11月10日-5
……それは。
……異様な光景だった。
……ゆっくりとビルの向こう側から交差点に現れたそいつは、一見普通の人間…
それも男のようだった。
ふらふらと覚束無い、まるでどこにでもいる酔っ払いのような足取りで、一歩、
また一歩とこちらに近づいてくる。でも、そいつのまとう空気は、明らかに……
普通のものではない。
それが、そのギャップが余計に異様だ…!
ぐらり、と男が突然よろめき、すぐ横に停まっていた車に手をついた。瞬間、
僕は目を疑い…絶句した。
「な…あ……っ!!??」
男の手が触れた瞬間、その車が…、鉄板で出来ているはずの車体の表面が…
いきなり激しく波打ち…「爆ぜた」!!
……それは、車という物体を「壊した」のではなく、まるで「打ち消した」
かのような…、…そんな崩壊の仕方だった…。
そしてもう一つ。近づいてくる男に…。道路に停めてあったクルマを『根本』
から「破壊」した男に、僕たちは見覚えがあった。それに気づいた時、僕たちは…
…さらに目を疑った。
「…! あ、あいつは! ま…まさか…あいつは……!!!」
「そんな…。和夫…!? アレが和夫ですって!?」
…ゆっくりと僕たちの方に近づいてくるその男は、まぎれもなくあの男…、
「作 和夫」だった。
よく見ると和夫の周囲の空間が、夏のアスファルトに熱せられた空気のように…
…ぐにゃぐにゃと歪んでいる。さっきの車と同じに、まるで空間そのものを破壊
しているかのようにさえ見える…!
「……ふん。ちょうどエエわ。今日こそきっちりカタぁハメたる…!」
「ば、バカ!! まだそんな事……!! あいつは…あれはもう和夫じゃない!
見て判んないの!?」
にやり、と薄く哂った真都に、かなえさんが声を震わせながら迫った。その
顔色はもはや青いというのを通り越して、真っ白と言えるぐらいに色を失って
いる……。
「…あいつをよく見なさい! 肥大化しすぎた『ヴィレス』がエゴを飲み込んで…
『自他境界』を完全に失ってる! たぶん……限界を超えてヴィレスを吸収して
しまったせいだわ…!」
「……? そんな…!! だって和夫はずっと大人しくしてたんじゃ…。かなえ
さんもそう言ってたじゃないですか!!」
「…でも事実よ! でなければ……こんな短期間にあんなふうになるなんて
考えられない! しかも今のあいつは…ただ居るだけで「世界」を崩壊させて
いく、絶対虚無の化け物…『ロスト』になってしまってる!!」
「せ、世界を崩壊させる……!? ど……どう言うことなんですか!? かなえ
さん!!」
「……前に言ったでしょう? 意思の力…ヴィレスは高まれば高まるほど、より
強く「世界」に干渉できる。自分の内の世界を、外の世界にね…。でも、それは
両者の境がどんどん失われていく事でもあるのよ…」
「…………」
「…制御できなくなったヴィレスはエゴを侵食して、やがて自己と自他という
境界を崩壊させ、最後には人格を失った 『ロスト』 となってしまうの。そして
行き場を失ったヴィレスが…何ら具現性を持たない「力」だけが撒き散らされる。
その結果は…今キミも見たでしょう!?」
「……!! さっきの…あの車…!」
そうだ。あの時に爆ぜたかのように見えたあの車。
あの「車」が形を失ったのは、支えられていた意思の力を失い…「車」という
概念そのものを破壊されたからか…!
「…具現性を失ったヴィレスは、ただ周囲の「世界」とぶつかり、対消滅していく
だけ…。つまり、あいつは…うぅん、あの『ロスト』は、ヴィレスを全て放出し
尽くすまで…世界を文字通り「無」に帰していくのよ!」
「…は……あぁ?」
かなえさんの説明……言葉は、いつもにも増して信じがたい内容ばかりだった。
……世界が消されていく!?
そんな……バカな!!
「それに今のあいつ…… 『ロスト』 はたぶんもうギリギリのところにいる。膨れ
上がったヴィレスが臨界を超えた時…この辺り一帯をも…、いえ、下手をしたら
周りの街さえ巻き込んで消滅するわ!」
「な…、ま、街が…?! じょ、冗談……でしょう? かなえさん……、あはは…
はは……」
…余りに荒唐無稽すぎる話に、僕は呆れるより先に、思わず笑ってしまった。
…だって…僕たちはついさっきまで…かなえさんのマンションでマンガを描いて
いて…大変だったけどみんなで力を合わせて完成させて…ついさっきまで楽しく
やっていたばかりじゃないか。
そして打ち上げに行こうって、僕のバイト先の焼肉屋に向かうはずだったんだ。
きっとそこでまた真都とかなえさんがケンカして、でも絵依子はマイペースに肉を
頬張って………。
なのに…それなのにこの世界が、この街が…消滅するだって?!
僕たちの団地も学校も…かなえさんのマンションも焼肉屋も、何もかもが消えて
しまうだって?!
……信じられるわけが無い。
いや、いきなりそんな話を聞かされて、信じられる方が……どうかしてる!!
「ま……まだそんな事っっ!? 寝ぼけるのも大概にしなさいっ!! 死にたい
のッッ??!!」
「………ッッ??!!」
今まで聞いた事も無いようなヒステリックな金切り声で、かなえさんが僕を
ののしる。びりびり、と空気まで震わせるような激しい声に、僕はようやくかなえ
さんの言葉が嘘でも誇張でもない事を…悟ってしまった。
「じゃ……じゃあいったいどうしたら…!?」
「………ッッ…!!」
それまでも途切れ途切れで、絞り出すようだったかなえさんの声が…ぴたりと
完全に止まった。
「……か、かなえさん……?」
「……………」
「…簡単なこっちゃ。あいつの意力を使い切らせたらエエねん。要するにアイツを
倒すっちゅーこっちゃ」
僕たちのやり取りを黙って聞いていたはずの真都が、急にぽつりと口を挟んで
きた。あわてたようにかなえさんが真っ青な顔のまま首を激しく振る。
「た…倒したらって…! いい加減にしなさいよ!! そんなの……そんなの
無理に決まってるでしょ!!」
「……おやおや。そのセリフを会士のアンタが言うんでっか? この 『世界』
には無理な事なんかあらへんのや無かったでしたっけ?」
「……!! そ…それとこれとは話が……!」
「……話はここまでや。こっからはウチらの仕事や…下がっといてんか!!」
じゃりん!!
再び真都の錫杖が大きく鳴った!!
「行くでぇ! 「絶封」の陣! 引磐鳴らせぇ!! 止静ッッ!!」
・・・チーン! チーンチーンチッチッチッチッチッ………チーン!!
「う…わっ……ッッ??!!」
和夫の行く手を阻むように正面に立った真都のその言葉を皮切りに、どこからか
甲高い金属音が、小さな鐘を鳴らすような音が響いた。直後に……きーんとした
耳鳴りが走った!
次の瞬間、それまで異常におぼろだった風景、周囲の景色に色が戻っていく…!
「…『朧露八輝金剛』 が一人、真都……!! 滅象仕るっっ!!」




