11月8日-8
ビーーーーーン…
夜の国道は相変わらず静かだった。なにより、僕も絵依子も走り出した
とたん、むっつりと黙り込んでしまっていた。
時折、対向車がすれ違うものの、ほとんどスクーターのエンジンと風の音
だけしか聞こえない。
「………」
「……」
「…そ、そういえばさ」
「……な、何? お兄ちゃん」
「ぶ、文化祭の時の焼きスパ、再現は出来たのか?」
「…まだだよ。お母さんにも手伝ってもらったんだけど、意外に難しくって…」
「そ、そっか……」
「…………」
…どうにも会話が続かない。さっきの家でのやり取りで、なんとなく絵依子に
絡みづらい。
そしてそれは…絵依子も同じなのかもしれない。
ビーーーーーーン・・・
「あ、あのさ……」
「……うん」
「…さっき、母さんを迎えに来た人って病院のお医者さんなんだよな…」
「…うん。そう言ってたね」
「…なんか、すごいクルマに乗ってるんだよな。やっぱお金持ちなのかな」
「…うん。そうかもしれないね」
お医者さんというのは、基本的に金持ちらしい。もうほとんど覚えていない
けれど、もともとうちの家だって、父さんが生きていた頃はそれなりの大きさの
一軒家だったらしい。僕たちが今の団地に引っ越したのは、父さんが死んでから
なのだ。
「…じゃあさ、もし…母さんがその人と再婚したら…、家も広くなったり…
お小遣いも増えたりして、母さんも、僕らも幸せになれるのかもな…」
僕は恋愛とかそういうのには敏いほうじゃないけれど、母さんを迎えに来た
人は、母さんにそういう気持ちがあるんだろうということぐらいは分かる。
そして…さっきの母さんの様子は、絵依子が言ったように、確かにまんざら
じゃなさそうだった。
ということは……つまり………。
「………っっ……」
…それまでテンポだけは良く返ってきた絵依子の返事が突然途切れた。
代わりに、何か押し殺したような声が背中に伝わってきた。
僕の胴に回された絵依子の腕が、かすかに震えているようにも…感じられる。
「…う…お兄ちゃん……」
「…お、おい…、絵依子……?」
「………うぷぷ…あ…ははははは! おっかしい! 何? さっきの本気に
してたの?! お兄ちゃんってば! あはははは!!」
「は……はぁ? え、絵依子…?」
僕の背中にくっついたまま、さっきまでの様子から一転した絵依子が、突然
げらげらと大爆笑し始めた。
い、いったい…どういうこと…?
「ぷぷぷ…もぅ。さっきのはね、お兄ちゃんがなんかイライラしてて面白かった
から、ちょっとからかっただけだよ。お母さんにそんな気なんて、ぜーんぜん
無いよ?」
「え…えぇ…!? お、おまえ…そんな…」
「ホントにお兄ちゃんはお子ちゃまなんだから。ちょっぴり嬉しそうだったのは、
こーんな寒い日にクルマでぬくぬくお仕事に行けるからだよ。お兄ちゃんが
考えてるような事じゃないよ? くすくす…」
「な…、い、いや…、なんでおまえがそう言い切れるんだよ…?」
「んふふ~ん。オンナの勘ってやつ? っていうか、判んないお兄ちゃんが
鈍感なだけだよ」
「……鈍感で悪かったな。勘だけが頼りのおまえに言われても説得力ないけどな」
「もぉ! そんなだから鈍感だって言うの! だいたいさ…お金なんて無くった
って、わたしはもう幸せだよ? きっとお母さんだってそう。お兄ちゃんは……
違うの?」
「…………」
……なんだかホッとしたようなムカつくような。
だけど、ずっと子供だと思ってた絵依子が、急にこんな大人っぽいことを言う
ようになったなんて、ちょっと…というか、すごくというか、兄貴としては
とにかく意外な…不思議な感じだった。
…さっき見た横顔もそうだったけれど、いつの間にこいつはこんな…。
「なぁ…おまえ、クラスに好きなヤツとか出来た?」
ふとそんな言葉が口をついて出た。ここ最近の絵依子の変化や、妙に大人びて
見えるようになったのは、もしかしたらそういうことなのかと思ったのだ。
「ふ…ふぇ!? な、なんでそんな事聞くの!?」
けらけら笑っていた絵依子が、急にうろたえだしたのが背中越しに伝わって
きた。これは…ビンゴかな?
「なんでって…そんな気がしたんだよ。で、どうなんだ?」
「…い、いないよ。クラスに好きな人なんて…」
「ホントか? いいから言っちゃえよ。ほらほら」
突然妙にしおらしい声を上げたあと、もごもごと口ごもる絵依子に、僕は
さっきのお返しとばかりに容赦なく問いただしてやった。
ふっふっふっ……妹の分際でお兄様をからかった天罰を今こそ受けるがいい。
「だ…だから…クラスになんかいないよ。す、好きな人……なんか…」
「…じゃあ…余所のクラスとか……上級生か? ま、まさか…谷口くんか!?」
瞬間、僕の背中に、どすんと頭突きが突き刺さった。
「ちょっと…。冗談でもやめてよね……」
すぐさま、感情を全く感じさせない、冷たく…鋭利な絵依子の言葉の刃が、
僕の背中を切りつけた。
こ……怖い…。怖すぎる…。
…これ以上の追求は危険だと本能が告げる。しかたなく僕は運転に集中する
ことにしたのだった…。
・
・
・
・
結局30分ほど走り回ってみたものの、成果は今日も変わらずゼロだった。もう
一週間以上もこんな調子ということは、かなえさんが言っていた通り、和夫は
完全に鳴りを潜めたらしい。
……それとももしかしたら、僕たちの知らない間に、真都たちお坊さんが
あいつを倒してしまったんだろうか…。
「絵依子、どうだ? 何か感じるか?」
さっきから黙り込んだままの絵依子に、僕はふと声を掛けた。まさか寝てるん
じゃないだろうな…。
「…ふぇ? な、何? 何か言った? お兄ちゃん」
「…おまえ…ぼんやりしてたら落っこちるぞ」
「ぶー! じゃあ落っことされないようにするもん!」
言うなり、絵依子がさらにぴったりと僕の背中に体を密着させてきた。
ゴスロリ越しに伝わってきた感触…、ごく薄い、それでいて柔らかく暖かい
膨らみに、一瞬僕はどきりとしてしまった。
…絵依子は妹だっていうのに…、何を……いったい何を考えてるんだ、僕は!
「えへへ…。なんか…これってデートみたいだよね。深夜にさ、二人っきりで
ドライブなんて」
「……ばーか。だいたい兄貴とデートなんかしたって楽しくないだろ」
肩越しに聞こえてきた絵依子の言葉を、僕は速攻で否定した。
そうしなければ僕は……、心まで絵依子の体温に溶かされてしまう。そんな
気がしたからだ。
「…お兄ちゃんはそうなの? 妹と…わたしとデートしても……楽しくない?
やっぱり御八尾さんとか……あーやと一緒の方が楽しいのかな…」
「…………」
「わたし…、……じゃ…かったら…良かっ……のかな…」
途切れ途切れの声がぽつぽつと後ろからやってきた。でもそれは風の音に
紛れて…よく聞き取れない。
気がつくと僕は制限速度をめちゃくちゃにオーバーしていた。びゅうびゅうと
叩きつけられる風に、指先の感覚がほとんど麻痺している。
…でも僕は、アクセルを緩めようとは思わなかった。
「……停めて!!」
突然、絵依子の金切り声が響いた。
「っ! どうした!? あいつらかっ!?」
「いいから早く停めてっ!! 早くっ!!」
とっさに僕はブレーキのレバーを全力で握りこみ、危うくスリップしそうになり
ながらも、何とか急停車した。
…さっきの絵依子の声は尋常なものじゃなかった。
今まで聞いたことも無いような……まるで叫びにも似た声だった。
「…ごめん。大声出して。ちょっとだけ待ってて…」
小さくつぶやきながら、ぴょんと絵依子がスクーターから飛び降りた。
見れば急停車させられた場所は、ちょうどコンビニの前だった。と言うことは…
トイレか?
「やれやれ…脅かすなよ。また出る前にちゃんと済ましておかなかったんだろ…
って、し、しまった…!」
あわてて口を閉じたものの、時すでに遅しだった。こういうことを言うと、
きまって絵依子は僕にデリカシーが無いと烈火のごとく怒るのだ。
……また頬っぺたか、それともパンチが来るかと、僕は覚悟の量を計算しながら
身構えた。
…が、うつむいたまま絵依子は、振り向きもせずに無言でコンビニに走って
いった。
「……あ、あれ…?」
当てが外れた…と言うか、妙な肩透かしを食らったような格好の僕は、ただ…
ぽかんと絵依子の背中を見送るしか出来なかった…。
・
・
・
・
「おっ待たっせ~~~~。ささ、それじゃもうちょっと行ってみよ~~!!」
コンビニのトイレから、すっかりいつも通りの調子で絵依子が戻ってきた。
なるほど……無駄口を叩く余裕すら無いほど我慢してたんだな…。
思わず僕は苦笑してしまった。どこか変わったように感じることがあっても、
やっぱり絵依子は絵依子なのだ。
「な、なに笑ってるの? 変なお兄ちゃん…」
「……何でもないよ。せっかくだからちょっと休憩していこうか」
言いながら僕はバッグの中から紅茶の入った水筒を取り出した。出る前に作って
おいた、僕からすれば少々……、いや、かなり甘すぎるほどの、砂糖とミルク
たっぷりの絵依子好みの紅茶だ。
「わ! やったぁ! いただきまーす!」
なみなみと注いだカップを渡してやると、さっそくちゅうちゅうと絵依子が
すすり始めた。
「あ、熱! 熱っ! でも甘~い! 美味しい~!」
「だからって、あんまりガバガバ飲みすぎるなよ? でないとまた、おし…」
相変わらずの猫舌っぷりを発揮して、ちびちび舐めるように紅茶を飲む絵依子に
やんわりと注意しようとした瞬間、ぎろりと獣の眼をした絵依子に射抜かれた。
あ、危ないところだった…。
「でさ…、その……さっきの話だけど」
「……ふぇ? さっきのって?」
お替りした紅茶をふうふう冷ましながら、絵依子がぽかんとした表情で僕を
見上げた。
「…デートって訳じゃないけどさ、そのうちどっか遊びに行こうか。こんな
夜じゃなくて…もっと明るいうちに、怪物とか戦いのことも気にしないでさ」
何気なく、ただ思いついただけ、言ってみただけの僕の提案に、絵依子の顔が
見る見るうちに明るく輝きだした。
真っ暗な深夜なのに、まるでここだけライトに照らされているように、きら
きらと輝いている…。そんな風にさえ…僕には感じられてしまった。
「…うん! 行こ行こ! 絶対だよ! 約束だよ!! わたし、ネズミーランドが
いいなぁ~! あ……でも、ネズミーシーもいいかも! ちょっとオトナの雰囲気
らしいよ?」
「ネズミーかぁ…あそこは高いらしいからなぁ。よし、今こそおまえのツンデレ
喫茶のバイト代を全額突っ込もう!」
「そ、それダメ! もうわたし、ちゃんと使い道決めてるんだから!」
「ケチケチするなよ。減るもんじゃ無し」
「ちょっ!! へ、減るって!! なに言ってんのお兄ちゃん!? アタマ
大丈夫?!」
「…まさかおまえに言われるとは思わなかった……。冗談に決まってるだろ…」
「もぉ! 脅かさないでよ! あやうく本気にしかけちゃったじゃん!」
「…おまえ…僕をどういう人間だと思ってるんだ」
「あははっ! 教えてほしい? でもナ・イ・ショ!」
深夜のコンビニの前で、僕たちはけらけらと笑い、ふざけあっていた。
ふと視線を感じて店内を伺うと、店員のおじさんが僕たちをにらんでいるのに
気がついた。
さすがにちょっと騒ぎすぎたかな…。ヤバい…。
「…よし。じゃあ今晩ももうちょっとだけ頑張るか!」
「おーぅ! フェイトー! いっぱーつ!!」
「…それを言うならファイト、だろ。ほ、ほら、いいから早く乗れって!」
逃げるようにコンビニを後にして、さらに1時間ほど夜のドライブをした
ものの、結局今日も何事もなく、僕たちは深夜遅くに家路に着いたのだった。