11月9日-5
…いったいどうすれば良いのか分からず、ただうろたえるばかりの僕の
耳に、突然、大きく椅子のきしむ音が飛び込んできた。
「………っ?」
「……瞬ヤン。この人に話を聞いてもらうんには、まずコレを片付けんな
アカンみたいやで」
ふと振り返ると、椅子にどっかと座り、机に置いてある原稿を手に取った
真都が、僕とかなえさんを見ながら言った。
「え……、ま、真都……?」
「…いちおう言うとくけどな、ウチはマンガの描き方なんか判らへんけど、
それでもエエんやな? どないなっても知らんで?」
「え……う、うん! それは大丈夫! ちゃんと教えるから安心して!」
「この…バッテンしてるとこは何や?」
「あ、それはね、ベタって言って、黒く塗りつぶすところなの!」
「……ふぅん…。…こんな感じでエエんかな?」
「………っっ…!」
真都が筆立てに立ててあった筆ペンをひょいっと一本取ると、さっそく
それを無雑作に原稿の上で動かし始めた…!
…な……なんてことを……!!
…せっかくの原稿をめちゃくちゃにしているだろう真都の行動に、僕は
思わず目を背けてしまった。
でも。
「…あ…、う…上手い…、上手いよミャオっち! それに…早い!?」
「……え………?!」
けれど、すぐ後に聞こえてきたかなえさんの驚く声が、僕をも驚かせた。
信じられない、と言った表情で、かなえさんが真都の作業に目を見張る。
あわてて机に駆け寄り、原稿を見た僕も息を呑んだ。
めちゃくちゃどころか、完璧に『ベタ』が塗れている。はみ出しも塗り残し
なんかも1ミリもない、完璧なベタ塗りだ。
あれだけソキエタス…つまりは、かなえさん言うところの「お絵描き派」を
嫌ってたはずの真都がどうして?
「……これぐらい、別に難しいモンとちゃうやろ。だいたい筆やら墨っちゅう
んは、いっつもウチらかて使ぅてるしな」
ふふんと小さく笑いながら言っている間にも、真都はどんどん手を動かし、
☓印の部分を次々と塗り潰していく。
「…………」
……はは…これは真都に一本取られた…。
「…分かりました。どこまで出来るか分かりませんけど…僕もお手伝いします」
「え…いいの? ほ、ホントに!?」
「あ、でも絵依子には期待しないでくださいね。こいつは全然絵が描けないんで」
「…え…。う、うん。二人だけでも手伝ってくれれば……すごく助かるけど」
「素人の真都が一肌脱ごうって言ってるのに、少しは描ける僕がやらない訳には
いかないじゃないですか。自信はないですけど…やるだけやってみます」
ちゃんとしたマンガを描いた経験なんか僕にはないけれど、それでも絵を描く
ことには違いはないはずだ。
腹をくくり、僕も真都の隣の席に腰をどんと下ろした。
「あ…ありがとう…!! でも…、えーこちゃんが絵が描けないってホントに
ホント? 錬装できるのに?」
「こいつは絶望的に不器用なんです。だから雑用とかなら」
「ぶーー!! わたしもお手伝いしたいーっ!ペン入れとか下書きとか
したいー!!」
ばたばたと足を踏み鳴らしながら、絵依子が何気にとんでもない要求を
している。わざと僕は少し大きめの声でかなえさんに耳打ちをした。
「…絶対ダメですから。前にあいつの描いた犬の絵を見たんですけど、足が
6本もあったんです」
「ちょっ! あ、あれは尻尾だったの! っていうか、6本も描いてないっ!
ヘンな告げ口するなぁぁ!!」
「あっはっはっ! 了解了解! じゃあ…とりあえずえーこちゃんには、お茶でも
淹れてもらおうかな?」
「それもけっこう危険なんですけど……」
「うっさい! 見てろ! 美味しくってほっぺた落とさせてやる!」
「この部屋で落としたら見つけるのが大変だ。…まぁ無理だと思うけど、せいぜい
頑張れ。人ん家の道具を壊すんじゃないぞ?」
「……うぐぐぐぐ! ぜったい後で吠え面かかせてやる~!」
復 ・ 讐 ・ 完 ・ 了 ! !
やかんを載せたら、あっという間にお湯が沸きそうなぐらいに顔を真っ赤に
した絵依子が、どすどすと音を立てて台所へと向かっていった。
正直ちょっと物足りない気もするけれど、朝のリベンジとしてはまぁこんな
所が妥当だろう。
…さて、本当に僕にどこまで出来るかは不安だけど、気分もスッキリした
ところで、とにかくやるだけやってみよう…!
「…じゃあ、まずはこのページからお願いね」
「は、はい。う…うわ……!!」
渡された原稿を見て、僕は少し…いや、すごく圧倒された。生まれて初めて
目にするプロの漫画家の生原稿は、単に上手い……というだけではない、何か
圧倒的な存在感があった。
こんなものに、本当に僕なんかが手を入れていいんだろうか…。
「あ…あの…」
「とりあえず、瞬弥クンには後ろの絵、背景をやってもらおうかな。描く物は
そこにあるロットリングを使ってね。0.1と0.3使って」
「……分かりました。この…鉛筆の線をなぞればいいんですね?」
「そそ。失敗したり、はみだしたりしたら、このホワイトで消して、上から描き
直して。じゃあよろしく!!」
改めてまじまじと原稿を見ると、本当に言葉も出ないほど圧倒される。線の一つ
一つが淀みなく、流れるようにしてまとめられている。
僕も絵には少しは自信はあったけれど、レベルの差と言うものを痛感せざるを
得ない…。
「い、いや、そんなことを言ってる場合じゃない…! やるぞ…!!」
無理やり、なんとか自分に気合を入れて、僕は改めて机に向かった。
カリカリカリカリ・・・
シュッ・・・シュッ・・・
カリカリカリ・・・・・・
シャッ・・・シャッ・・・
…既に描かれてある建物の鉛筆の線を、定規を当てながら慎重にペンで
なぞっていく。今までしたことがないというのもあって、人の絵に沿って描く、
というのはなかなか難しい。
絵にはその人特有の、筆やペンの流れ、運び方、癖というか、リズムのような
ものがあるので、同じように描いたつもりでも、まったく同じにはならないのだ。
ただ、こういう背景、特に建物のような人工物は直線で構成されてて癖が見え
にくい分、多少は楽かもしれない。
だがしかし…。
「……かなえさん、ここの背景って下書きがないんですけど…」
「そこは前のコマを参考にして、後はキミのセンスで!」
「…お、大雑把だなぁ…、そんなんでいいんですか?」
「いいのよ! マンガっていうのは背景を見せるものじゃないのよ。パッと
見で変じゃなきゃOKなの!」
……無茶苦茶な理屈だけど、プロの漫画家がそう言うんなら、そうに違いない。
仕方なく僕は他のページから良く似た背景を探して、それを頭の中で再構築した
下書きから描き始めた。
「……お、お?」
描き出してみると、自分でも驚くほど意外なぐらいにスイスイと手が動く。
これはまさか、絵依子のカードを描くために鍛えられた早描きが、こんな
ところで役に立ってるのか……?
「…ここ、バッテンしてませんけど、ベタした方がエエんちゃいますかね」
「どれどれ…そうね、それで行きましょ! ミャオっちも判ってきてるじゃ
なーーい!」
「はいはーい! お茶が入ったよ~~~! 絵依子特製のスペシャルロイヤル
ミルクティーだよ!!」
カリカリカリカリ・・・カリカリカリ・・・
シュシュッ・・・シュッ・・・!
カリカリカリ・・・カリカリカリ・・・
「かなえさん、このページの背景、これで終わりです」
「どれどれ…うん! なかなかいいじゃない! さっすが瞬弥クン! あたしの
目に狂いは無かったわ~」
「…ウチも終わったで。ほれ、ドンドン持ってきてんか」
新たにかなえさんから渡された原稿には、棒というかステッキのような物を
持った女の子が描かれていた。そして妙な小動物と女の子が何か会話をしている。
「……かなえさん、これってどういうマンガなんですか?」
「えぇ~! ヒドイなぁ。読んでくれてないの? まぁ、ひとことで言うと魔法
少女モノかな☆」
「ま……魔法少女、ですか。言われてみれば確かにそれっぽいような。ステッキも
持ってるし、マスコットっぽいのもいるし……って、これってもしかして」
「そ。前に居酒屋で見せたアレよ。こっちの本物は、あんなに性格良くない
けどね」
「ま、マスコットキャラなのに性格悪いんですか?」
「だってそれ、マスコットじゃないから。どっちかって言うとラスボスかな」
「…い、いったいどういうマンガなんですか…」
「宇宙からやってきた侵略者と戦うために、地球意思の代理人が選んだ戦士が
その魔法少女なワケ。でも代理人としてはなるべく魔法は使わせたくないのよね。
一回魔法を使うとアマゾンの密林が東京ドーム10杯分消えちゃうから」
「な……なんですかそれ!」
「地球にとって侵略者は排除すべき存在だけど、同時に人間も多すぎるから、
人間だけが襲われる場合は助けないのが代理人の方針。でも魔法少女はそれが
納得できないのね」
「その代理人っていうのが……このマスコットのガッチュくんですか」
「そそ。だから事あるごとに反発するの。けど、むやみやたらに魔法を使えば、
ダメージが地球に跳ね返る事は魔法少女も知ってるの。地球がなくなれば人間は
生きていられない。けれど人も助けたい。目先の命と地球、どちらを取るのか。
その葛藤に揺れる女の子のお話、かな」
「なんか…重いですね。魔法少女って、もっと甘ったるいって言うか、ほのぼの
したモノだと…」
「そぉ? 昔のアニメに比べたら、こんなの激甘よ? 主人公の目の前で、敵に
爆弾仕掛けられた知り合いの女の子が吹っ飛ぶのに比べたらね」
「そこ!! いつまで喋っとんねん! 口動かしてるヒマがあったら手ぇ動かさん
かい!!」
僕とかなえさんのマンガ談義に呆れたのか、真都の文句が矢のように飛んできた。
ごもっともです。はい…。
カリカリ・・・カリカリ・・・カリカリカリ・・・




