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Realita reboot 第一幕  作者: 北江あきひろ
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10月14日-2


 …がらり。


「はぁ…何とか間に合ったぁ……!」


 安堵のため息を漏らしながら扉を開け、僕はホームルーム直前の教室になんとか滑り込んだ。 いつもながらの綱渡り、という状態に、我ながら少しだけ自己嫌悪を覚えてしまう。


 もう少しだけ早く起きればいいだけなのは判ってる。けど判っていても出来ない事というのは、間違いなく世の中には存在しているのだ。


 …正直それも情けない話ではあるものの、自分を知る、ということは大事だと僕は思う。敵を知り、己を知れば百戦百勝、とどっかの戦国武将も言っていたらしいし。いや、それは中国の武将だっけか…?


 とにもかくにも自分の席につくと、僕は授業までの時間を寝ることにした。近頃はバイトの面接やら履歴書作りで睡眠不足気味なので、少しでも寝れる隙間があるなら逃す手はない。

 机に突っ伏すとすぐに睡魔が襲ってきた。せいぜい10分ほどだけど贅沢は言えない。僕は一切抵抗することなく、奴にこの身を委ねた。


 今日もこうして、相変わらずの学校での一日も幕を開けたのだった。






 キーンコーン・・・


 カーンコーン・・・



「……ふぁ……そろそろか……」

 チャイムが鳴ったと同時に、クラス委員長の号令が掛かり、みんながばたばたと立ち上がる。半分寝ぼけている僕も、あわててそれに倣う。


 椅子に再び腰を下ろした瞬間、お腹のあたりから、ぐぅ、と小さい音が鳴った。

 …ふと周りを見ると、女子たちはそれぞれの弁当を取り出し、わいわいと机をくっつけ始めている。


「……え……?」

 それでようやく、今がお昼の時間なのだと僕は気づいた。





「よぉ渡城ー。メシ食おうぜー」

「お前、今日もすごかったなー。現国の山セン、ガチギレしてたぞ?」

 ふいに掛けられた声に振り向くと、そこには弁当の包みを持ったクラスメイトの福沢くんと斉藤くんがいた。

「3時間以上ぶっ通しで居眠りとか、もはや居眠りってレベルじゃねーぞ」

「逆にスゲーわおまえ!」

 ゲラゲラ笑いながら、二人が空いた机と椅子を僕のところへくっつける。別に予定もない僕は、それをそのまま受け入れることにした。


「あれ、でも珍しいね。福沢くん、今日は学食じゃないの?」

「あー…。妹がカレシのを作るってんでよ、ついでに作ってもらったんだわ」


 福沢くんが何やら微妙そうな顔をしながら、隣の席の女子の椅子にどっかと腰を下ろした。

「そっか、福沢くんも妹いたんだっけ」

「ん? お前んちもいたっけ? 妹」

「…言った事なかったかな? うちにもいるよ。不肖の妹がさ」


「いいなー。俺んちなんてクソみたいな姉貴しかいねーからなー。俺も可愛い妹が欲しかったなー…」

 などとブツブツぼやきながら、斉藤くんが僕らを羨望の眼差しで見つめている。

 それにすかさず僕たちはぶんぶんと激しく首を横に振るのだった。


「…へっ。妹なんて可愛いのはガキの頃だけだって。俺はむしろ姉貴の方が羨ましいぜ。……傷ついた弟にそっと優しく手を差し伸べてくれる癒やしの姉! タマ姉たまんねぇ! みたいな!?」


 そうは言いつつも、どこか嬉しそうに彼の妹の手作りらしい弁当のフタを開けた福沢くんが……突然かちんと固まった。

 どれどれと思わず覗き込んだ僕と斉藤くんの時間も…一瞬止まった。


 …そこにあったのは、特大の梅干がひとつ。

 おかずもご飯もなく、堂々と中央に張り付けられたそれは、銀色に輝く弁当箱の中で、なお燦然とした輝きを放っていた。


 もしかしたら僕たちは、まったく新しい日の丸弁当の誕生の瞬間を目撃したのかもしれない…。


「はは……は…。な? 妹ってのはこうなんだよな。こういう生き物なんだよ…ははははは…」


 福沢くんの乾いた笑いが余計に涙を誘う。僕と斉藤くんは、かける言葉も見つからないまま、立ち尽くすしかなかった…。


「…とりあえず、そっとしておいてやるか…」

「……そうだね…」


 僕たち二人も、静かに自分の弁当を平らげるのに集中する事にした。



「…あ、うん。でも、これはこれで結構アリかも……」


 …福沢くんは僕たちの声などまるで耳に届いていない様子で、ひたすら黙々と梅干を口に運んでいた。

キーンコーン・・・カーンコーン・・・・・・


「きりーつ! 礼!」


 クラス委員の号令が教室に響いた。午後の授業もホームルームも全て終り、これでようやくお勤め終了、という感じだ。お昼を食べて眠くなった僕だったが、なんとか一応は最後まで起きて授業を受けた。


 周りを見渡すと、帰宅する人や部活に向かう人で、いつものように教室はごった返している。

 僕はと言えば、特になにか用事があるわけじゃない。部活がある訳でもないし、バイト探しも少し先だ。僕にしては珍しく、やらなきゃいけないことも、やりたいことも特にない放課後だ。

 だからという訳じゃないけれど。きっと朝に綾とした会話のせいでもないけれど、なぜだか僕の足は…あの場所に向かおうとしていた。




 がたがた、と何度か前後左右に揺すり、ポイントを確認しながら僕は校舎の4階の一番端にある、美術室の扉に手をかけた。

 はっきり言ってここの教室の建て付けは最悪だ。コツを掴まないと、開けるのに何分も掛かる事もある。もっとも建て付けだけの問題ではなく、この校舎そのものが老朽化しているせいでもあるのだろうけど。


 ちなみに鍵はかかってない。このことを知らない人は、開きにくさだけで鍵がかかっていると勘違いするからだ。

 だいいち、わざわざここを訪れる人間なんて誰もいない。授業で使われることもほとんどなくなったこの教室に、ましてや放課後に訪れる人間なんて、僕を除けばせいぜい美術の前川先生ぐらいなのだから。


 ・・・ガラ・・・ラっ・・・

 

 少々手間取ったものの、なんとか扉は動いてくれた。そして教室に足を踏み入れると、カビ臭さといろいろな画材の匂いが入り混じった匂いに、僕は……なんとも言えない気持ちに囚われた。


 外からかすかに運動部の掛け声が聞こえてくるだけで、教室の中はひっそりと静まり返っている。なにか目的があって来た訳じゃないので、僕は当て所もなくうろうろと歩き回る。というか、本当にいったい何をしにきたのか、自分でもよく分からない。なんで今さらこんなところに自分は来てしまったのか。ただの気まぐれなのか、それとも未練なのか。



 がらんとした教室の床には、イーゼルと椅子がいくつか残っているだけで、後は紙くずのようなものが散乱していた。試しになぞると、うっすら…どころではないホコリが指についた


 真っ黒になった指先を制服のズボンでごしごし拭いていると、ふと棚の石膏のデッサン像に目が留まった。そうだ、前はこれでよくデッサンの練習をしていたものだ。

「懐かしいな……って、はは……」

 ふと口をついて出た自分の言葉に、思わず僕は苦笑してしまった。だってそれは言うほど昔の話じゃない。せいぜい半年ぐらい前の話だ。懐かしいなんて言うほど昔じゃない。


 あの頃はそれこそ、ここに入り浸っては前川先生に教えてもらいながら絵を描いていた。美術部なんかないこの学校で、僕みたいなのは珍しかったんだろう。だからなのか、先生にはずいぶんと目をかけてもらってたし、お世話にもなった。


 …でも、その先生も急病とかで、ここしばらく学校を休んで入院している。少し前、夏休みに入ったあたりにこの教室で倒れていたのを、偶然警備の人が発見して事なきを得たのだとか。

 今も命に別状は無いものの、まだ意識が戻らないのだと、担任の内山先生は言っていた。

 一度お見舞いにも行こうと病院を訪ねたけれど、面会謝絶で会うことはできなかったことを思い出す。

『渡城、お前、進路はどうするんだ? 美大に行く気なら良い予備校を先生が紹介してやるし、推薦状も書いてやるぞ。お前なら絶対に受かると思うんだがなぁ』


『…ありがとうございます、先生。でも、美大に行ける余裕なんかうちにはありませんし、ここを卒業したら、どこかちゃんとした所に就職して…家族を助けたいんです』


『そうか…おまえ自身がそう考えているなら仕方ないが…、しかし惜しいな…』

 ……そんな風なやり取りを、先生と何ヶ月か前に、ここで交わした事も思い出す。

 あれからも何となく、手慰みに描いていた絵も、今は綾に言った通りに全然描いていない。ここに来るのもずいぶんと久しぶりだ。

 


あの時先生に話した気持ちは今も変わっていない。絵の道で、腕一本で生きていく、なんて言えば聞こえは良いけれど、そんなイチかバチかの人生なんて、とても自分には出来ない。


 僕がちゃんと仕事に就ければ、家に入れられるお金に余裕もできる。そうすれば母さん一人に苦労をかけることも無くなる。もっと広い家に引っ越しだってできる。もしも絵依子が進学したいと言い出しても、それを応援することだってできる


 …全部が上手くいく。考えるまでも無い話だ。


 だから僕は絵を描くのをやめた。

 本当に絵が好きなら、趣味で続けてもいいじゃないか。そんな風にいう人もいるけれど、僕にはそうは考えられなかった。未練は残したくない。もしこうだったら、ああだったらと後悔はしたくない。

 だから僕は…絵を描くのをやめることにしたのだ。


 空いた時間は全部、バイトに突っ込むことにした。それでも学生の身ではたいした稼ぎにはならない。いっそのこと退学することも考えたけれど、それは母さんに大反対されてしまったので、諦めるしかなかった。



 …一人きりになると、いつもこんな風にじりじりと焦燥感のようなものが心にくすぶる。


 …そして同時に、もし家が今みたいじゃなくて、そして父さんがもし生きていたら…と思う。



そうしたら僕は別の道を目指す事が許されたかもしれない。

 誰の許しでもない、僕自身の許しを。



 

 ・・・コトっ・・・・・・・・・


 不意に響いた小さな音に、僕はふいに現実に引き戻された。

「……なんだ……?」

 とっさに周りを見渡すと、窓際の棚に置いてあったらしい、デッサン用のチョークが落ちたみたいだった。


「……?」

 と、ぶるっ、と身体がふいに震えた。

 ふと気づくと、教室のカーテンが微かにそよいでいる。でもおかしい。窓は全部締め切られているはずなのに。



 …ぞわり、と小さな悪寒が背中に走った。

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