11月10日-12
「……っ! そんな、こんな時に……っ?!」
錫杖を支えに、必死に真都が立ち上がろうとしている。でも、あまりに
苦しげなその表情が、それだけではない…何か異常な事態が起きたことを僕に
教える。
…ぶるぶると小刻みに震えながら、それでも錫杖を握り締めようとしている
左手に……僕は異変の原因を直感した。
「まさか…、手…指の骨が……!?」
「大丈夫っ! わたし一人でも…あと一撃ぐらい…っっ?!」
そう言いながら絵依子がオービスに手を掛けた。が、次の瞬間、その表情が
凍りついたように固まった。そのさまを見てとっさに僕は理解した。
「え…絵依子っ! おまえもカードが……!!」
とっさに僕は手元にあるカードを確認した。何とかさっき描き上げたものが
2枚だけしかない。
でも…ヤツももうボロボロだ。一撃でも、渾身の力を込めたものなら…きっと
それで倒せる!!
「あオおおッッ…おオォぉォ…おォおンッッ……!!」
泣いているかのような声を上げながらロストが腕を振り回し、絵依子は必死に
それを避け続けている。
ヤツの身体は、すでに半分以上が自分の作り出している真っ黒な「無」の空間
に飲み込まれかけている。あんなものに触れたら、いくら今の絵依子と言えども
ただでは済まない…!
「絵依子っ! な…何とかこっちまで来い! カードならここにある!!」
…でも、言いながらも、それが簡単ではないことぐらい僕にも分かっていた。
たぶん疲労はとっくにピークに達している上に、狂ったようなロストの最後の
あがきとも言える攻撃に阻まれ、自由に動けないのだ。
…かと言って、真都の助けも期待できそうにない。今の真都はもはや錫杖を
支えに立っているのがやっと、という有様だ。
でも、一番初めから戦っていたんだ…。むしろ今の今まで戦えていたことの
方がおかしいぐらいなのだ。
「…くっ…お、お兄ちゃんっっ!!」
絵依子の情けない声が僕の耳を打つ。あと…あと少しなのに………!
なのに……っ…!
そしてまた、ぶん、とロストが絵依子に拳を振るった。僕の目から見ても、
さほど速い攻撃ではなかった。その一撃を、今度もどうにか絵依子は避けた。
「が……はっ……っ!」
「………っっ……?!」
でも、それを…、ロストの攻撃を避けたはずの絵依子が、突然……口元を
押さえた。押さえた口の端から…赤い血がこぼれるのが…見えた。
「なっ………っ!!」
…血を吐いたまま、絵依子が……がくり、と膝をついた。
…なんだ……?
今のは…当たってなかったんじゃ…ないのか……?!
「え、絵依子ッッ!!」
「大丈夫……、ちょっと疲れただけ! まだ…まだやれる…よ……ッッ!!」
…すぐに立ち上がった絵依子が叫ぶ。でも……今のは…いったい…?
確かにヤツの攻撃が当たったせいではないのは分かる。もし当たっていたの
なら立ち上がれるはずがない。
でも、だったら……どうして血が…?
…まさか、さっき錬装衣をかすめただけに見えた攻撃を、もしかしたら……
本当は食らっていた…?!
「…………ッッッ!!」
…だとしたら……。……もう、もう1秒だって猶予はない……!
やるしかないんだ……! 絵依子が来れないのなら、真都が動けないのなら、
僕が…行けばいいだけだ!
「…待ってろ! 絵依子っ! 今…行くからな!!」
「え…えぇっ!? ダメだよっ! じっとしててッ!! お兄ちゃんッ!!」
「アホっ! アカン! 止めるんや! 瞬ヤンっ!!」
二人の、僕を止めようとする声が聞こえた。でも僕は無視して駆け出した。
この戦いを…一刻も早く終わらせるために…!
…ほんの10数メートルの距離がいやに長く感じる。ばくばくと心臓の音が、
うるさいぐらいに頭に響く。あと…5メートル! 2メートル!
「絵依子ぉぉぉっ!! カードだぁっっ!!」
思い切り手を伸ばし、力の限り僕は叫んだ。その声に絵依子が振り向く。
そして…なぜか…ヤツまでが。
「オごご…るハぁァぁ……っアああア!!!」
ゆらり、とロストの腕が捻れるように持ち上がった。真都の言った通り、
相当消耗してるせいか、何だか…妙なほどヤツの動きがスローに見える。
これなら何かしてきたって、楽勝で避けられる!
やがて、ヤツの腕がするすると、絵依子ではなく僕の方に伸びてきたのが
はっきりと見えた。でも…そんなスローな攻撃になんか誰が当たるか!!
「……っッ…!?」
…おかしい……。
…ちゃんと「見えている」のに、どうしてか腕も足も…僕の言うことをまるで
聞いてくれない。なぜか…足が…僕の意に反してゆっくり動き続けている!
「ち………っ?!」
違うだろ! 止まるんだ! 止まって左に倒れこむんだ! そうしたら…そこに
絵依子がいるんだ…!
思わず叫んだはずのその声も、まるで言葉にならない……!
その手を……、絵依子の手を…僕は掴まなきゃいけないのに!
……何もかもが静かにゆっくりと流れる世界に僕はいた。でも、それは現実
ではなく、僕の意識の中だけの…世界だった。
その事実にようやく気づいた時……ヤツの指から生えている、凶悪な爪はもう…
僕の胸のすぐ前にまで……迫っていた………。
どんッッ!!!
突然感じた激しい衝撃に、僕は一気に感覚と意識を取り戻した。まるで時間が
凍りついたような世界から、この現実の「世界」へ。
「……!!??」
そして僕は…なぜか自分が地面にひっくり返っていることに気がついた。ヤツ
の攻撃を食らって、無様にも吹っ飛ばされたのかもしれない。
でも、それにしては身体のどこにも痛みなんか感じない。アイツの手は…僕に
間違いなく突き刺さる寸前だったのに。
「……んヤンっっ!! 子……ちゃんっッ!!」
混乱する僕の耳に、誰かの声が突き刺さった。
…だれ…誰………、…そうだ、……真都だ…。関西弁の……ちょっとキツい
雰囲気の女の子だ。
僕らとそう変わらない歳なのに、お坊さんを何人も従えて……
ちょっと偉そうというか、年上のお坊さんたちをこき使うような……
だけど、言うだけのことはあって、とっても強い女の子だ。本当に強い……
でも、それだけじゃない。案外優しくて親切なところもあったりもする。
いや、むしろそっちが本当の真都なんだと、僕は知っている。
最初はやけに刺々しく僕たちに突っかかってきたりもしたけど、今ではもう
すっかり友達になれた。そう、僕たちの友達……、………?
……ん? 僕たち? 僕「たち」って…?
「……ちゃん!! 絵依子…ちゃんッッ!!!」
その時、ぽたり、と何かが僕の顔に当たった。
ぽたり、ぽたり、続けて何かが当たった。思わず顔を上げた先に、誰かが両の
手を伸ばして立っているのが…ぼんやりと見えた。
また一つ、ぽたりと顔にかかる。その雫は…ヤツの爪から…伝うようにして
大量にこぼれ落ちていた。
「え…えへへ…。大丈夫だった? お兄ちゃん…?」
「………ぇ…?」
……僕は…見上げた先の光景がよく理解できなかった。
僕に突き刺さるはずだったヤツの爪は…なぜか目の前の白い少女の胸から伸びて
いた。その胸を、伝う雫で真っ赤に染めながら。
いや、爪から伝うだけでなく、胸からも…どくどくと赤い液体が……血が…
あふれている。
いったい…だれから……?
「………ぇ………?」
…僕の妹…、絵依子の……胸から……ッッ?!
「え…えい…こ……絵依子ッッ……??!!」
「も…ぉ…ホントに…お兄ちゃんは…無茶なん…だか…らぁ…。ご…ふっ・・・!」
…振り絞るようにそこまでを言うと、眼の前の女の子の口から……大きく
血がこぼれた。がくんとヒザが揺れ、突き刺さったヤツの爪が……さらに深く
食い込む…!
「お…おまえ…なに…何してるんだよ…っ!! 何やってるんだよぉッッ!!」
「あはは……見たら…判るじゃん。…でも…ちゃんと…お兄ちゃんを助けられて…
よかったよ…。…ちょっと……失敗…しちゃったけどね…。あはは……」
「ば、バカっ! も、もうしゃべるなッ! 血が…血が…ッ! 何とかしろっ!
早く止めろっっ!!」
「あ……、ぇ………? あれ………?」
「え、会士だったらこれぐらい…何とかできるだろっ!? 早くっ! 」
「…あぁ…もう…血が流れすぎちゃったせいかな…頭がボーッと…して…よく
わかんないや…。…だいたい…そんなの無理だって…。ふふっ…」
「………っっ!!??」
「あぁ……、死ぬって……、こういう感じなんだ……、なるほど…ね…」
「ば、バカっ! 死ぬとか…軽々しく言うなっ! 大丈夫だ! まだ……間に
合うっ!」
「…ね、…お兄ちゃん…。最後に言わせて……」
「へ、変なこと…言うなっっ! 最後なんて言うな!! 今すぐ医者に…、
そ、そうだ! 母さんの病院に行こう! そしたらこんな傷ぐらい……!」
「…………ッッ!!」
とっさに僕は絵依子の手を握り締めて抱きかかえ、立ち上がろうとした。
それを…絵依子がいやいやをするように首を振って…どこにそんな力が残って
いたのか、僕を突き飛ばした…!
血まみれの手が…僕の手からすり抜けていく…!
「えい……!」
叫びかけた僕の目に、絵依子のすぐ真後ろにまで近づいていたヤツの姿が……
映った。
「アひ……いひヒぃィッ……チ…血ぃぃィ……!! いヘヒャあハ………!!
ギギギぎギッッ!!」
「絵依子ぉぉぉっっ!!!」
「お兄ちゃん…わたし…お兄ちゃんの妹になれて…よかった…よ…」
そう言って絵依子が……にっこりと僕に微笑んだ。
……血まみれの…顔のままで。
「イぎギぎギギィぃッっ!! げヒひゲげげ…げッゲッゲっェぇェッ!!!」
ロストの…耳障りな笑い声が轟く。そして…どすっ、とまた嫌な嫌な音がした。
絵依子の身体が…もう一度…ヤツに貫かれ…ッ!
…それでも、絵依子の表情は変わらないまま…。
にっこりと微笑んだまま……ゆっくりと目から光が…失われていった…。
……なんだ、これは。
なにが……起きた……?
絵依……子………?
「う………」
「…ウ……? ウげゲげげげゲっ! エぎギひひィぃいいイーーーーッ!!」
「う……ぅあああああああああああああああああああああああああああーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーー!!!!!!!!! よくもぉぉぉぉぉッッッ!!!! よくも絵依子をぉ
ぉぉぉぉッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!ブッ殺して
やるッッッッッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
立ち上がり、ヤツに飛び掛ろうとした瞬間、誰かにまた僕は突き飛ばされ、
地面に叩きつけられた…!
「…ッッ!! 真都ッッッ!!!!! 邪魔するなぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
「アホぅッッ!!! アタマ冷やさんかいッッ!! アンタが殴ってどうにか
なるかぁッッ!!!!」
割って入ってきた真都を突き放そうと、僕は必死にもがいた。でも、がっちり
と身体ごと抱きすくめられ、その腕を振り払う事が出来ない。
もつれ合いながらごろごろと地面を転がっているうちに………絵依子がどん
どんと遠ざかっていく…!!
「絵依子ーーーーーーーーーッッ!!! 離せぇぇぇッッ!!! 絵依子が……
絵依子が……ッッ!! 離せよぉッッ!!! 離さないと……真都ッッ!!!
おまえも殺すぞッッッ!!」
「…やれるモンやったらやってみぃ!! 殺されたかて……ウチはこの手は離さ
へんからな!!!」
いつの間にか起き上がった真都が、僕の腕を無理やり引いて走る。何度…必死
にその手を振り払おうとしても、万力のように締め付ける真都の手からは…逃れ
られなかった。
「絵依子ぉぉぉーーーーーーーーーーーッッ!!!」
引きずられたまま振り向いた僕の目に最後に映ったものは…ヤツの「無」の
空間に…ゆっくりと飲み込まれていく絵依子の姿だった…。




