10月27日-2
「…まずソキエタスいうんはな、ざっくり言うたら悪の秘密結社や。この『世界』のホンマの支配者気取りの、クソみたいな連中のことや」
「えぇぇ………」
…おしとやかなタイプじゃなさそうなのは分かっていたけれど、想像以上の御八尾さんの口の悪さに…、僕はドン引きしてしまった。
「く、クソって…。あ、あの、あんまり女の子がそういうこと言うのは…」
「…ほんで会士いうんは、ソキエタスの構成員のことや。アンタの妹と同じように、みな異常な力を持っとる」
…僕の忠告など聞こえなかったように、御八尾さんが先を続ける。それにしても、話している御八尾さんからは、「ソキエタス」や「会士」に対するあからさまな敵意や悪意が伝わってくるようだった。
「い、異常って…、またそんな言い方を…」
「アンタ、あの子が戦っとるのをなんべんも見とるんやろ。アレが異常やなかったら何なんや?」
「…ぅ……」
…そう言われてしまうと確かに返す言葉がない。実際あれはどう考えても「普通」とはかけ離れているのだから…。
「会士は普段はこの社会に紛れて、表向きは普通の人間として生活しとる。せやけどソキエタスから命令があった時には、それに従って『世界』を描き変えるんや」
「…世界を描き変える…? 意味が分からないんだけど…」
「判る必要はあらへん。会士はそういう存在やってだけ覚えとったらエエ」
…御八尾さんの説明はざっくりどころか荒っぽすぎて、正直なんの説明にもなっていないように思える。これは聞く選択…いや、順番を間違えたか…。
「じゃ、じゃあ、あの怪物の正体は……」
「ん…あいつらのことはウチらは式紙と呼んで、ソキエタスは『メディウム』とか呼んどったな」
「………!」
「あいつらのほとんどは会士が使役する『使い魔』みたいなもんや。偵察、尾行…辺りがまぁ目的の大半みたいやけど、最近この辺に出没しとる奴らはエラいタチが悪いみたいやな」
…ようやく具体的な話になってきた。いい感じだ。
「あいつらは人からエネルギーみたいなのを奪うって聞いたんだけど…タチが悪いってのは…?」
「式紙は存在するだけで『意力』を消費するんや。せやから自分が消えん程度に人を襲う野良のヤツもおる。せやけど…ここ最近のヤツらは根こそぎや」
「あ、その…「いりょく」っていうのはエネルギーの事でいいのかな…?」
「まぁそうや。おそらく裏で操っとる会士がおるはずやから、ウチらも探しとるんや。…せやからアンタらと遊んどるヒマなんかホンマは無いんや」
…普通にしてればけっこうな美人に思える御八尾さんの表情が、急にまた怖いものへと戻った。鋭い視線が僕をにらむように…射る。
「ここまで言うたらもう判るやろ。要するにアンタらみたいな半端モンにウロチョロされるんは迷惑なんや。だいたいシロウトが首突っ込んで、大怪我してから後悔しても遅いんやで」
「……っ…で、でも…!」
そう言われても、こっちにだって事情がある。先生が襲われ、綾だってヤツらにやられたのかもしれないのだ。あの怪物たち…御八尾さんが言う「式紙」とやらを放っておけない気持ちは同じのはずだ。
「そりゃ…僕らは君より弱いかもしれないけど、僕らが奴らを倒せば、その分君らの負担だって減るんじゃないのか…? 別に悪いことじゃないだろ」
「…あんな雑魚に手こずってた程度の力で、調子に乗るんやないで」
静かな声だった。でも、それには僕らを小馬鹿にしたような色と、かすかな怒気が込められているようにも感じた。
「式紙は普通の人間には見えもせんし、襲われてもどうにもできへん。アンタは見える程度にはカンがエエみたいやけどな、それでもどんな雑魚でも手に負える代物とちゃうんや。死にたなかったら今のうちに手ぇ引くことやで……」
どうあっても僕たちに戦いを止めさせたいのか、淡々とした口調で御八尾さんが言う。けれど、そんなことは絵依子が納得するはずがないし、一方的に決めつけられるのも不愉快だ。何より…今の彼女の話は事実誤認がある。
「でも、僕だってその怪物…「式紙」を倒したことぐらいあるぞ」
「……は……? 今…なんて……?」
僕の反論に、御八尾さんがぽかんとした顔を一瞬浮かべた。次いで、みるみるうちに彼女の表情が険しくなっていく。
「…式紙を滅したって…どういう…、い、いや、まさかアンタも……?」
じゃりっ、とわずかに後ろに御八尾さんが下がる。
「…違うって。こう、金属バットで、ガキーンっと…」
身振り手振りを交えながら、ヤツらと初めて戦った時のことを僕は伝えた。絵依子にも黙って、ひとりでヤツらと戦おうとした時のことを。
ただし…後であわや返り討ちになりそうになったことだけは黙っておいた。
「…とまぁ、たいして強い奴じゃなかったみたいだけどさ」
「…そ、そんなアホな…、でも…理屈は通っとる……せやけど……」
一通り話し終えると、何度もチラチラと僕を見ては、御八尾さんがブツブツと何やら独り言を繰り返している。少しして、小さくくぐもった声が聞こえてきた。
「ぷっ…くくくくく…。アンタ…ホンマにおもろいな……。聞いたことあらへんで! 金属バットで式紙を滅したヤツなんて…。くっくっくっ…!」
御八尾さんが少しの沈黙の後、おかしそうに笑う。
と、そこへ男のお坊さんが一人やってきた。
「お願いいたします號帥。修復作務、終了しました」
「ん……そうか。ご苦労さん。ほなぼちぼち撤収しよか」
そう言って、また僕の顔を見るなり、くくくと御八尾さんが笑う。納得してくれたのかどうかは分からないけれど、…ほんの少し…今度は気のせいではなく、間違いなく御八尾さんの態度というか雰囲気が、さっきよりも柔らかくなっているようだった。
「じゃあ…今日はいろいろありがとう。御八尾さん」
すっ、と僕の横を通り過ぎようとしていた御八尾さんに、僕は道路の修復と、怪物たちの説明をしてくれたお礼をいちおう言っておいた。
「…真都、でエエよ」
「え……?」
…思わず振り返ったものの、後ろ姿の彼女が何を言ったのか、僕にはすぐには理解できなかった。
「……え、あ…う、うん。じゃあね、真都さん」
「『さん』も余計や。真都でエエ。……ところでアンタ、こないだウチが言ぅたこと、まさかもう忘れたんや無いやろな」
…どくん。
一瞬だけ立ち止まった彼女から聞こえてきた言葉に、僕の心臓が大きく鳴った。
何とか頭の片隅に押し込み、ここ数日の忙しさのおかげでほとんど消えかけていた『あの言葉』が、ずるり、と封印から滑り落ち、再び首をもたげた。
でも、それを悟られないよう、僕は必死にとぼけてみせる。
「さ、さぁ、何のことだっけ…?」
「…ふん。まぁエエ。アンタらももう帰り。今日は連中も店仕舞いっぽいしな」
「う、うん…。じゃあ…またね、ま、真都」
「あいよ。瞬ヤンもな」
「……!!??」
しゅ…瞬ヤン…!? か…関西人のセンスとは…こういうものなのか…。
結局一度も僕の方に振り向くことなく、さっさと立ち去っていった彼女の後ろ姿を見送りながら、僕は呆気に取られてしまった。
だいたいセンスはともかく、名前やあだ名で呼び合うなんて、普通はよほど親しい相手……僕の場合なら家族以外だと綾ぐらいなものだ。
…この歳になってそんな相手が出来るなんて…なんだか不思議な気分だ。
「…もぉ! お話終わったんなら早く帰ろうよ! お兄ちゃん!!」
ぼんやりとそんなことを考えていると、さっきまで御八……、いや真都を怖がってか、離れていた絵依子が口を尖らせながら、僕の耳をぐいぐいと引っ張りだした。
「い、いだだっ! わ、わかったから引っ張るな!」
そんな絵依子に引きずられるようにして、僕は今日の戦いの場を後にした。
お坊さんたちの突き刺すような視線を…はっきりと背中に感じながら……。
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もうずいぶんと歩き慣れた夜道を、てくてくと僕たち二人は並んで歩いていた。ふと空を見上げると、それはそれは立派な満月がぽかんと浮かんでいる。
持参の水筒からお茶を注ぎ、絵依子と二人でそれを飲みながら、僕たちはいつもの家路に着いていた。
「ふぅ…、いろいろあってちょっとビックリしたけど、今日も無事に済んで良かったな」
「お兄ちゃん…お兄ちゃんの好きなタイプの人って、…御八尾さん…だっけ? ああいう人?」
「……ぶはっッッ…!」
…やぶから棒に、いきなり急に突然、全然まったく脈絡のない話を絵依子が切り出してきた。思わず僕はお茶を噴き出してしまった。
「ご…ごほごほ…、お、おまえ…何を……」
「だって…いろいろしゃべってて、なんか仲良さそうだったじゃん。だから、そうなのかなぁって」
…さっきの会話のどこをどう見れば、どう聞けば「仲が良さそう」に見えるのか。本当にこいつの考えることはさっぱりだ。
「…そんなワケあるかって。確かに美人だとは思うけど、性格は相当キツそうだからなぁ…」
「わたし、あの人キライ。なんか怖いよ…。……お兄ちゃん知ってる? あの人たち、この間からずーっとわたしたちのこと、見張ってるんだよ」
「……おまえも知ってたか。でも、別に邪魔してくる訳でもないし、そんなに気にしなくてもいいんじゃないかな」
「…………」
「…もしかしたらさっきみたいに、僕たちを助けてくれるために見守ってくれてたのかも知れないしさ」
「お兄ちゃん…、それ…本気でいってる?」
「……2回も助けてくれたのは事実だし、変に勘ぐるのも良くないと思う。確かにちょっと怖いところもあるけど、みや……真都がそんなに悪い人とは思えないしな」
ちびちびとお茶をすすりながら、何か言いたそうな表情で絵依子が僕をじっと見ている。こいつからしてみれば、出会い頭にいきなり殴りかかられたのだから、印象的にはたぶん最悪なんだろう。
……でも、もし彼女が僕たちを「敵」だと思ってるのなら、とっくに行動に出ていてもおかしくない。
絵依子がかすることも出来なかった怪物…『式紙』だっけか。あいつをこともなげに瞬殺した真都は、たぶん…いや、間違いなく絵依子よりも強い。もしも二人が戦ったとしたら、絵依子はほぼ間違いなく勝てないだろう。
だから…もし真都が本当にそう思っていたのなら、前も今回も、僕たちを…絵依子を見逃す理由がないのだ。
でも、そうでない以上、真都は僕たちの「敵」ではない。少なくとも「今」は。
そう……信じたい…。
「…うん…。お兄ちゃんがそういうんなら……わたしもそれでいいよ」
僕はぽん、と絵依子の頭に手を乗せ、いつものようになでてやる。
月明かりに浮かび上がる僕たちの影は。
…まるで一人の物のように重なりあっていた。