この人が本当の父親なんだろうなって。叔父は母にそっくりだから、2人の間の子どもであれば浮気なんて疑われない、ただ母そっくりな子どもだと思われるもの。姉弟であれば多少一緒にいたって怪しまれないしね」

「……本当に俺に話して良かったのか?」

「ふふ、何年も1人で抱えてるのに疲れちゃったんだもの。貴方は誰にも言わないでしょ」

「言わねぇけど、そんな大事な話をするのが、俺で良かったのかよ」


困ったような顔をするノースに失敗したかな、と思う。急に公爵家の爆弾を聞かされて迷惑だっただろう。それに近親相姦で生まれた私のことを気持ち悪いと思ったかもしれない。


「私のこと、軽蔑した?」

「イベリスの母親のしたことは、アンタのせいじゃないだろ。イベリスを軽蔑する理由はない」

「そう? 私は自分のことを軽蔑しているし、嫌いよ。母にそっくりな美しい外見も、母に似て狡猾で人を操るのが上手なところも」


そう言えばノースはますます困り果てたように瞳を細める。私は何がしたいのだろう、同情してほしいんだろうか。同情して、私のことを憐れに思って、どうにか愛の欠片だけでも貰おうとしているのだろうか。なんて卑しいんだろう。

ノースの真っ直ぐな碧眼を見つめ続けることが苦しくなって俯くと、その頭をかき混ぜるように撫でられる。


「ちょ、ちょっと何するのよ、髪が乱れるでしょう!」

「アンタ確かに性格は良くないけど、母親みたいに自分の美しさに囚われて他人を裏切るようなことはしてないだろ。見た目については、俺はよく分かんねぇけど、この柔らかい髪の触り心地は嫌いじゃねぇ」

「……ぷっ、ふふふ、あははは、何それ、慰めてるつもり?」

「あ、おい、こっちは真剣に」

「うふふふふ、もう、それなら『その絶世の美貌は何物にも代えがたい至宝、我儘な所も性悪な所も全て含めて愛おしい』くらい言ってくれればいいのに」

「んな思ってもねぇこと言えるか!」


頭を撫でる手に力を込められるので、きゃあ、と楽し気な悲鳴を上げてしまう。怒ったような態度を取っていても、私が笑ったことに安堵したように口元を緩めるのは隠し切れていなかった。


「もういい、これで話は終わりだな。俺は訓練する」

「ノース、ありがとう」

「俺はなんもしてねぇよ」

「髪だけは好きになれそう」

「……あっそ」


背を向けるノースの耳が真っ赤になっていて、不器用な優しさがとても愛おしかった。




「これをイベリスに」


そう言って私に大きな花束を渡してくる馬鹿男は誰を婚約者だと思っているのだろうか。イベリスをイメージしてあの花を入れて、この色を基調にして、とか必死に説明しているが、私は大して花に興味はない。しかも、この男、私だけに花束を持ってきただけでなく、今回の訪問をお姉様に知らせていないようなのだ。道理で出迎えが私だけになるはずだ。

適当な所で話を切り上げて、お姉様を呼んでくるから先にダイニングルームへ行っていてと促す。

お姉様を呼びに行く前に花束を自室に置いてこようとしてから、お姉様は自分で花壇を耕すくらい花が好きだったことを思い出す。お姉様が迷惑じゃなければ貰っていただこう、でもアンスリウムからの花はお姉様も嫌かしら。

コンコンコンと大きめにノックをして、お姉様からの返事を待たずにドアを開ける。自室で読書をしていたお姉様は、本を開いているものの視線はどこか別の所に向いていて物思いに耽っているようだった。


「お姉様、アン様がいらしたわ。ディナーにしましょう」

「そうだったの、気が付かなかったわ。……それは、アンスリウム様からいただいたの?」

「えぇ、そうなの、とても大きいでしょう? 私の部屋だけでは飾り切れなくって、お姉様の部屋に飾っても良い?」

「……貴女がいただいたものなのだから、他人に渡すのは良くないわ。飾り切れない分はドライフラワーにでもしたらどうかしら」

「うーん、そうね、後でメイドに言ってドライフラワーにしてもらうわ」


さすがに断られてしまった、それはそうかもしれない。花に罪はなくとも嫌いな人間からの贈り物なんて見たくない。お姉様に譲れないとなれば私の中で花束の価値は一切なくなった、左手でぶら下げるような適当な持ち方になる。

そんなことよりも、お姉様のあの物憂げな表情の方が重要だ。最近、よく見るようになった、初めてローダンセ殿下に会った時と同じ顔。


「お姉様、なんだか最近ぼんやりしてるわね」

「そうかしら、そうかもしれないわね。アンスリウム様がいらしたことにも気が付かなかったし」

「まるで恋煩いをしているようだわ」

「恋煩い、だなんて。そんなわけないじゃない、私はアンスリウム様と婚約しているんだもの、恋なんて必要ないわ。少し学業について悩んでいるだけよ」

「そうなの、私の勘違いならいいのだけど」


間違いない、素直なお姉様は嘘が下手だ。お姉様は恋煩いをしている。

きっとローダンセ殿下だと思うが、確証はない。お姉様とローダンセ殿下が一緒にいる所を見たことがないのだ。もしかすると、別の相手に懸想しているのかもしれない。私としてはローダンセ殿下であればお姉様を任せるのに安心なのだが、他の人だとしても応援したい気持ちに変わりはない。


どうにかお姉様の思い人を突き止めなければ、と思ったが、それはすぐに分かった。

ディナーはいつも通り私が中心なのだが、途中で話題が最近の学園のことになり、今現在一番学園を賑わせているローダンセ殿下の話になったのだ。


「噂で聞いてはいたけれど、ローダンセ殿下は留学から戻られているのね。イベリスからは殿下の話は聞かないわね」

「私は学年が違うから関わりがないもの。お姉様とアンスリウム様は同学年でしょう? お話しになったりするの?」

「いや、殿下はいつもご令嬢方に囲まれていて、なかなか話す隙がないよ。もしかして、イベリスも殿下のことが気になっているのか?」


お前には聞いてない、と言いそうになるのをぐっと堪える。私はお姉様からローダンセ殿下の話が聞きたいのだ。

しかし、私がローダンセ殿下に気があると勘違いした両親とアンスリウムは勝手に盛り上がり始める。


「まぁまぁ、イベリス、そうなの? ローダンセ殿下を最後に拝見したのは留学に出られる前だったから3年前だったかしら、その頃から前王妃様に似て涼やかなお顔立ちだったわね。とてもお似合いだと思うわ」

「ローダンセ殿下は公爵家を継ぐのだったな、きっと良い暮らしをできるだろう」

「伯父上、伯母上、少々気が早いのではないですか!?」

「そうよ、お父様、お母様。私はローダンセ殿下とは一度しかお話したことがないわ。その時だって、私よりもお姉様の方が殿下と親し気にされていたわ」


慌ててお姉様に軌道修正するが、お姉様は困ったように言い淀む。おや、と思う。もし何もなければ少々自己評価が低いお姉様はすぐに「そんなことないわよ」と否定されると思ったのだ。だが、言い淀むということは、親しいとお姉様本人も感じているのかもしれない。


「まさか、イベリスよりもカメリアと親し気にするなんてありえないだろう。こんな女といて楽しいことなんて何もない」

「ローダンセ殿下は初心な方なのかもしれないわね。イベリスには緊張して、上手く話せなかったのかもしれないわ」

「なるほど、ありえるな。私だってシレネと初めて会った時はあまりの美しさに何も話せなくなってしまった」

「まあ、貴方ったら」


これは、と私がお姉様の恋のお相手を確信して喜んでいると、奴らはまた口々に好きなことを言い出す。ローダンセ殿下はお前らとは違って、愚かじゃないからお姉様と一緒にいることに幸福を感じるのだ。勝手なことを言うな。


「けれど、やっぱり僕はイベリスがローダンセ殿下に近づくのは反対ですよ」

「アンスリウムったら、可愛らしい嫉妬ね」

「嫉妬だけではありません! ローダンセ殿下は変わった方なのです。隣国に留学した海外かぶれですよ、祖国を尊重されない方じゃないですか」

「確かに、第三王子でありながらこの年まで婚約者がいないというのも不自然だ。いくら王位継承権がないにしても、公爵家を継ぐのだから無責任とも思える」

「もしかしたら、婚約者が来ていただけないような事情があるのかしら」

「なるほど、伯母上、鋭いですね。素晴らしいのは上っ面だけかもしれませんね」


お姉様を扱き下ろすのも我慢ならなかったが、今度は第三王子であるローダンセ殿下まで貶し始めるのでさすがに驚いてしまう。こいつらには知性が備わっていないのだろうか。

すると、横からバンッと物凄い音がした。何事かと思えば、お姉様が両手を机に叩きつけて立ち上がった所だった。その顔には怒りが浮かんでいる。この顔を見るのは私が怒られた8年前以来だ。


「ローダンセ殿下のことを何も知りもしないくせに、憶測で貶めるような発言をされるなんて貴方方に恥はないのですか!?」

「な、なんだ、急に……そ、そんなに声を荒らげて下品だぞ!」

「尊いお方を嘲笑うことよりは幾分マシだと思いますわ」

「親に向かってなんて口を利くんだ!!」


父に言い返されてもお姉様は一切引かない。こんなお姉様を見るのは初めてだ。粛々と親に従っていたお姉様が反旗を翻すくらいに、ローダンセ殿下は大切な存在なのだ。


「なんて女だ! 父に対してそんな不躾なことを言うのか! 公爵家の令嬢として相応しくないんじゃないか!?」

「アンスリウムの言う通りだわ。あぁ、私はなんて娘に育ててしまったのでしょう」

「皆、落ち着きましょう。お姉様の言い方は良くなかったけれど、私も殿下を蔑むような言葉は駄目だと思うの」


混沌としだした場を私が笑いながら止めに入る。そうすればみんな我に返ったようで、静かになった。

私はお姉様がこれほどまでに誰かを思っていることが嬉しかった。ローダンセ殿下ならばお姉様の思いに応えてくれて、大事にしてくれると確信できたから、余計に嬉しかった。


「そ、そうだな、それは、私たちも良くなかったかもしれない」

「そうですね、伯父上。ごめんね、イベリス。大声を出してしまって、怖がらせてしまっただろう」


反省の見られないアンスリウムにお姉様はまた怒りが込みあがってきたようだが、その左手を握って止める。


「お姉様の怒りは分かったわ。でも、ここでの発言をローダンセ殿下はお聞きになっていないのだから水に流しましょう」

「それは、確かに、そうだけれど」

「大丈夫、大丈夫だから、お姉様。全部上手くいくから」


お姉様には意味が分かっていないようだったが今は良い。

私がお姉様とアンスリウムの婚約を台無しにして、お姉様とローダンセ殿下をくっつけるのだ。




翌日から私は学園でアンスリウムと行動を共にすることにした。

今までアンスリウムも一応は理性があったのか、学園では積極的に私に近付かず、お姉様の婚約者という立場を守っていた。しかし、私の方から近付いてやればイチコロだった。あっという間に人目も憚らず私を横に置くようになった。

周りの評判も下げるのも目的の一つだったのに、婚約者の妹に手を出してという否定的な人よりも、イベリスの方がいいよね分かるみたいにアンスリウムに同情的な人や、美しい二人が真実の愛を掴もうとしていると応援している人の方が多くて、馬鹿の多さに頭を抱えてしまった。

アンスリウムがべったりだから、昼休みに修練場を訪れるのも週に1度か2度が限界になってしまったのは、予想通りだったとしても辛かった。


「婚約者が姉さんとの婚約を破棄したらどうするつもりなんだ?」


聞いてくるノースが心配そうな表情をしているのは、修練場を訪れる私が常に苛立っているせいだろう。馬鹿男の相手は大変だ、あいつの口からお姉様の悪口が止まらないのが腹立たしい。自分によく似た外見というのも嫌なのだ、私は自分の外見を愛せない。そして何より、お姉様に虐められているという嘘を吐くのが苦しかった。相手から婚約破棄を言い出してもらうために、お姉様が公爵家を継ぐに相応しくないと思わせなければいけない。だとしても、お姉様を貶めなければいけないことに心が擦り減った。


「そしたら、私がアンスリウムと結婚するんでしょうね」

「アンタの外面しか見てない男と? それに、その、本来ならそいつは」

「異母兄よ。父も母も両方同じだった母と叔父よりはマシね」

「笑えねぇよ。母親や叔父が何も言ったり……しねぇよな」

「しないでしょうね。美しい子どもを作るために姉弟でまぐわうような人たちよ。むしろ、喜ぶわ」


私がふっ、と鼻で笑うがノースは表情を変えない。労わりの思いを不機嫌な顔の中に隠してしまう彼がこんなにもありありと憐れみを向けていることに自嘲が浮かぶ。そんなにも今の私は不安定に見えるのだろうか。


「私は大丈夫よ。今までと変わらないもの。私を溺愛するいとこと両親と叔父に囲まれて、私が願ったことはなんでも叶えてもらえるのよ。いえ、敬愛するお姉様を目の前で貶されることがなくなるでしょうから、もっと良くなるわね。誰もが羨むくらい幸せよ」

「思ってもないこと言ってんじゃねぇよ。自分の外面だけを好いてる奴も、思い通りになる毎日も、アンタは嫌いだろ」

「そうね。でも、お姉様が不幸になるのはもっと嫌いよ」

「なら、姉さんと婚約者が婚約破棄をした後にアンタも逃げればいい」

「簡単に言ってくれるわね、何処に逃げろって言うの」

「俺と来ればいい」


言われている意味が分からなくて、しばらくただノースのことを見上げる。私を見つめるノースは剣を振るっているときと同じくらい真剣な目をしていた。


「隣国には冒険者ギルドがあるらしい。危険もあるだろうが、俺とイベリスなら大抵のことはどうにかできる。貴族のような豪華な生活はできないが、予想外の連続の生活はきっと気に入る」

「何それ、ノースが私と一緒に逃げるって言ってるの? 魔法騎士団の道を諦めて? 家に縛られる私が可哀想だって同情しているの? お人よしもそこまできたら病気よ、他人への慈悲で人生を棒に振るなんて馬鹿だわ。そんな憐れみ、私は望んでない」


ノースに事情を話すんじゃなかった、優しいこの人は私を見捨てられないのだ。そもそも、親しくなったことが間違いだった。そうすれば他人を愛することを忘れていられたし、今、こうして彼と逃げたいなんて思うこともなかった。

このまま一緒にいては縋ってしまいそうで、この場を立ち去ろうとする。けれど、それは私の右手を捕まえたノースによって阻まれてしまう。立ち上がって私と向かいあったノースは痛みを堪えるような苦しげな顔をしていた。


「同情なんかじゃない、そんな、優しさじゃない。俺は俺自身の我儘でお前に一緒に逃げてくれって言ってんだ」


右手を引っ張られノースの腕の中に閉じ込められる。すっぽりと収まってしまった私は混乱で固まって、口を開くこともできなかった。


「イベリス。アンタが他人のモノになる所なんて見たくねぇ。それで不幸せになるっていうなら、尚更だ。俺はアンタが好きなんだよ」

「う……嘘だわ、そんなわけない!」


衝撃の告白に我に返ってノースの胸を押して体を引き離す。素直に離れてくれた彼は嘘をついているようには見えない。でも、そんなわけはない、外見に惑わされない彼が私を好きになるわけがない。


「私は他人を欺くのが得意だし、他人を傷つけたって心を痛めないし、自分さえ良ければ他人がどうなろうと知ったことじゃない自己中心的な人間よ! 貴方なら分かっているでしょ、そんな女を好きだって言うの!?」

「全ての人を慈しむような善性は持ち合わせていなくても、大切な人を守ろうとする優しさはあるだろ。他人を傷つけた時、自分じゃ気付いてねぇみたいだけど、それ以上に自分が傷ついてるよ、アンタは。他人を欺くのだって、自分も相手も傷つかなくていいように、だろ。アンタは凄く繊細で傷つきやすくて、でもそれを誰にも言えずに抱えてる。そんな意地っ張りなイベリスが愛おしくて、俺が守りたいって思ったんだよ。なぁ、頼む、俺のこと信じてくれ」


涙が溢れてきて、目の前のノースまで滲んで見えなくなってしまう。泣き顔なんて恥ずかしくて見られたくないのに、何年ぶりか分からない涙は簡単に止まってくれない。嗚咽を漏らしながらごしごしと目元を拭っていると、それじゃ腫れるぞと言って、また腕の中に閉じ込められてしまう。


「私、貴方のことはずっと信じてたわ。信じられないのは私自身なの。私が貴方に相応しい人間だとは思えないから」

「そうか、なら、これからずっと、イベリスは俺といるべきだって分かるまで説明し続けなきゃなんねぇな」

「ふふ、貴方にできるの? 慰めるのも下手くそだったくせに」

「んだと、俺はやればなんだってできんだよ」


いつもの軽い調子でこれから先を約束してくれる彼に笑いが零れてしまう。ノースは私が欲しい言葉を与えるのが上手だ。


「私、きっとすぐに自信を無くすわ。だから、ずっと私がノースの隣にいてもいい理由を言い続けてほしいの」

「しゃあねぇな。イベリスのそういう面倒な所は、まぁ嫌いじゃねぇよ」


ノースを抱き締め返しながら、初めて感じる胸の温かさを噛み締めるのだった。




3年生の卒業も3日後に控えた今日、私は図書室に来ていた。がらんとした図書室の奥の人目に付きにくい席、そこにローダンセ殿下がいらっしゃったことに胸を撫でおろした。

お姉様にとって屋敷は居心地が悪いから、毎日のように図書室で時間を潰してから帰宅されていた。学園の図書室は殆ど利用者もいなかったから、殿下とお会いになっているならそこだろうと思っていた。それが1ヵ月程前から図書室に寄らずに真っ直ぐに帰宅されるようになった。どこか吹っ切れた顔をされていたから殿下と何かあったのかもしれない。もし、殿下が心変わりされたのならどうしようと心配していた。けれど。


「ローダンセ殿下、お久しぶりですね」

「貴女は、イベリス嬢ですか」


私を見上げる殿下の視線は鋭い。そのことに私は安堵する。変わらず図書室にいて、お姉様の婚約者とよろしくやっている妹を憎んでいるなら、お姉様をまだ思ってくれているのだろう。


「殿下に覚えていただいて光栄ですわ。お姉様についてお話がありますの、お時間は取らせません」

「……カメリア嬢、ですか?」

「えぇ、殿下のお耳に入れた方が良いと思いまして」


お姉様の名前を出すと殿下の態度が少し変わる。敵意と不安と期待が入り混じった視線を受ながら、優雅に笑う。


「プラーシノ伯爵令息は卒業パーティーの夜にお姉様との婚約を破棄いたします」

「破棄……それは、貴女と婚約するために?」

「えぇ、そうです。私がお姉様に虐められていると嘘の告発をしたら、伯爵令息も両親も信じて婚約は破棄すると息まいておりますの」

「貴女はなんでそんなことを!? ……いや、もしかして、婚約を破棄させるために」

「その通りです」

「何故、そこまでして婚約破棄をさせるのですか」

「私はお姉様が大好きなの」

「……貴女は凄い」


表情を緩める殿下に対して首を振る。私ができるのはお姉様を自由にする所まで。その先、幸せにすることができるのは私ではない。


「その日、私も駆け落ちをします。ですから、どうか殿下にはお姉様を幸せにしていただきたいのです」

「貴女は肝の据わった方なんですね。分かりました、任せてください。私の命に代えてもカメリア嬢のことは幸せにしてみせます」

「頼もしいですわ。ですが、殿下に命を落とされたらお姉様は不幸になってしまいますから、くれぐれもご自身のことも大事にしてくださいね」

「これは浅慮でしたね。えぇ、命ある限り共に幸せになります」


殿下の言葉に深く頷くと、カーテシーをしてその場を立ち去ろうとする。そこで、あっ、という殿下の小さな声に振り返る。


「どうかされましたか?」

「いえ、大したことではないのです。ただ、カメリア嬢と貴女のカーテシーの動きがそっくりで。姉妹なのだと実感していただけです」

「それは……ありがとうございます、殿下」


一度微笑んで、今度は振り返らずに図書室を出た。私がお姉様に似ていると言われたのは初めてのことだった。殿下からすれば何気ないことだったかもしれないが、私にとっては一生の宝になる言葉だ。




卒業パーティーは卒業生のパートナーであれば卒業生以外も参加することができる。それをいいことにアンスリウムは私をパートナーとしてエスコートした。婚約者のお姉様のことは放置である。私が差し向けたとしてもそんなことをするアンスリウムは愚かだし、周りも概ね受け入れていることが信じがたい。

ローダンセ殿下もご令嬢に囲まれているが、ちらちらと1人でいるお姉様のことを心配そうに見ている。

お姉様は良く似合う清楚な白いドレスを着ているのに、浮かない顔をしていることが残念だった。


「イベリス、今日も君は誰よりも輝いているよ。しかし、君がこんな色のドレスを着るとは思わなかったな」

「ふふ、大人っぽいでしょ?」

「あぁ、イベリスの新しい魅力を見せつけられているよ」


愛する人の瞳と同じ深緑色のドレスを見せつけるように1回転すると、アンスリウムは頬を緩める。そう、今日の私は大人なのよ、もう親元から離れてしまうの。


アンスリウムと一緒にお姉様より一足先に屋敷に戻る。書斎に行けば険しい顔をした父と、悲しげに瞳を潤ませながらもお姉様を追い出せる喜びを隠し切れていない母がいた。

帰宅してすぐに書斎に呼び出されたお姉様は勢ぞろいした私たちに何事なのかと戸惑っている。


「何故呼び出されたか分かるか、カメリア」

「いいえ、分かりませんわ、お父様」


父からの問いに首を振るお姉様。当たり前だ、お姉様には一切過失はない、あるのは私の虚偽申告だけだ。


「分からないだと!? お前には恥がないのか! お前は! イベリスのことを嫉み、虐めていたのだろう! 二人きりになると暴言を吐き、イベリスのドレスや宝石を奪い、あまつさえ暴力までふるっていたそうではないか!」

「なんですか、それは!? 誓って私はそんなことなどしておりません」


アンスリウムから告げられる身に覚えのない罪にお姉様は取り乱す。けれど、アンスリウムも、父も、母も、お姉様の言葉に耳を傾けることはない。


「黙れ!! なんて娘なんだ……今までそんなことをしていたなんて、イベリスはお前のためを思って耐え忍んでいたのだぞ、それなのに、この期に及んで言い逃れをしようというのか!?」

「あぁ、ごめんなさいね、イベリス。こんなことならば、カメリアなど生まなければよかったわ」

「待って、待ってください、なんで私がそんなことをしたなんて」

「私が言ったのよ、お姉様。お姉様にされた仕打ちに我慢ができなくなって、アン様を頼ってしまったの、ごめんなさいね」


そして、みんなの言葉に傷ついているお姉様に私がとどめを刺す。ごめんなさい、お姉様。本当はこんなことを言いたくない、でも、私にはこんな方法しか思いつかなかった。


「な、何故、どうして、そんな嘘をつくの」

「嘘じゃないわ、お姉様。私はお姉様に傷つけられた、そうでしょう」

「そんなわけない、私は、貴女に何もしていない」

「したわ、貴女だけが、私にしたの」


嘘、嘘よ。でも、お姉様だけが私を愛してくれた。その愛を私は返したかったの。お姉様のような優しさが私にはないから、こんな形でしかお姉様を自由にしてあげられない。


「カメリア!! お前の暴虐にはもう我慢できない!! 婚約は破棄させてもらう!!」


アンスリウムは、自身と両人の父のサインが入った婚約破棄の書類を叩きつけた。後はお姉様がサインさえすれば、婚約破棄は成立する。


「もうお前には愛想が尽きた。いくら回復魔法が使えようとも、お前にエリスロー公爵家を継ぐ資格はない。アンスリウムとお前の婚約は破棄し、新たにイベリスとアンスリウムが婚約を結び公爵家を継ぐ事とする」

「もちろん、僕の父上もこのことには賛成している。お前のような女は僕にも、公爵家にとっても相応しくないんだよ」


震える手でサインをしようとするお姉様を3人は口々に罵倒する。今すぐその顔を張り倒してしまいたい怒りに震えながらも、どうにか婚約破棄が完了するまでは耐え忍ぶ。

サインを書ききったお姉様から小さな悲鳴が漏れ出た。


「助けて、ローダンセ殿下」

「もちろんだよ、カメリア嬢」


それに応えたのは私が手引きして屋敷に来ていただいていたローダンセ殿下本人である。

まさか本当に現れるとは思っていなかったお姉様も、何も知らない両親とアンスリウムも呆けた顔で殿下を見つめている。


「ろ、ローダンセ殿下……なんで、ここに」

「ローダンセ殿下!? 何故、我が屋敷にいらっしゃるのですか!?」


両親とアンスリウムなんか見えていないのか、殿下はお姉様にだけ優しい笑みを向ける。そこでお姉様はやっと安心したように肩の力を抜いた。


「私がお招きしたのよ」

「ど、どういうことなのイベリス!?」

「こういうことだよ、カメリア」


殿下は私を問い詰めようとしたお姉様の右手を握り、そっと跪く。その姿にお姉様は緊張したように息を呑んだ。


「カメリア嬢。7年前に私を癒してくれたその日から、私の心は貴女のことだけを思っていました。貴女が幸せになるのなら潔く身を引くつもりだったが、プラーシノ伯爵令息にも、エリスロー公爵家にも貴女を任せてはおけない。どうか、許されるなら貴女を幸せにする権利を私にいただけないでしょうか」

「私も貴方を幸せにする権利をいただけるのでしたら、喜んで」

「貴女が隣にいるだけで、私は幸せですよ」

「ふふっ、奇遇ですね、私もローダンセ殿下がいるだけで幸せなんです」


殿下は感極まったようにお姉様を抱き締めた。お姉様の幸せな姿はいつまでも眺めていたかったけれど、まだお姉様とローダンセ殿下の婚約は終わっていない、これではまだ口約束だ。2人を現実に戻すために、パンパンと手を叩く。


「ローダンセ殿下、お姉様を抱き締めて幸せに浸るのは良いですけれど、先にやることやっておくべきではなくって?」

「あぁ、すまない、その通りですね。カメリア嬢、それからエリスロー公爵、こちらの婚約書にサインをしていただきたい。私と父からのサインは既に済んでいる」


私がお姉様の婚約破棄を教えたのは3日前だったのに、陛下のサインまで入った婚約書を準備してくるとは恐れ入った。それだけお姉様のことを本気で思っているのだと分かれば安心して任せられる。


「承知いたしました、ローダンセ殿下。おい、カメリア、お前も早くしろ」

「え、えぇ、はい、お父様」


陛下のサインが入っているとあって、訳も分からないまま父はさっさとサインをしてしまう。しかし、我に返ったアンスリウムと母が黙っていない。


「ま、待て、どういうことだ!? カメリアはローダンセ殿下と通じていたのか!? とんだ淫乱女め! 僕を裏切っていたんだな!?」

「なんてことなの、そんな淫らな娘だったなんて信じられないわ!!」

「や、やめないか、お前たち、殿下の御前だぞ」

「だとしても! 婚約を交わしているうちに通じていたのだとしたら、いくら殿下であっても許されざる行為では!?」

「えぇ、えぇ、その通りよ、アンスリウムの言う通りだわ」


裏切るだの、淫らだの、この恥知らずどもは私の前でよく言えるものである。私がアンスリウムの裏切りの象徴であり、母が淫らである証拠であるのに。

こんな奴らにお姉様の幸せの邪魔なんてさせない。


「アン様、お母様、おやめください。ローダンセ殿下とお姉様は7年前のパーティーでお互いに一目惚れして以来、一途に思い続けていらっしゃった。今の今まで一切触れあうことなく、思いを育んでらっしゃった、そうでしょう? 学園の誰も、二人が一緒にいた所なんて見ていないもの」


ねぇ、と促すとお姉様と殿下はおずおずと頷かれる。ちょっと後ろめたそうな顔に、これは完全に真っ白というわけではないのか、という疑念が浮かぶ。が、両親やアンスリウムは気付いてなさそうなので良いこととする。お姉様が幸せなら多少順番が前後してもいいと私は思う。


「だから、ね、落ち着きましょう、この婚約は誰も不幸にならないものでしょ」

「……イベリスの言う通りだ。いや、頭に血が上っていたよ、すまなかった。そうだ、このまま僕とイベリスの婚約も済ませてしまおう」

「そうだわ、それがいいわ。貴方、早く書類の準備を」

「いいえ、私はアン様と婚約なんてしないわ」


私が拒否すれば、両親とアンスリウムはまた間抜け面を晒す。そんな中、ローダンセ殿下だけが私に向かって最敬礼を送ってきた。本来なら殿下ともあろう方がするものではないとお止めすべき所だが、お姉様についての礼だと分かるからそのまま受け取ることにする。


「イベリス嬢、貴女のおかげでカメリア嬢を日陰者にすることなく、共に道を歩むことができるようになりました。感謝してもしきれない。貴女の行く道が幸福に満ちていることを願っています」

「いいえ、お礼を言われるほどのことはしていません、お姉様が幸せになるのは貴方のおかげです」


私はゆっくりと窓辺に寄る。窓の外を見下ろすと書斎は3階にあるのでなかなかの高さがある。


「アン様、申し訳ありません。私はお姉様を悪く言う貴方のことがずっと大嫌いでした。

お父様、お母様、育ててくれてありがとうございます、感謝はしていますが尊敬はしていません」


そこまで言って窓枠に足をかける。慌てて止めようとするお姉様をローダンセ殿下が引き留めてくださる。そんなお姉様に最後に笑顔を向ける。これから幸せになるお姉様、そして私も幸せになる。そう思えば今までで一番素敵な笑顔が浮かべられた気がした。


「お姉様を傷つけるような方法しかできなくてごめんなさい。唯一私自身を愛してくださったお姉様、私はお姉様のことが本当に大好きだったわ。遠くにいる私の耳にも届くくらいに、これからのお姉様の人生が幸せであることを祈っております」


言い終わると同時に窓から飛び降りた。風魔法で衝撃を殺しながら降りれば、真下で馬に乗って待ち構えていたノースに受け止められる。


「お待たせ」

「おう、んじゃ行くぞ」


言うが早いか馬を走らせる。一度だけ振り返って窓から身を乗り出しているお姉様に手を振った。




馬を走らせてしばらくが経った。この調子なら夜が明ける前に国境を越えられるだろう。


「やり残したことはねぇか」

「大丈夫、ちゃんと全部清算してきたわ。お父様の書斎の机に手紙も残してきた。私が母と叔父の間に生まれた子どもで、本当に父の血を引いているのはお姉様だけだって」

「それだけか?」


もっとやらなくて良かったのか、と言いたげな好戦的なノースに笑う。けれど、これだけでいいのだ。ノースは知らないけれど、母が美に異常にこだわっているのと同じくらい、父は母を異常に溺愛している。母の裏切りを知れば、父は平常ではいられないはずだ。そして、父と母の血を受け継いでいるのはお姉様だけと知れば、どう思うだろう。憎むのではなく、愛おしく思って今までの行いを後悔してくれればいいと思う。


「伯爵の方だってそのままでいいのかよ」

「プラーシノ伯爵家はうちからの援助で成り立ってるもの。うちとの婚約が破棄されればもうやっていけないわ。アンスリウムも平民になるか、美貌を生かして二回り程年上の未亡人に身売りするぐらいしかないんじゃない? どちらにしても屈辱的な人生でしょうね」


くすくすと笑えば、ノースもめでたしめでたしか、と釣られたように笑った。

馬を走らせるノースに凭れ掛かりながら、ちょっとだけ自信を無くしたから聞いてみる。


「こんな可愛げのない私でも大丈夫?」

「……我儘な所も性悪な所も全て含めて愛おしい」

「えっ、覚えてたの?」

「覚えてたし、本心だ」


見上げたノースの顔は月明かりだけじゃよく見えない。明るくなったらもう一回言ってもらおうと決める。約束だもの、何回だって私が貴方の隣にいてもいいんだって教えてほしい。


「私も貴方の不器用な所も上品じゃない所も含めて愛おしいわ」

「ハハッ、残念なくらい俺らはお似合いだな」


俯いてしまう度にこの人は背中を叩いてくれるだろう。私はこの人の不器用な優しさと天使のようなお姉様からの愛に恥じないように胸を張って生きていくのだ。


よろしければ、姉視点『平凡な姉は初恋の第三王子に会うために図書室に通う https://ncode.syosetu.com/n3886gy/』も合わせてどうぞ

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] タイトル、妹の設定、流れの早さ [気になる点] 妹さんと彼の慌ただしく楽しい日々が気になるところ。 続編はないのでしょうか? [一言] おもしれぇ男というタイトルに惹かれて読みました。とて…
[一言] お姉さん視点を先に読んだ為、急展開に驚き強いコメントをしてしまいました。すいません。 妹視点で真相を知ると、急展開の意味がわかりました。人によって情報が限られてしまい、偏った判断になってしま…
[良い点] 「おもしれー女」に対して、いつも「イケメンは興味なさそうにされただけでおもしれー女を好きになりすぎ」とか思ってましたが 美女目線でいくと確かに「おもしれー男」は魅力的ですね…!? イケメン…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ