11月1日-3
「わ、悪い! 絵依子!?」
あわてて屋上に駆け込むと、もう11月だというのに、思った以上にまぶしく降り注いでいる太陽に思わず僕は一瞬くらりとした。
もっとも、ほんの数秒でそれにも慣れ、すぐに視力は回復していった。でも肝心の絵依子の姿が屋上に見当たらない。
「あ…あれ? 絵依子……?」
と、その時。
「ぎっ…! あいだだだだだ!!」
突然、ほっぺたに凄まじい激痛が走った!
「もーーー!! 遅いっ!! 可愛い可愛い天使のよーな妹を放っぽって何してたの!!」
…開口一番、手荒い歓迎とセットになった絵依子の文句が、屋上に着いた僕を出迎えてくれた。
「ご、ごめんごめん…でも、今日は一日中フリーになったから。ちゃんと最後までお相手させて頂きますョ」
「…ホントに!? よしよし。苦しゅうないぞ! 褒めてつかわす! あはははは!」
絵依子のいつもの時代劇じみた、芝居がかったやり取りに、思わず二人で吹き出してしまう。我が妹ながら、まったくこういうノリは抜群だ。
少しして、くすくす笑いながら絵依子がポケットから何やら取り出した。
「これ、今日のパンフだよ。どこから回ろっか?」
「なになに…1年と3年がだいたい模擬店、2年が展示か。2-1が「南京事件の真実」ね。激しく興味ないなぁ…」
「あ! じゃあさ、これ行こうよ! お化け屋敷!」
パンフとは名ばかりの、ホッチキスで留めただけの紙っぺらを二人でのぞき込んでいると、目を輝かせながら絵依子が3年の模擬店を指差した。確かに定番といえば定番なのかもだけど…。
「……お化け屋敷ねぇ。ある意味、しょっちゅう本物と戦ってるおまえや僕を驚かせられるとも思えないけど……」
「あはは! まぁいいじゃん! なんか面白そうだよ? ね、ねね?」
すっかり行く気マンマンの絵依子が、上目遣いで僕をじーっと見つめている。やれやれ……、これは仕方ないか…。
「…それじゃ、とりあえず行ってみるか。期待はずれでも文句いうなよ?」
「うん! 行こ行こ! 早く早く! お兄ちゃん!」
今にも駆け出さんばかりに、その場で足踏みしている絵依子をなだめつつ、僕たちは屋上を後にした。
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3年の教室は屋上からすぐの三階にある。廊下に出たところで、お化け屋敷のクラスはすぐに見つかった。
「……ほ、ほう…。これは……なかなか……」
「…だね。なんか…すごいかも……」
教室の入り口にでかでかと仕立てられた看板は……案外凝っていた。おどろおどろしい字体で、いかにもと言う雰囲気だ。
おまけに教室の窓は全部黒くカーテンで隠され、外からだと中が全く見えない。
これはけっこう…もしかしたら…意外に本格的なのか…?
「は~い…いらっしゃ~~い…。お二人さんね…」
受付の幽霊の格好をした上級生らしき人に200円を渡し、僕たちはいざお化け屋敷へと突入した。
入り口に立つと、教室の中は本当に真っ暗だった。かなり念を入れて遮光してるんだろう。不思議と外の音までが遮断されている。
……この企画を考えた人は、かなりのお化け屋敷マニアに違いないな…。
「…お、思ったよりはすごいな。でも、夏ならともかく、もう11月だしな…ははは…」
そう言いつつも、足元を照らすかすかな光しか見えない漆黒の世界に、少しだけ僕は不安を覚えた。「闇」というのは、どことなく根源的な恐怖を感じさせる。そんな風にさえ感じてしまう。
……あるいは、あの時の恐怖が、初めて怪物と遭遇した…あの日の恐怖が、今もまだ僕の中に残っているからかもしれない。
ふと気づくと、さっきから絵依子がずっと黙ったままだった。もう少しはしゃぐかと思ってたのに。
「…絵依子? どうかしたか?」
真っ暗な世界の中で、その姿はまるっきり見えない。すぐそばに絵依子の息遣いは感じるものの、ほんの少し…それが乱れているようにも思えた。
「お…お兄ちゃん。手、つないで…いい?」
少しの間の後、急にぽつりと絵依子がそんなことをつぶやいた。意外にも緊張してるのか、声が少し上ずっている。
「…いいよ。ほら」
差し出した僕の手に、冷たい指がちょん、と触れた。それがかすかに震えているのは、さっき屋上で身体が冷えたせいなのか、それともやっぱり怖くてなのか。
…どうしてなのか、その手が悲しく、愛しく思えて、僕は思わずぎゅっと握り締めた。
なぜか…そうしなければいけない気がした。理由なんかないまま、僕はただそう感じた…。
仕切りを立てて、ぐねぐねと曲がりくねって作られた中は、教室の大きさからすれば意外に思えるほどの距離があった。道のりの途中途中に、仕掛けやお化けたちが現れ、その度に絵依子が「ひゃ!」とか「わわっ!」とかの声を上げる。
……むろん、僕もちょっぴりドキドキだったのは言うまでもない…。
そんなコンニャクやら被り物やらに散々驚かされた後、ようやく僕たちは外界に戻れたのだった。
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「……ふーーー。や、やっぱりたいしたコトなかったね! あはは!」
廊下に出た瞬間、大きく息を吐きながら、絵依子がおどけた調子で口を開いた。
「なーに言ってるんだか。さっきは中であんなに震えてたくせに」
「あ…あれは違うよ。怖かったからじゃ…ないの…」
「はいはい。でも確かに結構本格的ではあったよな。正直言うと、さっきのガイコツにはちょっと焦ったよ。いきなり床から現れるのは反則だよなぁ…」
「もーー。お兄ちゃん、だらしないなぁ!」
「……おまえだってコンニャクの時、「ひゃっ!」とかいって僕に抱きついてきただろ。そっちの方が間抜けだろ」
「あ、あ、あれは…怖かったんじゃなくて! ビックリしただけだもん!」
「…ま、いいけど。さて……それじゃ次はどこに行こうか」
お化け屋敷を後にして、僕たちは体育館で軽音楽部の演奏を聞いたり、落研の寄席を見たり、3年のクラス展示を見に行ったりして、気がつけばいつの間にか、時計の針は正午を指していた。
「…そろそろお昼食べようか? 絵依子」
「さんせーい! 模擬店! 屋台! オラわくわくすっぞーーー!」
「…どれどれ。模擬店は……わたがしにフランクフルト、焼きそば、焼き…スパゲッティ!?」
ぱらぱらとパンフのページをめくっていると、ふと目に飛び込んできた見慣れない料理の名前に、思わず手が止まった。
「何それ! 焼きスパ!? ど、どんなのなんだろ!」
「……確かに気になるなぁ。よし、行ってみよう!」
模擬店の屋台は中庭にあった。勢い込んで店先から中の様子を見ると、なるほど、確かにスパゲティを鉄板の上で焼いている。
どうやら茹で上げたスパゲティを作り置きしておいて、同じく作り置きのミートソースをからめて炒めて出来上がり、らしい。
見た感じはあんまり美味しそうには見えないけど…。
「……なぁ絵依子…。これはやっぱり……」
「えへへ! すいませーん。焼きスパ2つ下さーい!」
「はいよっ! 2つで600円ね!」
嫌な予感しかしないので、引き返そうとした僕を軽く無視して、絵依子がさっそく2つ注文した。粉チーズの代わりなのか、ブチブチと手でちぎったチーズを、仕上げとばかりにソースの上に振りかけている。
…もう完璧にダメな予感がするんですけど…。
もはや期待感ゼロというか、ほとんどやけくそでプラスチックの皿に盛られた焼きスパを仕方なく口に運んだとたん、いきなりふわっと香ばしい匂いが口いっぱいに広がった。
「あ、あれ? 案外美味しいぞ…!?」
「…………!!!」
こ……これはうれしい不意打ちという奴か!!!
鉄板で熱を加えられた麺がふわりと放つ、まるで焼きたてのパンのような香りがトマトソースと相まって、どこかピザのような風味をも醸し出している。
考えてみればどっちもイタリアンなんだから、それも当然というか、元々相性は悪くないのかもしれない。
「お、おいしい~~~~!! お、お兄ちゃん!! いらないんだったらちょうだい!」
「ばば、バカ言うな! そんな訳ないだろ!」
ずるずるムシャムシャ……。僕たちはしばらくの間、無言のまま焼きスパに魅了され続けていた…。
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「あー。美味しかったー♪ でもあれぐらいなら今のわたしでも出来るかも。今度お家でも作ってみるね!」
すっかりお腹も満足した僕たちは、のんびり木陰に腰を下ろしながら、デザート代わりにわたがしを頬張っていた。よっぽど焼きスパが気に入ったのか、絵依子はさっきからずっとこんな調子だ。
「ねね、また後でもう一回食べてもいい? ちゃんと作り方を舌で覚えなきゃ!!」
「今日の予算はまだあるから良いけど、舌で覚えるってほど難しい物でもないだろ。あんなのスパゲティとミートソースを混ぜて、一緒に焼くだけなんだから…」
「ちっちっちっ……、お兄ちゃん気づかなかった? その前にも色々やってるみたいだよ、あれ」
「む…。言われてみれば、確かに普通のミートソースと何か違ってたような気もするかな」
「でしょ? オイルはたぶんあれだね。ポリープオイルってやつじゃないかなぁ」
「へぇ…よく分かるな。っていうか、朝もそうだったけど、どういう風の吹き回しだ? 急に料理だなんてさ」
「え……、そ、それはその……えっと…」
僕のふとした問いに、何やらごにょごにょ言ってるだけで、まるで答えらしきものを返してこない絵依子の姿が、何となく綾にダブッて見える。
今朝、綾からごにょごにょ病を移されたのか、それとも料理を始めると、みんなこんな風になってしまうんだろうか。女の子ってやつは。
……やっぱりよく分からない生き物だなぁ。妹も女の子も。
「まぁ、おまえが料理覚えれば、母さんだって少しは楽になるだろうし、よく分かんないけどがんばれよ」
「あ…う、うん……」
らちが明きそうにないので適当に話を打ち切り、僕はごろりとベンチに寝転がった。お腹もいっぱいに満足したせいか、本当にこのまま寝てしまいそうだ。
…朝から異様にテンションの高い絵依子にあちこち連れ回されたおかげで、正直いって僕の体力はそろそろ限界のようだ。
「ふぁぁぁ……僕、ちょっと寝るから、30分したら起こしてくれ」
「ちょっ! お兄ちゃん! 食べてすぐ寝たらブタになっちゃうんだよ! もぉ!」
「ブタか…それは困るな。ぶぅぶぅ…」
「んもぉーー! お兄ちゃんってば!」
「……もーもーうるさい。牛かおまえは。ぶぅ…ぶぅ…」
「ダメだってば! おーーきーーろーー!! おにいちゃーん!!!」
まったく、僕よりも早起きして、しかも朝ごはんまで作ってたっていうのに、こいつのこの元気っぷりは何なんだろう…。
「…おまえ……元気だなぁ…。僕はもう疲れたよ……フランダース」
「もぉ! ほんとにだらしないなぁ、お兄ちゃんは!」
もはや立ち上がるのも正直おっくうだ。冷たく硬いベンチが、今はなぜかとても愛おしい。
「…そうは言ってもダルいものはダルいんだ。もうちょっとゆっくりして行こう」
「…じゃあさ、あーやの様子をそろそろ見に行こうよ。喫茶の模擬店だったら座れるんじゃないかなぁ」
「そうだなぁ……まぁそれぐらいなら……」
「うん。じゃあ決まりっ! どんな喫茶店なんだろ? たまに聞くマイド喫茶だったりして!」
「マイドって…なんか真都がバイトしてそうな喫茶店だな…」
「もぉ! …いいから早く立って立って! ほら!」
お尻から根を下ろしかけていた僕を無理やりベンチから引き剥がし、ぐいぐい絵依子が背中を押してくる。
…やれやれ…まったく仕方ないな…。