11月1日-7
「・・・・・・え…? しゅ…瞬くん……?」
一瞬の間の後、どこか呆けたような声を綾が上げた。
同時に、だんだんとその目に光と焦点が戻ってきたのが分かる。
「……あ、綾? も、戻ったのか……?」
「え…? な、なに? ここは……」
少しして、ようやく完全に正気を取り戻したらしい綾が、きょろきょろと
辺りを見渡している。その様子に、僕自身もようやく冷静さを取り戻せた。
「……ふぅ」
安堵のため息をつきながら掴んでいた肩から手を外し、綾から離れ
ようとした瞬間。
「…ぇ? ……きぃやあああああああああぁぁぁぁぁああああああーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!
!!!!!」
…とんでもないボリュームの綾の悲鳴が、僕の耳を突き刺した…。
「しゅ、瞬くん……、も、もしかして…わ、私に……?」
「ちち、違うっ! 断じて違うっ!」
「で、でも……服…」
「そそ、それはおまえが自分から脱いだんだって!」
「わ、私が……?!」
「そう! そうなんだ! おまえが自分でこう、ぱーっとだな…!」
「………・・・・・・」
見る見るうちに綾の顔が、耳まで真っ赤に染まっていく。
そして……無言のまま、突然ばたりと倒れた。
・
・
・
「ん…あ…ぁ…」
10分ほど経っただろうか。さっきのシーツを敷き、その上に寝かせて
おいた綾が目を覚ました。
またきょろきょろと辺りをうかがっている綾に、僕は出来る限りそっと
ゆっくり、静かに近寄った。
「あ……瞬くん…?」
「まったく……急に叫んだり倒れたり、おまえも忙しい奴だな」
「うん…ごめんね……」
「それで…身体は大丈夫か? 気分とか悪くないか?」
「うん……もう平気と思うけど…。…本当にごめんね」
気を失っている間にかけておいてやった上着に袖を通しながら、綾が何度も
僕に謝る。その様子は……さっきまで別人のようだった綾が、完全に元に……
いつも通りに戻ったような感じだった。
「…いや、いいよ。そんなことより……さっきは本当にどうしたんだ?
あんな…訳の分からないことを言ったりして……」
「……あんな? 訳の分からないこと……?」
立ち上がりながら、ぽかんとした表情で綾が首をかしげる。それに思わず
僕は呆然としてしまった。
「まさか……覚えてないのか?」
「うん…。模擬店で働いてたのは何となく覚えてるんだけど……、あれ、私…
なんでここにいるのかな…。それも…判らない…思い出せないよ…」
…なんだ、これは。
さっきまでのことを……何も覚えていないだって……?
一体全体…どうなってるんだ…?
「しゅ……瞬くん。私……何か言ってたの? 何て…言ってたの?」
「…え、そ、それ…は…」
不安そうに僕を見つめる綾の目を、僕は直視することが出来なかった。
あの時の綾の言葉が、再び僕の脳裏に蘇る…。
『…絵依子ちゃんはもういないんだよ…』
……言えない。言える訳がない。
忘れてしまったというその言葉を教えたら、また…綾がさっきみたいな
異様な状態になるのではないか。
何より、もし言ってしまったら……口に出してしまったら、まるでそれを…
僕が認めてしまったことになりそうな気がするのだ。
言えない。言いたくない。だけど……。
「瞬くん…黙ってないで…何か言って! 教えて…!」
「………っっ…!」
「瞬くんっ……!!」
…切羽詰まったような綾の追求に、これ以上黙ってはいられないことを僕は
悟った。仕方ない……。
「……いや、なんでもないよ。なんかヘンな…うわ言みたいなのを言ってた
だけだよ」
なんとか僕は自然な感じの笑顔を心がけて、綾に答えた。
「……え…? 本当に?」
「うん。だから内容も覚えてないんだ。ワケの分からないこと言ってるなー、
ってぐらいしか」
「…………」
「あ、そういえば『お値段今だけ300万円!』とか言ってたな。何のセールスの
夢だよって笑っちゃったよ」
「え……ええぇ…? ほ、本当……?」
「…たぶんさ、病み上がりにあんな慣れない仕事をやらされて、頭と体が
オーバーヒートしたんだと思うよ。それでフラフラ歩いてたら、たまたま
ここに来ちゃったってことなんじゃないかな」
「あぁ……うん。そう…かも……」
「服を脱いだのも、無意識に熱を下げようと思ったからじゃないかな」
「うぅ……、そ、そう…なのかな…。でも…ううう……」
また顔を真っ赤にしながらも、僕の説明にだんだんと綾が落ち着きを取り
戻していった。思いつきとデタラメばかりではあったけれど、これで綾が納得
してくれるのなら、いつか閻魔様に舌を抜かれても後悔はしないつもりだ。
「…どう? 今度こそ落ち着いた?」
「う…ん。ご、ごめんね。私…やっぱりまだ身体が治ってないのかなぁ…」
「じゃあ…とりあえず保健室に行こうか。そこでもう一休みしたらいいよ。
そこまで送っていってから、僕は戻って谷口くんに伝えておくから」
「…ありがとう。ごめんね…迷惑かけて……」
「もういいって。ほら、行こう」
立ち上がったものの、少しふらついた綾に肩を貸して、僕たちは美術室を
後にした。
がららっ・・・・・・
一階の保健室は鍵はかかっていなかったものの、誰もいないようだったので、
勝手にベッドを使わせてもらうことにした。
さっそく綾を横にさせて、ふとんをかぶせてやる。額に手をやると、ほんの少し
熱っぽい感じはあった。
「やっぱり少し熱があるみたいだ。また後で様子見に来るから、ちゃんと安静に
してろよ」
「う、うん。ありがとう…瞬くん……」
がららっ・・・・・・
「ふぅ……」
保健室を出て、僕は大きなため息をついた。とりあえず綾は元に戻ったし、
僕の言ったことを信じているようだ。だからこれでひとまずは何とかなった。
だけど…根本的なところは何も解決していない。
どうして綾はあんな…意味の分からないことを口にしたのか。
そもそも…あの異様な雰囲気は……なんだったんだ?
もしかしたら…本当に病み上がりのオーバーワークで、夢遊病みたいに
なってしまったんだろうか。
でも確かに、それならあんな風に支離滅裂な…現実にない夢みたいなことを
口走ったのも有り得る話だ。
『…絵依子ちゃんはもう…いない。死んでるんだよ……』
どくん・・・・・・!
「…違うっ! あれは…ただのうわ言だ…!!」
ふいに甦った綾の言葉を、僕は頭を振って否定した。
そうだ。あれは綾が見ていた悪夢なんだ。夢と現実がごちゃ混ぜになって出て
きた、意味のない言葉を真面目に受け取るほうがどうかしてる!
「…ともかく、戻るとするか……」
時計はもう4時過ぎを指していた。そろそろ文化祭も終りだろう。
谷口くんにこのことを報告もしないといけないし、僕は1年の教室に向かって
歩き出した。
残響にも似た、さっきの綾の言葉を打ち消しながら。




