10月28日-11
少々揺すったぐらいじゃ絵依子はめったに起きない。ましてや、さっきの戦いは今までにないぐらいの激戦だったのだ。寝落ちしても無理もない。
仕方なく僕は絵依子を背負い、最後にもう一度店長にお礼を言ってから店の外に出た。
真都はレジ横に備えつけてあるファ○リーズをぷしゅぷしゅと全身にぶっかけている。
なるほど、さすがに焼き肉の匂いをさせて帰るのはマズイらしい…。
「んん~~~~ん! 今日は楽しいお酒だったわ! ごちそうさまっ!」
「いえ、僕の方こそ…いろいろ教えてもらって、今日はホントにありがとうございました」
すっかり静まり返った商店街のアーケードを抜け、僕たちはぶらぶらのんびりと、しゃべりながら駅前にまで戻ってきた。
「じゃあ、あたしこっちだから。あ、それとこれ。あたしの名刺。何かあったらいつでもいらっしゃい」
そう言ってかなえさんがくしゃくしゃの、かつては名刺だったと思しき紙切れをどこからか取り出し、僕の上着のポケットにねじ込んだ。
「あの…最後に一つ聞きたいんですけど」
「んん? なぁに?」
「今日の男…えっと…「作 和夫」のことなんですけど…あいつはこれからどうする気なんでしょうか…」
「そうねー。しばらくは大人しくしてるんじゃない? 今日で顔も名前も割れちゃったしねー」
いや、それはさっきアナタがバラしたからじゃ…。
「…ご協力感謝します…、とは言いまへんよ…?」
「別にいいわよ。今日は『仕事』だからああしたけど、ホントのところはあんなヤツ、死のうが生きようがどうなったって、あたしには関係ないし」
ふん、と鼻を鳴らして一瞬薄く笑ったかなえさんの顔は、少し…いや、かなり怖かった…。
「…と、とにかく、ありがとうございました。かなえさんも原稿がんばってください。締め切り…もうすぐなんですよね?」
「うっ…ヤな事思い出させないでよ……。じゃ、じゃあまたね! 瞬弥クン、えーこちゃん、ミャオっち!」
ぶんぶんと手を振りながら、かなえさんはたったっと連絡通路の階段を上っていった。
何というか……にぎやかな人だったな…。
「っていうか、さっきの『ミャオっち』って…いったい何だろ…」
「………」
「光の巨人の掛け声的な……?」
ふと去り際にかなえさんが残していった謎の言葉の意味を考えていると、むすっとした表情のまま、ぼそり、と真都がつぶやいた。
「……たぶんウチの事やろ。ウチの苗字は「御八尾」やからな。ホンマにしょーもない…」
あぁ、なるほど。御八尾→みやお→ミャオか。
…何ともベタなセンスだ…。
あの人ホントに漫画家なんだろうか。
もっとも僕のことを「瞬ヤン」なんて呼ぶ真都のセンスもどうかと思うけど…。
……意外に似た者同士なのかも。この二人って。
スタイルに関しては似ても似つかない、正反対だけど……。
「…それでもさ、お寺の人呼ばわりよりはずっとマシだと思うよ。真都のこと、ちょっとは認めてくれたんじゃないかな」
「……ふん」
僕の言葉に真都が小さく鼻を鳴らす。表情はよく見えないけれど、さっきまでの敵愾心みたいなものは、少しだけ薄れているような気がした。
「ほんならウチもここでな。気ぃつけて帰り。……それとな…」
「うん。そっちこそ。女の子の夜の一人歩きなんて、最近はけっこう危ないんだからさ」
「…は………?」
交差点での別れ際、僕の言葉に何故か真都が目を丸くした。そして少ししてから、またいつものように押し殺したように笑う。
「…くっくっくっ…。瞬ヤン、アンタ、ウチが何なんか、もう忘れたんかいな。これでも丞善寺の真都て言うたら、『朧露八輝金剛』の一人に数えられとるんやで?」
…何のことかよく分からないけれど、真都がまたちょっと得意げに胸を張る。
「朧露の中でも、あの女とやり合ぅて5分持つんはそうはおらへん。まして勝てんのはウチと…せいぜいあと一人か二人ってとこや。ヘラヘラしとるけどな、アレは…バケモンやで」
「そ、そうなんだ…そんなに強い人だったんだ……、かなえさんって…」
急にすぅ、っと以前のような厳しい目に戻った真都が、忌々しげな口調で言葉を吐き出した。
でも確かにあの和夫って奴が逃げるぐらいなんだから弱い訳がないか…。
「…そうや。今まであの女にウチらがどんだけ煮え湯を飲まされたか……。金剛の一人も前に病院送りにされとる。『紅鎧斬鬼眼』の異名は伊達やない…。バケモン言うんは、比喩や冗談とちゃうんや」
「…………」
「…なぁ瞬ヤン。今日、いろいろお勉強できて、さすがのアンタもエエ加減判ったやろ。この『世界』は……アンタのおるべき場所やないんやで」
言いながら、真都の視線が真っ直ぐに僕を射る。だからあの女にはもう近づくな、これ以上この世界に首を突っ込むな。言葉にこそ出していないものの、真都の表情は…はっきりとそう語っていた。
「……でも…」
「……?」
「でもさ……、かなえさんは真都の仲間を、お坊さんたちを殺したりなんかしてないんだろ? 違う?」
いくらソキエタスと真都たち何とか宗が対立してるとしても、かなえさんは人殺しなんか…絶対にしない。そんなことをする人じゃ、絶対にない。
あの人と一緒にいた時間はほんのわずかだったけど、そう言い切ることに僕は迷いなど一切なかった。
「……………」
僕の言葉に真都はまた目を丸くして驚き、何か言いたそうに口をもごもごさせた後……、ふぅ、とため息を小さくついた。
「…とにかくや。そのバケモンとやり合えるウチもバケモンや。せやから夜道の心配なんかいらへんよ」
真都がまた、くくく、と笑う。でもその声には、どこか自嘲するような色があるように…聞こえた。
だから僕は、思わず…真都の目をじっと見据えた。半ばにらむように。
「アンタ……ホンマに変わっとるわ。ま、気持ちだけ有難くもらっとこか。ほなな」
まるで僕の視線から逃げるように、軽く左手をひらひらさせながら、真都は足早に去っていった。
…気がつけば目の前にはいつもと同じ、僕と絵依子の…二人きりになった道だけが残されていた。
「よいしょっ…っと」
少しずり落ちかけていた絵依子を背負いなおして、のろのろと僕は家へと歩を進めた。
こうやって背負うと、こいつは本当に小さく華奢だと改めて実感する。僕みたいな非力な文化系でも、ほとんど苦にならない。
わずかな重みを背に受け、歩きながら、僕は今日の出来事を振り返った。
……今日聞いた話は、はっきり言ってにわかには信じられないようなことばかりだった。でも、今日のあの男、「作 和夫」と「高崎 かなえ」さんの存在と力を身をもって知ってしまった以上、今日かなえさんの語ってくれたいろんな言葉にも、ウソはないと思えてしまう。
しかし僕はかなえさんが説明してくれたことの、きっと半分さえも理解できていないうえに、聞いたことでますます謎も増えてしまった。
「…そもそも『ソキエタス』はなんのために世界を書き換えてるんだろうな」
かつて行われたという世界まるごとの改変。いったい誰が何のためにしたのか。
今は互助会のようなものだと、かなえさんは言っていたけれど、逆に言えば昔はそうじゃなかったということだ。
真都はソキエタスのことを『世界の支配者気取りの連中』なんて風にも言っていたけど、かなえさんの口ぶりからはとてもそうは思えなかった。
あるいは本当に昔はそうだったのかもしれない。でも、それが何かの理由で衰退して…。
「……はぁ。やめよ……」
ぐるぐると思考を巡らしてみたものの、いくら考えても無意味だということを悟り、僕は考えるのを止めた。この事はそもそもが理合の範疇の外なのだ。知ったところでどうにもならないし、どうしようもできない。
ソキエタスが過去に何をしたとか、いったいどういう組織なのか、なんてのははっきり言えば僕たちにとってはどうでもいいことだ。
確かなことはただ…この訳の分からない「世界」と、戦いの宿命に絵依子が足を踏み入れてしまった、ということだけだ。父さんの遺志を継いで……。
そうして今日まで絵依子は、数え切れないほどの戦いを潜り抜けてきたのだ。それだけがまぎれもない事実なのだ。
…こんなにも軽く…華奢な身体で。
だからこそ僕は改めて自分の力の無さが情けなく、悲しく、恨めしく思った。ずっとずっと、何度となく心に繰り返し浮かんだ思いが、また破裂しそうなほどに膨らんでいく。
…父さんはたぶん、ソキエタスの会士だったんだろう。けれど、その力はどうして絵依子にだけ受け継がれたのか。どうして僕ではなく…絵依子だったのか。どうして絵依子に託したのか。あんなに小さかった頃から、僕に会士の素質がないと判っていたんだろうか。
だいたい、かなえさんが言っていたような難しいことをこのバカは判ってるんだろうか。あの力は判ってなくても使えるようなものなんだろうか。
なぜ僕ではなく…絵依子だったのか。
……絵依子ではなく…僕に力があったのなら…どんなに良かったか!
でも現実には…僕にその力はなく、ただ見守ることだけしか許されていないのだ。
今日を境に、「世界」がまた変わり始めたのを、僕は薄っすらと感じていた。
歩き慣れた場所を道なりに進んでいたはずが、気がつけば見知らぬ街に迷い込んでいたような……、いや、慣れた場所だと思い込んでいただけで、そこは初めから見知らぬ街だったのかもしれない。
それとも…変わってしまったのは「世界」ではなく、僕自身なのだろうか。
正直なところ、真都の言う通り、こんなことからはもう手を引きたい。怪物のことも…何もかも忘れて、以前のような普通の生活に戻りたい。
今日だってかなえさんが現れてくれなければ、僕も絵依子もあの男に殺されてたかもしれないのだ。
いや、何よりこのまま戦い続ければ…、いつまた絵依子が今日のような目にあうかもしれないんだ!
…僕の脳裏に、今日の凄まじい戦いが思い起こされる。僕の目の前で何度も傷つき…倒れていった絵依子の姿が浮かび上がった。
あんなのを……あんな絵依子の姿を…二度と僕は見たくはない!
……けれど、絵依子は決して戦うことを止めようとはしないだろう。それは父さんの遺言のためだけじゃない。
『……わかんない。本当は…自分でもよくわかんないの。でも、やらなきゃいけないって…思うの。パパの遺志とか、人を守るとか、理由もいろいろあるんだけど…本当はただ、わたしがそうしたいから、かな』
ふと、あの始まりの日に聞いた絵依子の言葉が頭に浮かんだ。何が絵依子を突き動かしているのかは分からない。でも止めたところで、それならこいつは僕に黙って戦いに行くだろう。僕が知る以前に、ずっとそうしていたように。
だから、この先に何があろうとも……僕は逃げない。例えどんなにわずかなこと、ほんのちっぽけな…些細なことであっても、それが絵依子の助けになるのなら、僕は全力でそれをするだけだ。
いつか絵依子が戦わなくても済む……そんな日がやって来るまで。
かなえさんが言っていた「僕の世界」………。
きっとそれは………
「ふ…ふぇ? はれ? ここ…どこ…?」
ふいに背中から声が聞こえた。案の定、僕におぶさったままの絵依子が、もぞもぞとしきりに身体を動かしている。
「おっ。お目覚めか?」
軽く声を掛け、僕はちょっとだけ振り向いた。首筋にかかる絵依子の吐息がちょっぴりこそばゆい。
「あ…そっか。わたし…寝ちゃったんだ。ずっとおぶってきてくれたの…?」
「ほら、起きたんならさっさと降りろ。もうすぐ家だぞ」
「ぶー! やだ! このまま乗せてってよー」
言うなり、絵依子の腕と足が、がしっと僕の身体に絡みつく。まったく…ほんとに子供かこいつは…。
「……仕方ないなぁ。って、う、うっとおしい! 暑っ苦しい! それ以上しがみつくなって!」
「お兄ちゃんだって今日わたしに抱きついたじゃん。おあいこだよ!」
「…なんか当たってる…」
「当 て て ん の よ ☆ ど~ぉ? 可愛い可愛い妹の天使のよーなボデーは?」
「…ゴリゴリしてて痛い。今にも突き刺さりそうデス」
「ちょっ! 何それ! うううう~~~!!」
「わ! こら! 首絞めるな! うぐぐ…ぐ、苦しい…」
「うっさいバカ! ヘンタイ! セクキャバ兄貴!」
「だ…だからそれを言うならセクハラ…うぐぐぐ……」
とてもとても静かな夜。さっきまでの賑やかだった世界はどこかへ消え、今この宇宙に存在しているのは、まるで僕たち二人だけのような気さえする。
それは寂しいことなのか、それとも喜ぶべきことなのか。
今の僕にはそれ以上を考えることはできなかった。




