11月10日-15
「…そ、そうだ…!! かなえさんは……!?」
真都とお坊さんたちが姿を消し、一人ぽつんと取り残された僕は、ふいに
重大なことを思い出し、辺りを見渡した。
ヤツから食らった攻撃で、もしかしたらひどいケガをしてるかもしれない。
それなら急いで病院に連れて行かなきゃ……。
「え……、あれ……」
でも、さっきまで倒れていたはずのかなえさんの姿は……もうそこには
無かった。鉛のように重い足を引きずって、何とか辿りついたさっきの場所
には、かすかな血の跡だけが残されていただけで、かなえさんも煙のように
消えていた。
「かなえさん…どうしたんだろ。一人で帰ったのか…」
唐突に…ひゅう、と冷たい風が僕の身体を撫でた。急に静寂を取り戻した
街に、ひゅうひゅうと風が鳴く。
その静けさに、僕はまるで……世界にたった一人だけ取り残されたような
気がした。
「…そう言えば打ち上げ……結局できなかったな……。絵依子のやつも
あんなに楽しみにしてたのに…。いや、でもあいつ一人を放って行ったら……
化けて出そうだしな。あいつの意地汚さは筋金入りだもんな。ははは……」
ぽつり、とそんな言葉が口をついて出た。いつもの絵依子ならそれを聞いた
とたん、ぷんすか憤慨しながら僕の頬っぺたをつねってくるはずだ。
だから僕は…今にもあいつがすぐ後ろに忍び寄ってきている気がした。
「人聞きの悪い事言うなーっ! レデーにむかって意地汚いとか言うなーっ!」
「……え、絵依子っ?!」
突然聞こえた声に、とっさに僕は後ろを振り返った。でも、そこにはやっぱり
誰の姿もなく、あるのはただ…穴だらけのアスファルトと瓦礫の山の、さっきの
戦いの跡だけだった。
「は……はは……。そりゃ…そう…だよな、はは……ッ……く…っ…!」
思わず口から…苦笑が漏れた。続けて…今ごろ目からぽろりと涙がこぼれた。
そのまま僕の目は壊れてしまったかのように…涙を地面に落とし続けた。
まるで今日という日を無かったことのようにするために。
…全てを洗い流そうとしているかのように。
たっ・・・・・・ッ
ぽた・・・っ・・・・・・ッ
その時、僕の顔からではなく、もっともっと高くから落ちてきた水滴が……
ぽつりと地面を叩いた。
それはもしかしたら、僕の願いが天に通じたのかもしれない。
そうだ……僕の涙なんかじゃ全然足りない。もっともっと…全てを洗い流す
にはこんなもんじゃ足りない!!
「う……う…ぅッ……! うぁ……ぁ……ぁ…ぁ……っっ……!!」
だからこの雨が永遠に止まないことを………僕は祈った。
・
・
・
・
・
・
………いったいどれぐらい、そこに僕は立ち尽くしていたのか。それさえ
分からないぐらい、僕は雨に打たれていた。そして…泣き続けていた。
身体はとっくに冷え切って、指先まで感覚が無い。それでも、雨雲の向こう
の空が、かすかに白み始めていることにふと気がついた。
「…そろそろ帰らなきゃ…な。母さんが待ってる……」
…そうだ。僕は家に帰らなきゃいけない。昨日母さんと約束したんだ。朝
には家に帰るって。
無理やり足を動かそうとしたとたん、今頃になって急に身体のあちこちが
ずきずきと痛み始めた。それでも何とか僕は足を動かし続けた。
まったく……今日は色々とハードな一日だったもんな…。
歩きながら…僕は考えていた。母さんには絵依子のことを……どう話せば
いいんだろう。
…全部、本当のことを話すべきなのか。
……それとも…死んだことだけを伝えるべきなのか。
…………あるいはいっそ…全て隠してしまう方がいいのか…。
…そう、例えば…昨日の遅くにケンカして、怒った絵依子が家出みたいに
飛び出してしまって……とか…。
それっきり…連絡もつかないとかで…うやむやにしてしまう…とか…。
「…いや…、でもそんなの…無理だよ……なぁ……」
考えながら、痛む身体を引きずりながら、雨の中を歩く。
ふと気づくと、もう枯れ果てたのか、涙はとっくに止まっているようだった。
あるいはもう顔を伝う雨と区別がつかなくなっただけなのかもしれないけれど。
でも、それでも。
絵依子のことを母さんに伝えた時、きっとまた僕は泣いてしまうだろう。
だから…無理だ。今日のことを……隠しておくなんて。
「やれやれ…そんなことじゃダメなのにな……。そんなんじゃ…きっと絵依子に
笑われちゃうな…。だからいつまでも子供なんだから、って…はは……」
……再びこみ上げてくるものをこらえながら、気を抜くと止まりそうになる足を
引きずって…僕はどうにか歩き続けた。
がちゃり・・・
玄関のノブを回すと、鍵は掛かってはいなかった。
すっかり夜が明けた頃にどうにか家に帰りついた僕は、ほんの少しの安堵と、
これから話す内容が母さんにもたらすであろう悲嘆を思いながら…静かにドアを
開けた。
「あら、おかえり! ずいぶん早かったわねぇ…って! あんたびしょ濡れじゃ
ない! どうしたの!? 傘持ってなかったの!?」
「あ……、うん……」
目を見開いて、母さんが驚いた表情で出迎えてくれた。あぁ、そう言えば雨が
降ってたんだっけか…。
「…まったくあんたって子はホントにもう…さっさと体拭いてきなさい!」
「う……ん……」
いつもの苦笑いを浮かべながら、母さんがすっ、と風呂場を指差した。それに
従って、僕はのろのろとその方向に向かった。
頭や身体を適当に拭いてから、部屋着に着替えて僕はダイニングに戻った。
テレビからは朝のニュースが流れているようだけど、少し様子が変だ。
『…この時間は予定を変更してお送りしております。すでにお伝えしたように、
本日未明、市内にある財団法人「真創会」所有のビルが爆破され、少なくとも
2名の死者が出た模様です』
『死亡が確認されたのは、「真創会」の会長である「雄々神 獅子遠』氏と、
来日中のスウェーデン出身のデザイナー、『ソニア・エルンステッド』氏です。
二人の間にどのような関係があったのかは明らかではありませんが、警察では
テロの疑いもあるとして、調査を進めております』
「…………」
「あら、もういいの? 一応お風呂も沸かしておいたから、入ったら良かった
のに」
「うん……、このニュースって……」
「…テレビ点けたとたん、ずっとこれよ。テロかもしれないって話だけど…イヤ
ねぇ、ほんとに」
ダイニングに戻ると、テレビを見ながら母さんがため息をついていた。テレビ
に映る被害者らしき外国の女性は、とてもきれいな人だった。
そして、この女性に……なぜか僕は見覚えがあるような気がした。
「そういえばあんた、朝ごはんは? 食べる?」
「う……、うん……」
「じゃあ用意するからちょっと待ってなさいね。学校は? 行くの?」
「あ……、う、うん……。あの……かあ…さん……?」
「おかずはハムエッグで良いわよね?」
…いつも通りの母さんの様子を伺いながら……僕は改めてこれからのことを
想像して…息苦しさを覚えた。
『…あら? ところで絵依子は?』
…いつそんな言葉が出てくるか、それが怖くて……仕方がない。でも、その時
が来たら……僕は話さなければならない。全てを。
そう……僕は決めたのだから。
それを聞いた母さんは…きっと泣くだろう。そして……僕も。
またじわりと込み上げてきた、痛みにも似た目の奥の熱さをこらえながら、
僕はなるべく自然に…椅子に座り直した。
「…それにしても、あんたがお友達の家にお泊りするなんてねぇ。何? もしか
して女の子だったりして?」
「あ…うん…。そう…なのかな。いや、そういう訳じゃないか……」
「…? …ヘンな子ねぇ…。さっきから何言ってるのか判んないわよ。…向こうの
お宅にご迷惑とかお掛けしなかったでしょうね?」
「う…うん……。たぶん…」
「……何だか判んないけど、だいぶ疲れたみたいね……」
「うん……」
まるで針のむしろのような椅子に座り、母さんが作ってくれる朝食を待ち
ながら、僕はそれがいつ出るかと押し潰されそうだった。だけど、鼻歌交じりに
コンロに向かっている母さんからは、一向にその気配がない。
「………?」
その時…僕はテーブルの上の異常にふと気がついた。
…テーブルの上には、いつものようにお茶碗や皿…、そして箸が置かれてある。
でも、そこになぜか……絵依子の分がない…。
僕や…母さんの分はあるのに…。
「か…母さん…、こ、これ……」
味噌汁の鍋を持ってきた母さんが、それをお椀に注ぎながら……僕の指差す
テーブルの上を怪訝そうな目で見る。
「…? 何? 何かおかしい?」
「え…い、いや…おかしいって言うか…」
「……ヘンな子ねぇ…。さっきから本当にどうしたの?」
何か……、何かがおかしい。お椀やお皿もそうだけど、そもそもさっきから
母さんは絵依子のことにまったく触れようとしてこない。僕たちがいっしょに
いたことは昨日の電話で伝えてあるのに。
そのことに触れられれば、すべてを話さなくてはいけない。さっき僕はそう
決めたのだ。だから触れられることは正直…辛い。
だけど……僕がならともかく、母さんがとぼける理由なんか無いはずなのに、
これはいったい…どういうことなんだ…!?
いくらなんでも…これは…変だ。
……僕は意を決して、今からすべてを話そうと思った。そうすればこの奇妙な
状況に終止符が打てる。
そう………思った。
「…母さん…、あ、あの……大事な…話があるんだ……」
朝食をテーブルに並び終え、自分も椅子に腰を下ろした母さんの目を、真っ
直ぐに見ながら僕は話を切り出した。
「なーによ? 改まっちゃって。何? やっぱり彼女が出来たとか? どんな子?
どこに住んでるの?」
「…ち…違うッ! その…絵依子の…ことなんだ…!」
「…えいこ? あんた…何言って…、って、あ、それ…彼女の名前?」
母さんがぽかんとした顔で僕を見つめ返している。その目はとぼけている訳
でも、嘘をついている風にも…とうてい見えない。
「か、母さんこそ何言ってるんだよッ! 違うッ! 妹の絵依子だよ! え、
絵依子は…その…さっき…」
そこまでを必死に絞り出したとたん、いきなり母さんが怒ったような呆れた
ような表情で立ち上がった。
「…何を言いだすかと思ったら。あんた、友達の家でヘンなクスリでもやって
きたんじゃないでしょうね!! もしそうだったら…母さん許さないわよ!!」
「………!!??」
な…何を言ってるんだ…? 母さんは…。
絵依子のことなんか…知らないとでも言うのか…!?
……ぐらり、と地面が一回転したような…、…そんな錯覚…いや、得体の知れ
ない不安のような感情が…湧き上ってきた。
そんな…そんなバカな……!?
「…………ッッ!!!」
弾かれたように僕は立ち上がり、びしょ濡れのままのバッグを蹴り飛ばし
ながら寝室に飛び込み、あいつのタンスの中をかき回した。
でもそこに絵依子の服は一つも見当たらなかった。制服も部屋着も何一つ、
カバンさえも見当たらない。
いや…絵依子のいた痕跡全てが…、どういう訳か………家の中に一つも…
見当たらない……!!
また……地面が、天井が、世界がぐるりと回った。今度は2回転………いや、
3回転だ。
でもそれは世界が回っていたんじゃなく、僕自身が回っていたと言うことに、
寝室の畳に顔をぶつけるまで僕は気がつけなかった。
「ちょ…ちょっと! 瞬弥! どうしたのッ!」
どこか遠くで母さんの声が聞こえる。それがさらにどんどんと遠く、小さく
なっていく。
代わりに…耳鳴りのような音…、いや、声が聞こえてきた。
「ま…失…っいだ……」
「…ん回も…駄……だ…たか…」
「……ぎは………待して……るぞ……」
何を言っているのかよく分からない声が、頭の中に鳴り響く。母さんの声じゃ
ない。僕の声でもない。いや、誰の声でもない。聞き覚えのないこの声は……
なんだ……?!
「しゅ…瞬弥っ! 瞬弥! きゅ、救急車っ! きゅうきゅ……」
……母さんの悲鳴のような叫びと、訳の分からない声が重なり、最後まで聞き
取れないまま、僕の意識は闇に沈んでいった…。
さっき蹴り飛ばしたバッグから飛び出た、僕の画材と……覚えのない白い紙袋
を見ながら。




