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箱庭  作者: 名野創平
3/5

第三話  箱庭(2)

「はい、お疲れさま」

 屋久は、プレイルームの床に転がっている六体の人型ロボットを格納庫に仕舞い、その一体の頭をぽんと叩いた。低反発マットレスのような感触のそれはわずかに掌の形に凹み、しかしすぐに元の球体に戻った。箱庭で使用するロボットは全身を形状記憶樹脂でコーティングされている。弾力のある素材で、外部からの衝撃を吸収して本体を保護するだけでなく、プレイヤーの事故防止の役割も担っている。

 格納庫の扉を閉めるとプレイルームは完全な直方体になった。壁も床も天井も六面全てが白く、出入口と格納庫の扉は片引きの電動ドアで開閉時以外は壁面と一体化している。

 箱庭は十畳ほどのプレイルームとそれに隣接するシステム制御室からなる。プレイルーム内での様子は全方位カメラで撮影され、制御室のモニターに映し出される。施設利用者が箱庭をプレイする際は職員が監視する決まりになっていた。

 屋久は制御室に戻ってシステムの電源を落とした。先刻まで一緒に監視役についていた同僚の常盤は、その最中に錯乱した花井百に付き添って別室に行った。屋久は、百が殴打し負傷させた弟、千歳が運ばれた併設の診療所へ向かった。

 診療所は支援施設の敷地内の奥まった場所にある。施設の建物を出て左手の木立を抜けると、緑に囲まれ、小ぢんまりとした鉄筋平屋建の診療所が見えた。

 玄関脇の受付で作業をしていた看護師に一声かけてから診察室のドアをノックする。

「どうぞ」

 と、中から嗄れ声が返ってきた。屋久が診察室に入ると、机に向かって書き物をしていた初老の医師が、その手を止めて顔を上げた。

「お疲れさまです。千歳君の具合はどうですか?」

「うん、まあ、額の傷は大したことないだろう。縫うほどでもなかったし。ただ、頭を打ってるから大事をとって隣の病室で休ませてるよ」

「そうですか、それはよかった。ヘッドマウントディスプレイを装着していたから頭部への衝撃が軽減されたんですかね。眼鏡型じゃなくてヘルメット型にしておいて正解でした」

 ヘッドマウントディスプレイとはバーチャルリアリティを実現するための入出力装置の一つだ。頭部をすっぽりと覆う装置が五感に作用し、プレイヤーのイメージする世界を創りだす。またそれは手袋型のデータグローブ、衣服型のデータスーツとも連動し、バャーチャル空間内で物を掴んだり、歩行することを可能としている。その他、内蔵されたセンサーにより脳波を感知し、ロボットを意のままに操ることもできる。

「そう楽観してもおれんよ。ヘルメット型とはいっても、実際のヘルメットほど頭部を保護できるわけでもなし。むしろ、機械を満載してる分、危険じゃないのかね」

 ボールペンの尻で頭を掻きながら医師が言う。

「そもそも二人同時というのが無理があるんじゃないのかね。棒切れ振り回して暴れるには狭すぎるだろう、あの場所は」

 屋久は頷いた。

「確かに。施設に導入されている箱庭は本来一人用ですから、二人でプレイするには狭すぎると思います。しかし、二人一緒に、というのが本人たちの希望なのもので」

「ふぅむ」

 と、唸って医師はずり落ちた丸眼鏡を太い指で押し上げた。椅子の背もたれに体重をかけて目を瞑る。屋久も、天井を仰ぎ、顎をさすりながら思案した。

「やはり、プレイヤーのイメージもモニターすべきですかね」

 天井から医師に視線を移し、屋久は尋ねた。医師は目を開けて再びボールペンの尻で頭を掻いた。

「それは得策とはいえないな。イメージを監視されれば、当然、プレイヤーは人目を気にして感情を抑制してしまう。それじゃあ箱庭本来の威力が発揮できない。その分、精神的な被害の回復も遅れることになるだろうね。私は承服しかねるよ」

「しかし、このまま続けていいものかどうか……」

「まあ、まずは、別々にプレイするようあの子たちを説得してみたらどうかね」

「そうですね。そうしてみます」

 頭を下げ、屋久は診察室を後にした。廊下に出て隣の病室のドアをノックする。今度は中から少年の声が返ってきた。

「やあ、千歳君。具合はどうだい?」

 屋久は軽く右手を上げ、ベッドの上の千歳に声をかけた。

「もう大丈夫です」

 半身を起こして窓の外を眺めていた千歳が屋久に向かって会釈をした。育ち盛りにしては線が細く、色が白い。凹凸の少ない滑らかな額に貼られた真新しいガーゼが痛々しかった。

 屋久は、壁に立て掛けてあった折り畳み椅子を広げてベッドの横に腰を下ろした。

「傷は痛まないかい」

 医療用テープで無造作に固定されたガーゼにうっすらと血が滲んでいるのを見て、屋久は眉を曇らせる。額のそれに触れながら、千歳は小首を傾げた。

「少し引きつってるような感じがするけど、そんなに痛くないです」

「そうか、それを聞いて安心したよ。ところで千歳君、箱庭で何があったんだい」

 屋久が単刀直入に訊ねると、千歳は手を下ろして目を伏せた。

「千歳君?」

 口を噤み、自分の太腿の辺りに目を据えたその顔を、屋久は下から覗き込んだ。成長期を迎え目立ち始めた喉仏が、ゆっくりと上下に動いた。

「……ロボットが、急に姉に襲いかかって……」

 千歳は右に視線を逸らし、ぽつりぽつりと話した。屋久は、千歳が自発的に答えるよう無言で相槌を打った。

「それで、姉を助けようとしたら、姉の棍棒が僕の頭に当たって……」

 そこで千歳は言葉を切って、わずかに視線をさ迷わせた。薄い唇が、躊躇いがちに何度か開いては閉じた。

 屋久は膝に置いた手を組み、前のめりになった。

「じゃあ、そのロボットはバーチャル空間では誰の役を与えられていたんだい? 君たちのお母さんを死に追いやった加害者集団のうちの誰かだとは思うんだが」

 姉弟の母親は交通事故で亡くなった。ある寒い日の晩、見通しのよい交差点を走行中、右方向から信号無視で進入して来た車との衝突事故だった。加害車両は速度超過のうえ減速もせずに被害車両の運転席側に突っ込んだ。結果、姉弟の母親は即死、相手方は四名死亡一名重傷の大惨事となった。

 加害車両を運転していたのはその日成人式を迎えたばかりの若者で、事故を起こしたのは、式典終了後に催された同窓会の二次会へ向かう途中でのことだったらしい。同窓生の証言によると運転者の青年は浴びるほど酒を飲み、かなりの酩酊状態にあったそうだ。

「あの時のことは、あまりよく憶えてません。とっさのことだったし、相手の顔を確認する余裕なんてありませんでした」

 と、千歳は口早に答えると、屋久の視線を遮るように顔の前に手を翳し、医療用テープに貼り付いた前髪を数本ずつ剥がしだした。細い指が神経質そうに忙しなく動く。拒絶の表れであろうその仕草を、屋久はしばらくの間、ただ黙って眺めていた。

 ややあって、テープから剥がす髪がなくなると、千歳が上げた腕の陰からちらりと屋久の様子を窺った。その一瞬を見逃さず、屋久は口を開いた。

「なあ、千歳君。次回から箱庭でのプレイは一人ずつにしたほうがいいんじゃないか」

「え、でも……」

 千歳が愕然とした面持ちで屋久を凝視した。幼さの残る黒目がちの瞳に動揺の色が浮かんでいる。

「君たち姉弟が一緒にプレイすることを望んでいることは重々承知しているし、最初にそれを許可したのは俺たちだから今さらこんなことをいうのは申し訳ないとは思うよ。でも、あの時とは状況が変わったんだ。分かるだろう?」

 屋久は噛んで含めるように諭した。

「でも、……一緒じゃなきゃ意味がないんです」

「それはどういうこと? 何故、一緒でなければ意味がないんだい」

 千歳が苦しげに顔を顰める。

「そもそも、二人一緒にプレイしようと言い出したのはどっちなんだい。お姉さん? それとも君?」

 そう問いかけてはみたが、二人一緒にと提案したのは姉の百に違いない、と屋久は確信していた。

 姉弟の父親の言によると、母親の生前の二人は、よく笑い、よく喧嘩をする仲の良い姉弟であったらしい。その関係は母親の死を境に一変した。母親の事故の原因が弟にあると姉は責め、当の弟自身も自責の念に駆られているのだと父親は涙を流した。

 千歳が百に対して負い目を感じているであろうことは、必要以上に百の顔色を窺う千歳の態度を見ていれば、容易に想像がつく。

「君たちの意思は尊重したいけど、そうもいってられないよ。このまま続けるのは危険だ」

 屋久がきっぱり告げると、千歳は今にも泣き出しそうに顔を歪めた。

 その時、ドアがノックされ、常盤が百を伴って病室へ入って来た。百はベッドの上に千歳の姿を見つけると、駆け寄り、その体にしがみ付いて何度も泣いて謝った。千歳がその背中を無言で撫でる。

 よく似た面立ちの姉弟が抱き合う様に、屋久は言い知れぬ不安を覚えた。そしてふと戸口を見やると、そこには浮かない顔をした常盤の姿があった。

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