10月20日-6
「ほォ…気づいとったんか。ただのボンクラって訳や無いみたいやな」
足を止め、またこちらに向き直った黒衣の女の子が、少し驚いた風な声を上げた。
「…気づいてたって訳じゃないけど…今日のヤツは今までのヤツと様子が違ってたから、君が言った「囮」ってのにピンときたというか…」
…そうだ。今日の怪物は尋常じゃないスピードを持っていて、なのにほとんど攻撃をしてこないという、不思議なヤツだった。
絵依子を倒すつもりがない、戦うつもりがないらしい…ということまでは途中で気づいたけれど、その意味までは分からなかった。でも、彼女の言った「囮」がもしそうだったとしたら、アイツの不可解だった行動も腑に落ちる。
「ふん…案外エエ目しとるな。…もっかい聞くけど、自分ら…何なんや?」
「…さっきも言っただろ。僕は瞬弥。君らの方こそ…一体何者なんだ?」
「くっくっくっ…こらホンマモンや! なるほどねぇ…。ウチらの事すら知らんとはなぁ…」
再び女の子がけたけたと笑う。でも、その声にはさっきまであった強い敵愾心や憎悪のような色が、どことなく薄れているようにも感じられた。
「…ふっ。確かにアンタが言う事ももっともやな。ほな…改めて自己紹介しよか。ウチは御八尾 しん……いや、真都や。朧露宗は丞善寺の真都や」
「…僕は渡城 瞬弥。で、妹の絵依子だ」
「…何回いうねん。それはもうエエ。ほんで、その渡城くんとやらは、こんなとこで何しとったんや?」
「何って…だからあの怪物をやっつけようと思って…」
一瞬、彼女…御八尾さんの目が、僅かに細くなった。
「アンタら…アレが何か判ってて、そんな事を言ぅとるんやろな…?」
「え…いや、それは……」
…御八尾さんのかすかに荒い語気と、射るような視線に…僕は思わず口ごもってしまった。
「……ふん、まぁエエわ。そっちの絵依子ちゃん……やったっけな。アンタらのおかげで、ウチらも今日は楽させてもろた訳やしな」
「……? それってさっき言ってた「囮」のことで?」
「そうや。さっきのヤツが『敵』を引き付けて、その隙にもう一体が目的…別のとこで誰か襲うっちゅう寸法や。さっきウチが倒したんは、その「囮」に特化したヤツや」
「やっぱり…というか、なるほどな。だから全然反撃もしてこなかったのか…」
「それだけやないけどな。さっきみたいなヤツは速さに全振りしとるから、力はからっきしなんや。普通の人間もロクに傷つけれんぐらいや」
確かに思い出してみると、空中での最初の一発も、絵依子にはほとんどダメージはなかった。
「そうか…あれはそういうことだったのか…」
「せやから当てさえすれば、アッちゅう間に消えるぐらい「弱い」んやけど、その分スピードや機動力がありよる。アンタらが足止めしといてくれたおかげで、ウチらも追いつけたっちゅう訳や」
「追いつけた…って?」
「初めウチらは別のとこで別のヤツを見つけたんや。たぶんさっきのヤツと対になっとるヤツをな。ほんでそいつを先に片付けてたんや。その後に呂號隊がアンタらと「囮」を見つけてな。飛んできたっちゅう訳や」
「あのさ…その何とか隊とかってのは、君らは…軍隊か何かなのか…?」
「……は?」
さっきからずっと気になっていたことが、ふと口をついて出てしまった。それに御八尾さんは一瞬ぽかんとして、次の瞬間、またけたけたと大笑いし始めた。
一瞬またイラッとしたものの、実はもしかしたら彼女が失礼なのではなく、こっちの方がそれほどにバカで物知らずな質問をしてるのかもしれない、と僕はだんだんと不安に思い始めていた…。
「くくくくく…。ぐ、軍隊ねぇ…。アンタ、ウチらの格好見て判らへんのんかいな…ぷぷ…」
ちょうど大きく切れた雲の隙間から、薄っすらと差し込んだ月の光に照らされ、浮かびあがった御八尾さんの姿は、言われてみればどこか見覚えのあるものだった。黒…いや藍染の和服の下に白いインナー…、でも普通の和服とはかなり違うし、帯もなんか変だ。
…思い当たるものはある。しかしこれを口にしていいのかどうかは…正直いってためらわれる。御八尾さんの格好は、それほどあまりに意外なものだった…。
「ま…まさか…御八尾……さん、もしかして………お坊さん?!」
「…まさかもトサカもあるかいな。見ての通り、れっきとした僧侶やで」
「と……いうことは…さっきの人たちも……?」
「そや。今頃気づくとか、やっぱアンタ…ボンクラやな。くっくっ…」
意を決して答えると、ふふん、と鼻を鳴らして、御八尾さんが胸を張る。
…いや、見ての通りも何も、普通のお坊さんはそんな黒光りする物騒な錫杖なんか持ってないだろ。
……などと心の中だけでツッコミはしたものの、どうにか口には出さずに置いた。
でもさっき彼女が口にした『朧露宗』というのにはどこか聞き覚えがある。僕でさえ知ってるぐらいだから、たぶん有名な宗派のはずだ。
しかも『丞善寺』と言えば、この辺りじゃ割と大きなお寺だったはず。そんなお寺のお坊さんが、僕らと同じように怪物を追いかけ、倒していたなんて…夢にも考えたことがなかった。まさか…こんなことが…。
「ま、世の中には何にでも表と裏があるっちゅーこっちゃ」
どう受け止めていいか分からず、たぶん僕は変な顔をしてたんだろう。その表情からいろいろと察したのか、御八尾さんがぼそりとつぶやいた。
「…ほなウチらの事はもうエエやろ。今度はアンタらの番や」
「え……? 僕らの…っていわれても…」
「アンタらが評議会…ソキエタスと関係無さそうなんはもう判った。それは信用したる。顔も隠さん上にバカ正直にペラペラ自分らの名前を名乗る会士なんかおらへんし、そもそも『式紙』を倒して回る会士なんぞ聞いた事もあらへん。おまけに戦い方もド素人以下や」
「………」
「…せやから今日は見逃したろうと思ったけど気が変わった。それならそれで逆におかしいんや。自分ら…何なんや? その力……、どうやって身に付けた……?」
言いながらまた、御八尾さんの目が鋭く僕を射る。
どう…説明したものか…。
「……僕には絵依子みたいな力なんかないよ。オービスが使えるのもこいつだけで、元は父さんから受け継いだらしいんだ。ほら、絵依子からも何か…」
「……わ、わたしは…いいよ…」
その絵依子はさっきから僕の後ろに隠れるようにしている。僕と御八尾さんとのやり取りを黙ってうかがっているようだけど、少し…いや、かなり怯えているように見える。
確かに僕も、この「御八尾 真都」という子がとても普通の女の子ではないのは感じる。あの怪物を一瞬で倒したこともそうだし、ゴツい大男たちをアゴで使ってるのもそうだ。あの人たちよりもたぶん御八尾さんは…「強い」。
…絵依子は御八尾さんにはたぶん…いや、絶対に勝てない。理屈ではなく、直感的に僕はそう感じた。
だから絵依子の怯えているような様子も分からなくはないのだけど…。
・
・
・
・
・
「……ふぅん…なるほどねぇ…。つまりは世のため人のため、アンタらの父親がやっとった正義の味方ごっこを、今度は兄妹で後を継いだと。そういう事かいな。普通に考えたらありえへん話やけどなぁ…」
おおまかな事のいきさつを僕が絵依子に代わって説明すると、まるっきり釈然としてない様子で、相槌だけを御八尾さんは打った。それにしてもいちいちイヤミな言い方するな…この人は……。
「…僕らのやってることが正義の味方ごっこなら、君らのは何なんだよ」
「ウチらのは「仕事」で「修行」や。ウチらはこれでご飯食べさせてもろうとるんでな」
「……ぅ…ぐっ……」
せめて一矢報いようと反論しかけたものの、御八尾さんの返しに僕は一発で黙らされてしまった…。
「そんで? 今までにどんぐらいの『式紙』…怪物を倒してきたんや?」
「…僕が知ってるだけなら5、6匹だけど、その前は……、どうなんだ? 絵依子」
「…………」
「…おい、絵依子ってば」
「……え? な、何? お兄ちゃん?」
「…何、じゃないだろ。聞いてなかったか? お前が今までに倒した怪物の数だよ」
後ろに隠れていた絵依子は、急に話を振られてしどろもどろだ。こんな時にまったく…。
「えと…たぶん…20匹ぐらいかな……。そ、それよりいま何時? お兄ちゃん」
「それよりって…今けっこう重要な話を…って!? うわっ!!! 」
絵依子に急かされて見たケータイは、あと少しで12時ちょうどになろうとしている時間を表示していた。
まずい…今から大急ぎで帰っても、母さんを起こすギリギリの時間だ…!
「た、大変だよお兄ちゃん!! 早く帰らないとお母さんに怒られちゃう!」
「あ、あぁ。あの、御八尾さん、僕ら、急いで帰らないといけなくなったんで…」
「…………」
こんな形で話を打ち切るのは不本意だが仕方ない。でも御八尾さんたちも僕たちと同じように怪物を倒しているのなら、きっとそのうちにまた会えることもあるはずだ。別に焦る必要もないだろう。
こっちから聞きたいことも山ほどあるが、母さんとの約束を破るわけにはいかない。もしも破ってしまったら……想像するだけでも恐ろしい事態になる。
「じゃ、じゃあ御八尾さん! 続きはまた今度ね! さよなら!」
一足先に駆け出した絵依子を追いかけるべく、一応挨拶だけして僕はくるりと踵を返しかけた。
その時。
「……ちょっと待ち」
「え…?」
…急にかけられた声にあわてて振り向くと、目の前に…御八尾さんの顔があった。
「……!!!」
ち、近い。ものすごく近い。それこそ……息がかかるほどの距離だ。
瞬間、僕の心臓の鼓動が倍のビートを刻み出した。
「ちょ…あの…み…御八尾…さん……!?」
…間近で見る御八尾さんの顔は、意外なほど歳相応の女の子をしていた。少しキツ目ではあるけれど、ぱっちりした目元。きれいに通った鼻筋。うなじの辺りでラフに切りそろえられた黒髪はつややかで、まさにこれぞ日本人、という感じだ。
見れば見るほど、さっきまでの怖そうな雰囲気や、大男のお坊さんたちに、あれこれと指示を出していた人物と同じとはとうてい思えない。
……率直に言って、美人の範疇に入ると思う。
その御八尾さんが、すっ、と目を閉じた。どうしていいか分からない僕は…身じろぎ一つ出来ずに、そのまま固まっているしか…なかった。
「………」
「……あ……あの……」
「…………」
少しして、ようやく彼女の目が開いた。同時に唇も。
「…アンタのあの妹な。あれには気を許さん方がエエ」
「は…? な…なにを……」
「アンタがソキエタスでも会士でもなさそうなんは判った。せやからこれは忠告や」
「え……? え…?」
「…アンタから微かやけど『改変』された痕跡を感じる。エエか。今言ったこと、忘れるんやないで…!」
「………??!!……」
なんだ……? このひとは……なにを言ってるん…だ…?
「お兄ちゃ~~ん!! 何してんの~! 早く~!」
「……っっ……」
先に道に戻っていた絵依子の声が、静まり返った森に響いた。その声で…ようやく僕は我に帰った。
……御八尾さんの姿は…もう無かった。
「はは……何をバカな……。絵依子に気を許すな、だなんて…」
僕は必死になって頭からその言葉を追い出そうと、ぶんぶんと頭を振った。
でもそれは…まるで呪詛のように頭にこびりつき、すぐに剥がれ落ちてはくれなかった…。




