10月28日-6
「っぎ……!!」
風を裂く何かの音。続けて男の短い悲鳴がかすかに聞こえた。
男の手から急に解放され、僕はまた地面に落とされた。
「ッチ……! だ、誰だッ!!」
地面にへたり込んだまま、やっとの思いで目を開くと、男が顔を押さえて辺りをうかがっているのがぼんやりと見えた。
何だ…何が起こってる…?
「…ひとつ、人同士…会士同士の私闘は原則禁止。ふたつ、普通に最低限はお互いの同意がなければやっぱり禁止。みっつ、見世物じゃないんだから人前での私闘は厳禁、よ」
「………ッッ??!!」
「…というわけでそこまでにしなさい。これ以上やるなら、『会律』に従ってあなたを排除することになるわよ」
「な…なんだとッ?! てめぇ…『監視者』…かっ?!」
「…通りすがりの正義の味方。10数えるうちに決めなさい。このまま大人しく帰るか、それともここであたしに倒されるか。ひとーつ…ふたーつ……」
どこからか女の人の声が聞こえてきた。あの男と…何かやりあってる…?
「ふ…ふざけるなァッ! 俺様の邪魔をするヤツは誰だろうが……」
「はいはい、御託はいいから。…でも良いのかなぁ? ここでお寺の人たちに素顔を晒したまま戦っても。……いつーつぅ、むっつーぅ…」
「…ッッ!! …く…くそ! 覚えてやがれッッ!!」
だんだんとまともになってきた視界から、捨て台詞を残して男が煙のようにかき消えた。
よく分からないけど…助かった…のか? 僕たちは…。
「あっははは! 覚えてろ、だって! 今時マンガだってもう少し気の利いたセリフ書くのに。あったま悪~っ」
けらけらと明るい笑い声が、しんと静まり返った地下に響き渡り、その声がだんだんと側に近づいてきた。
この声の主が…僕たちを助けてくれたのか…?
…明るそうな女性の声だ。
たぶん僕らよりも少し年上の、大人の女性の声だ。
「キミ、大丈夫? 怪我とかしてない?」
「ごほ…げほ…っぁ…、は、はい。なんとか…大丈夫みたいです…」
背中はまだ痛むものの、いつの間にか呼吸困難はなんとか収まっていた。自由に空気が吸えるという事のありがたみを今さらながらに実感しながら、僕は夢中になって何度も深呼吸を繰り返した。
やっと脳みそにもしっかり酸素が行き渡り、ようやく少し落ち着いた僕は、立ち上がって女性にお礼を言おうとした。その時。
「あの、どうもありが……ぶふっ!」
……そこで初めて目の前にまで来ていた女性の姿を目の当たりにして、僕は思わず吹き出してしまった。
……何というか…昔見ていた子供番組に出てきた変身ヒーローの…、ほとんどそのまんまの格好だ。
何とかライダーとか宇宙何とか、何とかマンとか。
「……んん?」
「あ、い、いや、その、さ、さっき打った背中がまだ…ちょっと…ご、ごほっ! ぶほっ!」
なんとか誤魔化そうと必死に大げさに咳き込む僕を見てか、謎の女性が怪訝そうに小首をかしげている。
この人も……絵依子やさっきの男と同じ力を持つ、真都の言っていた『ソキエタス』…とか言う連中なんだろうか。
……いったい何なんだろう…ソキエタスって…。
「…! そうだ! そんなことより! え、絵依子っ! 無事かっ!?」
ふいに我に帰った僕は、あわててさっきまで戦いの場だった方を振り返った。駐車場の奥にはすでに縛めから解放され、うつ伏せで倒れたままの絵依子の姿が……あった。
「………っ!!」
急いで駆け寄り、びしょ濡れの絵依子を抱き起こすと、冷たいヨロイの下から…かすかに絵依子の体温が腕に伝わってきた。
「…あいつに『ヴィレス』を取られたのね。大した量じゃなかったはずだから、しばらくしたら回復すると思うわ。心配しなくても大丈夫よ」
気を失ったままの絵依子の容態が判らず、抱き上げたまま思わず固まってしまっていると、いつの間にか側にやって来た特撮ヒーローもどきの女性が、静かで優しげな声をかけてくれた。
…どうすることも、何もしてやれない僕は、今はただその言葉にすがるしか…出来なかった。
・
・
・
「……ぅぅん……、ぁ…お兄……ちゃん…?」
女性の言ったとおり、あれからほんの数分後、隅に置いてあったベンチに寝かせておいた絵依子が目を覚ました。
「絵依子っっ!! よ…良かった! 大丈夫か!? どこか痛くないか!?」
思わず叫びながら、僕は目覚めたばかりの絵依子に抱きついてしまった。目からは…涙さえあふれた。
それほど僕は…絵依子の無事が嬉しかった。
「ちょっ…もぉ、カッコ悪いなぁ…お兄ちゃんってば…」
そんな僕を、くすくす笑いながら絵依子は受け止め、頭を優しくなでてくれた。
…これじゃまるっきりいつもとは立場が正反対だ。
でも、絵依子の腕から伝わってくる温もり、そして小さく聞こえてくる胸の音は……僕にとってこの上なく暖かく…心地良いものだった。
「た、立てるか? ホントに…もう平気か?」
「うん、もう大丈夫だよ。お兄ちゃん、心配し過……っっ?!」
錬装を解き、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら笑っていた絵依子だったが、今ごろになってようやく僕たちの側にいる見知らぬ女性に気がついたのか、急に身体を強張らせた。
「………っ…?!」
「あ……そうだ、この人が僕たちを助けてくれたんだ。ほら、おまえからもちゃんとお礼を…」
「いいわよ。お礼なんて。じゃ、あたしはこれで…」
「……!! ま、待ってください!!」
くるりと踵を返して立ち去ろうとした不思議な女性を、とっさに…僕は呼び止めてしまった。
「…なぁに? まだ何か用?」
足は止めてくれたものの、振り向きもせずに女性が問う。でも何をどう話せばいいのか分からない僕は…迷いながら口を開いた。
「あの…あなたは…あなたも…ソキエタス…の、会士…なんですか?」
「…んん? ヘンなコト聞くわね。そうに決まってるじゃない。キミも…そこの子もそうなんでしょ?」
「じゃあ…その…やっぱりさっきの男も…?」
「…何が言いたいのかな。男の子だったらもっとハッキリ物を言いなさい!」
かすかにこちらを振り向き、顔の上半分を覆うバイザー越しの目が僕を射るように見た。女性の声は少しイラついたような色を帯びていたけれど、そう言われても、いったい何をどう言えばいいのか、
…この人は恐らく僕の知りたいことの全部を知ってる。
だから全てを教えてもらわなくちゃいけない。
ソキエタスとは、そしてこの女性や…あの男はいったい何者なのかを。
「……くっくっくっ。この子らは何も知らんシロウトや。そないな言い方したったら可哀想やで」
いつの間に近くまで来ていたのか、唐突に真都が僕たちの間に割って入ってきた。そしてなぜか真都の姿を見た女性が、はぁ、とため息を漏らす。
「…あーあ。だからさっさと帰りたかったのに。お寺の人がいるとややこしくなるんだもん…」
「アンタ…『紅鎧斬鬼眼』…いや、『高崎 かなえ』やろ。お噂はかねがね聞いとりますよ…」
「…!! な…なんで知ってるの!?」
「くくくっ…! ハデハデなその 『錬装衣』 とその力…、ウチらの中で知らんモンなんか居るかいな。すーぐピンと来ましたわ」
横から飛び込んできた言葉に、「高崎 かなえ」と呼ばれた女性が驚いたように真都を見ている。
一方、真都がじろり、と僕をにらみつけてきた。手にはいつの間に拾ってきたのか、さっき僕が落とした錫杖が握り締められていた。
「ふぅん…それで? あなたもあたしに何か用なワケ…?」
「…さっきアンタが逃がしたヤツは、ウチらも前から目ぇつけてましてな。このまま手ぶらで帰んのもアレやし、何より…ウチの気が済みませんのや…!」
「…あたしはただ通りがかっただけよ。あなたたちと事を構えるつもりはないんだけど…?」
「そっちにのぅても、こっちにはありますんや」
「…問答無用、ってこと? あなたたちってホントにいつもいつもそうね……」
吐き捨てるように言い放った高崎…さんの言葉に、錫杖を手にした真都との間の空気が…ぐにゃりと歪んで見えた気がした。
こ…この雰囲気は……!
……何だか分からないけど、とにかくまずい! ヤバい!!
「えー、ゴホン!!」
わざと大げさに咳払いをひとつして、僕は二人の間に割って入った。
「……キミ?」
「えっと、高崎…さん、で良いんですよね? さっきはその……本当にありがとうございました。そ、それで、ついでと言っては何ですけど、僕たちは他にもいろいろと教えてもらいたいことがあるんです!」
「…そこ、危ないよ。話ならまた後でね…!」
「瞬ヤン…怪我したァ無かったら下がっとき…!」
だ…ダメだ。この人たちは…もう…!
「んんん! ゴホン! そ、それでですね! お礼をかねて、今から食事でもどうでしょうか? もちろん僕のおごりです!」
ごくり、と言う音が3つ聞こえたような気がした。
ん? 3つ?
「おごり!? やぁねぇ!! それならそうって早く言ってくれなきゃ!!!」
急にくるりとこっちに向き直ると、高崎さんが僕の手を取って、ぶんぶんと千切れんばかりに振り始めた。
この人もこれ系か……。ソキエタスって食い意地の張ってる人らの集まりなんだろうか…。
「ちょ、ちょっと待ち! アンタそんな急に…!」
「ま、まぁまぁ! あ、そうだ!! 真都も来なよ! ちゃんとご馳走するから!」
「……あ、アホかっ! ウチがそんなモンに釣られると…」
「わぉわぉ~~! お兄ちゃんのおごりだ~! うぉぉおおおお!!」
…さっきから気になってたんだけど、絵依子、何でおまえまで…?
高崎さんの錬装衣が、ぱきぱきと音を立てて、元の「服」に戻っていく。向かいに立っていた真都は苦虫を噛み潰したような表情で僕をにらんだまま、はぁ、とため息をついていた。
変身を解いた高崎さんを見て…僕はまた驚いた。いや、驚いたのは僕だけじゃなかったらしい。絵依子も真都も、ぽかんとした顔で「元」に戻った高崎さんを見つめている。
…赤いジャージに真ん丸メガネ。さっきまでの特撮ヒーローもどきの姿からは想像できないぐらい、中の人はカッコイイとか強そうという言葉からは真逆の格好だった…。
思わず目を丸くしてしまっていると、そんな僕たちのことなどまるで意に介していないように、高崎さんが腕を突き上げて声を張り上げた。
「よぉっし! じゃあ行きましょうか! 光の速さで明日に…じゃない、お店にダッシュよぉっっ!!」