11月6日-幕間-
-11月6日 幕間-
パンパンパンっ・・・!
パンパン・・・パンッ!!
『…アカンな。全然集中出来てへん……』
夜更けの禅堂に、軽く乾いた音が響く。
何度めかの「警策」を受け、「御八尾 真都」は内心でため息をついた。
本来なら己は修行僧の手本になるべき存在であるはずなのに、今回の『接心』に
限っては、真都はまるで坐禅に集中できていなかった。
集中できない理由は自身にも判っている。例の尋常ならざる公園の件だ。
一刻も早く原因を突き止め、対処せねばならない。そうしなければ、世界
そのものの危機であると彼女は感じていた。それなのに、いかに『規矩』で
決まっているとしても、あれを目の当たりにして、こうしてのんびり坐禅する
などどうしてできようか。というのが真都の本心だった。
ただ、もう一つ。彼女の心には気にかかることがあった。
「渡城 瞬弥」のことだ。
自分たちのような僧兵でもなく、会士のような力も持たずに、彼からすれば
半ば「異世界」のように感じるであろうこのフィールドに迷い込んできた少年の
ことが、真都には気がかりだった。
『瞬ヤン……今日もあの妹と式紙退治に出とるんやろか……』
『あんだけ言うたったのに、たぶん……出とるんやろうな…』
『また無茶なこと……しとらんとエエんやけど…』
いくら集中しようとしても、基本の『数息観』に立ち返ろうとしても、すぐに
浮かんできてしまう『妄想』に坐相が崩れ、そのたびに警策を食らう。けれど、
真都は瞬弥たちのことを考えずにはいられなかった。
二人に最初に出会った時の印象は、あまり良くないものだった。彼らがいう
「怪物」……式紙を倒しているという話は、にわかには信じがたいものだった
からだ。
瞬弥と行動を共にし、式紙を実際に倒している妹の「絵依子」とやらも、
どこか違和感があった。会士の力を持ってはいるようだったが、会士そのもの
とはどこか違うように感じられる。瞬弥も「高崎 かなえ」も気づいてはいない
ようだが、おそらく「渡城 絵依子」は会士ではない。似て非なる「何か」だ。
瞬弥から感じた改変の痕跡も、絵依子によるものではないか、と真都は
疑っている。しかし、理由や目的などはまるで見当もつかない。そもそも
どう改変したのかも判らない。
絵依子が何を考えて式紙を倒しているのかも判らない。父親の遺言という
話も、本当かどうかは眉唾だ。
けれど、2度3度と彼らの戦いを見るうちに、少なくとも遊びや、「狩り」を
楽しんでいる訳ではないことは判った。瞬弥も絵依子も、それぞれが真剣で
あることは確かだと感じられたからだ。
だからと言うわけではないが、あの兄妹に対しては、初めて会った時ほどは
不信感はない。
疑念は残るものの、二人の間には強い絆があるように思える。特に瞬弥の、
絵依子への思いは理解も出来る。
幼少の頃から寺に預けられていた真都にとっては、瞬弥のような男は初めて
接するタイプだった。
一回りも二回りも異なる年齢差の僧侶に囲まれた生活を、10歳になるかなら
ない頃から過ごしてきた真都にとって、同じ年頃の少年など、彼女のこれまでの
人生には、ほとんどいなかったからだ。
腕力や知力といった、特に何かに優れているということのない、ごくごく平凡な
ただの高校生。
それが「渡城 瞬弥」だった。
だから逆に、真都にとっては瞬弥は興味深い対象だった。
もっとも、異性として意識しているのかどうか、というと、それは違う。
そもそもそうした感情など、もはや自分にはない、と真都は信じている。
瞬弥に抱く思いは、かつて自分にいた、歳の近い弟に対するそれが近い。
やんちゃで手のかかる、しかしかけがえのない大切な弟が、彼女にもいた。
そして、そんなごく普通の少年が、いくら「妹」のためとはいえ、無謀とも
思える行為……「妹の怪物退治に同行」していることには、わずかな驚きと
畏敬の念を覚えずにはいられなかった。
もし自分が同じ立場だったなら、はたしてそんなことが出来るだろうか。
何の力もないままで、戦いの場に身を置くことなど出来るだろうか、と。
ゆえに瞬弥のそのこころの有り様に、ひそかな憧憬の念を抱いてしまう
ことは止められなかった。
もっとも、そんなものは匹夫の勇であって、本当の勇気でもなんでもない。
戦うからには、勝たなければならないのだ。
瞬弥が和夫に向かっていったように、勝てない戦いに挑むなど、ただの自己満足
だとも真都は思う。
だからこそ本当に瞬弥をこの『世界』から遠ざけるのなら、それこそもっと
痛い目に合わせるべきだった。あんな警告だけではなく、命に別状のない程度に、
腕の一本でも折るべきだったと真都は今も思う。あのおかしな「妹」と一戦
交えることになったとしても。
でも、それは出来なかった。なぜためらったのかは、今も真都には判らない。
ただ、あの時の自分の甘さがこの先、瞬弥をさらなる危険に晒すことになるかも
しれないと、真都は少なからず後悔していた。
しかし本当に腕を折っていたとしても、瞬弥は諦めないかもしれない。あの
少年の覚悟はそれほどのものに感じられた。
いったいどうすれば良かったのか。この先どうすれば良いのか。
迫る世界の危機に加えて、やんちゃ坊主の面倒まで見なければならないとは、
さすがに荷が勝ちすぎる。
出口の見つからない迷路に放り込まれたような思いを、真都は抱えていた。
・・・パンパンパンっ・・・!
とめどなく沸き起こる『妄想』に坐相が崩れ、またも警策を食らう。その繰り
返しにいい加減うんざりしかけたところで、坐禅の終わりを告げる引磬の音が
鳴った。
時刻は夜9時を少し回った頃だった。わずかな休憩の後、修行僧たちは続いて
「夜坐」と呼ばれる、深夜にまで及ぶ坐禅が行われるが、常住と真都たち忌門寮は
ここで一日が終わったのだった。
「はぁ……アカンなぁ。まだ明日もあんのに……」
禅堂から退出しながら、真都がまた大きなため息をついた。まだまだ自分は
修行が足りないと、自分で自分が情けなくなる。
夜坐の懈怠が許されているとはいえ、接心中の開静は午前3時だ。早々に寮舎に
戻り、明日に備えようとしていた真都のそばに、先程まで堂内で警策を振るって
いた僧侶が近づいた。
「…珍しいね。都っさんがこんなに集中できないなんて」
都っさん、と呼びかけられた真都が顔を上げる。呼びかけた男の服装は、他の
男僧と同じだが、有髪である。
少しウェーブのかかった茶髪をたくわえた優男風の青年が、「妹」に接する
かのように親しげに言葉をかける。
「……師兄…。面目ありません。しかし…」
「…判ってる。例の件だろう? それに関しては上もきちんと対応は考えている。
今、君が考えてもどうにもならないよ」
「………」
「…今は接心中だ。外のことは考えてはいけない。そう…どうしても考えてしまう
のなら、むしろ自分自身と向き合いなさい」
「内観……ですか」
『内観の法』を勧められた真都が、露骨に嫌そうな顔をした。以前に行った
際は、苦しいだけで何も得られないことばかりだったからだ。
その時のことを知らない師兄、流我ではない。今さら、何を考えて勧めて
くるのか、真都には理解できなかった。
「…無理にとは言わないよ。でも、このままだとこの接心は都っさんの肩を
マッサージするだけで終わりそうだからね。それでは僕も君も疲れるだけだ」
「…………」
「ともかく、今日のところは休みなさい。いいね」
にこりと微笑みながら、真都の肩をポンポンと叩いて、流我は静かにその場
から去った。夜の闇に同化するように、年季の入った藍染の衣が消えていくのを
見ながら、真都はまたひとつ、大きくため息をついた。
「内観……か……」
己と向き合う『内観の法』。それは思い出したくない過去と向き合うことだ。
真都にとってのそれは、かつてあった、幸せな家族との思い出。
失ってしまった、二度と取り戻すことのできない時間。
「もう…関係あらへんのや。今のウチは真琴やない。朧露の…真都なんや」
ぽつりとだけつぶやいて、真都も静かに禅堂を後にした。真っ暗な境内に、
真都の姿も溶けるように消えていった。
本文補足です。
『接心』→通常、月の1日から7日までの一週間、他のことはせずに集中して
ひたすら坐禅する修行期間のこと。
『規矩』→お寺の決まりごと。ルール。
『数息観』→一回の呼吸ごとに数を数え、呼吸に集中して、それ以外のことを
考えなくする坐禅のテクニック。
『開静』→起床




