11月9日-4
ピンポーーン……
名刺に書いてある番号の部屋にようやくたどり着いた僕たちは、さっそく
チャイムを押した。
表札は掛かってないけれど、ここで間違いないはずだ。出前と思しき丼ぶりが
いくつも玄関のドアの横に雑然と転がっているのが、いかにも漫画家の家らしいと
言うか、かなえさんらしいと言うか。
「……出ないね…」
「う、うん。でも、もしかしたら寝てるのかも…」
ピンポーーン…
…2回目のチャイムにも全くの無反応だ。焦る気持ちのままに僕はチャイムを
連射してみたが、それでも中からは一向に反応がない。
「くっ…まさか…本当に和夫に……!?」
封印してきた言葉が、思わずぽろりと口から零れてしまいそうになった。
それを打ち消すように僕はぶんぶんと頭を振り、必死のチャイム連打を続けた。
ピンポーン…
ピンポーン…
ピンポーン……
「……瞬ヤン、ちょい待ち。少し静かにしといてんか」
「え? あ、うん…」
これだけ鳴らしても反応がないということは、何か別の手を打たないと…。
そう考えた矢先に、急に真都が玄関のドアに耳をつけた。
……中の気配を探っているのか……?
と、思った次の瞬間。
「オラオラオラオラ!! オイコラ出てこんかい!! ワレ、エエ加減に
しとかな簀巻きにしてもうて大阪湾に浮かべんどコラ! それかコンクリ詰めで
漁礁の方がエエんかいコラ!!!???」
ガンガンガンガンガンガンガン!!!!!
ガンガンガンガンガンガンガン!!!!!!!
……いきなり真都がとんでもないことを言いながら、ドアを蹴り始めた!!
「ちょっ! ま、真都!」
「ん? たぶんやけど中おるよ。気配もするし電気のメーターも回っとる。この
回り方やと冷蔵庫、エアコン、電球3つにテレビってとこやな」
「……そ、そうじゃなくて……なんでそんな借金取りみたいな……」
…僕の言葉に、どこが変なのかと言わんばかりに、真都がぽかんとした表情を
浮かべている。
…お、大阪ではこれが普通なのか……。
と、その時。
『ちょっと!! そっちこそいい加減にしなさいっ!! 新聞だったら
お断りよ!! あいにく壷も宗教も間に合ってんのよ!!!』
「………っっ??!!」
どすどすという足音と共に、ドアの向こうからそんな声が聞こえてきた…と
思った瞬間、僕は突然すごい力で後ろへ引っ張られた!
ばぁーーーーーーーーーーんっっ!!!!
ほとんど同時に…玄関のドアがとんでもない勢いで開かれた!!!
「…大丈夫やったか、瞬ヤン」
「ひ…ひぇぇ………」
……真都がとっさに襟をつかんで引っ張ってくれなかったら、今ごろ僕はあの
頑丈そうなドアの直撃を食らってたわけだ。
もし当たってたら…下手したら死ぬところだった……。
あ、危なかった……。
「……さっさと帰らないとタダじゃおかないわよ!? このアカの手先のおフェラ
豚が!! …って、あ、あれ? キミたち…?」
……ドアの向こうから凄まじい剣幕と形相で現れたかなえさんは…以前と
まったく変わりないようだった。
ただ…、よくよく見れば髪はボサボサ、目の下にはクマも出来ている。いったい
全体、何があったんだ…?
「な、何? どうしちゃったの? いきなり家に来るなんて…」
「い、いえ…無事だったんですね…かなえさん…」
呆然と立ちすくむ僕たちを見て、逆に目を丸くしてかなえさんが不思議そうな
声を上げた。とにかく元気そうな(?)姿を確認できた事で、安心して身体から
一気に力が抜けていった。
それはどうやら絵依子も真都もそうだったらしい。以前と変わらない様子の
かなえさんを見て、皆して「はぁぁぁ……」と深いため息をついている。
「……?? 何かあったの? っと、そ、そうだわっ! こ、これはもしかして
…チャンスよ!! キミたち!! ちょっと入って! 早く早く!!」
「え? ええ!?」
「やったー! 漫画家センセイのお宅拝見ーーっ!」
「あ、こ、こら! 絵依子!! 待てバカ!! そんな厚かましい…!」
「いいからいいから!! ホラ、キミたちも!!」
靴をぽいっと脱ぎ捨て、ずかずかと部屋に上がり込もうとした絵依子を
止めるべく腕を伸ばした瞬間、それをかなえさんにガシっと掴まれた。
「…ほなウチはこれで帰らせても……」
「ほら早く! ミャオっちも!!」
「え? え、ちょ、ちょっ………!」
そして真都の腕も掴むと、ぐいぐいと僕たちは部屋の中に引っ張り込まれた
のだった…。
…無理やり連れ込まれたかなえさんの家は、外から見るより広めの作り
だった。でも、引っ張られるままに連れてこられた家の中を見て、思わず
僕は言葉を失った。
「な……、き…汚っ……!」
…と言うか、もはやそういう次元さえ超越している。描き損じの原稿やラフと
思しき紙、ティッシュやらお菓子の空き箱にカップめんのゴミが、床一面に
散乱しまくっている。
足の踏み場もないとは、まさにこのことか……。
「んん? なんか言った? そこのガリメガネ」
が…ガリメガネって…。自分だってメガネのくせに…。
ちょっとだけイラッとしたのは横に置いておいて、改めて室内をよく
見渡すと、雑然としているのは床だけじゃなかった。所狭しと並べられた棚や
ケースには、本やCD、DVDに混じって、いろんな人形も飾ってある。
確か……フィギュアってヤツだ。
フィギュアの中には、かなえさんの錬装した姿にそっくりな物や、同じ
ような感じのヒーローっぽい物もたくさんあった。
やっぱりこういうのが好きなんだな…かなえさん……。
「さて、それじゃ机はそこにあるのを使ってね。トーンケースは上から順に
61、81、91に……」
「ちょ、ちょっ!! ちょっと待ってください!! だ、だから一体…どう
いうことなんですか?!」
「んん……? …あ、そっかそっか。まだ言ってなかったっけ……」
訳も分からず連れ込まれた上に、さらに意味の分からないことを言い出した
かなえさんに、さすがに僕もつい言葉を荒げてしまう。
でもかなえさんは意に介した様子もなく、んー、と言葉を選んでいるよう
だった。
「えっとぉ…。あのね……、今日来てくれるはずだったアシの子が急に来れなく
なっちゃったの。後はほとんど仕上げだけなんだけど、あたし一人じゃ正直
キビシイのよ。…だからお願い! 助けると思って助けて!!」
……微妙に日本語がおかしい気もするけど、何となくかなえさんの言いたい
ことは分かった。
「その、それってもしかして…僕たちにマンガのお手伝いをしろと、そういう
ことですか…?」
「そそそっっ! そのとーり! キミもえーこちゃんも会士みたいなもんなん
だから絵は得意でしょ? ミャオっちだって消しゴムぐらいなら出来るだろうし、
だからこのとーりっ! お願いっ!」
両手をぱんっ!と合わせながら、かなえさんが切迫しきった表情で僕たちに
迫る。
……なんだかおかしな雲行きになってきた。
こんな状況は考えてもなかったし、ましてや僕たちのような素人がプロの
漫画家の原稿に触るなんて、そんなことができる…いや、許されるんだろうか。
「…い、いや…、そんなの…やったこともないのに無理ですよ…。第一、僕たちは
そんなことをしに来たんじゃないですし…、明日、別のお手伝いの人を呼んだ方が
いいと思いますよ…」
「それじゃ間に合わないのよぉっ! 締め切りなんかとっくに過ぎてるの!
今日がまさにリミットなのよ! 歴史を繋ぐかピリオド打つのか!! タイム
リミットは近いのよぉぉっ!!」
「えぇぇっ!? あ、明日ですかっ!?」
……なるほど、いくら電話しても出なかったのは、いわゆる「修羅場」の真っ
最中だったからか。
…道理でよれよれの風体な訳だ。
そう言えば福沢くんから聞いたことがある。漫画家という人種は、締め切りを
過ぎてからようやくエンジンが掛かるのが多いのだそうだ。つまり、かなえさんも
その口と言うことなんだろう…。
「で、でも…そう言われても……」
・・・・・・ぎしぃっ!