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Realita reboot 第一幕  作者: 北江あきひろ
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10月14日-1

-10月14日-




「…ママ…パパとえいこは…どこに行っちゃったの…?」



 ……母さんがとても困った顔をして僕を見ている。

 それはそうだろう。この年ごろの子供に「死」という概念を教えるのはたぶん簡単な事じゃない。


 自分がそれを判るようになったのは、たぶん10歳を過ぎてからだ。

 隣の家の、僕によくお菓子をくれていたお婆さんが亡くなった時、初めて僕はそれを理解した。


 もっとも、それにしたって今のように理解していた訳じゃなかったとも思う。正直、今の理解だって正しいとは言えないかもしれない。

 

 人の「死」や「命」は、それほど難しいものなのだ、と思う。


「瞬弥……お父さんは…二人は…とっても遠い遠いところに行ったのよ…」


 母さんも悲しいだろうに、それでも気丈に笑いながら僕に話し掛けてくれている。

 なのにこの時の僕は、その事を気遣うだけの年齢も、分別も、何ひとつ持ち合わせてはいなかった。


「遠くってどこ? どこに行けばパパたちに会えるの? …もしかして…もう会えないの? そんなの…イヤだっ!! ボクいやだよぉっっ!!」


「……瞬弥…っ……」


 そう言って母さんは僕をぎゅっと抱きしめてくれた。でも、その手が小さく震えているのを、この時の僕は感じ取る事さえ出来なかった。

 いくら夢とは言え、我ながら僕は自分の無思慮さに呆れ返る。


 そう、これは夢だ。僕がまだ幼かった頃の夢。

 もう10年以上前にあった、お葬式の光景の……記憶。


 ひっきりなく大人たちが式場を訪れ、そのたびに母さんはぺこぺこと頭を下げている。

 『この度はゴシュウショウサマで…』 などと、判で押したみたいな言葉だけが、次から次へと人だけを入れ替えては延々と続いていた。


 夫と娘の二人をいっぺんに失い、残されたのは息子の僕だけ。

 そんな悲劇に見舞われてなお、こんな風に振舞える母さんは強いな、と僕は改めて感心してしまう。


 とは言っても、やっぱり母さんの表情は……明らかに憔悴し切っている。こんな時こそ僕が支えなくちゃいけないのに、夢の中の僕は一人でぐすぐすと泣いているだけだ。

 僕は子供の頃の自分に、今の自分の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい気分だった。



 …死んだ父さんは将来を期待されていた、優秀なお医者さんだったらしい。だからこんなにも大勢の人が弔問にやってきてるのだろう。


 だからと言って、いちいち付き合う必要なんか無いのに、訪れた一人一人に時折笑顔すら見せながら挨拶する母さんの姿は余りに痛々しくて、僕はもう見ていられなかった。


 親戚のおばさんが気を使ってくれたのか、「唯さん、もうここはいいから…」と、休むように言ってくれた。

それでも母さんは首を横に振って、次から次へと式場にやってくる弔問のお客さんたちのところへ挨拶に行く。



 きっと優秀で、いろんな人から尊敬されていた父さん。

 もっとも、小さかった僕にとってはそんな事は関係なく、ただ優しく、大きかったことだけを覚えている。

 その大きな背中をよじ登ろうとする僕と絵依子に、父さんはいつも笑いながら付き合ってくれていた。



 正直に言えば、今は顔も声も……おぼろげにしか思い出せない。

 それは僕にとっては父さんの背中が、一番記憶に、印象に残ってるものだからかもしれない。


 やがて…ついに式場から棺が運び出されていった。あれほど気丈に振舞っていた母さんも、とうとうその場に泣き崩れ、僕も引きずられるようにわんわんと泣き出した。


 親戚のおばさんたちが僕たちに慰めの言葉をあれやこれやと掛けてくれるものの、そんなものは母さんには、ましてや幼い僕の耳にはまるで届かない。


泣き続ける僕たちを置きざりにして式は続いていく。棺が霊柩車に押し込まれ、走り去っていくのを、ただ僕は泣きながら見送るしかできなかった。


 …まるで映画を見るように、僕はそんな夢を、大昔にあった光景を夢として、僕は再び…、いや、何度も繰り返し見ていた。


 不思議と近頃よく見るようになったこの夢。

 だけれど、この夢はかつてあった現実の光景、事実とはひとつ大きく違っている。


 それゆえにいつ見ても正直バカバカしいと思う。


 なぜなら。




 チュン・・・チュン・・・


 カンカンカンカンカン・・・・・・・・・!


「・・・・・・ん・・・・・・・・・」



 そして……唐突に僕は現実に引き戻された。

 ちゅんちゅんと鳴く鳥の声、それとせわしなく階段を下りる、ご近所さんたちの通勤通学の足音が、僕を夢の世界から叩き起こしてくれた。



 身体を起こすと少しづつ頭もはっきりとしてきた。目をこすりながらメガネを拭き、掛けなおすと、一気に視界がクリアになる。


 見慣れた僕の、いや、僕たちの部屋。そしていつも通りの…朝だ。


 ふと……さっきまで見ていた夢を思い出して、僕はもう一度苦笑した。


 なぜなら。


「……ふああああぁ…、おい…絵依子ー。そろそろ時間だぞ…」

「むにゃ……ぐぅ………」


 大きく伸びをしながら、僕は隣で今だすやすやと寝息をたて、のん気に寝こけている珍妙な生き物に声をかけた。


 まったく、おかしな夢だと改めて思う。さっきまで見ていた夢では、父さんと一緒にいなくなったはずの妹…絵依子は、今ここにこうしてちゃーんと生きている。


 あの時遠くに行った、いなくなった…つまり死んでしまったのは……父さんだけだったんだから。


 そう、ここは僕、『渡城 瞬弥』と妹の絵依子、そして母さんの3人で暮らす団地の一室だ。

 狭いながらも楽しい我が家、というやつで、僕たち家族3人が川の字に寝るようになってから、もう10年以上が経った。

 だから僕のすぐ隣に妹の絵依子が寝ている事も、ごくごく当たり前の、いつもの光景だった。


 …もっとも、今どき2DKというのはどうかと思う事もある。僕たちのこの家には、ダイニングキッチンと六畳の居間、そして寝室代わりに使っている、この四畳半の和室しかない。

 もう少し大きな家に引っ越して、自分の部屋が欲しい、と思わなくもない。それに僕のことはともかく、絵依子だって一応は女の子だ。さすがにこのままずっと雑魚寝は嫌だろう……と思ってはいるが、まったく起きる気配のないこのアホ面を見ていると、そんな殊勝な気持ちはどこかへ失せてしまった。


「……おい、絵依子ってば。いい加減起きないと、また母さんに怒られるぞ?」

「……んぐぅぅ・・・・ぅ…・・」


 まるっきり声だけじゃ起きそうにない妹の身体をゆっさゆっさと揺すってみたものの、やっぱり目を覚ます気配はまったく無い。これもいつもの事、いつもの光景だ。


 …そしてこういう時の対処法も決まっている…!


「そりゃあぁぁぁっっ!」

「…きゃ……ぅうッッ!!??」


 毎日よだれを垂らしまくったせいで、今やすっかりシミだらけになってしまっている絵依子お気に入りの枕を、僕は力いっぱいに引っこ抜いてやった。

 案の定、支えを失った頭が、物理の法則に従って落下した。僕が大昔に生きていたら、きっとこれで重力を発見しただろうと思う。それほど見事な顔面ダイビングだった。


 どごすん、と小気味良い音を立てて、絵依子の頭が布団と豪快なキスをする。それでようやく夢の世界から現実に戻ってきたのか、身体を起こして首をきょろきょろと振りながら、重そうな瞼と口を開いた。


「ふゎ……あ…お兄ちゃん、おはよ…」

「…うん。もうそんなにお早い時間でもないけどな…」


 ふぅ、と思わずため息をつきながら、僕はくいっ、とあごで時計を差してやった。


「…………?」

 …少しの間、目をこすりながら時計を見つめていた絵依子だったが、その表情が見る見るうちに驚愕の色に染まっていく。今頃になってやっと事態の重大さを認識したらしい。


 …もっともそれは、僕にとっても他人事ではないのだけど…。




「もう! おにいひゃんのふぁか! なんえもっほはやふひおほひへふへないほ!!」


「何言ってるのかさっぱりだぞ……。それに、口に物を入れたまましゃべるなって、僕も母さんもいつも言ってるだろ…」


「なんでもっと早くに起こしてくれないの!! って言ったの! って、もうこんな時間!? お兄ちゃんも早く早く! ホールドアップ! だよ~~っ!」


「それを言うならハリーアップだろ……って、た、確かにヤバい! い、急がなきゃ!!」


「はいはい!! あわてず騒がず落ち着いて、なおかつ可能な限り急ぎなさい!! ただし! 残したりなんかしたら…晩ご飯は抜きだからねぇ~~!」


 …時計の針はすでに8時過ぎを指している。


 ようやくまともに目の覚めた絵依子と一緒に寝室を飛び出し、僕たちは母さんが用意してくれていた朝食を超スピードでかき込んでいた。

 まったくもって変わり映えしない、これもいつもの僕たちの、当たり前の朝の光景だ。

 つけっぱなしのテレビからは朝のニュースが流れているけど、そんなのに気を取られてるヒマもない…!



 ピンポーン・・・・・・



「…は~~い!」

 ふいにチャイムが鳴り、思わず時計を見ると、これもやっぱりいつも通りの時間だ。


 母さんが大きな返事をした後、がちゃり、と開いた扉の向こうから、これまたいつものように、いつもの女の子が現れた。


「おはようございます、おばさん。まだ…ですよね?」

「はーい、おはよう! 毎朝毎朝ゴメンなさいねぇ…。…ほら! 二人とも! 綾ちゃんが来てくれてるわよ! 早く支度しなさーい!」


「ふぁぁぁぁい! もうひょっとらふぇまっふぇ……!」


 さっき絵依子に言った事を棚に上げて、僕も必死にご飯をかき込みながら答えるしかなかった。

 あと1分…いや、30秒ほどで、完食はもう目前だ。


 その時、ぱん、と小気味よく両手を叩いた絵依子が、ごちそうさま! と言うが早いか、僕の横を通り過ぎていった。


 ……ニヤリと勝ち誇ったような笑みを浮かべながら。


 起こしてやった恩も忘れやがって……と、心の中で僕はハンカチをかみ締めるしかなかった…。


「……ちゃんと鍵かけてから行くのよー。それじゃ綾ちゃん、後は任せたから!!」

「はい…いってらっしゃい、おばさん」

 いつの間にか出勤用の服に着替えてた母さんが、ばたばたと玄関に向かっていく。ぺこりとお辞儀して見送る綾を尻目に、母さんはダッシュで階段を駆け下りていった。


 そして絵依子に遅れる事約1分。何とか朝ごはんを食べ終えて食器を水につけていると、扉の向こうから絵依子と綾の楽しそうな声が聞こえてきた。


 …ぼやぼやしてると本気で置いていかれかねない。あわてて鍵とカバンを引っつかみ、僕も玄関へと急いだのだった。

 いつも通りの朝。いつも通りの光景。


 こうして3人いっしょに学校に通うのが、昔からの僕たちの半ば決まりごととなっていた。

 朝のひんやりとした空気からは、早くも秋の匂いが感じられる。ついこの間まで厳しかった残暑がまるでウソのようだ。

 大通りを歩道橋で渡りながら下の街路樹を見ると、その色も秋の訪れをずいぶんと感じさせるものに変わりつつあった。


 そんないつもの通学路を僕と絵依子は並んで歩き、その向こうには綾がいる。


「でね~、クラスの子にこの話をしたら、もう超ウケたんだよ!」

「あはは…そうなんだ。エコちゃんらしいね」


 絵依子と楽しげに話しているこの子は「加賀谷 綾」。

 僕たちの住む団地のご近所さんで幼馴染だ。

 かれこれもう10年以上になる付き合いの僕たちは、ほとんど3人兄妹のような関係だ。


 そして毎朝僕たちが遅刻せずに済んでいるのは、この綾のおかげと言っても過言じゃない。

 僕とは1歳違いで、絵依子と同い年の綾は、長年のよしみで毎朝律儀に迎えに来てくれている。

 そのおかげで僕も遅刻とは無縁なので、僕たち二人はこの真面目な「妹」にいくら感謝してもし足りないぐらいなのだ。



 …などとそんな事をぼんやりと考えてたら、いきなり綾が僕に話を振ってきた。


「ねぇ瞬くん。昨日の晩は何してたの?」

「……え? 何してたって言われてもなぁ……。ご飯食べてテレビ見てお風呂に入って……、……寝た………?」


「ふふっ……なんで疑問系なの…?」

 くすくすと笑いながら綾がこちらをじっと見る。そうは言われても実際それぐらいしか記憶がないんだから仕方ない。別にどうでもいいだろ、と言い返そうと思った瞬間、絵依子が横から割り込んできた。


「じゃあお兄ちゃん、昨日のテレビ、何見てたか覚えてる? ぼんやり見てて覚えてないんじゃないの?」

「え……な、何言ってんだよ。え~っと…ほら、アレだよアレ」

「…………」

「あの、ほら、何ていうんだっけ、えっと…その…」


 ……おかしい。確かにテレビを見てた記憶はあるけど、内容がまったく記憶にない自分にびっくりだ。


「…自分にびっくりだよ」

 思わず口に出してしまった僕のセリフを聞いて、二人の「妹」たちは呆れたような、諦めたような表情を浮かべたのだった…。


「ふふ…相変わらずだなぁ、瞬くんは。それでエコちゃん、正解は?」

「『踊る!メジロ御殿!!』だよ。わたしあれ好きなんだー」

「あ、私も見てたよ! 昨日のゲストのアイドルの……」

「まゆゆん?」

「そう! あの人の爆弾発言にはびっくりしちゃった! だって……」


 ……話を振られたのは僕だったのに、いつの間にか僕だけが置いてけぼりにされて、二人で大盛り上がりしておる。なんだこれ。


 これはこれで癪なので、こうなったら無理矢理にでも話に混じってやるぞ。

「だよね~! だから絵依子、ATMだ~いすき!!」

「え、エコちゃん、その言い方はちょっと…。それでね、まゆゆんと他のATM48のメンバーが……」

「あ、ちょっといいか? その…まゆゆん?って…誰?」



 その瞬間、さぁぁぁ……と周りの温度が10度ぐらい下がった気がした。

 ……『まゆゆんって誰?』 という僕の言葉は、そんなに有り得ないものだったのか?


 綾はどう言ったものかという風に口をぱくぱくさせている。絵依子に至っては、信じられないものを見た、というような目で僕を見ている。


「…えっと、瞬くん? それって…ボケ…?なんだよね……?」

 ようやく出てきた綾の言葉に、絵依子がため息をつきながら首を振った。

「…ぼんやりしてるとは思ってたけど、まさかここまでとはね……開いたフタが閉まらないよ……」


「…それを言うなら『開いた口が塞がらない』だろ」

「そこは今はどうでもいいの! ちなみにお兄ちゃん? ATM48は知ってる?」

「バカにするなよ。それぐらいは僕だって知ってるぞ。アイドルのグループだろ?」

「…それから?」

「え……、た、確か…けっこう人気なんだよな」

「うん。それで?」

「…っ、確か……『会い』に行くと『とことん』まで『毟られる』って意味でATM……」

「はいそこまで! ストップ! そして死ね!」


 ドゴォッッ!


 …僕が言い終わる前に、絵依子のボディーブローが僕の脇腹に炸裂した。

「うぐぅぉ……っっ……!」

 思わず口から情けない声が漏れる。まったく、怒るとすぐに手が出るのがこいつの悪い癖だ……。


「ATMは『あなた』に『とって』の『女神』って意味!! まったく…世間ずれしてるくせに、どこでそんなの覚えてくるんだか…。

『まゆゆん』こと「綿雪 真由子」はそのATMの去年のセンター! いい? 覚えた?!」


 …何か軽蔑さえ入り混じったような絵依子の視線が僕を射やがる。

 仕方ないだろ、そんな事言われても興味ないものなんて、目の前でやってようがお隣のテレビでやってようが、僕には等しく関係の無い事なんだから。


 だいたいセンターってなんだ。野球でもやってるのか。と思ったものの、さすがにこの空気の中で、それを口にする勇気は僕にはなかった。


「あ…でも男の子って、意外にアイドルってそんなに好きじゃないよね。クラスの男の子も、いつもマンガとかスポーツの話ばっかりだし…」


 すかさずフォローを入れてくれた綾の姿に、僕は後光が差して見えた気がした。全く、それに比べて我が実の妹と来たら…。


「いーや、そう言う問題じゃないよ! フツーに変だよ、ヘン! 国民的アイドルを知らないとか、ありえないでしょ?! っていうか、フツーに流行とかに全然興味ないんだもん! 毎日毎日ぼんやりしてるだけで!」


「ま、まぁまぁエコちゃん…。そういう人だっていても別に変じゃないよ? 芸術家肌の人ってそういうところ、あるって言うし…。ね、そういえば瞬くん、最近……絵の方はどうなの?」


 どくん、と一瞬、心臓の音が跳ね上がったような気がした。


「……最近は全然だよ。もう、あんまり興味もないっていうか…」

「…そうなんだ。もったいないね。そういえば瞬くんが中学生の時に描いた絵、県の大会で入賞したよね? また…狙ったりしないの?」

「っていうか、もう大会とかにも興味ないし…」

「ほんとにもったいないな。瞬くんの絵だったら、絶対一番になれるのに」

「………」


 なるべく平静さを保つことだけを考えながら、僕は気のない風に綾に答えた。


 確かに三ヶ月ほど前までは、そこそこ真面目に絵を描いてはいた。家でも学校でも、暇さえあればスケッチや落書きに精を出してはいたけど、今はまったくそんなこともない。


 興味がなくなった、というのも、半分は嘘で半分は本当だ。でもその半分が、時折…そして今も僕の心をざわざわと波立たせる。

 そんな僕の内心の葛藤など知ったことかと、絵依子が横で吠えまくる。


「あーやは甘い! なーにが芸術家肌よ! 芸術家っていうなら、まずタイシュウにシジされなきゃダメじゃん! リカイもキョウカンもエラレヌ、ココウとはナバカリのゲイジュツなどムイミよ!」


「お前、それ意味分かって言ってるのか……?」

「うっさい! とりあえず死ね!」


 ・・・メギィッッ!


「ぐ…ふぉぉっっ……っ!」

 …さっきとは逆の脇腹に、再び絵依子のパンチが炸裂した。しかも今度のはわずかに角度を変え、ひねりを効かせたレバー打ちだ。

 痛みで悶絶する僕の頭から、さっきまでの葛藤がどこかへ吹っ飛んでいく。


「エコちゃん…さすがにやり過ぎだよ……。でも…確かに瞬くんは、もうちょっとぐらいは世間に興味持ったほうが良いかも…。…今のままだと、確かにちょっと変な人に見られるかも……」

 …突っ込みながら、何を丸め込まれてるんだ、綾。


「あっ! で、でも変っていうのはね? その、悪い意味じゃないんだよ? 何ていうか…その…でも…あの…」

 しどろもどろになりながら、綾が何やら言い訳がましく、あれやこれやと口にする。でも僕が『変』だという結論自体は変わらないらしい。


 くそ、こう言う時は話題を変えるしか無い……。


「うぅ…、う…うるさいなぁ…だいたい、ヘンって言うなら綾だって充分ヘンだと僕は思うぞ……げほっ……」


「……ぇ?」


 ふっふっふっ……急に話を振ってやったら、綾がぽかんとしている。

 これはこれで、してやったりという気分かも。


「え…、わ…私……?」

「だってそうだろ? 綾の成績だったら、もっといい学校にも行けたのに、よりにもよって僕や絵依子の通ってる学校なんかに来ちゃったんだからさ」


 僕たちの通う高校は、お世辞にもレベルが高いとはとても言えない。名前を漢字で書ければ合格できる学校よりは、ほんの少しだけマシ、というレベルだ。はっきり言って小学校中学校まで、ずっと優等生で通っていた綾が、入学を希望するようなところでは断じてない。


「そ…その…それはその…、他のところは家から遠いし…、そしたらその…、電車通学とかになるし…その……定期代とかも…いろいろ………あの…」


 ぼそぼそと聞き取りにくいボリュームで、綾が髪をいじりながら反論らしきものを何事かつぶやいたものの、やがて顔を伏せてしまい、それっきり声は聞こえなくなった。


 前にも聞いた事はあったけれど、その時と同じようにやはり答えは謎のままだった。結構長い付き合いなのに、綾のこういうところだけはさっぱり判らない…。


 ふいに何やら視線を感じて隣を向くと、先ほどにも増して絵依子がじとっとした目で僕を睨んでいた。

 …僕が何したって言うんだ。まったく。





 そうしてるうちに、周りには僕たちと同じ制服の数が段々と増えてきた。でも、方向は同じなのに、なぜか早足で駆けている彼らの姿を見て、僕はとっさにケータイを取り出した。


「…ちょっとだけ僕らも急いだ方がいいかも…」

「え?! もうそんな時間!? よーーし、校門までみんなで駆け足! よーいドン!!」


言うが早いか、絵依子がたったっと凄いスピードで駆け出した。身体は小さいくせに、運動神経だけは妙に良いらしい。 もっとも、あいつに言わせれば、僕がどん臭いだけなのだそうだけど。


「え…! ちょ、ちょっと待って、エコちゃん!」

あわててよたよたと綾が絵依子に追いすがる。正直言って綾もそんなに運動神経は良くない。いつだったか、子供の頃に公園のジャングルジムから綾が下りられなくなって、わんわん泣き出した事があったのをふと僕は思い出した。


 その時、無理やりてっぺんまで登らせたのは実は僕だったりするのだけど、確かあの時も絵依子は……。


「お兄ちゃ~~~ん!! ぼーっとしてたら置いてっちゃうよ~?!」


僕の回想は、道の真ん中でたったと足踏みしている絵依子の声によって、無理やり打ち切られた。


「ふぅ…仕方ないなぁ…」

やれやれと思いながら僕も走り出した。得意げに前を走る絵依子を追うようにして。


 …そしていつも通りの時間に校門を抜け、下駄箱に靴を入れると同時にチャイムが鳴った。

 絵依子たち1年は1階。2年生の僕は2階だ。早足で教室に向かう「妹たち」を見送りながら、僕は階段に向かった。


 いつもと変わらない一日がここでも始まる。

 もうずっとずっと繰り返してきた、平凡だけれどそれなりに楽しい…不満なんか何ひとつ無い日常が。




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