おふろにどぼん(パパ向け童話)
おふろにどぼん (パパ向け童話)
「ねえママ。なんでパパにただいま、ゆわないの?」
三歳の娘が、私の顔を覗き込むようにして見つめてくる。
ミーちゃんの視線まで、腰を下ろしていた私は、大人げもなく、むっと口を尖らせた。
「……パパと喧嘩してるから」
そう言うと、そんなことおかまいなしで、小さな手で私の頬を挟んでくる。
「きゃあ、ママの顔、ちめたい」
私は小さな手に挟まれたまま、リビングの机に横たえられた、マイバックをちらっと見た。袋が歪に倒れている。その中から、ジャガイモが一つ二つ、転がっている。その周りには、マフラーと手袋。
冬は苦手。冬は最悪。冬の買い物だって、最悪。行きたくて行ったんじゃない。喧嘩で居心地悪くなって、買い物を理由に出ていったのだ。
「おそと、さむかったの?」
「寒かったよー、すっごく寒かったあ」
「ミーちゃんねえ、これあったかくしといたから」
私からパッと離れて、ミーちゃんはこたつの中へと潜り込んだ。こたつ布団がもこもこ動く。その端から、裸足の小さな足の裏がはみ出していて、ああ顔でも書けそうな、可愛い小さな足だなあとしみじみ思う。
「あれ、ミーちゃん。裸足じゃダメじゃない。くつ下は? 風邪引いちゃうよ」
私は隣の和室で布団にくるまってふて寝している、パパに聞こえるように言った。もちろん睨みつけながら。
(自分の娘のお世話も、できないなんて……)
私が呆れて立っていると、ミーちゃんがこたつの中から、ごそごそバックしてお尻から出てくる。
「ほらこれねー」
腰を折る。ミーちゃんが、なにやら手にしているもの。
それは、自分のくつ下。そして、それを私の顔にくっつけた。
内心、うわあああと思ったけれど、「ママおそとさむいさむいだから、あっためといたの」
頬に当てられたくつ下は、確かにほわっと温かい。
だから、私はミーちゃんを抱っこして、そのまま大人しく、くつ下に挟まれた。
「ありがとうね、ミーちゃん。あったかいよ」
ほっぺにキスしようとしたら、あっという間にするするっと降りていってしまう。
「でねえ」
とととっと走っていき、洗面所のドアを開ける。そこから顔だけ出して、おいでおいでと私を手招きする。
「ママあ、きて。ママあ」
私を呼ぶ、大きな声。
他の赤ちゃんより、ひとまわり小さく生まれて、心配したもんだけど。
(パパなんて。いつも大丈夫大丈夫ってバカの一つ覚えで、それしか言わないんだから)
ちらっと和室に目をやって、そしてもう一度。
(ほんとに心配してんのかってことだよ)
睨む。睨みつける。
(今朝言ったこと撤回しないなら、パパなんかもう無視だ、無視)
不服な気持ちを抱えながら、洗面所へと向かう。
「ママ、おそと、さむかったあ?」
同じことを繰り返し問うてくる。私は苦笑いで、洗面所に入る。
すると。
お風呂の磨りガラスが曇っている。
「あ、朝、換気扇つけるの忘れちゃったかな」
すると、ミーちゃんがまた寒い? 寒い? と聞いてくる。
「くつ下であっためてもらったから、もう大丈夫だよ」
ちょっと忖度してそう言うと、ミーちゃんはお風呂のドアを開けて、「おフロはいるとあったかいよ」と言った。
あれ、お風呂が沸いている?
ふわりと湯気が。
さっきくつ下で温められた頬を包んでくる。
その時。
びゅおおお。
近くで木枯らしの風の音。びゅうっと吹いて、洗面所の窓ガラスがガタガタっと揺れた。
寒かった買い物。外も寒いが、スーパーも冷凍庫のようだった。
「ありがと、ミーちゃん。お風呂に入って、あったまる」
まだ三歳のミーちゃんに、お風呂を沸かすなんてできないね。
私は笑って服を脱ぎ、どぼんっと湯船に飛び込んだ。
「まってまってママ、ミーちゃんもはいるー」
ミーちゃんも一緒にどぼん‼︎
「ミーちゃん、パパなんか言っていた?」
パパはねえ、ママがだいすきなのーというミーちゃんの言葉で、まあ許してあげようか。
笑い声が、あったかい湯気といっしょに、お風呂場に響いた。