10月22日
-10/22-
キーンコーン…カーンコーン…
「きりーつ! 礼!」
「…よーし。ではホームルームの前に出席を取るぞ。青木…、赤井…」
「……ふぅ…」
机に突っ伏しながら、僕は今日、何度目かのため息を大きくついた。
…あの後も僕はろくなアイディアを思いつけず、結局昨日は頭を抱えて、うんうんと唸っただけで終わってしまったのだ。
幸いなことに、消えかけていた2枚が勝手に回復してくれたものの、3枚はまだ真っ白のままだ。
今夜は母さんは明日の昼勤務のために早く寝ると言っていたし、夜に家を抜け出すには絶好の機会なのだけど、こんな状態ではどうにもならない。
「はぁ……」
…ため息だけが何度もこぼれる。
「……矢口…、渡城…。ん? 渡城!?」
「え…あ、はい!」
先生の呼ぶ声に、唐突に僕は現実に引き戻された。
「ん。欠席は…谷口だけか」
「センセー! 谷口のやつ、どうしたんすかー?」
「うむ、ご家族の話だと、帰るなり急に泡を吹いて倒れたそうだ。それっきりうわ言のように、カレーパンがどうとか言っているらしい」
「ぎゃはは!! あいつ購買の売れ残りのパンでも食ったんじゃねぇの!? そりゃ泡も吹くわ!!」
彼の言葉に教室中がどっと沸く。青木くん、君の推理は鋭いよ…。
……僕は何も聞かなかったことにして、窓の外に広がる、美しい秋晴れの空をただ眺めていた。
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今日も何事もなく授業が終り、僕は家に帰る前に少し寄り道をすることにした。バイトも決まったことだし、少し奮発して新しい色のマーカーでも買ってみれば、なにか新しいアイディアも浮かぶかもしれないと思ったからだ。
駅前の画材屋で、とりあえず3本ほどマーカーを仕入れてから、僕は夕暮れの街を後にし、帰宅の途に着いたのだった。
「…ふう。ただいま」
ぱたぱたぱた…と帰るなり騒がしい音が聞こえてきた。
「おかえり~! 賄いなんだけどね、焼き鳥丼もいいけど、やっぱ焼き豚丼もいいかな~って☆」
「…………」
「……んん…?」
無言のまま、僕は絵依子の頭に手を乗せた。何やら嬉しそうな眼差しで、絵依子が僕を見上げている。その目と表情が…僕の心を無性に苛立たせる。
だから僕はそのまま…フルパワーで、しかも両手で思いっきり頭をシェイクしてやることにした。
「ちょっ!? お、おにいちゃんん!? ダメ、らめぇ~~~~~~! や~~め~~れ~~~~!!」
たっぷり一分はシェイクしてやったせいか、その後の絵依子は、あっちへふらふら、こっちへふらふらと、酔っ払い顔負けの千鳥足を披露してくれた。
「…もぉ! かわいい妹の天使のよーな頭に、なんてことすんの!」
「うるさいうるさい!! お前の頭は食べることしかないのか!! 人の気も知らないで!!」
絵依子の抗議の声に、僕もつい溜まっていたものが口をついて出た。僕が必死にいろいろ考えてるっていうのに、当のこいつがこんなだと腹が立つやらアホらしいやら、だ……。
「う…うぐぐぐぐ…、し、仕方ないじゃん! だってお肉食べたいんだもん!育ち盛りなんだもん!!」
「…ふぅん。その割には全然成長してないように見えるけどな。どこに栄養が消えていってるのやら」
まったく理由になってない絵依子の反論に、皮肉っぽく僕は返す。
怪物との戦いの時のように、時々驚くほどの頭の冴えや行動力を見せるものの、普段の絵依子は外見もそうだけど、中身はもっと子供だ。だからもっと「大人」になってもらわないと困るのだ。でないと…もしかしたらいつか…。
「うぎぎぎぎ! ちびっ子とか言うなー!! つるぺたとか言うなー!!」
僕の不安と葛藤をよそに、絵依子が鼻息も荒く僕を睨みつける。
…いや、そこまでは僕も言ってないぞ。でも自覚はあったんだな…。
「はいはい! 二人とも遊んでないで、さっさと手、洗ってらっしゃい。もうご飯よー」
「…ほら、母さんが呼んでる。行くぞ」
メギャァアアッ!!
…すれ違いざま、絵依子の必殺のボディーブローが……僕のわき腹に…突き刺さった……。
「うぐおぉぉぉ…ぇ…えっっ……!!」
「バーカ! 死んじゃえ!! ふん!!」
吐き捨てるように言い残して、絵依子がダイニングにどすどすと音を立てながら向かっていった。
ご飯を食べる前で良かった…。食べた後だったら、残さずリバースしてたとこだ…。
「いただきまーす!」
「いただき……ま…す…」
「…どうしたの瞬弥。おなかでも痛いの?」
「うん…まぁ大丈夫だから気にしないで……」
…本日のメインはもやし炒めか。こないだのステーキの後遺症はなかなか深刻らしい。ただ今の僕には、これぐらいのほうがむしろありがたい。
「あぁそうそう。スクーターの件だけどね、あんたたちが使いたいっていうんなら、今度から自由に乗ってもいいわよ」
「…え?」
まずは無難にみそ汁を胃に流し込んでいると、思ってもいなかった話が耳に飛び込んできた。
「え!! お母さん、それホントに?」
「ただし、当然だけど母さんが優先よ。私が出勤するまでにはちゃんと戻ってくること。ガソリンは満タンで返しておくこと。使ったら事後報告でもいいからちゃんと母さんに言うこと。この3つ、約束できる?」
「う、うん。でも…そんなんでいいの?」
「一回でも約束破ったら、もう禁止だからね。あとは…そうね。自分のヘルメットも買っときなさい」
母さんが優先とはいえ、スクーターを自由に使えるとなれば、これはもうちょっとした革命だ。バイトに行くのも楽に、時短にもなる。
ありがたすぎて何か裏がありそうな気もするけど……。
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どうにか夕食を平らげた後、僕はまた寝室にこもってカードの絵を考えていた。
…まだ少し痛むお腹と、やはり今ひとつ浮かばないアイデアに、また僕のイライラがどんどんと高まっていく。
「…くそ。だいたい武器なんて、そう色々あるもんでも無いんだよな…」
思わず愚痴が口からこぼれた。武器といえばやはり剣だの槍だのが定番で、次いでナギナタとか斧とか、あるいは弓とかだろう。ヌンチャクとかは…どうも微妙な気がする。
「はぁ……」
今度は大きなため息が口から出た。そもそも「強さ」で言うなら、剣なんかよりもマシンガンとかミサイルとかの方が強いに決まってる。でもそんなのを描いたとして、絵依子が錬装できるのかという疑問がある。「錬兵装」っていうのは、いったいどこまで、何まで出来るんだ…?
それを考えると、元々描かれてあったような剣とか槍だとかを描くほうが確実だと思える。でも、それだと今度はバリエーションが限られてしまう。つまりまた最初に逆戻り、だ。
…八方ふさがりの状況にイライラしながらカードを眺めていると、ふいにふすまをノックする音が聞こえた。
「………」
無視していると、すす、と静かにふすまが開き、かすかな足音を立てて誰かが僕の後ろに立った。
「…お兄ちゃん…」
「………」
「お兄ちゃんってば」
「…………」
「もぉ! なんで呼んでるのに無視すんの?!」
「…うるさいな。何の用だよ」
顔も上げず、机の上のカードに目を落としたまま、僕は後ろの絵依子に返事だけをした。
「…今晩、どうするの? 今日はお母さんは早く寝るから、大丈夫と思うんだけど」
「まだ描けてないんだ。今日も止めとこう」
「描けてないのって3枚だけだよね? だったら平気だよ。行こうよ」
「……ダメだ。おととい、あんなことがあったばかりだし、準備はちゃんと万全に整えてからでないと…」
「もぉ! じゃあいいよ! わたし一人で行くから!!」
僕の言葉に、不満げに絵依子が吠えた。さほど大声でもなかったけれど、その口調はいやに刺々しく、僕の神経をさらに苛立たせる。
「…大きな声出すな。母さんがビックリするだろ。それにそれもダメだ。約束しただろ。一人では戦いに行かないって」
「それはお兄ちゃんがバイトとかで行けない時でしょ。でも今は違う。今行きたくないのはお兄ちゃんの勝手じゃん、わがままじゃん!」
「……っ…」
「…………」
「………」
……寝室に…重苦しい沈黙が流れる。
「…分かったよ。母さんが寝たら出よう」
僕が同意したことに満足したのか、静かに絵依子が部屋を出て行った。結局……最後まで振り向くことのなかった僕には、絵依子の表情は分からないままだった。
ブルンっ…トトトトト……!
もう寝てしまった母さんに一応「またヅダヤに行く」と書き置きを残して、僕たちは駐輪場に向かった。
すっかりみな寝静まり、物音一つしなくなった夜の団地に、スクーターのエンジン音だけがやけに騒々しく響く。
「…よし、じゃあ行くぞ」
「うん……」
いつものようにゴスロリに着替えてきた絵依子が、僕の後ろにちょこんと座る。わずかにスクーターの後ろが沈み込んだのを感じながらアクセルをそっと捻り、僕たちはまた夜の世界に向かって走り出した。
「……お兄ちゃん。さっきは…ごめん。ちょっと…やりすぎたよ…」
走り出してすぐに、背中越しに絵依子の小さな声が聞こえてきた。たぶんさっきのボディーブローのことを言ってるんだろう。
「…まったくだ。おかげで晩ごはんを食べるのに苦労したんだぞ」
「でもでも! お兄ちゃんも悪いんだよ! あんなこと、女の子に言っちゃダメなの! セキガハラなんだよ!」
「…それをいうならセクハラだろ」
「…とにかくごめんなさい。さっきもそれ言いたかったんだけど…、あの時のお兄ちゃん…すごく怖くって…」
びゅうびゅうと吹きつけてくる風に紛れて、声が時おり耳にまで届かない。でも絵依子の態度からは、言葉よりも確かな思いが伝わってきたような気がする。
…だからなのか、さっきまでの苛立ちや怒りが、すっ…と軽く…薄らいでいくように僕は感じた。
「僕も…さっきは悪かった。ここ最近、バイトや綾の事とか…カードの絵のことで頭がいっぱいっていうか、正直余裕がないんだ。それのせいでイライラして……八つ当たりだったかもしれない。ごめんな…」
「…うん。だったら…おあいこだね。じゃあ、この話はこれでお終い!」
さっきまでは控えめに服をつまむようにしていた絵依子の手が、突然すっと僕の胴に回った。
そのまましっかりと腕が巻きつき、身体と身体…僕の背中と絵依子の胸がぴったりと密着する。
「えへへ…あったかいね。お兄ちゃんの背中」
僕の胴…お腹に回された絵依子の腕が、ぎゅっと音がするぐらいに強く絡みついてきた。
でも…それはちっとも痛くなんかなかった。
結局この日は怪物は見つからず、僕たちは1時間ほどドライブした後、何事もなく家に帰ったのだった。