11月10日-6
「ま、まずいっっ!! えーこちゃん! 瞬弥クン! 下がりなさい!!」
どんどんと強く大きく耳鳴りの音が増していく。とっさに耳をふさごうとした
時、かなえさんの金切り声が僕の耳を打った。
「え? え……?」
「く……ぅああ!! あぁぁぁ……ぁぁっ!!!」
その声と同時に、絵依子が急に…がくりと地面に崩れ落ちた。苦しげな悲鳴が、
静まり返ったビル街にこだまする…!
「ど、どうしたんだっ?! 絵依子っ!!」
「瞬弥クンっ!! こっちっ! 早くっっ! ここなら大丈夫だからっ!!」
聞こえてきた声に振り返ると、いつの間にか大きく後ろ…ここから10メートル
ほど下がったところに移動していたかなえさんの姿があった。
とっさに僕は苦しそうな声を上げ続けている絵依子を抱きかかえ、あわててその
場所に駆け込んだ。
「だ…大丈夫か? 絵依子…?」
かなえさんの居る場所にどうにか辿りつき、静かに下ろしてから、いまだに額に
大きな汗を浮かべている絵依子に恐る恐る声をかけた。
「う…うん。もう大丈夫だけど…、急に身体が押し潰されそうになっちゃって…」
「……お寺の人らの『包意結界網』のせいよ。ほら、周りの「世界」の崩壊が
防がれてるのが判るでしょ…」
…すっ、とかなえさんが指差した方を向くと、和夫を中心に半径20メートル
ほどの空間を残して、周りが元の普通の風景に戻っているのが確かに「見えた」。
ふと気づくと、ずっと感じていた気持ち悪さも耳鳴りも、今は完全になくなって
いる。
「いま、お寺の人たちが「世界」の恒常性を一時的に極大化させて、和夫の力を
あの中に封じ込めてるの。「改変」も「消滅」も許さない、あたしたち会士には
天敵みたいな結界よ」
「す…すごい……!」
「…しかもあらかじめ張ってあった、一般人除けの広域結界内部からの二重
層……。半端な奴ならそれだけでぺしゃんこよ。話には聞いてたけど、ここまで
とはね…」
「そ、それじゃ…、何とかなるんじゃ!?」
…そうだ、ああは言ってたけれど、ちゃんと真都には勝てる自信があったから、
あいつと戦おうとしたんだろう。
でも僕の言葉にかなえさんは肯定も否定もせず、視線をそらしたまま…小さく
つぶやいた。
「…どうかしらね。だといいんだけど……」
「はぁあああああッッ!!!」
すさまじく気迫に満ちた声に耳を打たれ、思わずさっきまでいた場所を振り
返ると、錫杖を振りかざしながら、和夫に一直線に突進していく真都の姿が目に
飛び込んできた。
「大慈大悲、一切衆生! 無量衆生、聞錫杖聲! 意をもって威を
為し、全て一切の行と達する! これすなわち朧露の業なり! 『剛』!!」
ズギュッ・・・・・・ゥッッッンン!!!!!
何かの…呪文のような言葉と共に、錫杖が以前に見た時と同じにまばゆい光を
放った。そしてわずかに遅れて、銃の発射音のような音…!
「『剛』か…。まずは錫杖の「存在」を強化って訳ね。セオリー通りなんだろう
けど…」
横のかなえさんがぼそりとした声を漏らした。そして強烈なスイングで振り
抜かれた錫杖が、和夫の肩口の辺りを見事に捉えた!!
ガギィィッッ!!!
「や、やった!!」
ヤツがまともにその一撃を食らったのが、この距離からでもはっきり見えた!!
…前に公園で、真都と『符札』を使って遊んだ時のことが思い出される。ただの
枯れ枝が、符札で強化したとたん、鉄の棒のように硬くなったのだ。
ということは、もともと鉄か何かの金属で作られてる錫杖をさらに強くした今の
あれは、それこそダイヤモンド並みか、あるいは…それ以上の硬さかもしれない。
そんなものの直撃を食らっては…例え何だろうとタダで済むはずがない…!!!
「…ウオお…あああッアア……あオ……ッッ!!!」
ぐらり、と和夫の身体が揺れる。何か良く判らない、悲鳴とも雄たけびとも
つかないような声を発しながら、どすん、と尻餅までついた。
「ついで『断』! さらに…『裂』!!」
ズガアッッン!! ズガアッッン!!
炸裂音が矢継ぎ早に2度轟き、和夫が滅多打ちにされていく。真都の鬼気迫る
ような攻撃に、和夫からは反撃のそぶりすらまったく伺えない。
「…『複式教化錫杖』とはね……。なるほど…強気だった訳だわ。あの歳で
あれを持ってるなんてね…」
「な…なんですか? その、複式何とかって言うのは…そんなにすごいんですか…?」
目を丸くして真都の戦いぶりを見つめているかなえさんのつぶやきに、思わず
僕は聞き返してしまった。
「……お寺の人たちはみんな『教化錫杖』…、あたしたちのカードにあたる
『符札』を込めて使う武器として、錫杖を持ってるんだけど、中に込められる弾…
つまり『願弾』は普通一発だけなの。それが単式教化錫杖。でも、いま
ミャオっちが使ってるのは、中に『願弾』を何発も込められる、複式教化錫杖って
言うのよ」
「それは…その分、何倍も強いってことですか…!?」
「違うわ。一発ごとの効果は、結局符札を書いた人が込めた『意』によって左右
されるの。複式のメリットは、符札の力を重ねたり、あるいは組み合わせに
よって、より概念を強固に出来るところにあるわ。もっとも、口で言うほど簡単
じゃないらしいけど…」
…よく分からないけれど、扱いにくい分、うまく使いこなせれば普通の物より
便利になるアイデア商品とか、ボタンの多いリモコンのようなものか。
「…本当にすごい子ね。只者じゃないとは思ってたけど、ここまでとは…」
「そう言えばあいつ、かなえさんに勝てるのは朧露宗の中でも、自分とあと一人
か二人ぐらいだって言ってましたし…」
僕の言葉に、かなえさんがさらに目を丸くして驚き、次いでくすくすと苦笑
した。
「ふぅん…確かにミャオっちは敵にはしたくないわね。ま、このあたしが負ける
なんて、これっぽっちも思わないけど」
ドカァッ!! メギイッ!!
いつ終わるともなく、真都の怒涛の攻撃が続いている。地面に倒れたままの
和夫に、容赦なく錫杖を叩きつける音が、何度もビルの間にこだましていた。
「はぁはぁ…はぁ……はぁ…く…っっ!!」
とん、と急に真都が後ろに飛び退いた。そして突然錫杖の真ん中辺りに膝蹴りを
入れ、真ん中から……ぽっきりと折ってしまった!
「な…何やってるんだ! 自分の武器を…!」
一瞬、何が起きたのかと思ったが、90度近くに折れ曲がった錫杖から、勢いよく
何かが飛び出した。
キン、キン、と音を立てて地面に落ちた「それ」は、大きさこそ違うものの……
銃の薬莢とかいうものにそっくりだった。
五回か六回ほどの小さな金属音の後、真都が自分の黒衣の袖に手を突っ込むと、
そこからさっき地面に落ちたのと同じものが姿を現した。
「なるほどね…『六連』か。あたしも見るのは初めてだわ……」
「む……むづら?」
「『六連』って言うのは、最強の複式教化錫杖って言われてるわ。六発まで装填
できるところからその名前がついたらしいけど、その分、『二連』や『三連』
よりも格段に扱いが難しいって話よ」
「へぇ……。っていうか、かなえさん、詳しいですね……」
「…そんなのをあの歳で使いこなしてるなんて…つくづく末恐ろしい子ね…。
いったいどんな訓練をしてきたっていうのかしら…」
…ジャキンッッ!!
新しい 『願弾』 とやらを込められ、再び真っ直ぐに戻った錫杖を真都が構え
直すのを見ながら、ふいにかなえさんが不審げな表情でつぶやいた。
「…おかしいわ…。でも…まさか…そんな…いえ…」
ぶつぶつと、何かをうわ言のように繰り返していたかなえさんが、……突然
叫んだ。
「…っ! みゃ、ミャオっち! だめッ! 後ろッ!!飛びなさいッッ!!」
かなえさんが叫んだ直後、倒れたままの和夫の周囲の空間が……結界とやらで
包まれているはずの空間が……ぐにゃりと歪んだ。あわてて真都が結界から
離れて、僕たちのいるところまで飛び退った。
…結界の内と外の世界を隔てている、半球状だった空間の境目が、まるでデコ
ボコのコンペイトウのような形になっている。
それが…さらに大きくうねる様に膨らんでいく…!
…まるで…弾け飛ぼうとしているかのように!!!
「あ…あれは……。あのままやと下手したら取り込まれとった…。…危なかった
ですわ。おおきにです…」
真っ青な表情を浮かべながら真都がつぶやいた。和夫の周囲の空間が地面を、
いや…まるで地球そのものを揺らすようにして震わせ、さらに膨張を続けている。
結界の外にある建物…電柱や看板までもが次々に飲み込まれていき、音もなく
消滅していく…!
「あ、アンタらっ!! 集中が落ちとるで!! 気合入れんかいッッ!!!」
『…りょ、諒解ッッ!!』
真都がお坊さんたちに無線で檄を飛ばす。それを受けてか、さっきから続いて
いた地面の揺れが少しずつ収まり、ついで、ぐぐっと結界が押し戻されていく。
その時、半球の中心にいる和夫が、ゆっくりと身体を起こした。
「おお…おあア…は…はヒヒっ……ひ…ッ……!!」
苦悶の声とも、歓喜の声ともつかない、奇妙な声を発しながら和夫が立ち
上がった。けれど……それを見た僕は、思わず自分の目を疑った。
「な……なんなんだ……あれ……」




