11月10日-14
僕たちは身を潜めていた場所から飛び出し、ヤツやみんなが残されている、
元いたところへ駆けた。
大通りを駆け抜ける真都に遅れないように僕も全力で突っ走る。そして1分も
しないうちに…さっきまでの場所にたどり着いた。
「…かなえさんっっ……!!」
さっきの場所に倒れたままのかなえさんも、ロストもまだそこにいた。ふら
ふらと目的も無く、ヤツはひたすら周囲の建物や物体を「食って」いる。
……絵依子を飲み込んだように…。
ビルの屋上からは、かすかに動く人影がいくつも見える。お坊さんたちも
まだ無事のようだ。間に合った…!
「おオぉぉ…お…ウぅゥ…う…いィいい……イッッ…!」
…僕たちに気づいたらしいヤツが、また気持ち悪い声を上げた。でも今すぐ
黙らせてやるから…待ってろ!
ロストから20メートルほどのところまで近づき、僕たちが立ち止まると、
ヤツも僕たちに向かってのろのろと歩き始めた。そこまでを確認してから、
僕は真都にあのカードを差し出した。
「……真都…」
「…………っ」
真都が一瞬、手に取るのをためらった風に見えた。でも、すぐにしっかりと
受け取りながら、小さく…ささやくようにつぶやいた。
「…ここまで来たら…もう一蓮托生や。瞬ヤン……。この錫杖…ウチと一緒に
握ってて…くれへんか……?」
「うん…。最初からそのつもりだよ。二人で…僕たち二人でやろう…! そして
アイツを……!!」
折れた真都の左手の代わりに、僕の手が錫杖を支える。その上から、そっと
添えるようにして、真都の左手が触れる。
深呼吸するように、大きく息を吸った真都がカードを目の前にかざすと、固く
閉じられていた瞼が…ゆっくりと開かれていく。
「…こ…これ…! 瞬ヤ…っ!?」
真都の驚きが声だけではなく、気持ち……いや、意識として伝わってきた。
握り締めた錫杖に重ねた、僕の手にそれが伝わってくるのをはっきりと感じる…!
「…いくぞぉぉっ! 真都ぉぉっ! やれるっ!! 僕たちなら…ッッ…!!」
「…お…おおぅっっ!!!」
僕の声に応えながら、真都がカードを折りたたみ、『願弾』の代わりに無理やり
錫杖に押し込むと、ぐんっ! と今度は力のようなものが……真都の手から錫杖に
流れ込んでいくのが感じられた。
それは最初はゆるやかに…そして一気に爆発的に!!
…僕の脳裏には、またあの日のことが思い出されていた。あの日、公園で真都
が僕に語ってくれたこと…。
それが……この『絵』のヒントだった。
・
・
・
・
・
『まぁ、漢字っちゅうんもな、元々は絵やったんや。それを簡略化していったんが
文字の原型なんよ』
『へぇ…でも何でわざわざ? 別に絵のままでもいいと思うけど』
『……アホ…。いちいち絵なんか描いとったら、面倒くそぅてやってられるかっちゅー
ねん。それにな、絵ぇ言うんは人によって受け取り方がちゃうやろ。犬や思ぅて描いた
んを、馬とか牛やと思う人かておる』
『馬ならまだいいけど、足が5本の得体の知れない生き物に描くやつもいるしね…
ははは…』
『…それじゃ困るやろ。犬なら犬、馬なら馬いうもののカタチを、極限まで削ぎ
落とすんや。これ以上削いだら訳が判らん言うぐらいまでな。そしてギリギリまで
削がれた中に現れるものこそが、カタチやモノの本質でもあるんや。意思の力で
形作られた…この世界のな』
『それが…つまり『漢字』ってこと?』
『そうや。漢字の一文字にはその全てが込められとる。「世界」のカタチの全てを
抽象化した、概念としてな。それをウチらは符札に、練り上げた「意力」を込めて
書いて使うんや』
『なるほどね……かなえさんが言ってた「お絵描き派」と「漢字派」っていうのは、
そういうことだったのか……』
『……まぁ間違ってはおらんわ。しょうもない呼び方やけどな』
・
・
・
・
・
そして僕は……描いた。限界までディテールを削ぎ落として…もう字なのか、絵
なのかも分からない……、どちらともつかない、どちらとも見える……、それでも
成立しうる『絵』を…!!
「是諸識転変、分別所分別! 由此彼皆無、故一切唯識!!………!!
………『刃』……… ッッッ!!!」
ズギュ・・・・・・・・・ゥッッッンンンッッッ・・・!!!
また呪文のような言葉を口にしながら、真都が錫杖の引き金を引いた。それに
応えるように、錫杖が一段と大きな音を立てた……!
ぐうっ、と真都が錫杖を強く握り締める。少しして…ばきばきと音を立てて…
錫杖があり得ない変形を始めた!!
……力が…、……さらに流れ込んでくる!!
バキッ……!
メ…キィッッッ……!!!
異形を誇示するような禍々しい『刃』が、錫杖を突き破るようにしてそそり
立つ。
…それはもしかしたら、重ねた僕の心が生み出した、怒りと憎しみのよるもの
なのかもしれない。
「ご……オおォおアぁァァーーーーーーーーーーーーーーーッッーーー!!!」
僕らを何らかの脅威と感じ取ったのか、突然ヤツがこっちに向かって猛然と走り
出した。とっくに死にかけてるはずなのに…速い…!!
…10メートル……7メートル…5メートル…!!
「真都っ!! 今だッッ!!!」
「…由一切種識、如是如是変! 以展転力故、彼彼分別生ッッ!!!
おおおおおおおおおおおおーーーーーッッ!」
巨大な…、すでに原型なんか一切留めないほどの強大な刃と化した錫杖を振り
かざし、僕たちはヤツに真っ向から突進した!
…ぐぅん、と真都が錫杖を大きく後ろに引き、それに僕も合わせる!
「ギョごガ…ぁァああアおオオおッッーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
目の前のロストが右腕を振り上げながら吼えた。瞬間、僕たちも限界まで後ろに
引き絞っていた錫杖を、渾身の力を込めて突き出した!
この一撃、この最後の一撃で……この刃でヤツの胸板を貫く!!
「はぁぁあああああッッッ!!!!」
「う…りゃああああああああーーーーッッッ!!!」
ズボゥッアアアッッ!!!!
……渾身の力を込めて突き出した錫杖から、異常な感触が伝わってきた。
ほとんど手応えなんか無い、異様に…軽い感触だった。
・・・・・・ッッバァァァッッッンンンッッ!!!
そして少し遅れて……ものすごい轟音が炸裂した!
「オご……お…ロぁァア……あガ……ッッ……!!!」
やがてヤツが…今度こそ断末魔の叫びを上げた。正真正銘、最後の。
もはや疑う余地もなく、僕は確信する。
…なぜならヤツの身体は…首と腕を残して…、僕たちの繰り出した錫杖に
よって完全に消滅していた。
あれほどあっけない感触……手応えにだったにも関わらず、きれいに。完全に。
どさり、とその腕と首が地に落ちる。下半身も、糸の支えを失った操り人形の
ように…ぐにゃり、と地面に転がった。
それが見る見るうちに溶けるようにして消えていく。腕も首も足も、最初から
全てが幻だったかのように…あっさりと。
「や…やったのか……」
まだ二人で錫杖を握り締めたまま、僕は呆然とそれを見…つぶやいた。誰に
言うともなく。
「うん…やったよ。ウチらが…倒したんや」
その時、急にばきばきと音を立てて、何の前触れもなく…錫杖が木っ端みじん
に砕け散った!
「……ッッ!!??」
思わず呆然としていると、ぱらぱらと降り注ぐ破片と手に残った欠片を見て、
真都が悲しそうな表情で何事かをつぶやくのが聞こえた。
「…悪かったな……、無茶…させすぎて。でもこれで最後やったんや。堪忍
してな……」
「……? さ、最後って……どういう…」
そこまでを言いかけた時、じゃりっ、と突然背後に音と人の気配が現れた。
あわてて振り向いた先には、ボロボロのお坊さんたちがみな勢揃いしていた。
よかった…みんな無事だったんだ…。
「…お見事でした。……號帥」
「…ふふ、まだウチの事をそう呼んでくれるんですか?」
「…いえ。ご立派でした。たとえ誰が認めまいと、我々は貴女を誇りに思います」
「…おおきに。ほな最後の命令や。誰か……寺まで肩貸してくれへんかな。さすが
に…ちょっと疲れたわ…くっくっくっ…」
「…では僭越ながら拙僧が。失礼仕る」
一際大柄なお坊さんが前に出て、軽々と真都の体を抱き上げると、ふいに僕の
方に向き直った。
「……坊主。お主もよくやった。妹の菩提を弔うなら当山に来るといい。
では…!」
それだけ言い残すと……朧露宗のお坊さんたちは、あっという間もなく、風の
ように消えていった。