10月21日-6
「「ただいま……」」
「ふあぁぁぁあ……。ずいぶんと遅かったわね…。何してたの」
…玄関を開けると、寝起きで不機嫌そうな顔の母さんが出迎えてくれた。
絵依子と同じで、正直母さんの寝起きもはっきり言って悪い。もっとも、今日のこれはそれだけが原因ではないのだろうけれど。
「あ……ご、ごめん。ちょっと綾の家に行ってたんだ。今日、あいつ休みだったからお見舞いにっていうか…」
「……ふぅん。じゃあさっそくだけど…昨日のスクーターの無断使用の件について聞きましょうか」
「………!!……」
「申し開きがあるならいちおう聞くわよ。なんか理由があったの?」
…こうもそうそうに来るとは予想外だった。さて…どう言えばいいものか…。
昨日と違って、今母さんは理由を聞いている。
とはいえ「怪物を探して回るのに使いました」なんて、正直に言えるわけもない。かといって、上手くこの場を乗り切れるウソなんか、すぐに思いつくはずもない。
これは…ちょっとまずいぞ……。
「…………」
「…どうしたの。黙ってちゃ解らないわよ。まさか急に尾崎にかぶれたって訳じゃないん…」
「…お母さん、ごめんなさい! わたしのせいなの!」
言いあぐね、ちらりと一瞬、横目で絵依子を見たとたん、母さんの言葉をさえぎって絵依子がいきなり深々と頭を下げた。
「え…絵依子……」
「どういうこと? ちゃんと解るように言いなさい」
「あの…駅前のヅダヤで借りてたマンガの返却日がね、昨日までだったの忘れてて…。それで…お兄ちゃんにスクーターを出してもらって、返しに行ってきたの…」
「……そうなの? 瞬弥」
「え、あ…うん。そ…そう。そうなんだよ」
…とっさに絵依子のデタラメに僕はうなずいておいた。自分のせいにしていいと言っていたあの覚悟が本物だったことと、あまりの美事なウソに、僕は思わず唸ってしまった。よくとっさにこんなウソを思いついたもんだ。
「だからわたしが悪いの。ごめんなさい…!」
言いながらもう一度絵依子が頭を下げる。母さんは腕組みをして、怖い顔のまま絵依子を見ていた。
「……そう。事情は分かったわ。話を聞いてると他に方法もなかったみたいだけど…勝手に私のスクーターを使ったことに変わりはないわ」
「……はい」
「そりゃあ母さんだって昔はヤンチャしてたから、あんたたちに偉そうにああしろこうしろなんて言うつもりはない。でもね……」
「…………」
「いつも言ってるけど、筋が通らないことだけはしちゃダメよ。いい?!」
「…うん。分かってます。だから…ごめんなさい」
「そういうことをしてると、結局自分が困ることになるのよ。だから私も筋を通すことにする。…あんたたち、そこに並びなさい」
「ぅえっ……? ぼ、僕も……?」
急にこっちにまで火の粉が飛んできたので、焦った僕の口から変な声が出た。
「お、お兄ちゃんは関係ないよ! 悪いのはわたしだけだよ!」
「理由はどうあれ、運転したのは瞬弥、あんたなんでしょ。だからよ」
…絵依子がかばってくれたものの、まぁ連帯責任ってやつか。だいたい僕だけこの期に及んで難を逃れようだなんてのも男らしくはない。
ここは甘んじて受けるとしましょう…。
「じゃあ…覚悟はいい?」
「「はい……」」
ぱきぱきと母さんが指を鳴らす。昔ヤンチャだったという母さんの拳は実際かなり痛い。はっきり言って日頃の絵依子のパンチなど、比べれば蚊に刺されたようなもんだ。
なので、母さんがすうっ、と拳を振り上げた瞬間、僕は目を閉じ、ダメージの量を想像して見合う覚悟の量を決める。
少しして………
…ごつん。
ごつん。
「……え…?」
「あ…あれ…?」
小さな音と…頭に…にぶい痛みが走った。でもそれだけだった。
思わず目を開けると、もう母さんはいつもの通りに戻っていた。
「…はい、これでおしまい。でもまた昨日みたいなことしたら…次は本気でいくからね。分かった?」
右手をさすりながら、母さんの顔には笑みが戻っていた。
「…ごめん。ありがとう、母さん」
意外なほどの寛大な罰に、あわてて僕も頭を下げた。今もわずかに頭のてっぺんがズキズキするが、この程度で済んだのはラッキーだと言える。
ちらりと絵依子のほうを見ると、僕ほどは母さんの鉄拳制裁に慣れていないせいか、あんなのでも涙目だった。
「あの…お母さん。それで…お詫びってワケじゃないんだけど…これ……」
「…あら。それって……」
「うん。駅前で買ってきたの。お母さんの好きなチーズケーキだよ。途中でうっかりして落としちゃったんだけど…」
涙目のまま、おずおずと絵依子が包みを差し出した。
「……ふぅん。いい心がけね。でも、もし初めにこれ出してたら、さっきの10倍のゲンコツだったわよ?」
確かに母さんの性格を考えると、物で釣ったりするのはむしろ逆効果だ。出すタイミングとしては今がベストだろう。
受け取って中を見た母さんの顔が、少し困ったような笑みを浮かべた。
「ふふ…今日のところはこのケーキにも免じて、この辺にしといてあげる。それから瞬弥?」
「え……は、はい!」
「もしまたスクーターを使うんだったら、今度からはちゃんと言いなさい。別に乗るなって私は言ってるんじゃないんだから」
「うん……はい……」
「それと絵依子。このケーキって駅前の有名なお店のでしょ。こんなの買うぐらいだったら、延滞金の方が安かったんじゃないの?」
…しまった、という表情で絵依子が固まった。そんな絵依子の顔を面白そうに見ながら、くすくすと母さんが笑う。
まさか…絵依子のウソがバレたか……?
「…とにかく、これは晩ごはんの後にでもありがたく頂くわね。ところで…綾ちゃんの具合はどうだったの?」
「あ…病気じゃないらしいんだけど…あんまり良くない感じだった…かな」
「そう…。ずっとお世話になってるんだから、ちゃんとしなさいよ。いい?」
「うん。わかってる。またお見舞いにも行くつもりだよ」
「そうしなさい。じゃあ…そろそろご飯にしましょうか。早く手を洗ってらっしゃい」
一瞬よぎった僕の不安は取り越し苦労だったらしい。すっかり口調も表情もいつも通りに戻った母さんが、僕たちに洗面台に急き立てた。
ようやく…一山越えたことで、僕と絵依子は胸をなで下ろしながら、母さんの言葉に従ったのだった。
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夕食の焼きそばを平らげた後、今日も僕は寝室を独占させてもらっていた。今日はいろいろあったものの、絵依子のカードが気になっていたからだ。
そして机の前で僕は、カードとにらめっこしていた。案の定、昨日の戦いでカードは3枚が白紙、2枚が消えかけになっている。
「とりあえずは消えたカードを描くかな…。……でも、う…ん……どうしようか…」
カードとオービス本体を交互に見る。
カードを机の上に広げたまま、僕は腕組みしてうんうんと唸り続けていた。というのも、昨日の戦いで少し思う事が出来たからだ。
…絵依子の戦い方は、はっきり言って僕のような素人から見ても、ちょっと大ざっぱ過ぎるように思える。ぶんぶんと力任せに、具現化…錬兵装した武器を振り回すだけだったりすることが多いように感じる。
昨日の怪物は、あのお坊さんの女の子……御八尾さんの話によれば、スピードはあってもパワーの無いタイプで、攻撃を受けても大したことはなかったらしい。実際、空中で食らった一撃も、絵依子にダメージはほとんど無かった。
けれど、逆にそれは……一発でも攻撃を受けたら大変なことになりかねない、パワー型のヤツもいるかもしれないって事じゃないのか…?
あるいは…そんなパワーとスピードを兼ね備えた、もっともっと強い怪物もいるのかもしれない。
……もしもそうなら、今まで絵依子がたいした怪我もなく帰ってこれたのは、ただ単に運がよかっただけなのかもしれないのだ。
…なら……、万が一そんなのとやり合うハメになったら…?
僕の脳裏に、あの始まりの日に見た、すべてをあきらめたような表情で屋上から落ちていった絵依子の姿が…よぎった。
「そんな…そんな事はさせない…! 絶対に…させてたまるか…!」
……相手は常識や普通の理屈なんか通用しない「怪物」なんだ。何が起きたって不思議じゃない…!
なのに僕は……苦戦なんて言葉とは無縁だったここ数日の戦い、そしてカードを使った時のあいつの人間離れした力に…知らず知らずのうちに状況を甘く見ていたことを、僕は今ごろになって痛烈に思い知らされていた。
ふと気づくと僕は力いっぱい拳を握り締めていた。手のひらにはじっとりと汗がにじんでいる。
「…ふーーーっ…、落ち着け、落ち着け…僕………」
僕は深呼吸して何とか気持ちを整理する。
そうならないために、そうさせないために今の僕が出来ることは、少しでも絵依子が有利に戦えるような絵を描くことだけだ。それしかない。
『ワハハハハハ! なんでやねーん!』
「あははははっ! 超ウケる~~~!」
…ふすまの向こうから、テレビのと混じった絵依子と母さんの笑い声が聞こえてきた。どうせまたいつものバラエティでも見てるんだろうけど、まったく人の気も知らないで…。
「…消えたカードは…槍と天馬と星、消えかけてるのは剣と火の玉か…」
雑音を無視すべく目を閉じ、僕は以前描いた絵を頭に再び思い浮かべた。ただ、一度描いた絵をまた描くのは簡単だけど、それでは結局、同じことの繰り返しになるかもしれないとも思える。
……確か絵依子は以前にこんな風に言っていた。別にこのカード自体や、描かれた絵に特殊な力があるのではなく、カードの絵を見た自分がそこから「連想」し、イメージしたものが力になり、形になるのだと。
何を見て、何を想像したり連想するかは人それぞれだ。星の位置は同じでも、西洋と東洋では星座が違うように、それに何を見いだすかはその人の個性と言える。
つまり、僕の絵から力を感じたと絵依子は言ってくれたけど、もっとあいつの個性にあった、イメージを引き出しやすい絵、というのがあるのかもしれない。
でも、それはいったいどんな絵なんだろうか…?
「瞬弥ーー! お風呂沸いたから入りなさいー!!」
母さんの声にふと我に返り、時計を見ると、時刻はもう10時を回っていた。
…熱いお湯に浸かりながら考えれば、またなにか良いアイデアが浮かぶかもしれないな…。
手付かずの、真っ白なままのカードを机の引き出しに放り込んで、僕は部屋を後にした。




